ハサミ男
『貴方の糸をチョキチョキチョッキ』 俺の学校には、「ハサミ男」と呼ばれるイケメンがいる。
ハサミ男こと、波座見はいつも片手にハサミを持ち歩いている。はざみなんて名字だけでも珍しいのに、その男は毎日毎日いつでもどこでもハサミを握っているものだからそれはもう有名となった。変人の意味で。
イケメンで、珍しい名字で、ハサミを片時も離さない変人ぶりを知らぬ人間はこの学校には存在しないだろう。
ハサミを筆箱にもしまわず素手で持ち歩いている波座見に教師陣も最初の頃は危ないと何度も注意していたが、波座見はハサミを持つことをやめなかったし、ハサミの持ち方も幼稚園の頃先生に習ったとおり刃の方を持つといういい子ちゃん持ちだったので今では誰もその事を追及する人は居なくなった。まぁ、持ってるだけで危害を加えるわけじゃないし、いいか。なんていう教師達の堕落の声が聞こえてきそうだ。
けれども彼らは知らないからそんな呑気な態度で居られるのだ。砂礫の可能性で、かのハサミ男によって危害を加えられている人間がいる事を知らないから優雅に職員室でお茶なんてすすっていられるんだ。全くもって職務怠慢にもほどがありますぞ。
ノー危害をうたう(?)ハサミ男の、唯一の被害者である俺は強く思うのである。
今日もまたふりかぶられたハサミをすんでの所で避け心臓バクバクな俺は痛く思うのである。
「っ、毎度毎度なんで俺に襲いかかってくるんだよお前は!」
このハサミ男を今すぐ檻の中に入れてくれ。と。
今日も今日とて気配を殺し背後からチョキチョキしてくる波座見をギッと睨みつけるが、本人は不思議そうに小首を傾げていい子ちゃん持ちを止めたハサミをチョキチョキと何度も開閉させている。
「なんでって、チョキチョキする為に決まってるだろ?」
それ以外に何があるっていうんだ?
と言わんばかりの表情を浮かべる波座見に俺のこめかみがひくひく動く。ていうか今、遠回しに襲いかかっている事を肯定したなお前。なんて奴だ。なんて奴だ!
「毎度毎度チョキチョキと…!気配もなくチョキチョキと…!もし俺が避けきれなかったらどうするんだよ!」
「大丈夫。運動音痴なお前に怪我させるなんてヘマ、俺がするわけないだろ」
「…っ! それはそれでむかつく…!」
「我儘だなお前はー」
そう言ってやれやれと肩をすくめる波座見に苛々が募っていく。変に様になっているのが余計ムカつく。ハサミ男とか呼ばれる残念な男なくせにイケメンなのがムカつく。身長が高いのもムカつくし、運動できるのもムカつく。とにかくイケメンは爆発しろ!
「なんで俺にだけいい子ちゃん持ちじゃないんだよ」
「そりゃもちろんチョキチョキする為」
キメ顔でチョキチョキしながら言われて言葉をなくす。
お前はチョキチョキしか言葉を知らないのか、もっと具体的に解りやすく俺の質問に答えられないのか…。そろそろチョキチョキ以外の答えが欲しいんだけど俺…。なんだか一人喚いているのが馬鹿らしく思えてきた。他の人には決してその刃を向ける事はないのに、どうして俺にだけは容赦なくチョキチョキしてくるんだよ。俺、なにか波座見の気にさわることでもしちゃったのかな。だから嫌がらせとして毎日毎日チョキチョキしてくるのかな…。
なんて考えている内に少しだけ、ほんのすこーしだけ気分が落ちていく。
気に入らないなら気に入らないって言えばいいじゃないか。回りくどく(いや、ある意味直球か、これは)チョキチョキしないで「お前ムカつくな」って言えばいいじゃないか。
ずもも。ずもも。
波座見が襲いかかってくる理由を考えれば考えるほど下降していくテンションに、思わず拗ねたような声が出てしまう。
「…なんで俺ばっかり。そんなに俺が切り刻みたくなる位嫌いなのかよ…」
俺だって普通におはようとか挨拶したいのに。
もうやだ。お前なんか嫌いだ。嫌いになってやる。ハサミ男なんてこっちから願い下げだ。
俺以外には普通に接するくせにどうして俺ばっかりこんな目に会わなきゃいけないんだ。と落ちていたテンションが憤りに変わりそう心の中で文句を垂れていれば、これまた波座見は不思議そうに小首を傾げた。そうして奴は、俺の予想斜め上をいく事を宣った。
「違う違う。嫌いじゃなくて大好きだからチョキチョキしてんの」
「……はい?」
「大好きだからお前に俺以外の赤い糸がくっつかないようにチョキチョキしてたんだけど、なに、お前気づいてなかったのか?」
「……嫌がらせかと思ってました」
素直に答えれば「マジかよ。お前鈍ちんだな」と驚く波座見。いやいや。マジかよなのは俺の方だっての。むしろ俺が気づいていると思っていたお前の方が驚きだよ。ていうか赤い糸とか真顔で言ってるお前に俺は一番驚きだよ。
「だからいっこうにお前の反応が鈍かったのか」
そうかそうか。なるほどな。なにやら一人納得しながら頷く波座見にこいつ大丈夫か?と心配になってしまう。嫌われてなかったのは良かったけど、こいつの頭はなんだかよろしくない気がする。
そもそも、奴の言う大好きとはどういう意味だろうか。って、どうもこうも男同士の大好きなんだからそこには友情しかないに決まってるだろう。一体俺は他のどんな理由を求めてるんだ。
「よし。ならもうこれはいらねぇや」
「へ?」
ぐるぐるよく分からない自分の思考に振り回される俺の耳にそんな声と何かが床に落ちる音が届く。音を辿ればさっきまで波座見が手に持っていったハサミが廊下に落ちていた。あんなにいつも握っていたハサミが手離され床に落ちている姿に何故か心臓が嫌な感じに跳ねる。
どうして?なんで?だいすきだって言ったのに、もしかしてあまりにも鈍い俺に嫌気がさしてしまったのか?
大きく脈打つ心臓の音を聞きながら疑問を飛ばし固まる俺。襲われなくなった事を喜ぶべきなのに、どうして素直に喜べない自分が居るのだろう。
どうして俺は捨てられたハサミに自分を重ねてショックを受けているんだろう。
「これからはこうする事にした」
ハサミを見つめたまま固まる俺に彼が言う。
どういう意味だ。と脳が疑問を持つよりも早く腕を引かれた。腰と後頭部を大きな手で支えられる。近づいた熱に、少しだけドキドキした。
「…どうだ。少しは思い知ったか俺の大好きを」
「お、おま…、いま…」
「はは。チョキチョキしちまうくらい大好きだぜ」
「…っ」
一瞬だけ唇に触れた柔らかい何か。
二カリと笑って言われた言葉。
急速に熱を持っていく頬っぺた。
「……なんてこった」
どうやら俺のハサミ男の受難は、まだまだ終わりそうにないみたいだ。
END
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