「月が綺麗ですね」


薄く開かれた扉の向こうから僕らを照らすは、この真っ暗な世界で唯一輝いているものだった。


「…今夜ほど、あの月を恨んだことはありません」

「……そうだね、最高に忍びにくい…」


愛らしい蛇は部屋で丸く眠っているが、僕はまだパッチリ目を覚ましていた。

僕の下で悲しそうな顔をする彼女を眺めがら、僕は先輩を照らす月の光に目を細めた。


「名前先輩、」

「どいて、孫兵」

「……行かないでください」

「…孫兵」

「行かないでください…」


お願いします、と、僕は名前先輩を押さえつける腕に力を込めた。


「帰って、こないのでしょう」

「…」


「…っ、もう二度と、此処へは戻ってこないのでしょう…!!」


名前先輩は、今夜死ぬ。

これは、もう、どうしようもない事実だった。

確実に死ぬと言われた忍務に、名前先輩が向かうことになってしまった。


『私は影に生きる者。死など怖いものか』


それが、名前先輩の口癖だった。

男らしくて、勇ましくて、勇気があって、賢くて、美しくて、とても強いお方。


…なのに、そんな先輩が先ほど、「私は今夜死ぬ」と言った。

僕は耳を疑った。あの名前先輩が、自ら死を語るだなんて。



忍務の内容を伝えることは出来ない。それはご法度だ。

だけど、名前先輩は、今日部屋の荷を全て始末し、学園内にいる名前先輩のペット達の世話を竹谷先輩に全て託すという話をされていたらしい。

名前先輩の部屋には今何もない。


まるで、本当に、もう、死んでしまったようで。


名前先輩が今夜忍務へ旅立ったら、もう、二度と逢うことは出来ない。

忍務のこと、名前先輩のペット達の話を竹谷先輩から聞いて、僕は我慢できずに、名前先輩の部屋へ駆け出した。

たどりついたそこには、空っぽになった部屋にお辞儀をする名前先輩のお姿。

僕が来たのに気付いたのか、名前先輩は驚いたように目を見開き逃げようとしたが、

一歩僕の方が早く、その場で押し倒すような形にして、名前先輩を捕まえた。


「本当なんですか、」

「本当だよ。私は今夜死ぬ」

「……っ、名前先輩、どうして、どうして僕に、教えてくださらなかったんですか…っ、」

「……きっと、孫兵が悲しむと思って」

「僕は名前先輩にとって、それほどにどうでもいい存在だったのですかっ…!!」

「孫兵、」

「何故僕に黙って逝こうとしたのですか!何故、僕に教えてくださらなかったのですか!!」

「孫兵…」


竹谷先輩には話したのに、僕には話してくださらなかった。

竹谷先輩によれば、一年生たちにもこの事実は伝えられていたらしい。

それなのに、僕には一言も教えてくださらなかった。

何故。如何して。


「名前先輩……僕はあなたを愛していました」

「…」

「名前先輩は、僕のことを愛してくださっていなかったのですか」

「…」

「……答えてくださいよ…!!」


死なないでください。どうか、どうか死なないでください。

帰ってきてください。ずっと隣にいてください。


何度だって愛を囁きます。

貴方のために愛を囁きます。


だから、どうか、どうか、遠くへ逝かないでください。



「……孫兵には、知られたくなかった」

「…名前、先輩」

「孫兵、貴方に今逢いたくなかった」

「なんでそんなこというんですか…!!」

「貴方と話さなければよかった」

「やめてくださいよ!!」


「貴方に、出会わなければよかった」

「っ、!」



グイと引かれた腕。崩れ落ちる僕の体を支え口に布を抑え込んできた。


「これから死ぬというのに、未練なんか残して……忍者失格ね…」

「…っ!!」


吸い込んでしまった薬のせいで、一気に視界が暗くなり、名前先輩は僕から離れた。



「…嗚呼、本当に……」



僕の目に映ったのは、大きく浮かぶ、丸い月。

名前先輩は僕の目を、涙がたまった目で覗きこんで







「月が綺麗ね、孫兵」


















































「嗚呼…おかえりなさい、名前先輩」



やはり僕のことを愛してくださっておられたのですね。

僕は貴女を信じておりました。


どんな姿になっても、僕の側へ帰ってきてくれると。


「孫兵、」

「名前先輩、おかえりなさい。僕は貴女のことを信じておりましたよ」

「…孫兵」

「忍務から帰ってきてすぐ眠るだなんて、どれほどお疲れなのですか」

「っ、孫兵…!」

「このような場所で眠られては、風邪をお召しになられてしまいますよ」

「孫兵!!」

「なんですか、竹谷先輩」


眠る名前先輩を囲って、みんなは涙を流して立ちすくんだ。



「…学園の前で力尽きたんだろう…」

「…名前っ……!!」

「よほど、この場へ戻って来たかったんだろうな…」



善法寺先輩が涙を流して食満先輩に抱き着いて、声を殺して泣いた。


そういえば名前先輩、利き腕は何処へ。これではジュンコを撫でて貰えないではありませんか。

美しいあの瞳は何処へ。僕を見つめてもらえないではありませんか。


それにしても、名前先輩、やはりどのようなお姿になってもお美しいですね。









まっかだ。









「名前、先輩」


力なく地に地につく手を握ると、ぽたりと目から涙が流れた。




「…今宵も、月が綺麗ですよ」


きっと、ずっと、永遠に、綺麗ですよ。


































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