空を蹴る




 『そうして僕は君を求めて走り出す』









 目を奪われる真っ青と、引き千切って食べてしまいたくなるくらいふわふわとした白い雲を見て、なんだか急に君に会いたくなった。



 走る。走る。目指すは一軒隣りの、君の家。
 空気調整のされていない、熱しられた空気の中。遮る屋根のない、剥き出しの陽射しの中。突っかけたサンダルで走り、目指すは、君の元。
 一軒隣りの距離でさえ、今の俺にはもどかしくて。
数分の時間でさえ、今の俺には永遠のように長い。
 会いたい。逢いたい。今すぐに。
 はやく俺と君との間にあるこの距離を、ゼロにしたくてたまらなかった。
 水が欲しい。喉が渇いた。君に逢いたくて俺は水分を抜かれた干物みたいにカラカラになってしまいそうだ。きっとこの渇きは君に会わないかぎりおさまらない。ーーあぁ、だから、はやく。君という水で俺を潤して、呼吸をさせてくれ
 そんな恐怖にも似た渇きが、俺を襲う。
 どうして俺はこんなにも渇いているのか。理由を考えてもはっきりとした答えは見つからなくて。でも朧げに思い出すのは、部屋の中から見た小さな四角の中で広がる青と、白。どこまでも続くはずなのに、四角に切り取られたそれをみて、なんだか無性に君に逢いたくなった。果てないそれの下にいる君を、捕まえにいかなければと思ったんだ。
 そうだ。俺は捕まえなければいけないのだ、君を。あの四角い世界に君が閉じ込められてしまう前に。
 だから空調が管理されたあの箱を飛び出して、汗をかくことも厭わずにこうして走っている。凡ては君を捕まえ俺の渇きを止めるため。俺は最大限に駆けている。運動なんて嫌いなのに、走って、走って、渇いて、求めて、俺は精一杯に走っている。
 そしてようやく俺は一軒隣りの距離を越え、勝手知ったる人様の家の中を走り抜け、階段を駆け上り、君がいる扉へと手をかけた。

 「龍平!!大好きだ!!!」
 「…は?」

 大きな音を立てて扉を開け放ち、ベッドに寝転がってエロ本を読んでいた君に俺は叫ぶ。
 壁に思いっきりぶつけられた扉が痛いとばかりに金具をキィーと鳴らし沈黙した後、君改め龍平はそれはもう意味がわからないといった顔で俺を出迎えた。その、幼い頃から見続けて見飽きているはずの顔を見て俺の中でぐああぁーっと想いが溢れ、爆発する。

 「もう本当に大好き龍平!愛してる!」
 「あー…、おう。分かったからひとまず落ち着け馬鹿」
 「無理!だって大好きが止まらないんだ!!!」
 「そうか。なら思う存分吐き出しとけ。いまいち良く分かんねえけど」
 「うん!」

 そう返事して俺は、龍平がベッドから起き上がって出来たスペースにそそくさと正座で座り込む。クーラーが苦手で部屋の中では上半身裸でいる龍平のその見事な肉体美に見惚れつつ、俺は君を捕まえるための言葉を紡ぐ。

 「あのな、今まで言うの我慢してたんだけど、俺めっちゃ龍平のこと大好きなんだ!」
 「おう。らしいな」

 そう言って神妙に頷く龍平と俺の間にはその役割を果たせなかったエロ本が所在なさ気に扇風機の風に揺れていた。裸体をさらしてこちらを煽るように上目遣いで写る女性達を横目に、止まらぬ想いを言い募る。

 「本当は龍平の裸にムラムラするし、ていうか龍平といるとムラムラするし。ていうか何度もイケメン!抱いて!って思ってたし」
 「…お、おう」
 「龍平が彼女作るたびどうやって別れさせてやろうかって計画練りまくってたし」

 そんな俺のセリフに何かピンときたような表情を浮かべた龍平が訝し気に聞いてくる。

 「…まさかあいつらに変なこと吹き込んだのお前の仕業か?」
 「うん。だって龍平が俺とかきっこするのは本当の事だし、いいかなって」
 「いいわけあるか!…たくっ、どうりでホモ扱いされた上にフられるわけだ」

 素直に頷いた俺に深々とため息を吐き頭を抱える龍平。まさか歴代の彼女達にホモ呼ばわりされフられる原因が俺だったとは思わなかったみたいだ。でもあんなに彼女達に「幼馴染の子と乳繰り合っとけ!」って言われてフられてるのに、全く気付かない龍平もどうかと思うけどね。

 「まぁまぁ龍平、そんなことは置いといて」
 「そんなことで置いとくな阿呆」

 再び大きなため息を吐き出す龍平。がっくりと項垂れているところ悪いが、龍平がホモ呼ばわりされてフられることよりも大事な事があるんだ俺には。だから俺の話しをちゃんと聞いてよ、龍平。
 大きく大きく息を吸い込んで、早鐘を打つ心臓に落ち着けと言い聞かせて、吸い込んだ熱に体内から焼かれながら、俺は項垂れる龍平の旋毛めがけて言葉を吐く。

 「…だから、俺と恋人になろ?龍平」

 言った。
 ついに言ってしまった。
 文脈もなにもあったものじゃなかったけれど、確かに俺は口にしてやったぞ。
 君を捕まえるための言葉を、俺はちゃんと震えぬ声で言えただろうか。何時ものように、いつも通りの俺で君に伝える事ができただろうか。
 ゴクリ。唾を飲み込む音がやけに大きな音で響く。果たしてこの音を出したのは、俺か、君か。さっきまで薄れていた喉の渇きが急激に増していくのを感じながら、俺は無音になった世界でただじっと次に落とされる音を待った。
 無音を貫く君の向こうに広がる青と白。
 変わらぬ沈黙。何も言ってくれない君。
 龍平の背後に広がる四角い世界に、やはり俺はあの世界から君を奪い取ることが出来ないのだろうか。と諦めかけた時、思いもよらぬ強い力が俺の腕を引いた。突然のことに傾ぐ体。ぐわりと近づく青と白と、背中に回された腕の感触と、俺を包み込む溶けてしまいそうなほど熱い体温。その熱が、龍平の腕の中に抱かれているからなのだと理解するのに少しだけ時間がかかり、次いでそう自覚した途端ありえないほど体温が上がり、胸を突き破らんばかりに心臓が高鳴った。
 ―――抱きしめ、られている。
 いきなりの展開に思考回路がすぐにでもパーンしてしまいそうだった。自分で告白しておきながらこんな展開は全く想像していなかった。故に、嬉しさ余って困惑百倍だ。まぁ、つまりは…大変俺は混乱しています。

 「…はぁー。まさかお前に先に言われるとはな」

 混乱から腕の中でカチコチになっている俺の耳元で、そんな事を言う龍平にますます頭の上をハテナが舞う。というか、耳元で聞く龍平の低音ボイスため息がエロすぎてエロいんだけだどうしたらいいかな。

 「くそ。俺をホモにした責任は取りやがれよ」
 「え?それって…」

 またしても落とされる美声に聞き惚れつつ、なんだか聞き流してはいけないような事が聞こえてきたような気がして口を開いた俺に被せるように、龍平はエロエロボイスで続けた。

 「俺もお前の事大好きだって言ってんだよ。あと、俺の方がお前のこと好きになったの先だからな、このにぶちん阿呆っ子め」
 「…阿呆じゃ、ないっ」
 「あー、はいはい」

 おかしそうに笑って抱きしめる腕の力を強くしてくれる龍平に言葉とは裏腹に愛しさが募っていく。
 だって、こんな展開は俺が今までイメージしてきた未来の中にはなかったから。だから、驚いて、嬉しくて、ちょっぴり不安で、でも今にも叫び出したいほど、嬉しくて、嬉しくて。俺はあの四角い世界から君を奪い取ることができたんだって、泣いてしまいそうになる位、嬉しくて。

 「くっそ!大好きだバカヤロー!」
 「俺は愛してるぞ」
 「…っ!バカ龍平!」

 叫ぶ想いに、応える声。
 抱きしめられる熱に溶かされそうになりながら、潤いを取り戻した声で何度も伝えられるようになった愛の言葉を繰り返した。
 やっと手に入れる事が出来たのだと安堵に涙と鼻水を垂れ流す俺と呆れたように笑う龍平。

 「お前のせいでホモになっちまったんだから、俺のことフったりするなよな」
 「フるわけないだろバカ龍平ぇ…っ!」
 「はは。なら安心だ」

 そんな俺達の間ではこれからもうその役目を果たすことがないであろうエロ本がくしゃりと寂しそうに音を立てて、ベッドから滑り落ちていった。




 真っ青な空と、ふわふわと白い大きな雲。
 一軒隣りの君に会うため、茹だるような熱の中、僕は空を蹴り、君に逢いにいく。



おわり





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