あるものねだり
Q:将来の夢は?
『怪盗王!』
『公務員』
空は快晴。曇りなし。晴れ渡る空はどこまでも青く、吹き抜ける風は心地良い。こんな日にはどこかに出かけるのもいいだろう。もしくは開け放った窓辺で好きな作家の本を読むのもいいかもしれない。BGMにはあの曲をかけて――なんて計画をたてる俺の鼓膜を揺らしたのは、優雅な計画とは程遠い間抜け極まりないお馬鹿なセリフだった。
「怪盗王に、俺はなる!」
「は?何言ってんのお前。馬鹿なの?てかなんで怪盗王なんだよ。そこは普通海賊王だろ。あとなるんだったら怪盗とかじゃなくて堅実に公務員になっとけよ。そっちの方が将来安泰だし。ホントに馬鹿だなお前」
それまで黙ってワ○ピースを読んでいたかと思えばいきなりそんなことを叫びだした長家に一息でそう返した俺の反応は間違っていないだろう。
というか海賊王を目座す主人公が登場する漫画を読んでいたのにどうしてそこで怪盗王が出てくるのか甚だ疑問である。一体どうなっているんだお前の思考回路は。
「な!お前今二回も馬鹿って言ったな!?二回も!俺は馬鹿じゃないし、本当に怪盗王になるんだからな!」
そう喚いて人の布団を叩く長家に俺の顔が歪む。
おい。ばふばふと感情のままに布団を叩くな。埃が舞うだろうが。
それにこれ以上埃が舞うと俺の鼻の奥にひそむ厄介者が目を覚ましそうで怖いんだよ。もしやつが目を覚ましてしまったらお前の顔にくしゃみを連発してやるからな。と心に決め未だ布団をばふばふしている長家の頭を掴み、そのムカつくほど整った顔面を布団に押し付けた。その際長家から『げぶっ!』という情けない声が上がったが、構わず俺は冷静にスマートに言葉を続ける。
「ていうか本気で怪盗になるとか言ってたことに驚きなんだけど。冗談は顔だけにしろよな」
「ぶはっ!酷い!酷いぞ芦屋!なんでお前はそうやってすぐに手が出るんだよ!?あと言葉の暴力も酷いぞ!そんな草食動物みたいな顔してるくせに中身は肉食獣とか詐欺だ詐欺!暴力はんたーい!」
俺の手から逃れようとクロールの時にするみたいな息つきをしながら合間合間に喚く長家。ジタバタと暴れるものだから埃が立って仕方がない。全く、こいつはいつになったら大人しく人の話が聞けるようになるのか。
「違う。これは暴力じゃない。躾だ」
「俺は犬じゃない!」
「…あぁ、俺が悪かった。そうだな、長家は犬じゃないよな。―――ただの馬鹿だもんな」
「うわーん!芦屋の馬鹿ー!」
「本当に長家って顔はいいのに中身は残念だよな」
俺のしみじみといった言葉に「余計なお世話だー!」と頭を依然布団に押し付けられたまま泣き真似をしだす長家。さすがにこれ以上は可哀想かと頭を押さえていた手をどかせば、体の向きを横に変えた長家が丸まりながらさめざめと泣き真似をはじめる。
いやはや本当にからかいがいのある奴だなお前は。そろそろそういうなんでもかんでも大袈裟に反応を返してしまうところが俺のS心をくすぐるということに気づいた方がいいぞ。…まぁ、でも、長家お馬鹿だから仕方がないか。うん。
「ていうか何で怪盗なんだよ。お前が読んでた漫画は海賊物だろ?そこは感化されて海賊王になりたくなるんじゃないのか?」
俺の部屋には漫画本がないからとわざわざ自宅から持参してきた漫画の内容を指してそう聞けば、横になったままの状態でなぜか誇らしげに胸を張りながら長家は答える。
「盗みたい宝があるからさ!」
「盗みたい宝…?」
お前はいつの時代に生きるトレジャーハンターだよ。いや怪盗になりたいんだったか。という突っ込みをすんでのところで押しとどめてオウム返しに聞けばキラーンと長家の目が光る。
「そう!俺はそれを盗みたい!そんで俺だけのものにしたい!」
キラキラ、キラキラ。
必要以上にキラキラした長家が俺を襲う。
ただでさえ元のパーツが神懸かり的に整っているのに加えて、少年みたいな曇りなき眼でこちらを見つめてくる長家はなかなかの破壊力を持っている。いうなれば太陽の光を直接見てしまった時のような。そんな失明レベルのキラキラが今の長家からは発せられているのだ。
やめろ、長家。俺みたいな日陰で生きる人間にお前の光は強すぎる。
なんてどこか厨二病臭ただようことを思いながら薄目で長家を見つめる。それでも瞼の隙間からキラキラがねじ込んでくるのだから、恐るべし長家。
「だから何を盗みたいんだよ」
「えっとねー…、ってどうした芦屋。梅干しみたいな顔してるけど」
「うるさい。キラキラして目が潰れそうなんだよ」
「キラキラ…?あー!今日はめっちゃいい天気だもんな!」
そう言って一人納得しているが、そうじゃないぞ長家。そうだけど、そうじゃないんだ。なんてお馬鹿な長家に言ったところで理解できるはずもないので「そうそう。いい天気だもんな」と軽く流しておく。本当に、顔はいいのに頭がどこまでも残念である。
まぁ、そこが女子には「抜けてて可愛い」と評判なのだからまことに遺憾である。顔か?やはりこの世は顔が良ければ全て良しなのか?こんな顔だけの男のどこがいいのか…。
怪盗王になるとか言っている非現実的な男よりも現実を見て公務員とかを目指している男のほうがいいだろう普通。でも夢を追う男や、どこか危険な香りがする男を女性は好きになりやすいってどこかの雑誌で見たような気も…うん。良く分からないな、女性って。
「あぁ、そうだ。キラキラと言えば、俺が盗みたいものもすっげぇキラキラしてる!」
「…太陽?」
「ぶっぶー!太陽はみんなのものなので盗みませーん」
すっげぇキラキラしているというから適当に予想してみたら、果てしなくイラッとくるノリで返された。
イケメンは何しても許されるっていう言葉、あれ嘘だな。だって俺今すっごく、イラッときたもん。また布団の海に沈めてやろうかなと思ったもん。チッ。イケメンなんて滅びればいいのに。
「じゃああれか?閃光弾」
「ぶっぶー!なんでいきなりそんな物騒な答えになるの!?芦屋マジこえぇ!」
最早投げやりな俺の答えに怯えた表情を浮かべる長家を見て少しだけ胸がスっとなる。やはり長家の怯える顔を見るのが俺の一番のストレス解消法だな。
「じゃあ何だよ。答えを渋るな、長家のくせに」
「もう本当に草食系詐欺!全世界の草食系男子に謝れ!」
「意味が分からん」
俺としては当然の事を言っているだけなのにどうしてこんなに批難されなければいけないんだ。そもそも俺は一言も草食系とは言っていないからな。
「このまま芦屋の答え待ってたら日が暮れそう」
「そう思うんだったら出し惜しみしないで最初から教えろよ」
やっぱりそろそろもう一回布団の海に沈めてやろうか。
そんな俺の思考を珍しく読み取ったのか、空気を感じ取ったのかは知らないが寝転がったままだった長家が慌てて体を起こす。弾むスプリングに体を揺らされ視界が上下する。そんな俺の視界に入り込んできた長家は短く「目を閉じて」と言葉を落とした。
いきなりの指示に首を傾げながらも目を閉じた俺の瞼の上に長家の手が乗せられる。
瞼の上に長家の手が乗せられたことでより深い黒が現れる。
静かに乗せられた手はそこから何かをするわけでもなく俺の光を遮るだけだった。
いつも馬鹿みたいに騒がしいはずの長家は言葉を忘れたみたいに沈黙を保ち、いつにない空気が俺たちの間を流れていく。
しばらくの沈黙。
そこで漸く瞼を覆っている長家の手が小さく震えている事に気がついた。まるで緊張しているかのように、小刻みに震えている。緊張なんてするタマじゃないくせに、どうしてそんなに震えているのだろうか。らしくない長家の様子に、けれどそれに何かを言う事はなく俺はただただ次の行動を待った。
「芦屋」
「…なに」
暗闇の向こうから長家が俺を呼ぶ。
珍しく、とても静かに名前を呼んでくるものだから、つられて俺も静かに返事する。
「あーしーやー」
「…だからなんだよ」
今度はいつもみたいにゆるく名前を呼んでくる長家。
さっきよりも今の方が長家っぽくていいな。なんて思ったり、思わなかったり。
「芦屋だよ」
「…は?」
どこか甘さを孕んだ声が鼓膜を揺らした。
次いで俺の口からはそんな間の抜けた言葉がこぼれた。
塞がれた目では長家の表情を伺いみる事はできない。だからその声音から表情を浮かべようとしたが、どうしてか上手く想像ができなかった。だってこんな声を出す長家ははじめてなのだ。
「俺ね、芦屋のハートを盗みたいの」
今度は秘密を打ち明けるかのように密やかな声だ。
視界は真っ黒。瞼を覆ういつもより体温の低い手のひら。いまだその手は震えていて、らしくもない緊張は続いている事を教えてくれる。もしかして俺の目を塞いだのは、そんな緊張に染まる自分の姿を見られないようにするためかもしれない。と唐突に思う。なにを今更隠す必要があるのか。今まで散々お前の情けない姿なんて見てきたのに格好つけているつもりか。なんて。…けれどもまぁ、そんなお前も、嫌いじゃないぞ。
だから今から俺が言うとっておきに、心の底からびっくりするがいい。
「いい事を教えてやろう長家」
にやり。クールに口角を上げて秘め事を明かしてやろう。
「俺のハートはとっくにお前のモノだよ」
「…え」
そう言って笑う俺に閉ざされた視界の向こうで怪盗王が困惑しているのが分かる。
それもそうだろう。だって盗みたいと言っていたモノが実はすでに自分の手の中にあったのだから。想像通りの反応に笑みを深めて俺は瞼を押さえる長家の手に自分の手を重ねる。そして目の上からその手をどかし、対面した長家の顔を見て小さく吹き出した。
「なんだよその間抜け顔。せっかくのイケメンが台無しだな」
「だって、いま芦屋…」
「俺のハートはお前のモノだって言ったな」
「ホントに?ホントのホントに俺のモノなの?エイプリルフールじゃないよ?今日」
「おう。残念な事にお前のモノだし、嘘も付いてないよ」
「…予想外だ」
そう呟いて惚けたように俺を見る長家の顔が間抜けすぎてますます笑みが深くなる。ポカーンと大口開けて俺を見つめたまま固まっているその人物の首に腕を回せば、大袈裟なくらい体が揺れる。けれど俺はその震えには構わず長家の耳元へと囁きかけた。
「で?俺のハートは既に盗んでた訳だから、もちろん怪盗王じゃなくて公務員になるよな?」
「は、はい」
「よし。いい子だ長家」
至近距離にある真っ赤な顔が何度も頷く。壊れたおもちゃみたいに頭を上下に振る長家に笑って俺は漸く触れられるようになったその唇を怪盗さながら、奪ってやった。
「……」
「……」
「…俺、一生大事にするから」
「…当たり前だ馬鹿」
END
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