しとしとぴちょぴちょ。今日だけはどうしても聞きたくなかった音が耳に届いて、ぶっさいくな顔で不貞腐れている喜八郎は恨めしそうに空を見つめた。

「ほら喜八郎、もう機嫌直しなってば」

「…名前は僕と一緒に七夕したくなかったの」
「違うけど、こうなっちゃどうしようもないじゃない」

窓の近くに飾っている笹は近所の人の家から譲ってもらったもの。七夕がしたいんですと頼んだら笑顔で鉈を持ってきてくれたおじいさんは、今年は晴れるといいねぇと言って笹を譲って下さった。そうですねと返したというのに、まさか今週という日に限って台風が接近しているだなんて。ついてない。去年も曇りで見られなかったし、今年こそはと喜八郎と一緒にテルテル坊主までこしらえたというのに。あーぁ、ついてない。

「浴衣着て名前と夜道をお散歩」
「帰りに裏山昇って頂上まで行って」
「昔みたいにずっと天の川を眺めて」
「昔みたいに来年も見ようねって約束して帰ってくる」

「「……はずだったのに…」」

ふたり同時に深く深く息を吐き出して、喜八郎はぼすりとベッドに横たわった。夕方ぐらいまではなんとか天気も持ちこたえていたようだったから、張り切って浴衣を着て喜八郎が家に迎えに来てくれるのを待っていた。私の家について、ちょっと休憩したら行こうと喜八郎が家に上がったもんだからお茶を淹れた途端降り始めた雨。きっとすぐに止むと、期待していたんだけどなぁ。

「駄目だね、今年は諦めようか」
「僕、今日は穴掘りもせずに身体を綺麗にしてたんだよ」

「そっかぁ、偉いねぇ」
「浴衣汚したくないし、名前に汚いって言われてもやだし」
「そうだねぇ」

「……雨が降るなんて最低」
「…本当にね……」

穴を掘るなと三木に注意されて不機嫌になる喜八郎の顔とも、ちょっとしたイタズラで滝に怒られている喜八郎の顔とも、どこか違う。いつもならつーんと横を向いて知らぬ存ぜぬを貫き通すというのに、今の喜八郎は不機嫌そのもの。それは私が他の男子と仲良さげに話しているところをみられたときの顔とか、あんなときの不機嫌な顔。一度へそを曲げたらしばらく治りませんって顔をしちゃっている。あぁあぁ、可愛い喜八郎の顔すらもこんなにしてしまう天気。難いなぁ。


「でもさぁ、昔に比べたら、次の約束なんて容易くできる時代になったよねぇ」


ベッドに横たわりながら私の手をいじっている喜八郎は、その言葉を聞いて動かすのを止めた。


「確かにね。僕らに明日なんて、あってもなくても同じようなもんだから」
「ね。来年の話をすると鬼だって笑っちゃうっていうのに、来年の七夕も一緒に過ごそうねなんて言ったりしてさぁ」

「僕が18の時に、名前との約束を破っちゃったから」
「そう、丁度この歳にね」


喜八郎が18を迎えた初夏。喜八郎は戦場で散った。私はその知らせを聞いて狂ったように泣き続け、弔い合戦として、喜八郎を討った城を当時の同級生たちの協力の元で落とした。だがその戦場で深手を負った私は忍生命を絶たねばならぬほどの大けがを負い、滝の治療も虚しく、19の冬に、あの世に別れを告げた。喜八郎とは同村で、幼馴染というやつで、毎年山に登っては天の川を眺めて家に帰る。そう繰り返した18回。そして迎えた19回目は、一人で山を登ることになってしまった。


「一回だけ、一回だけ私は喜八郎がいない天の川を眺めたんだよ」
「寂しかった?」


「それはもう。私の側には大切な人はいないのに、織姫と彦星は愛し合ってるんだよ?ずるいと思わない?」


馬鹿にするようにふっと笑った喜八郎。だけど喜八郎もこのことでずっと罪悪感におわれていたのか、記憶を取り戻した時にはごめんねと何度も何度も謝ってきた。

「でもその時名前に当時の記憶はなくって」
「そう。なんで綾部くんに涙流して謝られているんだろうって思ってた」

「そう。だからその歳、僕は一人で山に登って天の川を見た。隣に名前がいないのがこんなに悲しい事だなんて思わなかった。あの時名前にこんなに寂しい思いをさせちゃったんだなぁって反省した」

翌年私は記憶を取り戻して、そこからは昔の様に、毎年、毎年、二人で山に登って、天の川に願いを込めて帰って来た。


「ねぇ覚えてる?私が怪我で外出許可が出なかった年。保健室の前の庭に穴を掘って私を落として、其処の中から二人で一緒に天の川を眺めたの。喜八郎って本当に馬鹿よね」

「ねぇ覚えてる?僕が忍務で失敗して落ち込んでた年。外にも出たくないって言った僕の部屋の天井ぶっ壊して無理やり空を見上げさせられたの。名前って本当馬鹿だよね」


「あははははははは!!懐かしい!その後食満先輩と作兵衛に死ぬほど説教されたわ!!」
「僕も結果的に名前の傷開いちゃったから善法寺先輩に滅茶苦茶怒られた」

「ロクな思いで出てこないね!まいったなこりゃ!」
「夜に長屋抜け出してくのたまと会うなんて言語道断って立花先輩にお尻叩かれた記憶とか」


思わずお腹を押さえて笑ってしまう。知らなかった。喜八郎がそんな目に合っていただなんて。下級生の頃は怒られまくっていたが、毎年恒例行事だと、四年になって諦めたのか、立花先輩もそれ以降は何も言わなくなったらしい。私、シナ先生には「良い男なら離しちゃだめよ」ってむしろ推奨されていただなんて言えない。


「でもね、悪い事ばっかりじゃなかったでしょう?」
「そりゃぁねぇ」

「忍たまとくのたま。男と女の世界があるとはいえ、年に一回は一晩中一緒に居られる日があったんだよ?」
「おやまぁ。その言い方だとまるで僕が彦星みたい」
「私が織姫?やだなぁ、なんだか似合わない」
「いいじゃない。七夕の日にしか、一晩一緒にいられない状態だったんだもの」


忍たまがくのたま長屋に、くのたまが忍たま長屋に行くことは、原則禁止となっていた。夜這いも数回されたけど、喜八郎以外に身体を許すことはしなかったし、喜八郎も私以外の女を欲してはいなかったみたいで、体を重ねる日があったとしてもそれは変な話だけど休日の昼とかになってしまうことが多かった。実家に帰っても喜八郎は委員会やら忍務やらで時期がずれ、喜八郎が帰るころには私はもう出立している。そういう行為を知らない下級生の頃の長期休暇はそりゃぁ一緒に遊べたりしていたけど、歳を重ね、上級生になり、忍務を任されるようになってしまえば、すれ違う回数だって増えてしまうわけだ。一晩一緒なんて、七夕の日以外は、卒業してからしかなかった。

「でも、あの一日は本当に幸せな日だったよ。あぁ、まだ私は生きているんだなって感じる事ができて」
「僕も、今年も名前の隣にいられるんだなって、なんだか安心した」

昔ほど命は軽く扱われていないこの世。昔よりは、確実に明日が見えているこの世界で、私たちは当たり前の様に夜を共にしている。

「名前」
「なぁに?」


「来年こそは一緒に、天の川にお願い事しようね」


この何気ない一言が、昔は、明日を生きる希望に繋がっていた。


「そうね。来年こそは浴衣着て山を登ろうね」


簡単に紡げるようになったこの言葉だけど、その重さはいつだって同じだ。

守らなきゃ。来年は独りぼっちなんて、絶対に嫌よ。


「独りぼっちは嫌だよ名前」
「それ私の台詞。今度勝手に死んだら本気で後追いするからね」

「おやまぁ冗談に聞こえないこの怖さ」
「来年こそ並んで山から見るんだからね」
「もちろん」


止まない雨を恨みはするけど、昔を懐かしむ時間ができたから、まぁ良しとするか。

どうせ短冊に書かれたお願い事なんて、私も喜八郎も同じような内容でしょうし。



【来年も名前と一緒に七夕できますように】

【来年も喜八郎と天の川を見られますように】



ねぇねぇ織姫様彦星様元気?今日は生憎の雨だけど、そっち川氾濫してない?

家でのんびりも、たまにはありなんですからね?














あの日と同じ天の川

また来年も一緒にね!











「でもさぁ、『どうせ曇りだから誰にも見られてないから外でセックスしよう』とか彦星言ってそうで殺意わくよね」

「ほんとそれ。でも滝から聞いたんだけど、星の寿命は10億年くらいで、それを人間でいう100歳で換算すると3秒に1回は会ってることになるんだってよ」

「嘘じゃん」
「私たちの負けだ完敗だ」

「たかが500年ぶりの転生になにハシャいでたんだろうね」
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