誰も知らない君のこと

 強面×鈍感







 一概にして心優しい人が、善人のような姿や顔をしているとは限らない。
 いかにも善人という顔をした人が裏では他人の悪口を言っている所を何度も見た事があるし、いかにも悪人という顔をした人が裏では慈善活動なんかしている所を何度か見た事があるからだ。だからといって全部が全部そうであるとは言い切れない。中には見た目通りの中身を持った人も居るだろう。善人顔の悪人も、悪人顔の善人も、善人顔の善人も、悪人顔の悪人も、皆一様に等しくこの世には存在している。けれども悲しいかな。どうもニンゲンというものは見た目の印象に騙されやすい生き物で、(まぁ、仕方が無いといえばそうなのだが)いわゆる外見の第一印象でその人物の内面まで決めつけてしまう傾向にあった。外見しか判断内容がないのでそうなってしまうのも致し方ない事象なのだろうが、それにしたって安易に判断しすぎだと思う。ほら、よく小説やマンガでだってあるだろ?仲間だと思っていた善人顔が実はラスボス的存在だったりすることが。まぁ、つまり何が言いたいのかというとだな…『人は見かけによらない』って事だ。
 見た目だけが全てじゃないんだぞ。ということを、俺は言いたい訳だ。
 と言いつつ俺だって前までは少なからず他人を見た目だけで判断してしまっていたからあまり偉そうに言えないんだけどねごにょごにょ。
 そもそも、なぜ俺がこんなにも見た目云々について語っているのか。それはある人物との出逢いにより俺の中の意識が変えられてしまったからに他ならない。
 その人物との出逢いは今から約一ヶ月前くらいになるのだが、細かいことは割愛させていただきます。
 その人物は見た目の為りや態度からあまりいい噂がない人で、いつも周りから敬遠されている人だった。付き合いのある今ならその噂が根も葉もない心ないものだったと分かるが、俺も知り合う前はその噂を少なからず鵜呑みにしていた。というかほぼ、鵜呑みにしていた。もう丸呑みだ。疑うという咀嚼行為もなく、アナコンダも顔負けな丸呑み具合だった。言葉を交わすどころか会った事もない人間の事を一人歩きする噂だけで判断して勝手に怖がっていたのだからお笑い種である。
 うんうんと過去を思い出しながら歩いて目指す先は、件の人物がいる場所だ。俺の意識を百八十度変えてくださった人物は、始めて出会ったあの時から変わらずそこに現れる。ほぼ毎日といっていいペースで現れるその人に合わせて俺の出現率も比例するものだからその場所の持ち主さんに『本当に君達は仲がいいんだねぇ』とお墨付きをもらうまでになってしまった。あまりにもにこやかに言われてしまい、何故かその人物と二人して恥ずかしがったものだ。そんな中『いや、あの、こいつとは…』と耳を赤くしながらしどろもどろに答える姿が噂とはまるで違うもので…うん、なんか、キュンとしてしまった。のはここだけの秘密である。
 と、そんな事を考えているうちにどうやら目的地についたらしい。
 大通りから一本裏に入って少し歩いた所、そこだけ真夏の暑さから切り離されたように涼やかな風が吹いていて、樹齢何年とも分からない大きな木が厳しい日差しから守ってくれるように立ち並んでいる。静寂をまとった空間にさきほどまで肌にまとわりついていた熱が引いていくのを感じながら、俺は目当ての人物を求めて視線を彷徨わせる。そうしてキラキラと葉の隙間から漏れる光に照らされたその下に、小さな毛むくじゃらの生き物と戯れる人物を見つけた。はたから見れば無表情どころか不機嫌そうにそれと戯れる姿はその生き物をいじめているようにも見えるが、俺には分かる。

 (わー。めっちゃ嬉しそうだー)

 あの表情が心底毛むくじゃら…もといにゃんことの戯れを楽しんでいる表情であると。一ヶ月毎日のように過ごした日々は伊達じゃないのだ。こういう感情の機微に気づけるほどには、親交を深めてきたつもりだ。
 暴力を奮うと恐れられている大きな手が至極優しい手つきで毛並みを撫でる。きっと喉を鳴らしているであろう猫を見つめる目は慈愛に満ちていた。(その目も素人目からすればただ睨んでいるようにしか見られないのだからつくづく彼も報われないというかなんというか)
 誰も彼も一人歩きする噂に目が眩んで、優しいその心に気付かない。それに気付けない周りの人達を勿体無いと思う反面、それを知るのが自分だけという事実になんだかよく分からない感情も湧き上がる。誰も知らない姿を俺だけが、知っている。それは昔誰とも知れず秘密を共有した時の高揚感にも似て、なんだか俺を落ち着かなくさせた。

 (なんか、ソワソワするんだよな)

 二人で過ごす時間を重ねる度腹の底を何かが這いずり回っているみたいにソワソワむずむずして仕方が無い。今だって猫と楽しそうに戯れる姿になぜだかソワソワ、ソワソワ。だけど落ち着かなくなるのにこれ以上一緒に居たくないとかそんな感情は生まれず、むしろソワソワするのに二人で居ると安心してしまうのだから不思議である。
 多くを語らない彼のそばにいると、とても心が安まった。対人関係の中無意識で張り詰めていた糸がするするとほどけていき、何も飾らないありのままの俺で居られる解放感と安堵に包まれる。そうやって何も気負う事なく一緒に居られる存在はとても貴重だ。
 全くもってたまたまこの場所でそんな存在と出逢うことができた俺は本当にラッキーだと思う。気兼ねない友人を持てたどころか、誤った認識も上書きすることが出来たのだから。
 そう大げさに一人頷いた時、風が吹いた。
 それまで静かに吹いていたのが嘘のように一瞬だけ吹いた強い風に今までぼんやりと見つめていた人物の足元に置かれていたビニール袋がさらわれ、宙を舞う。くるくると宙で踊るそれは風に流され風下へかけていく。そして俺が今まさに突っ立っているのは風下で、ならば必然的に風上にいる人物はビニール袋を追いかけて視線を動かし、

 「伊井田」

 俺を見つけた。
 その声につられたにゃんこも同じように俺の方を見てきて、一人と一匹から向けられる視線に胸がキュンと高鳴なるのははたして一体どんな現象なのだろうか。まさかこの歳でなにか心臓に異常を抱えてしまったとでも言うのか俺は。と自分の胸に手を当てて俺は少しだけ不安になる。けれども不機嫌だとかガンつけているだとかと言いがかりをつけられる目尻が俺を見つけて緩むのが遠目にも分かるとそんな不安は風に吹かれたビニール袋みたいにどこかへ飛んでいってしまった。嬉しそうに、俺の来訪を喜ぶように、その目尻に滲む喜色に俺の不安は溶けて消えていく。 にゃんこを撫でていた手が己の存在を教えるように持ち上げられるのに俺も手を持ち上げ返して突っ立っていたその場からやっと動き出す。そんな俺を見つめる眼は切れ長で少しつり上がっているが、その瞳がなによりも優しく穏やかに微笑むのを俺は知っている。
 きっとその変化にも、他の人達は気づいていない。敬遠するその人物が、何も感じていない訳ではなく自分達と同じように些細なことにでも心動かされて心を痛めている事を。そして俺の名前を呼ぶその声の柔らかさも。みんな根も葉もない噂に包み隠された上澄みだけを啜ってその人物像を理解した気でいる。

 (と言っても俺も前まではそうだったから偉そうな事は言えないけど)

 それでもその人物を知った今だからこそ少しでも周りの誤解が解ければいいと思うのだ。口では慣れただとか気にしていないと言いつつも、誤解されたまま距離を置かれるのに慣れるもなにもないはずだ。俺なら身に覚えのない噂を立てられ周りから距離を置かれたら寂しくて悲しくてーーーそんな態度を取る周囲が許せなくてグレてしまうかもしれない。きっと、あんな風に優しい目をして笑うことなんか出来なかった。そう考えると表情筋に難点があるだけで、意外と感情豊かな人物がこんなに真っ直ぐ綺麗な心で育った事実が奇跡のように思えてくる。あぁ、でも本当に良かったグレないでいてくれて。真っ直ぐ綺麗な心に育ってくれてありがとう。そのお陰で俺はこんなにも彼と仲良くなることが出来たのだから。こればかりはいるか居ないか分からない神様に感謝である。そう神様に感謝しながら足を止めずに歩き続けていれば、最初見つけた時と同じ体勢で座る人物の側に到着する。立っていたら見上げなければいけない身長差も今は座っているため逆になり、俺は見慣れぬ視界の中で見上げてくる人物に声をかける。

 「ごめん、待った?」

 「いいや。俺もさっき来た所だし、いつも通りだ」

 「そっか」

 「あぁ」

 まるで待ち合わせしていた恋人達のような会話を繰り広げているのにも気付かず、俺はソワソワするお腹を抱えてその彼のすぐ隣へとお尻は地面に付けずに座り込む。座った拍子に肩と肩とが一瞬だけくっつき、離れていくのにまたしても胸が不整脈を刻んだ。俺とは違う、鍛えられた彼の身体の感触にどぎまぎしてしまうのは同じ男しての憧れか、それとも全く別の感情か。いやいや、同じ男なのだから憧れであるに違いないのだが、俺は説明し難いこの感情に未だに名前を付けられないままで居た。憧れでは済まない、もっと別のーーー。触ると弾けてしまうシャボン玉のように、どうしてかそれに名前を付けたら俺の何かが弾けてしまいそうな気がして及び腰になってしまうのだ。
 一体何が弾けるというのか。
 何度頭を悩ませてもその答えはいっこうに出る気配は無かった。

 「あ、今日はカ○カンにしたんだ。良かったなぁにゃんこ、ご馳走じゃん」

 でもまぁ、そんなに答えを焦る必要もないか。いずれ時が来ればおのずとその答えも分かってくるだろうし、それまではちょっと不整脈は気になるけど二人だけの時間を楽しめばいい。と結論づけていつもよりリッチなご飯をもらっているにゃんこの頭を撫でてやる。そうすれば俺の言葉に応えるかのようににゃーっと一鳴きしたにゃんこがすりすりと頭を手のひらにすりつけてきて、思わず口元がにやけてしまう。最初の頃はあんなに警戒していたにゃんこも今ではすっかり俺達に慣れてこうして甘えてきてくれるようにまでなった。いまだ手の甲にははじめて邂逅を果たした一ヶ月前に付けられた引っ掻き傷が残っているが、慣れてもらうための布石だと思えばむしろその傷は俺にとっての勲章だ。まぁ、つまりは、にゃんこマジでかわいい。って事だな。うん。

 「今日は来るの早かったんだな」

 「あぁ。早めにバイトが終わってペットショップに寄ってからすぐに来たからな」

 にゃんこを見つめたまま隣の人物にいつもより早くに来ている理由を問えば柔らかい声が返答してくれる。低く、落ち着いた声は心地よく俺の鼓膜を揺らすだけで、噂で聞く荒っぽさは欠片も聞き取れない。どこまでも穏やかに深く静かに言葉を紡ぐ。
 落ち着く。とてもとても落ち着く声だ。
 別に声フェチでもなんでもないが、この声で名前を呼ばれるのは大好きだったりする。名前を呼ばれるだけで心がほっこりするなんて体験、彼と出逢うまでしたこともなかったし、そんな無条件の安心を他人に抱けるなんて思いもしなかった。いつも他人と自分との線引きははっきりしていて、多面性のある人の中身を信じるのは俺にとって少しばかり難しいことだったから。
 それが今では無条件に安心して心を開ける存在が出来たりしているのだから、なかなか人生とは面白い。自分のちっぽけな常識や認識などいとも簡単に覆すことが出来るのだと、隣に座る人物が教えてくれた。その事がなんだか嬉しくて、誇らしくて、自然と口元に笑みが浮かんでしまう。

 「もしかして今日カ○カンなのって」

 「給料日だから奮発してみた」

 「やっぱりそうか。実は俺も今日給料日だったから奮発しちゃったんだよね。…ほら!」

 にゃんこの頭を撫でながらどうして今日はいつもの三つ売りで売られている缶詰ではなくてカルカン三つ売りセットなのかを聞けば、予想通りの答えが返ってくる。そして実は同じように今日が給料日だったりした俺がかわいい猫のロゴが入れられた袋から取り出したものを見ると、僅かではあるがその目尻が優しく緩んだ。

 「って、お前も同じの買ってきたのか」

 「へへ。それも同じペットショップ。以心伝心しちゃったな」

 「だな」

 俺の馬鹿みたいな言葉にも嫌な顔せず答えてくれるのが嬉しくて口元がゆるむ。まさか同じものを同じような理由で買ってきていたなんて思わなかった。なんだか嬉しいような、恥ずかしいような気持ちにおそわれる。そうやって一人ニマニマする俺に催促するようににゃんこが一鳴きして口の周りを舐める仕草をした。まるで俺の持っている方の餌も寄越せと言わんばかりの態度にどれだけ食い意地がはっているのだと呆れてしまう。それは隣に座る彼も思ったらしく「本当にお前は食いしん坊だな」と言って呆れつつも、慈愛に満ち溢れた聖母様のように穏やかな表情を浮かべてにゃんこを見ていた。というか、食いしん坊発言に不整脈が再来しまくって仕方が無いんだけどどうしよう。それになんだか顔も熱を持ってるみたいなんだけど、まさか夏風邪でもひいてしまったのだろうか。そう言えば昨日クーラーを付けっ放しで寝てしまったからそのせいかもしれない。俺クーラー付けたまま寝ると風邪ひきやすいんだよな。

 「じゃあ俺の方は今日はおあずけだな。そんなに一日にいいもの食べたらぶくぶくになっちゃうもんな」

 「たしかに。ここのところちょっと丸くなってきたしな、こいつ」

 「あー、やっぱりそう思う?俺も最初の頃よりお腹がプニプニしてきたなぁとは思ってたんだよね」

 そう言って、たしたしと尻尾を叩きつけてくるにゃんこのお腹を軽くつついてみれば、当初より肉厚がましたプニプニお腹に指先が埋まってしまい苦笑い。出会ったころはもっとスマートな腹周りだったような気がするのだが、どうもにゃんこの可愛さに負けてご飯をあげすぎてしまったかもしれない。と今更になって少し反省する。どの種族も肥満がもたらす影響はいいものではないので気をつけなければ。

 「でもそろそろ夏休みも終わるし、今ほどは毎日来れなくなるからちょうどいい食事制限になるだろ」

 一人決意する俺の横でポツリと落とされた言葉に忘れていた事実を思い出してしまい、急速にテンションが下がっていく。

 「あー…。そっか、そろそろ夏休み、終わるのか」

 言葉が歯切れ悪くなってしまうのは仕方が無いだろう。誰だって夏休みが終わるのは嫌なものだし、また遅寝早起きの日々が始まるのかと思うと憂鬱な気分にしかならない。けれどなりよりも俺を憂鬱にさせるのは、彼とこうして毎日のように会えなくなってしまうことだ。
 同じ学校に通っているとはいえ、彼は自分の噂を知ってか学校では俺との接触を避けてしまうし、かと言って放課後この場所で落ち合おうにも夏休みだけバイトをしていた俺とは違って学校が始まってからもバイトをしている彼とではなかなかに時間が合わないのだ。実家暮らしの俺とは違い一人暮らしの彼は家賃代と生活費を稼がなければいけないから仕方が無いのだが、やはり出来ることなら今みたいに気兼ねなく会えるほうがいい。

 「…なぁ、やっぱり学校で話すのダメ?」

 「…ダメだ。お前だって知ってるだろ?俺の噂」

 だからそんな思いから未練がましい言葉がつい口から漏れてしまう。目と目も合わせられずにゃんこを見つめながら零した俺の言葉に、優しい彼は数秒の沈黙の後諭すような声でそう言った。その、どこまでもこちらの方を気遣う言葉に胸がギュッと苦しくなる。自分の噂のせいで俺にも変な噂が立ったりしないかと心配してくれていることはちゃんと頭では理解している。俺が心ない噂にさらされてしまうのは嫌なのだと、困ったように笑う彼にそれ以上を紡げなくて過去の自分は『分かった』と頷いた。けれども、

 「…じゃあ誰にも見られてなかったらいいの?」

 「…」

 彼を知らなかった昔とは違うのだ。昔ならいざ知れず、彼を知ってしまった今根も葉もない噂を怖がって彼を一人にしてしまうなんて出来ることならしたくなかった。誰も彼もが噂に左右されているわけではないのだと、今更ではあるが彼に知ってほしいのだ。彼と出逢ったことによってそれまで囚われていた偏った常識から抜け出すことが出来た人間がすぐそばに居て、そしてその人間がたとえ噂をたてられようが彼のそばに居たがっているということを少しでもいいから知って、実感して欲しい。だけど今のはしつこすぎたかもしれない。彼は誰のためでもなく、俺のために言ってくれているのだし、なにより一度二人で決めた事をほじくり返すような真似をしてしまった。

 「あー…ごめん。わがまま言い過ぎた。今のは忘れて」

 彼の想いや優しさを無視して自分の欲求ばかり押し付けてしまったことが恥ずかしくて口早に謝る俺を彼が見ているのが気配で分かる。視線を向けるだけで何も言わない彼に呆れられてしまっただろうかと自己嫌悪に陥る俺の耳朶に触れたのは、思いがけない言葉だった。

 「…昼飯なら」

 「え?」

 「昼飯くらいなら、いいぞ」

 「え、それって」

 繰り返された言葉に思わず俯かせていた顔をあげれば、しょうがないなって顔をした彼と視線がかち合った。そしてきっと間の抜けた表情を浮かべていたのであろう俺の顔をみて彼は小さく笑うと、今度は困ったような、自信がないような、そんな表情を浮かべた。どうしてそんな表情をするのか分からなくて首を傾げる俺に彼は言葉を続ける。

 「…友達と食えなくなるけど、いいのか?」

 ハの字眉毛のオプション付きで言われた言葉に、俺の心臓は不整脈の嵐を巻き起こした。ここ一ヶ月で一番の不整脈具合に、一瞬言葉が詰まってしまう。

 「っ! 大丈夫!休み時間とか馬鹿みたいに馬鹿やってるし!でも、本当にいいの?駄々こねたのは俺だけど、塚本の迷惑じゃない?」

 「俺は別に、伊井田が大丈夫なら…迷惑じゃない」

 そしてはにかむ彼(でもその表情は素人目からしたら以下略)ーーー塚本に俺の心臓は、大破した。どうしてこの子はこんなにいい子なんだろうか。もはや塚本は天使なのかもしれない。そんなバカな考えがよぎってしまうほど、俺は塚本の優しさに感動していた。

 「じゃあ食べよう!夏休み終わって学校始まったら一緒に昼飯食べよう!」

 「分かったからちょっと落ち着け、伊井田」

 「あ、ごめん。塚本と学校でも話せるのが嬉しくて、つい興奮しちゃった」

 「…でも人目のあるところでは食べないからな」

 「分かってるって。んー、そしたらあんまり人が来ない特別棟の方がいいよな。使ってない教室とか結構あるし!」

 「そうだな。まぁ、何個か目星はついてるから学校始まったらどこで食べるか決めとくな」

 「うん!楽しみにしてる!」

 そう即答する俺に「…本当に変わってるよな、伊井田って」とどこか照れたように塚本は笑うけれど、もっと彼は自分の魅力に気付くべきだと思う。まぁ、気付けない状況を周りが作り出しているので仕方が無いのかもしれないけれど、それでももっともっと塚本は俺に好かれているという自覚を持った方がいい。俺がこんなにも喜んでいるのは変わっているからじゃなくて、一個人として、塚本という一人の人が大好きだからだということを身を以って知るべきだ。その為なら俺にも変な噂がたってしまっても構わない。言いたい奴には言わせておけばいいのだ。見た目に囚われて周りがグダグダと意味のない噂に踊らされているのを脇目にして、俺は皆が知ろうともしない優しさに満ち溢れた塚本と親交を深めるだけだしな。塚本の隣がどんなに心地いいのか知ることなく、みんな噂に花を咲かせていればいいんだ。

 「あー、楽しみだなぁ。はやく夏休み終わらないかなぁ」

 「伊井田は大袈裟だな。ーなぁ、にゃんこもそう思うだろ?」

 「にゃー」

 「っ!」

 おかしそうににゃんこに語りかける塚本。そして塚本に撫でられて満足そうに鳴くにゃんこ。本当に、こんな彼を知らないなんて勿体無さすぎる。
 自分の事より人の心配ばかりする心遣いも、俺の我儘を受け入れて叶えてくれようとしてくれる優しさも、にゃんこに話しかけちゃう可愛さも、みんな、みんな、知らないなんて。

 「伊井田?どうした、顔が赤いぞ?もしかして熱でもあるのか?」

 「え?!いや!大丈夫!夏!夏のせいだよ顔が赤いのは!」

 「? ならいいけど、体調悪いんだったらすぐに言えよ?」

 「う、うん!ありがとな、塚本」

 でも、もう少しだけ、もう暫くの間だけ、みんなが知らない塚本を知っているのが俺一人だけであればいいのにな。と塚本が俺に優しくしてくれる度思ってしまう。みんなにも塚本の素晴らしさと天使具合を知って欲しいとたしかに思ってはいるけれど、実際に知られてしまった時のことを考えるともやもやっと胸が重くなるのだ。

 (もうちょっと、もうちょっとだけ、塚本を一人占めさせてください)

 なんて、誰に向かってか分からないお願い事を心の内に落として俺は話題を変えるように口を開く。

 「そうだ!母さんに頼んで塚本の分のお弁当も作ってもらおうかな!」

 「…いや、さすがにそこまで甘える訳にはいかないだろ」

 そう言って笑う塚本はやっぱりどこまでも優しくて天使で、俺の常識を変えてくれた彼に対して発症する不整脈は今しばらく続きそうだな。と、

 「…じゃあ俺が作る」

 「え?」

 俺の言葉に驚いた顔をして固まってしまった塚本に胸を高鳴らせながら思うのだった。




 END



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