鳥籠の夢

 執着系×隠れ執着系/幼馴染







 むやみやたらと言葉は口にするものじゃない。
 ちゃんとその発言した後のことを考えて、本当にその発言が適切であるか、必要であるかを判断して発言しなければとてつもなく面倒なことになるのだ。
 たとえば、俺のように。
 ついうっかり発言してしまおうものなら、とんでもないしっぺ返しが待ち受けている。
 そんな面倒な言語の世界に気づけば俺は17年もどっぷりつかっていた。他の人たちよりも口にする言葉が本当にこれでいいのかと悩まされる日々。一介の、ただの家庭に生まれた、ただの高校生である俺がなぜこんなにも発言に気を使わなければいけないのか…。その理由は俺の幼馴染にあった。

 「なつ」

 俺を呼ぶ低い声。
 夏葉なんて女みたいな名前を短くした独特の呼び方をする人間は、一人しかいない。
 俺が夏葉と呼ばれるのは嫌だと言った言葉を律儀に守って、それならばとつけられた俺の愛称。それに振り返れば、幼い頃から変わらない俺だけを見つめる瞳とかち合った。

 「那月」

 俺が名を呼べば嬉しそうに笑う男、那月。
 誰もいない廊下には俺と那月の二人だけ。そんな俺たちの間にある距離を埋めるように那月は一歩一歩と近づいてくる。
 なつき、那月。
 斎条那月。
 この目の前で嬉しそうに笑みを浮かべる男こそ、先にも述べた理由そのものである俺の幼馴染だった。
 高い身長に、高校生とは思えない色気をはらんだ低い声。俺は幼いころから見ているからそんなに分からないが、非常に整っているらしい那月の顔はこの学校中の注目の的だ。
 女子は那月を見ればキャーキャー煩いし、反感を持つかと思いきやクールな那月の性格に男子達は憧れにもにた感情をいだいていた。
 はてや王子様なんて巫山戯たあだ名がついてしまうくらい、那月は目立つ存在だった。
 それに比べて俺は自他共に認める平凡野郎で、よくなんであんたみたいなのが王子様の那月くんの幼馴染なの?って割と本気で言われたりするけどちょっと待てと俺は言いたいね。
 あんた達は一体、那月のどこをどうみて『王子様』だなんて思うのか。逆に俺が聞きたいほどだ。
 俺からしたら那月は『王子様』なんてものじゃなく、ただの我儘駄々っ子の甘えたがりでしかない。体は大きくなっても、精神は子供の頃からなんら変わっていない世話の焼ける弟、みたいな。

 「なつ、なつ、」

 「おー。なつだぞ那月ー」

 「うん。なつだ。なつの匂いだ」

 「はは。くすぐったいっての」

 長い腕の中に俺を捕まえて、首筋に顔をうずめてくる那月の頭を撫でてやる。いつまでたっても俺と離れることが苦手な那月は少しでも離れるとこうやって俺を補充するように抱きついてくる。小さい頃は所構わず抱きついてきて大変たったが、高校生になってから那月は他に人がいる時は決して抱きしめてこなくなった。今だってちゃんと周りに人がいないことを確認してから抱きついてきていたし。人の目を気にするような性格ではないだろうにこうやって俺たち以外誰も居ない時だけ、那月は舌足らずに俺の名前を呼んで抱きしめてくるようになった。
 今年はクラスが離れてしまったためか、その寂しがり方に拍車がかかっているような気もするが。

 「なつ、会いたかった」

 「俺も会いたかったよ、那月」

 俺をまさぐるように抱きしめて、戯れのように耳朶を幾度か甘噛みしてくる那月。このスキンシップにもすっかり慣れてしまった俺は同じように会いたかったと笑って受け流す。ここで下手に抵抗でもしたら後々面倒なことになるので好きなようにさせてやるのだ。

 「那月、委員会は終わったのか?」

 「うん。早く終わったからなつを迎えに行ったらいなかったからびっくりした」

 「…んっ。ごめんな、那月」

 れろぉとまるで言葉を塗りつけるみたいに耳朶を舐められて、つい身体がびくついてしまう。しまいには耳の中にまで那月の舌が侵入してきて俺は上ずりながらもなんとか謝罪の言葉を口にした。こんなところ他の誰かに見られたら大変な事になるだろうななんて思いながら、ぴちゃりぴちゃりと耳奥で響く音に背筋を震わせる。
 みんなの王子様が平凡極まりない男を抱きしめて、あまつさえその耳朶をねぶっているなんて崇拝者達からすれば大分ショッキングな光景だろう。

 「なつは本当に耳が弱いね」

 「…ぁっ。うるさ…っ」

 吐息と一緒に言葉をねじ込まれ、那月のせいですっかり弱くなった耳に意識を持って行かれすぎた俺はからかう那月の言葉についそう口走ってしまった。
 その瞬間、ガリっと耳元で嫌な音が響いた。

 「いたっ」

 「…うるさい?うるさいって俺のこと?なぁ、俺の言葉はなつにとってはただの雑音なのか?」

 「ちがっ、那月…っ!」

 俺を責めるように噛んだ耳朶に歯を食いこませ、別人のような低音が鼓膜を揺らした。まとう雰囲気まで危ういものになり、俺は自分のおかしてしまった失態に内心で舌打つ。
 これこそが、誰も知らない王子様の顔。俺が必要以上に言葉に気をつけなければいけない原因の正体だ。

 「なんで?なぁ、なんでなんだ?なつ。俺はいつだってなつの声を聞いてたいのに、なつは違うのか?うるさいなんて言わないで。俺の声を聞いてよ俺の言葉を聞いてよ。なんでなつは俺だけを聞いてくれないの?雑音は俺じゃない。そうだろう?なつにとっての雑音は聞いていたくない音は俺なんかじゃないよな?ねぇ、なつ、なつ、」

 矢継ぎ早に放たれるそれらは、どこか普通じゃない。馬鹿みたいに俺の名前を繰り返して背骨が軋むほど抱きしめる腕に力を込める那月は一体何を恐れているのかというくらい、震えていた。
 …斎条那月は、それこそ幼い頃からなぜか俺の言葉一つでいとも簡単にその精神バランスを崩してしまうのだ。
 何気ない俺の一言で、那月は狂ったように感情を爆発させる。いつ、どんな言葉が那月の起爆スイッチになるかは分からない。予想外の言葉でスイッチが入る時もあるし、これはだめだろうという言葉でもセーフな時もある。その線引きはひどく曖昧で、見極めるのが下手だった最初の頃は地雷原の中を歩いているような感じだった。どこで爆発するかわからない、そんな中で言葉を発する恐怖。故に俺は自分の発言に細心の注意を払わなければいけなかった。のに。

 ーーあぁ、やってしまった。

 軋む背骨と悲痛な那月の声に俺は思う。
今の発言は俺の完全なるミスだ。地雷があると分かっていながらその場所を素足で踏みつけたようなものだった。
 那月が俺に『うるさい』と言われるのが大嫌いで、不安になってしまうことを知っていたのに、うっかりとは言え口にしてしまった俺のミスでしかない。

 「那月、那月の声も言葉も雑音なんかじゃないよ。うるさいなんて言ってごめんな?耳が弱いって言われるのが恥ずかしかっただけなんだ」

 大きいのに小さい那月の体を抱きしめ返して、落ち着かせるようにゆっくりと言葉を紡ぐ。絡まった糸をほどいていくみたいに慎重に丁寧に。癇癪を起こした子供を慰める母親のように。一心不乱に俺に縋り付く那月を安心させるため、俺よりもがっしりとした背中をぽんぽんとリズム良く叩いてやる。
 そうすれば段々と那月の腕の力は弱まり、次いで聞こえてきた鼻を啜る音に俺はぼんやりと思考を巡らせた。
 俺よりも立派な体を持っているし、頭だって俺より賢くて運動だってできるのに、どうしてかこの幼馴染は俺の庇護欲を掻き立てる。いくら幼馴染みとはいえ、これは度が過ぎる触れ合いだ。馴れ合いだ。けれども俺には、縋り付いてくるその腕を振り払うことができない。

 「うぅ…っ、なつぅ」

 「ほらほら、泣くなって那月。目が真っ赤になっちゃうぞ?」

 「うぅ、なつ、好きだ。好きだよなつ。すき、すき、だいすき」

 「…俺の方が大好きだっての」

 俺しか映さない、俺しか見ようとしない瞳から涙をながしながら何度も好きだと言ってくる姿がとても憐れでーーー愛おしかった。
 いつからだろう。
 こんな風に那月が俺の言葉一つで我を忘れ、好きだと涙を流すようになったのは。

 最初の頃は、ただ癇癪を起こすだけだったような気がする。お気に入りのオモチャを取られた子供のように、幼い独占欲を示すだけだった。けれどそこにいつしか独占欲以外の色が混ざり出した。
 あれは確か、小学校高学年の時だ。
 当時気になっていた女子がポロリと俺に零してきたのだ『那月くんが好きなんだ』と。好きになってもらおうと頑張ってその子と仲良くなっていた俺からすればそれはまるで彼女からの裏切りのように感じられた。たしかに那月はその頃から美少年と言えるほど整った顔をしていたし、今ではクールと言われているがその頃は明るくよく笑う子供だった。小さな王子様のような男の子がキラキラ笑う。女の子とはいつだって王子様に憧れる生き物だ。綺麗な恋に恋をする。彼女もまた、綺麗な那月に惹かれて、恋をした。ただそれだけの話しだった。彼女はただ那月との恋の成就を願って一番那月と仲のいい俺に相談をしてきた、それだけだった。けれども当時の俺にはその事が耐えられなかった。だから好きになってもらえなかった自分が悪いのに感情を抑えきれず那月に言ってしまったのだ。『お前なんか大嫌いだ』と。いきなり親友とも呼べる存在から見に覚えもないのにそんなことを言われたら誰だって不思議に思うし、腹を立てるだろう。例に漏れず那月も俺の発言に不思議がり、そして怒った。けれど、那月の腹の立て具合は普通じゃなかった。常識を逸していた。正しく異常だった。
 まず那月は、一切の表情を無くした。何時ものように癇癪を起こして喚き散らすものだと思っていた俺はその那月の反応にどうしてか嫌な予感がして仕方が無かった。人間らしい表情を削ぎ落とした、人形みたいな顔でじーっと何も言わずに俺だけを見つめてくる那月に背筋が凍ったのを今でも覚えている。いつも笑っている顔しか見たことがなかったので、まるで那月が別人になってしまったようで恐ろしかったのだ。
 何も言わずに、何も動かずに、何秒か何分かの時間を互いに見つめあって消費し、俺が幾度目かの生唾を飲み込んだ時、静かに那月は口を開いた。

 『分かった』

 たった一言。
 感情の読めない声で那月は言った。
 分かったとは何だ。一体那月は何が分かったというのだろうかと俺が問おうとした瞬間、俺の視界は反転していた。那月を見ていたはずなのにいつの間にか目の前には天井が広がっていて、状況を理解する前に視界の端から那月が顔を覗かせる。背中にはさっきまで座っていたベットの感触。そこでようやく、俺は那月によってベットに押し倒されたのだと理解した。
 けれども、なぜ?
 押し倒された理由が、全く分からなかった。

 『那月…?』

 俺を見下ろす那月は変わらず能面のように無表情で、何を考えているのか全く読み取れなかった。呆然と名前を呼ぶだけしか出来ない俺の上に膝立ちになって、やがて那月は両の手を俺の首元へと持ってきた。小さな手が、俺の喉を掴んで、力が、込められた。那月の部屋で、俺たち二人だけの空間、見下ろす那月、見上げる俺、逃げ場はなく、喉には食い込む手。

 『要らない要らない要らない要らない要らない要らない要らない。俺の事を嫌いだなんて言うなつは、いらない』

 那月は、泣いていた。
 感情のない声で俺を要らないと言いながら、ゆるやかに俺の首を絞めながら、人形のような顔で嗚咽もなく泣いていた。
 覆いかぶさる那月の涙が重力に従い落下して俺の頬を濡らした。ハラハラと伝落ちるその雫の美しさに、首を絞められているというのに俺は目を奪われて仕方がなかった。息苦しさも不可解な那月の言葉も忘れて、俺の首を絞めながら涙を流す那月に見惚れていたのだ。

 『…あいしてるんだ、なつ』

 惚ける俺に那月はそう言った。
 とんだ愛の告白もあったものだ。
 あいしてると言いながら、那月の手は俺の命を終わらせようとしていたし、愛を語ったその口で那月は俺のことを要らないと言った。なのにどうしてお前の方が涙を流し愛なんてものを囁いているんだ。

 『だれよりも、なによりも、なつのことを、あいしてるんだ』

 ーーだから、俺を嫌いななつは、イラナイ。

 そう言って泣く那月は、やはり無表情だった。
 結局那月は俺を絞め殺すことはなく、その後数時間俺を抱きしめながら泣き続けていた。
 それがきっかけだったのか分からないが、俺の首を絞めながら小学生のくせに愛だなんのと口にしたその日を境に、那月は以前にも増して俺にべったりするようになった。そして俺の言葉が那月の琴線に触れるたび好きだ愛してるだのとわめき散らし、同じ言葉を俺にも強要した。
 ただの独占欲では片付けられない俺に対する那月の執着。どうしてそうなってしまったのかその理由は今でも分からないが、あの日発した俺の言葉が那月の何かを変えてしまったのは確かだった。俺の『嫌い』というセリフが、それまであった那月の僅かな均衡を崩してしまった。
 そうでなければ俺を愛してるなんて錯覚を那月が覚えるはずがないのだから。

 「……置いてかないで」

 「…っ」

 過去に少しだけ意識を飛ばしていた俺に、ともすれば聞き逃してしまうほど微量な声が言う。消え入りそうなその言葉を耳にした途端、カッと俺の中で何かが燃え上がった。うねるように感情が押し上がり、出口を探してぐるぐるのたうち回る。これじゃない、それじゃない、あれでもない、では、どれだ?この感情の出口は、一体どの言葉が正解なのか。俺は自問する。もう何度も何度も同じ問いかけを繰り返しすぎて、もはやその自問は儀式のようなものになっていた。

 「…置いてかないよ」

 溢れだしそうになる感情を奥歯ですり潰して、少しずつ表に出していく。感情的な人間に感情的で返してもらちがあかない。涙して不安定に俺を求める那月に、俺は涙なく安定して彼を求めなければいけないのだ。

 「俺が那月を置いていく訳が無いじゃないか」

 置いていくのは俺ではなく、那月の方なのだから。
 音にはせず、心の中でつぶやく。
 俺に、お前を置いて行くなんてこと出来るわけない。
 いつだって、置いていかれる恐怖に怯えているのは俺の方だ。
 俺とは違ってなんでも持っているのは那月で。みんなに求められているのは那月で。世界はいつだって那月の方を求めている。
 そんな那月はきっといつの日か気づくだろう。自分の目の前に広がる数多の可能性に、世界の大きさに。
 そうしてそれまで自分がいかに小さな世界に固執していたかを知るのだ。そうすれば俺という、世界からすれば小さな小さな籠の中は那月にとって窮屈なものでしかなくなる。
 だって大空を知った鳥は、羽ばたかずにはいられないから。
 大きな鳥を捕らえ続けるには、俺の籠はいささか小さすぎる。だから俺はお前が狭い籠の中で飛べぬまま朽ちぬよう扉を開けよう。
 囚われているのは俺であってお前じゃない。
 お前はいつだって籠の中から大空へと飛び立てるんだ。

 「…大好きだよ、那月」

 それこそ誰よりも、なによりも。
 きっと始めて会ったあの瞬間から、誰よりもお前に囚われてしまったのは俺だから。白状すると、本当はあの子の事だって好きだった訳じゃないんだ。ただあの子が那月の事が好きだと分かっていたから、那月に近づけさせないため仲良くなっただけ。けれどそんな俺の感情は異常だって分かっていたから、一生言葉にする気はなかったんだ。それなのにお前が、俺が言いたくて堪らなかった言葉を欲しがるから。

 「『…あいしてるんだ、なつ』」

 あの日の幼い声と重なって綴られる愛の告白に、俺は雁字搦め。
 俺は動けぬ鳥籠、お前は飛べる鳥。
 いつかお前が飛び立つその日まで、俺はお前に囚われる。いや、飛び立った後も囚われ続けるのだろう。そしていつの日かからっぽになった鳥籠に、お前の残像を夢見ながら生きていくのだ。
 容易に想像できる未来に自嘲しか出てこなかった。

 「なつ…」

 底なしに俺を見つめる瞳が早く早くと催促する。
 求められている言葉は一つだ。
 たったの五文字。
 俺は気持ちを落ち着かせるようにゆっくりと息を吸い込んで、吐き出した。そしてあの頃から変わらず綺麗な涙を流す那月の濡れた頬に手を添える。綺麗な綺麗な那月の涙。その雫を舐めたら、一体どんな味がするのだろうか。そんな考えを抱いてしまう時点で、きっと俺ももう普通じゃない。

 「俺も愛してるよ」

 こんな言葉でお前をずっと繋ぎとめることができたらいいのに。なんて叶わぬ絵空事を胸に抱いてしまうくらい。
 けれどもそんなことは無理だと分かっているから。




 「だれよりも、なによりもーー那月のことを愛してる」




 今日もまた、そんな戯言と一緒に俺だけがお前に繋ぎとめられていく。



 END



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