コンビニ恋愛事情
 お客×コンビニ店長








 バレンタインという風習が昔から好きじゃなかった。
 一体いつからはじまったのか知らないが、好きな人にチョコをあげる日?なんだそりゃ。別にその日じゃなくたってチョコの一つくらいあげられるだろう。それともあれか、その日じゃなければ好きな人にチョコをあげてはいけないとでもいうのか。それこそなんだそりゃだ。本当に好きなら日にちなど構わず渡せばいいのに。なんて碌に恋愛なんてものもせずに年をとってしまった俺は思うのである。
 別にバレンタインを前に浮き足立つ雰囲気が羨ましいとか、チョコをたくさん貰える奴が妬ましいからこんな事を言っている訳じゃない。この年になればチョコを貰えなくても何も思わなくなるし、さらに言えば俺は幼い頃からバレンタインという日が理解不能だった。バレンタイン商法に喜んで躍らされている人間の気持ちがよく分からなかったと言った方がいいかもしれない。そもそもバレンタインはどっかの誰かの誕生日じゃなかったのか。それがどうして好きな人にチョコをあげる日なんてものにすり替わったのか。
 誰かの誕生日をチョコをあげる日にすり替えて商売に変えてしまった先人の商才には感服だ。その思惑通り何十年と経った今の日本で2月14日は好きな人にチョコをあげることが当たり前の日となった。そして時代を重ねるごとに最近は本命をあげるというよりもお歳暮みたいなノリで義理チョコをあげる方に重きを置かれているような気もする。全くもって迷惑極まりない事案である。
 なぜ迷惑なのかと言えば、そんな義理チョコでももらってしまえばお返しをしなければいけないからだ。いわゆる暗黙の了解シリーズ、貰った物に対するお返しはしましょう。だ。ここで一番ネックなのは、お返しの方がかなりの確率で値段がかかるということだ。義理と言いながら彼女らが望むのは倍返しだ。スナック菓子で鯛を釣ろうとする。
 そうとは知らずうっかり安物でお返しをすましてしまった昔の出来事を思い出して顔が歪む。あれは酷かった。まだ互いに若かったせいか遠慮というか思慮深さというものが上手く出来上がっていなくて、それはもう露骨に『え、なにこいつこんな安物で済まそうとしてんの?ふざけてんの?』と顔で訴えられたのだ。
 直接言葉で言われるより、『ありがとう』と言われながら顔で本音を語られる方が辛い時もあるのだと初めて知った瞬間でもある。別に俺がチョコを欲しがった訳じゃないし、そっちが勝手に押し付けてきただけなのに。けれども人としてお返ししないのはどうかと善意でお返しをしたのに、なぜそんな仕打ちを受けなければいけないのか…。そう出かかった言葉を飲み込んでその場を静かに去った俺ってなんて大人だったんだろう。
 それからというもの、義理チョコさえ貰う機会は少ないが貰った時はそれなりに値段を上乗せお返しするようになった。お返ししないという選択肢はチキンな俺の中には存在しないので、理不尽さを感じながらも財布の中身を軽くする。
 本当にバレンタインなんて碌な日じゃない。
 そう俺が文句を垂れている間にも女性が特設された棚からチョコを手に取ってレジに持ってくる。このコンビニ内でも一番高いブランド物のチョコがホワイトデーにどう化けてかえってくるのか。なんて下世話な事を考えつつ、恙無く会計を済ませる。

 「ありがとうございましたー」

 一番高いチョコを安っぽいコンビニのビニール袋に入れて去って行く女性の背中を見送り、なんとわなしに思う。

 あのチョコ、義理かな、本命かな。

 けれど本命をコンビニのチョコで済ませる訳がないかと思い直して、あのチョコを貰うであろう男性に心の中で合掌。御愁傷様。一体その男性はコンビニのチョコにいくら上乗せしてお返しする羽目になるのやら。
 やれやれ世知辛い世の中だぜ全く。と頷いていれば去って行った女性の向こうに知った顔を見つけたと同時に来店を知らせる音楽が鳴り響く。その人物を認めて接客も忘れて顔が歪む。歪んだ俺の顔が見えているだろうに、入ってきた人物は食えない笑みを浮かべて陽気に手を振ってくる。その姿にイラっとして裏に下がってやろうかと思ったがバイトの子がトイレに行っているので店の中を無人にする訳にはいかない。
 だから、仕方なしに。そう、仕方なしに仕事をこなすしかないのだ。

 「…お帰りくださいませ〜」

 「今来たのに帰る訳ねぇじゃん。てかアンタもっと可愛く接客できねぇの?」

 「うるせぇでございます。早く帰れってんでございます」

 「なにその日本語。俺が一から敬語教えてやろうか?」

 と言って笑う男に俺のこめかみがひくつくのは毎度の事だ。憎たらしいほど高い身長を生かして人の頭上でくつくつ笑いやがって。今すぐ縮め。今すぐそこに膝まつけ。俺を見下ろすな。なんて文句がぐるぐる頭の中を駆け巡る。だがそれを実際口に出したところでこの口から生まれてきたように口が達者な男に丸め込まれるのは必至なので俺は苦虫を噛み潰したような顔で言葉を飲み込む。きっとそんな俺の葛藤などお見通しなのであろう男の挑発するような笑みが本当に癇に障る。
 くそ。はやく帰ってこい松前。どんだけトイレに時間かかってるんだお前は。…もしかしてでかい方か?でかい方しにいったのかお前。えぇいでかい方ならでかい方でもいいからぱっと力んでぱっと出してはやく戻ってこい!これは店長命令だぞ!
 この男と二人きりになりたくなくて先ほどトイレへと行ってしまったバイトに念を送るが、俺の思いも虚しく松前がトイレから戻ってくる気配はない。…あ、そういえばついでだからトイレ掃除もしてきてって頼んだんだった。そりゃ時間かかるよな!うっかりうっかり。

 (うっかりにも程があるだろ俺。なんでよりにもよってこいつが来る前にトイレなんか許可しちゃったんだよ!)

 なんて後悔したところで先を見る能力があるわけでもないので仕方が無いのだが、それでも悔やんでしまう事ってあるだろう?俺の今のこの状況のように。

 「それにしても相変わらずブサイクな顔してんな、アンタ」

 「あぁ?自分がイケメンだからって馬鹿にしてんのかでございますか?」

 「いやいや。これでも褒めてんだぜ?愛すべきブサイクってな」

 「…やっぱり今すぐ帰れお前。そして二度と俺の前に現れるな。でもその前に慰謝料は置いていけ」

 あまりにもな言い様に敬語も忘れて目の前の男を睨みつけるが、やはりなんのダメージも受けていないのかむかつく微笑みを返される。なんなんだお前。一応俺の方が年上だよね?なのになんでそんなに余裕綽々なの?なんで年上の俺の方がいいように遊ばれてるの?そもそも俺そんなにブサイクじゃないし。普通だし。大人ニキビだってないし。バイトの女の子達に「店長の肌ってムカつくくらいもちもち肌ですよね」って言われるくらいだし。

 「睨んでもブサイクが酷くなるだけだぞ?」

 「っ! うっさい!バーカ!バーカ!滅びろイケメン!」

 「くくっ。バーカって、ガキかよアンタ」

 「…っ」

 どうやらどう足掻いても俺の行動は男の余裕を壊すどころか笑いのツボになってしまうらしい。彫刻のように整った顔を歪めて腹を抱えて笑う男に歯ぎしりして、俺はこれ以上の墓穴を掘らぬよう口を閉ざした。
 落ち着け。落ち着け俺。いちいち年下の戯れに本気になってどうする。ここは大人である俺が、大人の余裕をもって受け流せばいいんだ。そう、大人の余裕だ。何故だかこの男を前にすると普段温和で有名な俺が何処かへいってしまう。さっきのやりとりだってそうだ。年甲斐もなくバーカとか連呼してしまったが、思い返してみるとなんて恥ずかしい事をやっていたんだ俺は。三十路近い男が年下の男に向かって『バーカ』なんて…。

 「……」

 「アンタって考えてる事がすぐ顔に出るよな」

 「? どういういーーー」

 「あれ?神宮寺さん?」

 どういう意味だ。と柔らかい顔で言ってきた男の言葉の意味を問おうと口を開くが被された第三者の声に遮られる。
 声の主を見れば、トイレ兼トイレ掃除から戻ってきた松前がトイレのゴミを持って立っていた。そして小走りで寄ってくる松前に、男ーーー神宮寺は軽く手を上げて返す。それがまた様になっていてこめかみがひくつく。

 「よ。まっつん。今日も仕事に励んでんな」

 「そりゃ仕事ですからね。そういう神宮寺さんはまた店長の事からかいにきたんですか?」

 「おう。そんなとこだな」

 「神宮寺さんも物好きですね」

 「まぁ、これが唯一の癒しだしな」

 「はは。枯れてますね神宮寺さん」

 「はは。やっぱりまっつんは司以外には辛口だな」

 「そんなの当たり前じゃないですか」

 「そっか。当たり前かー」

 「ははは」

 「ははは」

 「(こいつらって仲がいいのか悪いのか良く分からんな)」

 本人を目の前に好き勝手言うだけ言って何やら互いに嫌味の応酬をして笑い合う二人に俺の謎は深まるばかりである。
 でもまぁ、喧嘩するほど仲がいいなんて言葉があるくらいなんだからきっと仲がいいんだろうなと毎度のように結論付けていまだ笑い合う二人の頭を小突く。

 「いてっ」

 「いたっ」

 「お前らが笑い合うほど仲がいいのは分かったから松前は仕事に、お前は家に帰れ」

 ここぞとばかりに大人の威厳を見せつけてやろうと意気込んだセリフもバイトである松前には効いたが、神宮寺には効かなかった。素直に仕事に戻った松前とは反対に、神宮寺は頭を小突く時だけ背伸びした俺に気付いて頭を押さえながらニヤニヤとこちらを見てきている。そのにや下がった顔にあつあつの肉まんを押し付けてやりたくなる衝動をなんとか抑えて、羽虫を追い払うように手を振る。

 「ほらほら。暇人は帰った帰った」

 「ひでぇな。完璧虫扱いじゃねぇか俺」

 「……」

 「…さすがにそんな顔されたら俺でも傷付くぞ?」

 とか言いつつその顔はにや下がったままだったが、たしかに、ほんの少しだけ落ち込んだような色を見つけて小指の爪先ほどの申し訳なさを抱く。だけどそれ以上の心的疲労を男から強いられている俺の罪悪感はすぐに霧散していった。というか次に続いた言葉に吹き飛んでいった。

 「それにそんな顔されたら余計燃えるしな」

 「本当に今すぐ帰ってもらえませんかね!」

 「ははは」

 「はははじゃない!」

 なんなんだこいつは。人がほんのちょーっとだけ悪かったかなと思った途端にこの発言だ。少しでも申し訳ないと思った俺の良心を返しやがれ!って、商品棚の向こうに居るからバレてないと思っているんだろうが、くすくす笑っているのがもろバレだからな松前!お前今月の給料減らすぞ!
 残念な事に俺達三人しかコンビニ内に居ないせいで少なからずのカオス空間が出来上がってしまっている。二人分の笑い声と、一人ツッコミを入れる俺の声。今すぐ来店を知らせる音楽が鳴ってくれればこの状況を打破できるのに、音楽は沈黙を保っている。立地のせいか日頃から昼間でもお客はまばらではあるが、今日はいつにもましてお客が来ない。
 まさか、こいつ人払いの魔法でもかけたのか?なんて馬鹿げた考えが頭をよぎった時、コトリと目の前に何かを置く音が耳に届く。音を辿って視線を向ければレジカウンターの上に綺麗にラッピングされた長方形の箱が置かれていた。その箱ははからずも先程女性が買っていったものと同じで俺はなんだかしょっぱい気分になって目の前の男をジト目で見やる。

 「……なに」

 「なにって、お会計」

 「……これを?」

 「これを」

 テンションが底を這う俺とは違って男のテンションは軽やかだ。対照的な明るさといつもの癇に障る笑みを浮かべて会計を急かしてくる。男である神宮寺がチョコを買う理由が分からなかったが仕事なのでしぶしぶ、亀もビックリな遅さで会計をしてやった。(そもそもこいつ程の美形なら自分でも買わずとも女の子達がここぞとばかりにチョコをくれそうなのに。嫌味か?嫌味なのか?)

 「あ、袋はいらねぇから」

 「…なにお前手に持ってさももらったように見せびらかしながら帰る気なのか?」

 「そんなことしなくても腐る程もらってる」

 「滅びろイケメン」

 「妬むなよ。益々ブサイクになるぞ?」

 「神宮寺。ハウス」

 こいつとはきっと分かり合えない。俺は改めて実感した。こいつの友人のイケメン君は常識人なのに、どうしてこの男はこうも俺の神経を逆撫でしてくるのだろうか。基本的に人をからかうことを楽しんでいるような奴なのだが、それにしても普段そんなに腹を立てない俺がここまでなるのは珍しい。じゃなきゃバーカなんて言わない。
 自分の不可解さに思考を張り巡らせるのもこれで何度目になることやら。その謎を作り上げている神宮寺は変わらずあの笑みを浮かべている。人のことをからかうのが楽しくて仕方が無いと雄弁に語る表情。でもこの男が時々無邪気な子供のように笑うのを知っている。まぁ、その笑顔はたまにしか見られないレア物なのだが。なんて考えていたせいだろうか、告げられた言葉に反応が遅れしまったのは。

 「ハッピーバレンタイン」

 そんな言葉と一緒に目の前に差し出されたのは、さっき神宮寺が会計を終わらせた箱だ。つまりチョコの入った箱だ。その箱をなぜ俺に、それも柄にもなくちょっと照れ臭そうに神宮寺は渡してくるのだろうか。

 「ほうけてないで受け取れよ」

 驚きに言葉を無くす俺の胸元にグリグリと箱が押し付けられる。ちょうど角のところでグリグリとしてくるものだから地味に痛い。痛い、けれどやっぱり状況が飲み込めず言語機能が回復する様子はない。

 「不意打ちに弱いとは知ってたけど、いつまで固まってんだよアンタ」

 いい加減反応ないと恥ずいんだけど。
 そう続いた言葉が耳に届いた瞬間、俺の手は反射のように神宮寺から差し出された箱を受け取っていた。手のひらに収まる箱を呆然と見つめて、神宮寺を見る。そしたらこちらを見ていた神宮寺とバチりと音がしそうな程視線が合いどうしてか狼狽えてしまう。普段なら普通に見れるその顔がなんだか直視できなくて下を向いた俺の頭上で男が笑う。でもその笑い方がいつもと違う柔らかなもので、文句を言いたくても言えなかった。

 (これじゃ今までみたいに誤魔化せない)

 そうして俯く俺の耳元で、男が密やかに囁く。

 「まぁ、ということで。ーーーお返し、期待してるからな」

 「…え?」

 「じゃあな、店長さん。ホワイトデーには身体の隅々まで洗って待っとけよ?」

 「な?!身体?!隅々?!一体どういう意味だよそれ!」

 だけど囁かれた内容はどうにも受け入れがたく理解不能なもので、喚き立てる俺を残して神宮寺は振り返る事なく去っていく。あれだけ帰れと言った時は帰らなかったのに、こういう時だけはさっさと帰りやがって…!軽く手を振ってるのもむかつく!

 「くそ!なんなんだアイツは!誰がお返しなんかするかってんだ!勝手に押し付けてきたくせに…!」

 今すぐあの背中を追いかけてこの箱を投げつけてやりたかったが、それでは職務怠慢にもほどがある。ダメ、ゼッタイ、職務怠慢。それに店長である俺がそんなんじゃ、下の松前に示しがつかないしな。なんてグダグダ言い訳のような理由付けをしつつ、なぜか火照っている頬をおさえながら俺は思うのである。

 (やっぱりバレンタインなんて碌な日じゃない…!)










 「…店長顔真っ赤ですよ」
 「! うるさい松前!減給するぞ!」
 「恥ずかし嬉しいからって職権乱用しないでくださいよ!」
 「…ッ?!」
 



 後日俺がちゃんとお返しをしたのかは、まぁ、その…『お察し下さい』というやつだ。



 END



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