最近、七松先輩がホームセンターで包丁をじっくり見ていたという噂を聞いた。

「誰か殺す気だ」
「違えねぇ。あの先輩ならやんだろ」

前の席から富松が私の席に振り向いて真っ青な顔を近づけその情報を持って来た。そんな話を聞いて平常心でいられる方がおかしい。富松の真っ青な顔が私にもうつったのか、私の体温がどんどん下がっているのがよく解る。七松先輩が自ら武器を購入した。それすなわち戦争の合図。誰が七松先輩の逆鱗にお触れになったのか。

「お、おめぇ中在家先輩から何も聞いてねぇのか」
「知らないよそんな話…!今度は何処と抗争してんの…!?」

震える腕を抱きしめて私の頭の中は最悪のシナリオを描いていた。私の委員会の先輩である中在家先輩を通じて七松先輩と知り合った。よろしくな!と差し出された手を握り握手を交わした瞬間私の小指が折れた話は墓場まで持っていくと決めたことだ。どうしてくれるんですかと刃向ったところで裁判を起こしても勝てない事は目に見えている。裁判官すらも殺しそうなあの人の殺気を誰が止めることなどできようか。それに私は七松先輩からずっと謎に思っていた中在家先輩の顔の傷の話を聞いた。一年前隣の高校と乱闘した時に受けた刀傷だと。刀って。どういうことなの。893なの。後輩が世話になったからと七松先輩を筆頭に中在家先輩や食満先輩たちやらあの辺のイケメン六人衆が他校を制圧したと言う話は記憶に残っている。そういえば次屋が傷だらけで学校へ来たときがあった。あぁ、あの時の後輩とは次屋のことだったのかと気付いた。他の五人はこの学年の後輩を守るために他校を制圧して手出しをさせないようにしたのだという。中在家先輩は私のために。かっこよすぎて抱いてくださいと言って先輩を困らせたのは本当に反省している。

で、そんな七松先輩だが、喧嘩が恐ろしく強い事は良く知っている。ただ、あの人があそこまでのぼりつめたのは武器なんて使わないあの拳あってこそ。握手した時にも見えたが、ボロボロの傷だらけで絆創膏もはってあった。あの七松先輩が卑怯に武器なんて使うわけがない。そりゃぁその辺に鉄パイプでも転がってりゃぁ拾うこともあるだろうけど。

「ついに武器を使わないと勝てない相手でも出来たってか…」
「おいやめろ…!俺ぁ食満先輩見てるだけでもおっかねぇってのに…!」

富松も他校に絡まれている所を食満先輩に助けられた時があったらしい。足蹴だけで連中を吹っ飛ばす食満先輩のカッコよさと言ったらないと其の一週間ずっと訴えられていた。だが食満先輩は眉を下げてこう言ったのだという。

「俺なんかより、小平太の方がもっと強ぇよ」

ぐしゃぐしゃに頭を撫でられてた富松は撫でて貰った恥ずかしさより七松先輩への恐怖心でいっぱいだったらしい。食満先輩や次屋を通じて七松先輩と知り合いになったがやっぱり側に居るだけで怖いと感じるらしい。なにそれ覇気でも出てんの。覇王色なの。

「西…?」
「東かもしんねぇぞ」
「あるいは工業かも…」

「おーい名前、ちょっといいか!」

「ヴェッ、七松先輩っ…!」

噂をすれば何とやら。次の七松先輩の抗争相手を富松と言い当てていると廊下から噂の人物の声。後扉に寄りかかり手をひらひらさせるのは間違いなく七松先輩だ。おいでおいでと招くその手が死へのカウントダウンの様な気がしてならない。神経逆撫でしないために大人しく椅子から立ち上がり七松先輩の元へ駆け寄ると突然すまんなと珍しく眉を下げた。

「名前って今日の放課後暇か?」
「え?あ、はい一応」
「そうか!ちょっと頼みがあるんだが…一緒に帰らないか?」
「大丈夫ですよ」
「良かった!じゃぁ放課後駐輪場来てくれ!私のチャリのとこで待っててくれ!」

じゃあなと遠ざかる七松先輩の背中が怖い。あんな話をした後に放課後の予約を入れられるとは。

「富松、私何枚におろされるんかな…」
「は、早まるんじゃねぇ…!ま、まだ逃亡するチャンスはある…!」

がっしりつかまれ揺さぶられた肩。だけどもう全身の力は抜けているといっても間違いではない。私は今日の放課後、七松先輩に新品の包丁で殺されるんだ。きっと実験台として河川敷にでも置き去りにされるんだ。くそっ、こんなことなら中在家先輩にマジで処女捧げておくんだった。まだ死にたくない。

時は残酷に流れさりあっという間に放課後に。富松が何度も逃亡するなら今だと助言してくれたが、七松先輩の圧倒的オーラに脳内を支配され授業中に逃亡する気力すら湧いてこなかった。

「名前すまん!長次に捕まってしまってな!」
「あ、い、いえ大丈夫です…」
「大丈夫か?顔色悪いようだが」

テメェのせいだわあんぽんたん!と言えたらどれだけ楽か。問題はありませんと首を横に振るとそうかと一言言って私のカバンをひったくり籠にぶちこんで乗れと荷台を叩いた。大人しくそれに乗り七松先輩の背中をつかんでいると自転車は二人乗りでゆっくりと走り出した。先生たちの追走など目もくれず猛スピードで走るこれは、果たして本当に自転車なのか。自転車ではありえないスピードが出てるけど、スピード違反として補導されたりしたらどうしよう。私此れでも一応優等生のポジションなのに。

自転車の後ろで風を切ること20分ほど。ついたぞ!と止まったそこは綺麗なマンションだった。どうやらそこは七松先輩のおうちだそうで、自転車を止めてすぐ鞄から家の鍵を取り出しエレベーターへ向かった。あぁやっぱり私はあの噂の包丁の餌食となるのだろうか。

「ご家族は…」
「あ?あぁここ一人暮らし。元々親戚の誰かの家だったとこを私が貰っただけだから。気兼ねなく寛いでけ!」

ああああああああああああああああああまさかの一人暮らし発言これもしかして死体隠せるから安心してねてきなそういうこれか。

無情にもエレベーターは最上階にたどり着き七松先輩は私の腕をひっつかんで一室に連れ込んだ。

「私の部屋で待っててくれ!好きに本読んでていいぞ!」

バタンと閉められたそこはどうやら七松先輩の寝室のようでベッドの周りにはいろんな漫画やエロ本や洗濯物が散乱していた。私はただ一言、「汚い」と呟いてしまった。今頃七松先輩は向こうで包丁を研いでいる頃だろう。人知れず七松先輩に殺される未来が待っているというのなら、最後の悪あがきだと私は部屋の片づけをすることにした。本を本棚に。服は箪笥に。エロ本はベッドの下に。私は今冷や汗をかきながら「お前良い奴だからやっぱり殺さない事にするわ!」という妄想をしている。私が生きてこの七松領から脱出するには、其れしか方法はない。今富松に最期のメールも送った。ケータイにパスをかけて電源は切っておこう。誰にも心配されぬよう、私は此処で血を流そうじゃないか。さようなら今生。来世では七松先輩なんかに目をつけられませんように。

「名前!名前!できた……あれ!?部屋片づけてくれたのか!?」
「あ、や、その、勝手な事をして…」

「いやいやいや!すまんそんなつもりでこの部屋に入れたわけじゃないんだが…!ありがとう!さ!来てくれ!」

うわああああああああああ!!ダメだった!!お前良い奴だから帰すルートは辿れなかったちくしょおおおおおおおおおおおおおおおお!!ワイシャツを畳んでいる最中の腕をつかまれ体はリビングの方へと連れられてしまった。なるほど。台所で殺されるのか。

そう思っていたのは愚かな事だった。


「……えっ」

「どうだ!これ全部私が作ったんだ!」


待ち構えていた広々したリビング。その真ん中にあるテーブルの上にはめちゃめちゃ美味しそうな料理が並べられていた。炊きたてご飯はもちろん、魚のムニエルから煮込みハンバーグ。豚汁と漬物。二食分並べられたそれは、完全に晩御飯の形が整っている状態だった。

「…出前ですか?」
「え?いや、だから、私が作ったんだって」
「……え!??!」
「私が捌いたんだこの魚!凄いか?…あ、量多かったか?」

食事のバランスが悪いとか、量が多いとか、今そんなことを気にしている場合じゃない。七松先輩がこの料理を全て、おひとりで作られたのだという。私があの汚部屋を片づけている最中に準備したんだとか。

「…す、ごいです」
「!ほ、本当か!?」
「いや、その、これは、普通に凄いです…」

脳内の整理が追い付かない。つまりなんだ。七松先輩はこの料理を私に食べさせたくて今日拉致ったということなのか?


「いっつも長次のお菓子を食べているお前なら率直な意見が聞けると思って!ほらあいつ料理上手いだろ?私なんかでは足元にも及ばんかもしれんがな、最近長次に一人暮らしなら料理位覚えろと言われてな!教えてもらったんだ!さ、食べてくれ!そんで美味しいかどうか聞かせてくれ!!」


ばしばしと背中を叩かれ座れ食え飲めと目の前にずずいと一式が進められた。何が何やら解らないうちに私は箸を持たされ、目の前で美味しそうに盛りつけられたムニエルに箸を伸ばした。

「お、美味しいか?どうだ?」
「〜〜〜〜〜っ!?おいひいれす!!!!!!!!!!」

それが美味しいのだ。めちゃくちゃ美味しいのだ。驚くほどに、本当に、美味しいのだ。信じられない。あの喧嘩で傷だらけのボコボコの手から、こんな繊細な料理が生み出されることができるなんて、夢を見ているようだ。これは現実なのか。本当にこんな上手い料理を、暴君が作ったというのか。

「そ、そうか!よかった!嬉しいぞ!どんどん食べてくれ!!」
「言われなくても!!」

七松先輩の正面に座っていただきますと手を合わせた。良く見てみると冷蔵庫には中在家先輩直筆のハンバーグの作り方の紙がはってあるし、カウンター越しにめっちゃいっぱい香辛料やら調味料やらが並べられているのが解る。なんだ、ただのプロか。

「一人暮らしだとどうもコンビニ弁当に便りがちなのでな、長次がたまに作りに来てくれるのだが、たまにはお前が作ってみろと簡単なレシピを何個か置いていってくれたんだ。そしたら思ったよりも簡単にできてな!」
「ハンバーグ簡単とか女子力高いですね…!」
「なはははそうか!そんでな、自分の味覚じゃなくて誰かに食って貰おうと思ってお前誘ったんだ。名前よく長次の弁当のおかず貰いに来てたりするもんな。だから舌肥えてるんじゃないかと思って!」

素直な意見が聞きたかったと七松先輩は笑顔で漬物を口に詰め込んだ。料理は最近趣味で初めただけだったのに、おもちゃみたいな包丁では満足できず本格的な物を買ってきたのだと七松先輩は新品の包丁を見せてくれた。これ板前の人が使うやつとかじゃないのか…。七松先輩恐ろしい…。

「異性の胃袋を掴むのは女の役目ですよ!私料理苦手なのに!」
「でも名前掃除得意じゃないか!それも立派な女子力だろう!」
「喧嘩強くて格好良くて料理上手とかKOHE'Sキッチンじゃないですかやだー!」
「そうか!私カッコいいか!てれるな!」

「ギャップ萌えですよもう!私が掃除洗濯するんで七松先輩結婚してください!」
「え!?突然だな!!なははは!いいぞ!よし結婚しよう!!」
「冗談ですよやだー!」
「嫌なのか」
「えっ急に真顔怖い…」

結局ギャップにやられた私が本気で告白するまでそんな日数はかからなくなったわけでありまして。当然のごとくOKを貰ったのはいいけど、富松は私に「洗脳されたか」と二日に一回は聞いてくるからそれだけはやめてほしい。


「名前!今日の弁当は生姜焼きだぞ!」
「ぬほほ!大好きです!!」
「私がか!?」
「あ、いえ生姜焼きが」
「え…!?」


七松先輩の手から喧嘩傷が消えていくのも、時間の問題だろう。










さとうひとつかみ

ギャップで胃をつかまれるとは


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包丁を構えていたので思わず。

しかし小平太と作兵衛がいるって人物設定失敗した(小声)
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