よく一年の綾部の落とし穴に落ちる。
よく野球部やサッカー部のボールが直撃する。
よく犬のうんこを踏む。
よく何もない所で転ぶ。
超高校級の不運とついにふざけたあだ名で呼ばれ始めた。大川学園の僕が委員長をつとめる保健委員会は不運な生徒の集まりだとさえ言われてしまう委員会なのだけれど、ここ最近はその不運がさらに酷くなっている気がする。
何故僕は此処まで不運体質なのだろうかと生まれてこの方ずっと考えていた。両親は普通の人間なのに。
もしかして委員会の後輩たちは僕の不運がうつってしまっているのかなぁなんて。最近はそんなことまで考え始めてしまっている始末だ。
そして今日、登校して間もなく、ここ最近で最も不運なことが訪れた。
「善法寺先輩!!!」
「は、はい?」
「失礼します!!!"禁"!!!!!」
ガッ!!!!!
「痛ッッッ!!!!!!!!」
数珠を持った後輩の女の子に、何の前触れもなく顔面パンチをされたのだ。それは信じられないほど強い力で、綺麗に吹っ飛んだ僕は壁に頭を打ち付け気を失った。
気が付いたら其処は保健室のベッドの上で、見慣れた天井に深いため息が出た。
「伊作!?大丈夫か!?」
「…留さんが、運んでくれたのかい?」
傍らには留さんがいて、廊下で気を失っているところを見つけて運んでくれたらしい。留さんは僕がまた滑って頭を打ったのだと思っているみたい。言えるわけないよ、女の子に殴られて吹っ飛んだだなんて。男としてどうかと思うし、むしろ理不尽とはいえ情けないにも程がある。もっと体力つけなきゃ。
しかし一体さっきのはなんだったんだろうか。っていうか誰だったんだろうか。制服の校章の色は緑色だった。ってことは中等部の子だったのだろうか。三年か、二年だったかなぁ。
僕は彼女に何かしてしまっただろうか。気付かずに傷つけるようなことをしてしまったのだろうか。僕のひっくり返した救急箱の雨に打たれた?流れ弾に当たった?踏んだウンコ飛んだ?
いや、それにしても彼女の顔は見たことない。初対面でグーパンだなんて、僕は何かよっぽど酷いことをしてしまったに違いない。
留さんの肩を借り起き上がる。寝たからなのか、体が随分と軽い。あれ、疲れてたのかな。
「?どうした伊作?」
「なんか、体が軽い」
「あ?お前そんなに疲れてたのか?」
「いや、そんなこと」
「なんだ疲労でぶっ倒れたのか。しっかりしろよ」
保健室の鏡に映る僕の姿。肩を担がれている僕の顔は、健康そのものの色だった。
………ぶたれたのに、痕がない…?
「どうした?」
「う、ううん、なんでもない」
教室に戻り先生に事情を説明した。寝不足で倒れたみたいだと言うと、先生もご心配してくださってしっかり休めよとおっしゃった。
身体に異常はなく、むしろ元気な方だ。授業もしっかり受けたし、休み時間も何事もなく過ぎて行った。今朝の事はきっと何かの間違いなのだろうと自分に言い聞かせた。考えてもきっと解決策というか、正解は出てこないと思う。次に彼女に逢ったら聞いてみよう。
食堂でお昼をみんなで食べるため、僕はおばちゃんにラーメンを注文した。出てきた豚骨ラーメンのおぼんを抱えてみんなのいる席につくと、みんな、疑いのまなざしで僕を見つめていた。
「…何か、あったかい?」
「お前誰だ?」
「え?小平太今何て?」
「お前本当に伊作か?」
「は、え?どういう意味?」
「なんで、ラーメン注文したのにひっくり返さないんだ?」
小平太が指差したのは、無傷でテーブルに到着している豚骨ラーメン。
「なんでって、そりゃ、細心の注意を……」
「払っていて、いつもひっくり返すのにか?」
遮るように仙蔵が良い、僕はふと気が付いた。ラーメンを食べるときは、十中八九どこかで躓いてひっくり返す。その度おばちゃんがサービスでおかわりをくれたり、むしろ留さんに代わりに運んでもらうことすらある。ひっくり返さない時は途中で先生などに呼ばれて席をはずし麺が伸びてしまったり。
「……本当だ…」
「そういえばお前、今日綾部の落とし穴にも引っかかってないし、ボールに当たってもいないな」
文次郎がそういうと、留さんと長次が「そういえば」と目を合わせた。
「……今日…?」
今朝、学校へ来る途中で、僕はウンコを踏んだ。またかと思いながらも学校へ向かい、朝練習をしているサッカー部のボールが背中に当たった。またかと思い門をくぐり、保健室の鍵を開け当番表に名前を書いて出た。
出たところで、あの彼女に、殴られた。
「………そこから…」
一度も、不運な目にあっていない。
黒板消しの引っかけにかかってないし、間違えて教科書を出すこともない。体育じゃデッドボールはなかったし、何もない所で転んでない。
「……!?誰か!!誰か、中等部の女の子に詳しい人いない!?」
「あ?どうした伊作、」
「こ、これぐらいの身長で!髪はこれぐらい長くて!そ、それで……!そうだ!右腕に赤い数珠のブレスレットしてる子!!」
ガタンと立ち上がり周りの五人にそう問いかけた。あの子が何をしたのかは解らないが、彼女のパンチのせいで、僕は今日不運な目にあっていない。あの子と出会ってから。
「…もしかして、名前のことを言っているか?」
「!長次知ってる!?」
「うちの委員会の後輩だ…苗字名前…。中等部の三年……、この顔か…?」
長次はケータイを開いて、生徒会のメンバーが全員写っている写真を見せてきた。能勢を抱きしめながら笑ってピースををしている顔。そうだ、この子だ、間違いない。
「ごめん!ちょっと行ってくる!」
「おい!伊作!?」
ラーメン放置で食堂を飛び出し、中等部の校舎へ走った。
やっぱりあの子が何かしたんだ。走っているのに転ばない。階段から落ちない。怒った先生に遭遇しない。
普通だ。あまりにも、普通すぎる。
久しぶりに訪れた中等部の校舎はこんなにも小さい所だったかと思いながら、僕は急ぎ三年の階へと走った。三年だということは聞いたけど、何組か解らない。ああ、聞いて来ればよかった!
「!数馬!」
「伊作先輩?どうされたのですか?」
「苗字名前って女の子知らない!?この学年にいない!?」
お弁当を持って浦風と並んで歩いている後ろ姿。見知った顔に話しかけると、数馬は浦風と目を合わせて
「知ってますよ?」
と、答えた。
「何年何組!?今、今何処にいる!?」
「名前なら、一緒にお昼食べる予定になってるんで…この教室に、あ、いたいた、あそこですよ」
「何処!」
「名前、名前ー!」
「よー数馬、遅かっ…………」
長い髪がふわりと舞い、こちらに振り向いたその顔は、間違いなく、今朝僕の顔を殴った女の子だった。
僕の顔を視界にいれるやいなや、彼女は顔面蒼白となり、僕に怯えるように震えはじめた。
ドアを開け教室に入り、彼女へ詰め寄るように足を進めた。彼女の両肩を掴んで視線を合わせると、彼女は僕を見上げて、体を強張らせた。
「君、苗字名前であってるね?」
「あ、いや、その、」
「今朝僕に何をしたの?なんであんなことしたの?」
「せ、せんぱ、」
「僕君に何かした?っていうか、あれ一体なんだったの?」
「そ、それは、」
ガタガタと小刻みに震える小さな体。涙が流れそうな目に、僕はハッと正気に戻った。
これじゃあまるで、僕が彼女を脅しているようじゃないか。
「……き!」
「…き?」
「き、狐が2匹……!」
「……へ?」
彼女は必死に声を絞り出すように、そう言った。
「狐…?」
「狐が、二匹!たた狸が、い、一匹…!小犬が一匹と、に、人間、地縛霊が、3人!せ、先輩に、憑りついていたんです………!!!」
胸に持って行った彼女の数珠が、ジャラと、音をたてた。
「善法寺先輩、名前は除霊師ですよ」
卵焼きを口に運んでいた次屋が、ポツリとそうつぶやいた。
「じょ、じょれいし…?」
「そういう家系ですから、名前んち」
「……ってことは、」
「善法寺先輩に憑りついてたのを、名前が祓ったってことだろ!」
神崎がそういうと、名前ちゃんは、コクリと頷いた。
名前ちゃんは立ち上がり、すいませんでしたと頭を深々と下げた。僕は突然の事にどうしていいか解んなくて、頭を上げてともいえず、えぇとと口を濁らせてしまった。
「す、すいませんでした、いきなり顔面殴ったりして…。その、私まだ修行中の身なんで、もっと穏やかな方法は、まだ教わってないんで…」
「う、うん…」
「……その、先輩に憑りついていたのが、尋常じゃない量だったので…放っておくわけにも行かないと思って…きょ、強行手段をば…」
つまり名前ちゃんの話ではこうだ。僕に憑りついていた霊という存在が、名前ちゃんには血筋上見えてしまったのだとか。無害な背後霊とか、動物霊とか、学校に住み着いているやつは何かしてこない限り名前ちゃんから攻撃はしないのだが、今回僕に憑りついてたのが、中々の厄介者の集まりだったらしい。除霊ということで、殴ったのは霊そのもの。痛みは感じたが、だから痕は残らなかったのだという。
狐やら狸は僕を化かし、地縛霊は僕を操り、子犬は、まぁどっかでついてきたのだろうと名前ちゃんは言った。
「……じゃぁもしかして、ぼ、僕の今までの不運って…」
「…善法寺先輩の体質、ってわけじゃないんですよ、本当は…」
いかにも前々から気付いていました、みたいな口調で、名前ちゃんはそう言った。
どうりで、両親は普通の人間だし、今朝殴られてから一度も不運な目にあっていないと思ったら。そうか、保健室で体が軽かったというのはこれが原因なのか。
「数馬達にも憑いてますけど、そんなに悪いヤツらでもなくて……正直それは善法寺先輩のが影響してたっていうか…」
……どうりで超高校級の不運とか言われるわけだ…。
「…でも、つまり、結局、名前ちゃんが助けてくれたって事でいいんだよね?」
「………そうなん、ですかね?」
「……いやその、なんだかあんまり、信じることは出来ないんだけど…。不運な出来事が起きていないということはこれが事実ってことだもんね…。うん、ありがとう名前ちゃん。君のおかげで助かったよ」
「い、いえいえ、私こそいきなり顔面パンチなんかして…」
「いやぁ、小平太のバレーボールが直撃した時よりはましだよ!」
冗談交じりでそういうと、名前ちゃんは、ぷっと小さく吹き出した。
なるほど、僕の不運は体質ではなかったのか。ふーん、なるほどね、安心した。
「あ、でも一つだけ注意してください」
「うん?なぁに?」
「その代り善法寺先輩は、凄くそういうのをひきつけやすい体質みたいなんで……私如きの除霊では4時間か5時間の結界が限界でございまして………」
そういった瞬間、時計はカチリと針の音を鳴らして、
スピーカーからは授業予鈴のチャイムがなかった。
「………お昼ご飯、食べ損ねた…」
「………あ、また二人…………祓います?」
名前ちゃんが、グーにした手を、ゴキリと鳴らした。
弾丸右ストレート痛いの嫌だから我慢しよう
「…名前のパンチ力上がったよな」
「テレるからやめろ作兵衛」
「ちょっと七松先輩と喧嘩してきてよ」
「孫兵は私が死んでもいいの?」