「…………勘右衛門さん?」


「あれ、もうバレちゃった?」

「…火薬の匂いがします」

「…くさかったかな」

「…いいえ、とても、落ち着く匂いです…」



外を向いていた顔はゆっくり、"俺がいる方向"を向いた。



「何を見てたの?」

「…何も、見えませんよ」



ふわりと抱きしめると、肺に入る甘ったるい香り。だけどほかの女よりずっとずっと落ち着くような匂い。



「今日は何処へ行ってきたんですか?」

「ここから二十里ほど離れた城だよ」

「また戦なんですか?」

「ううん、それを終わらせてきたんだ」

「勘右衛門さんが?おひとりで?」

「そうだよ」

「凄いですね……じゃぁ、この血の匂いも…」

「……」



懐からふわりと優しく包んでいた花を取り出して、名前の鼻の近くへ持って行った。



「…ぁ、」

「百合の花を見つけたんだ」

「……ゆり?」

「そう、百合」

「…どんな色ですか?」

「真っ白だよ」

「どんな形ですか?」

「少し細長くて、花弁の先は反るように咲いてるよ」

「とっても、良い香りですね。触っても?」

「名前のためにとってきたんだからいいに決まってんじゃん」



何かを探すようにふわふわと探す手を握って、俺が持つ百合の花まで名前の手を導いた。



「?これが、花ですか?」

「あ、そこは葉っぱだよ。花弁はこっち」

「あぁ、柔らかい。これが"百合"という花なのですね」


視線の先は俺の腹。花はとらえていない。

手を必死に動かし、百合という初めての花の形を覚えてようと動かし、顔へ近寄せて、また香りを楽しんだ。





名前は、闇しか見えてない。



俺の顔も見えてない。頼りになるのは匂いと、手で触った感覚だけ。

両目玉にある切り傷は、戦で逃げている最中に、敵の城の兵士によってつけられたものらしい。

ここの花魁に倒れているのを見つかり命拾いをしたが、もう、その目は光をうつさない。


ただの情報収集で入った店で出会った娘。同い年の名前。


とある城の城主がよく出入りしているというこの店。

店の奥に行けば何か情報がつかめるかもしれないと俺は単独行動して店の奥へと足を進めた。



音を立てずに一番奥の部屋の障子を横へずらすと、そこには布団に身体を入れ起き上がっている女の姿。

まずい、と一瞬心臓がハネたのだが、女は俺の方を見向きもしなかった。


ぼーっとしていて気付いていないのかとは思ったのだが、どうも様子がおかしい。

部屋に一歩立ち入ると、畳がギシリと音を立てた。


「!……花魁ですか…?」

「!」


視線は俺の方向へ向いているのに、なぜか俺を花魁と呼んだ。


「……違う」

「!…お客様、でしょうか……」



一向に視線は俺の目を捕らえない。どうなっているんだ。



「……あ、太鼓持ちですか…?」

「…???顔が解らないのか?」

「……すいません…私、目が………」

「!」


驚いて俺は一歩また一歩と女に近づいた。傷がある。これじゃぁ、


「……見えないのか」

「…はい……あ、この部屋には、何もありませんから……泥棒さんなら…別のお部屋を当たってください…」

「……」


俺は泥棒じゃn…いや泥棒か、情報盗もうとしてんだから。


「…失礼ですが、何か、良い香りがするものを身に着けておられますか…?」

「ん、ん?あ、あぁ、えっと、花かな。種類は解んないけど」

「…いい香りがします……」


さっき花魁にふざけてつけられたやつだ。


「…欲しい?」

「……よろしいのですか?」

「あぁ別に、いらないけど」


頭につけられた花をぽんと女の布団の上に投げ捨てた。

だが女は、わたわたと手を動かし花を探し始めた。…本当に、見えてないのか…。


「……はい」

「…!あ、ありがとうございます…!」


鼻の近くに持っていくと、女は嬉しそうに眼を細めて、その花を受け取った。


「……また、持ってきてあげようか…」


「…で、ですが…」

「大丈夫、俺忍者だから。ここぐらいの部屋だったらすぐ忍びこめるよ」

「に、忍者さんなんですか…?」

「うん、そう」

「…それなら、いろんな花をご存じですか?」

「知ってるよ。あっちこっちでよく見かける」

「…では、」

「いいよ、いっぱいお土産持ってきてあげる」

「…あ、ありがとうございます」


俺のいる方向へではないが、女はゆっくりと深く頭を下げた。


「名前は?」

「…私は、名前と申します」

「勘右衛門。尾浜勘右衛門。俺の名前と、俺がここへ来たことは他の人には秘密ね」


はいと頷いた顔は、凄い綺麗だった。
















「勘右衛門さん、今日のお空は何色ですか?」

「残念ながら灰色だよ。明日にでも雨降りそう」

「そうですか、暖かいから晴れていると思いました…」

「明日ドバッと降って、きっと明後日は綺麗に晴れると思うよ」

「そうですか!それなら、勘右衛門さんが持ってきてくれた花も喜びますね」


見えずとも、俺が持ってきた花は大事そうに窓辺に飾られていた。

見えずとも、それが一つ増やしてやる度に名前は幸せそうに笑うのだ。


小さく口づけを落とすと、見えずとも、名前は俺の頬を触って、目元を触って、髪を触って、俺が側にいるということを確かめるのだ。



「ぁ、」

「?」

「傷が……」

「……」

「先日は、ここに傷などありませんでしたのに…」


首筋を触る名前は、今日新しく出来てしまった傷をなぞった。

包帯なんて巻いたら絶対にバレると思って傷をむき出しにしていたのが間違いだったかな。

名前の手の熱で、首の傷はピリリと痛んだ。


「痛いよ名前」

「っ、ごめんなさい」

「ううん、俺も油断してたからいいの」

「…忍務ですか」

「そ、避けて通れぬ忍びの仕事」


首を触る手の指に自分の指を絡めて、ほんのり力を込めて名前の手を握った。

それでも名前は、俺の手にある小さい傷を、小さく小さくなぞっていた。


「…傷だらけですね」

「忍者だからね」

「…忍者の前に、貴方は尾浜勘右衛門さんです」

「…」

「…お体、大事にしてください」

「…名前、」

「貴方は、私と違って、光が見えているのですから……。自ら、闇を求めないでください…」

「……」

「何も見えない私にとって、勘右衛門さんだけが私の光です。私の世界を広げてくれる貴方だけが…」



何もうつっていない名前の眼から、ぽろりと、綺麗な涙が流れた。













「…どうか、死なないで……!」















見えないから君は知らない。

俺の光も、一つ消えてしまったんだということ。


見えないから君は知らない。

俺はもう体中ボロボロで、もう動かなくなるかもしれないということ。


見えないから君は知らない。

最期を悟られたくなくて、沢山の百合の花で、血の匂いをごまかしているということを。






だけど、君は気付いてしまったんだろうね。








「どうか…っ!どうか、私も連れてって……!!」









桜の花びらが舞い散るように、名前の涙がぽろぽろと流れては落ちた。


どうして君は、顔も見たことのない男のためにどうしてそんなにきれいな涙が流せるの?

どうして君は、声しか聴いたことのない男の最期を共にしようとするの?




「名前、」

「貴方が消えてしまうと…!私の光はもう、何も残らないっ……!」


見えぬ目は、確実に、俺の眼を捕らえていた。

初めて、目があったような気がする。



「だったら、貴方とともにありたい…!」



俺が君に教えたのは、その日の空の色と、その辺で聞いた噂話と、今流行の歌と、君の大好きな花の形や香り。

ただそれだけ。ただ、それだけなのに。


どうしてこんなに、俺を必要としてくれるのだろうか。



「……名前、最期に、海を見に行こう」

「……っ、うみ…?」

「聞いたことがないって言ってた潮騒を聞きに行こう。こんな喧しい街の音よりも、もっと澄んでて、綺麗で、落ち着く波の音を聞きにこう」



いつか見たいと言っていた海へ行こう。

高いところから、波の音を聞いて、潮の香りをかいで、







その海に一緒に飛び込もう。







「寒いかもしれないけど、俺が一緒にいてあげるから」

「……」

「いっしょにいこう」



伸ばされた両腕は俺の首にしっかりしがみついた。

激痛が走る両足を窓辺にかけ、持てるだけの土産の百合の花を抱えて、俺は屋根を伝って夜の街を駆け抜けた。


もう少しで海。

もう少しで一緒になれるよ。


崖の上は風が強くて、早くこっちにおいでと海に誘われているようだった。


「これが、海の香りですか」

「そう」

「これが、海の音ですか」

「そう」


見えぬ目は煌々と輝く月を見つめていた。

あれほど嫌いだったものはない。いつだって、俺の影を落としていたんだから。


「ほら、これもちゃんとあるよ」

「…ゆり、」

「そう」

「……勘右衛門さん」

「なに?」

「また逢いましょう。そしたら、面と向かって、貴方の眼をみて、貴方を愛していると伝えたいです」

「……」


涙が流れるその目は、やっぱり俺をとらえてはいなかった。




「……今、」

「え、」

「今、俺と名前眼が合ってるよ」

「っ、」

「名前は俺の眼を見てるよ」



俺が少し体をかがめると、名前と視線がかっちりあった。

今なら目が合ってる。今、伝えてほしい。



「…今まで本当に、ありがとうございました。心から貴方を愛しております」

「ありがとう名前、俺も、お前のことが大好きだった」



行こうと手を握り一歩進むと、

足は地を踏まなくて、


俺たちの体は喧しく唸る波の音へと吸い込まれていった。



























君という花を摘んだ日

二つの光は闇へと消えた
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