「殺さずの掟を守る忍の一族がいる」

その話を聞いたのは六年に上がってすぐの事。しかも話を聞いたのは教師やOBではなく、二つ下の後輩からだった。

「それがお前の所属している委員会の後輩に当たっていると聞いた」
「へ?誰から聞いたんですかそれ」
「田村三木ヱ門だ」

忍の学び舎に居ながら『殺さず』とはいったいどういう事か。その話を聞いた時は思わず耳を疑ったもんだ。三徹目だったが意識を覚醒させるほどに衝撃的な話だった。知ってます?と呂律が回っていない田村の口から紡がれた話。それが、『己の同級生には殺さずを掟とした忍の一族の出の者がいる』という話。学園が休みの今日、久しぶりに睡眠をとりスッキリした頭で、生物委員会を尋ねることにした。

「あー、田村かぁ。まぁ名前の同級生なら知ってて当然ですよね」
「名前…?」
「俺の後輩ですよ。生物委員のくのいち」

竹谷は竹笛を削りながら、心地のいい高い音を出しては削りを繰り返していた。もう一段階高い音が出したいが、調節が難しいらしい。懐に入っていたクナイを手に寄越せと竹を奪い、隣に座って削ってやった。

「まさか潮江先輩、俺の後輩を会計に連れて行こうなんて思ってないでしょうね!!」
「思ってねぇよ!ただその真実を確かめたかっただけだ!」
「ここ最近潮江先輩以外にも、六年生に聞かれること多いんですよ。"殺さずの一族"について。名前ってそんなに影薄いんかなぁ」
「…少なくとも此処に入学して、一度も聞いたことのない話だぞ」

竹谷から話を聞くに、小平太、仙蔵、留三郎はもうその噂を耳にし、竹谷の所に事の真実を確かめに来ていたらしい。だがその一族から出ているくのいちの名前を出しても、皆「あいつか」とピンと来るやつはいなかったという。竹谷からすれば委員会の後輩だから身近な存在だろうが、俺は初めて聞いた名前だ。…聞いて、忘れている可能性もあるが。そもそも一年のあいつらじゃあるまいし、くのいちと関わることはあまりない。生憎、くのいちみたいな顔をしている田村ぐらいで、うちの委員会に女はいない。徹夜をするような委員会に入りたいと申し出る女の方がおかしい話だが。

「いやまぁあいつ去年半ばから途中編入って形で入ってきたんで知らなくても当然ちゃ当然ですけど…でも新入りの気配にも気づけないのはちょっと…六年生大丈夫ッスか」
「…それに関して言い訳はしたくないんだが、上級生に上がり委員会の仕事も増えると、くのいち教室と関わる事もほぼないと言っていい。故に存在を知らなかったんだ」

竹を削りこれでどうだと手渡すと、竹谷はそれに満足したようで、ピィと高い音を吹き出した。俺自身もよくできたと思っている。俺もその出来に満足し腕を組むと、その音につられてきたのか、空から大きな鷹が降りてきて竹谷の腕に止まった。相変わらずこいつの獣遁は見事なもんだ。さらに長屋の向こうから大きな狼が二匹飛び出してきて、一匹は竹谷の足元へ、もう一匹は俺に飛びついてきた。

「なんだなんだお前らも来たのか!先輩、こっちが黒で、潮江先輩の方にいるのが赤っていうんです」
「…白い狼に赤とは如何なもんだ」
「仕方ないじゃないですか、名前つけたのあいつなんですから」


すっと指差した方。狼が走ってきた長屋の方から、桃色装束が一人姿を現した。


「すいません…」
「いやーいいっていいって!もうこいつら怪我治ったんだなぁ。お前の腕は一人前だよ」
「…ありがとう、ございます」

がしがしと笑顔でくのいちの頭を撫でまわす竹谷とは反対に、無言のままその手を受け入れるくのいち。それは不思議な装いだった。と、いうより、不気味そのもので、流石の俺もぎょっとしてしまった。両腕は血が滲んだ包帯がぐるぐるにまかれ、口元は半面で隠れている。右目は髪の毛で隠れていて、こちらから確認できるのは黒い左目だけ。顔など全く分からないに等しい。名前と呼ばれたくのいちは、竹谷以外にもう一人の先輩、つまり俺がいるという事に今気付いたのか、こちらを見ては深々と頭を下げ、赤と呼ばれた白い狼に「おいで」と呟いた。こいつも獣使いか。くのいちがあの大きさの狼を従えるのか。中々な腕の持ち主に違いない。……しかし不気味な事だ。 顔が見え ない。忍としては上等だろうが…これでは右側を狙われたらひとたまりもないだろうに。

「喜八郎と…いたので、此れにて……」
「あぁ、綾部によろしくなー」
「…では」
「あ、あぁ」

俺の事を知っていたのか、というのが一番驚いたところだ。やっぱり、記憶にない顔だ。だが向こうは俺の顔を知っていた。…委員会の委員長であればくのいちでも顔を知っているのだろうか。…そんなもんか。


「先輩、あれですよ。名前」
「……何?」
「殺さずの一族って言われてる"苗字"の家の一人娘です」
「…あ、あのくのいちがか!?」

正直、あのくのいちが殺さずの一族とは考えられない。あんだけの傷、隠された顔。全身に傷を負っているのに殺さずの掟を守っているとでもいうのか。あの顔では人一人殺していた所で可笑しくはない。

「うちの大事な番犬ですよ」
「は?番犬?」
「牧畜犬の方がしっかりくる言い方でしょうか。ま、いつか解りますよ」

いつか解る。その言葉が妙に胸に引っかかった。確かに戦闘集団から出てきた連中や忍の里から出てきた者だったら、演習や手合せでその腕前を見せて貰えるだろうが、殺さずという事はその手では実力ははかれないだろう。というより、戦場で生きるための『忍』ではないのか。殺さずの掟を守る一族など、戦場でなんの役にも立たないだろうに。


だが、それがどういう意味なのかを知る時は、思っていたより近かった。


忍術学園が何者かによって襲撃された。遅くまで委員会の書類整理をしていた学級委員会の一年二人が襲われたらしい。運よく居合わせた風呂上がりの長次と小平太に助けられ、六年生全員に緊急収集がかかった。上級生にみつかったこともあってか建物内に必要以上に侵入された形跡はなかったが、念のためにと各委員会の上級生が中庭で敵の警戒に当たることになった。だが寸でのところで逃げられてしまったので、再び戻って来ないとも限らない。学園長の命令により委員会ごとに東西南北を警戒するようになった。だが一向に敵の姿をとらえることができない。最上級生のみの警護だったが五年四年、ついにはくのいち教室の上級生まで駆り出される始末となってしまっていた。もう 夜も遅い。今一度戻ってきては 面倒だ。早いうちにつぶさなければ。

我が会計委員会は最上級生のいない生物委員会と組むことになったのだが、そこにそいつはいなかった。くのいちは力にならないってか。それとも、『殺さずの掟』を守る者に戦闘命令は出せないってか。

「竹谷先輩、名前はどこです?」
「もう出ていった。もうすぐ帰ってくるんじゃねえのか?」
「えー、つまんない」
「そう言うなって。これが苗字の掟で、名前の仕事だろうが」

庭の木に登った竹谷は、山の方を見て、下から問いかける綾部に答えた。綾部は名前と呼ぶあいつを見たかったのか既に出ていると聞いてぶーぶーいいながら鋤を振り回していた。戦い方が美しいとか、そういうことなのだろうか。だとしたら見てみたいもんだ。

「おい留三郎、苗字名前を知ってるか」
「竹谷の後輩だろう?伊作がよく面倒を見ているからな。なんだ、手合わせでもしたいのか」
「綾部が気に掛けるぐらいだ。相当の手練れなんだろう?それにあの傷は相当の戦闘狂いと見た」
「やめとけ。あいつは武器は持たねえんだよ」
「なんだそれは。どういう」

言葉をつづけようとしたその時、木の中から甲高い音が山中に響き渡った。山彦しているのは昼間に俺が削ってやった竹谷の笛の音だ。音が聞こえなくなった瞬間、遠くの木が大きく揺れ、その揺れは学園に近づいてきている。風で揺れているわけではない。人間だ。人間と獣がこちらに近づいてきている。

「三郎!雷蔵!頼んだ!」
「おう!」
「任せて!」

大きな揺れが近づき、ついに学園の正面に植わっていた木の中から男が二人飛び出してきた。学園の中に飛び込んできた男は二人、鉢屋と不破の背負い投げにやられ気を失った。その直後、再び正面の木から飛び出してきたのは昼間に見た竹谷の後輩。苗字だ。だが目つきはまるで獣。片方しか見えていない眼も大きく見開かれ、まっすぐ学園に飛び込んできた男を睨みつけていた。飛びかかろうとする苗字を竹谷が羽交い絞めで抑え込んだ。徐々に正気でも取り戻していくのか暴れるのは収まり、昼頃にみた大人しい姿に変わっていた。

「おかえり名前、よーしよし、大丈夫だ大丈夫だ。よくやった、おかえり。聞こえるか?おかえり」
「…あっ……た、竹谷、先輩…只今戻りました…遅くなりまして…面目次第もございません…」
「まーた随分派手にやったな。善法寺先輩のところ行ってこい」
「…は、はい…」

「綾部、あと頼んでいいか?」
「もちろんです。名前、一緒に保健室行こう」
「…うん」

ぼろぼろになり血が滴っている手のひらをみつめ、苗字は綾部に連れていかれ保健室の方向へ向かった。
出番のなかった上級生及び駆り出されていた保健委員は順次己の部屋に戻っていったが、俺は鉢屋と不破が未だに取り押さえている侵入者に近寄った。長次が顔を確認し、こいつらで間違いなかったらしく、不破と鉢屋が濃紺装束の忍を縛り上げた。だがどうしたことか。その男たちは一寸も暴れず、不破と鉢屋の縄を受け入れている。背負い投げごときで気を失っているのだろうか。

「おいお前、どこの忍だ。何を目的に学園に侵入した」
「あ、潮江先輩。今話聞いても無駄ですよ」
「何?」
「名前ちゃんが相手なら今瀕死でしょうし、正気取り戻すまでは時間かかるでしょうし」

背負い投げごときで気を失い瀕死とはなんと無様な忍だろうか。殺す前に顔を一度みておこう。そう思いだらりと項垂れている曲者の頭を掴み上を向かせた。だがそれは、あまりにも無残な姿だった。顔はズタズタに引き裂かれ、両者とも片眼は潰れている。生きているのは左目のみ。まるで、あいつの顔ようだ。

俺は思わず背筋に汗が一筋落ちていったような感覚を覚えた。辛うじて息があるこの敵を見て、あの女は一体何なんだという事しか考えられなくなってしまった。なぜ殺さない。あと一太刀でも浴びせればこいつらは確実に死んでいる。ここまで攻めることができるならあと一太刀ぐらい余裕だろうに。

「違うんですよ潮江先輩」
「…あ?」
「これがあいつの仕事なんです。殺さずに捉えて、情報を吐き出さす。敵は殺さず、己も死んではいけない。これが苗字の一族の掟で、仕事なんです」

殺さずの掟。忍なのに、「殺してはいけない掟」を守り続ける一族。

保健室に足を運びそこに居たのは、腕も、顔も、足も、ズタボロに傷がついた体を晒す、苗字名前の姿。

「ちょっと文次郎!女の子の治療中だよ!!ノックぐらいしたらどうなの!」
「……」


死ねない。殺せない。帰らねばならない。

俺には、こいつの存在意義が解らない。


「お前、何のためにこの学園で忍を学んでいるんだ」

その問いかけに答えたのは、昼間に見た狼。返り血で真っ赤に染まった白い狼だった。低く唸った狼は、苗字の足の傷を一舐めして、飼い主と同じ鋭い視線で俺の事をにらみつけていた。



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