あちらこちらで蛞蝓女が雑巾で拭き回り、
あちらこちらで蛙男が慌しく走り回る。


「名前、大湯の掃除は終わったの?」
「バッチリよピッカピカにしたったわ」

「あんた人間の癖に本当に掃除は上手いわねぇ」
「うるさいよ。ろくに掃除も出来ない蛞蝓は黙ってな」

「いやねぇ口の悪いこと。夕餉はどうするんだい?」
「あ、ご飯食べに行くの?私も行く!」
「ほらほら、ちゃんと袴直しな」
「うわ、ごめんごめん」


此処で働かされるようになってから、もう1年は経つ。
引越し先に行く道中にお父さんが道を間違え、突然目の前に現れた大きな赤い建物を、興味本位でくぐってしまったのが、事の始まりである。




ここは、"人"の来ていい場所ではなかった。

私は、神隠しにあってしまったのだ。





建物の向こうには人っ子一人居なくて、ただただ古い中華風な店が立ち並んでいるだけ。店の食べ物を勝手に食べてる親を見ていられなくなって、私はウロウロを町の中を散策していた。


橋を渡った向こうにあったのが、「油屋」という建物。

そこで引き返せばよかったんだ。

ただなんとなく、暖簾をくぐったのを最後に


私は、この建物から出ることは出来なくなった。


中に居た、明らかに"人間ではないモノ"に見つかり、腕を縛られ口をふさがれ、そのまま俵のように担がれ、たくさいる"人間ではないモノ"に見つめられたまま、「大川様」という、おじいさんの下へと連れて行かれた。


『そなたは、人間かのう』
『…あ、あなたは……』
『ほっほっほっ、そう怖がらんでもよいよい。わしはこの湯屋の支配人じゃよ』
『ゆ、ゆや…?』


ここは八百万の神様が身体を癒しに来る湯屋だという。そしてこの支配人がこの大川様というご老人。


湯屋という名の、郭。

言ってしまえば私の世界で言う、水商売をするところと変わりない。


そしてこの人は、私の両親が勝手に店の料理を食い散らかし、両親は豚になったと言った。証拠にとここへ連れてこられたのは、両親の服を着ていた豚。

それも、死骸。

両親は店の主人に家畜小屋の豚が脱走したのだと思い込んで殺してしまったのだと言う。

私は何が起こっているのかも解らず、とにかく泣き叫んだ。この反応があっているのかどうかもわからない。ただただ目の前の「両親」だというモノの前で泣いた。
これが両親だと証拠づけるものは何も無い。服も着せられたのかもしれない。でも、さっきから意味の解らないことばかりが起きている。きっと、これも本当。


両親が食い散らかした料理の分、そして今湯屋に人間が入り込んだというパニックにより客を逃した分を、ここで働いて返せと、大川様は仰った。

両親が殺された。どっちにしろ行く場所なんて無い。私はそのまま、呆然としたままの頭で契約書にサインをした。


きっと、今はもうお金は返し終えてる。なのに何故か、大川様は私を外へと出してくれない。


一年前は人間だということで冷たく当たってきていた蛞蝓女たちも、私が人間だということを「変わったやつ」ととらえはじめ、今ではスッカリ仲良くなってしまった。蛙も私に冗談を言ってくるほどには仲良くなった。コミュ障じゃなくてよかったと3日に1度は思う。

仲良くなった蛞蝓たちが「名前の両親はまだ生きてる」「殺されてなかったよ」と教えてくれたことがあった。突然のことだったが、何で解るの、とは聞かなかった。私も彼女たちももう今はすっかり信頼する仲だ。みんなが私に嘘をつくようなことは滅多に無い。私はその言葉を信じたのだが、

この話が本当だったら、何故大川様は私と両親をこの世界から出してくださらないのだろうか。







半ば諦め、此処で働き始めて、

月日は流れ、もう一年。





今日も各地の神様がお越しになられる。






番台の方が色めき立つ。また凄い神様でも来たんだろうか。私はさっきの蛞蝓とグチをこぼしながら他の蛞蝓より一足早く晩御飯を頬張った。また給料上げろの話か。それ昨日も聞いたよ。


「おい!名前!」


突然、背後から大声で名前を呼ばれた。食堂中の視線がこっちに向く。


「兄役かようるさい!今ご飯食べてんの!」
「うるさいとはなんだ!仕事だ!急いで来い!」
「えぇー、さっき大湯洗ったばっかじゃん…」

「名指しだ!お前を呼んで来いと今番台前でお客様がお待ちだ!」

「えっ!う、嘘、ちょ、ちょっと待っててって言って!」
「馬鹿野郎んなこと出来るか!とっとと行け!」
「くっそー!鬼!」
「蛙だ!」

胡坐をしていてぐしゃぐしゃになった袴をバサバサと叩き番台へと走る。番台の前の周りには凄い数の蛞蝓どもが居た。


「す、すいません!名前です!遅くなりまして…!」


「やぁ、名前ちゃん、会いたかったよ」
「やぁ名前。相変わらず元気そうじゃないか」

「あ!不破様と鉢屋様!」


お久しぶりです!と頭を下げるが、えぇとどっちがどっちだと迷っていると、ほわっと笑って「僕が不破だよ」と不破様が自身を指差した。すいません本当に。


「今日も名前ちゃんに背中流してもらいたいな」
「はい!喜んで!」
「今日は大湯で薬湯にしてくれ」
「畏まりました!番台、札ちょうだい!」

お客様の命令に背くことはご法度。っていっても私が背を流すのを断るわけが無いのだが。

赤い札を受け取り、さっき自分が洗った大湯へご案内する。このお二人は人間である私を大層気に入って下さっている。不破様はニコニコと人当たりのよさそうな笑顔をして、周りの蛞蝓に手を振っているが、鉢屋様にいたっては目もくれず、ただただ案内する私の手を握っていた。反対の手で、不破様もまた然り。これ正直止めて欲しいな。後で先輩方に嫌味言われる原因はこれなんだから。

大湯について札を飛ばす。上から降りてくる紐を引きお湯を張った。んん、この薬湯凄くいい匂い。すぐ満タンになるだろう。一度釜から離れ、二人の脱いだ服を畳んだ。


「名前、もしかして食事中だったか?」
「な…何故それを…!」
「はは、ほっぺにご飯粒が付いているよ」


鉢屋様にベロリと頬を舐められ、驚いて顔を上げると、二人は湯の張った大湯へ飛び込んだ。


二柱は、日本で一番デカイ稲荷神社の主であり、かなり位の高い九尾の稲荷大明神様だ。

風呂にふわりと浮かぶ九本の尻尾をゆらゆらとゆらし、私はブラシをもって風呂の釜へと足をかけた。神様相手に大変失礼なのだが、相変わらずふわふわである。何度もこの湯屋を訪れては、毎回私に背を流させる。もう固定客みたいな感じだ。


「あぁー、やっぱり名前ちゃんの毛づくろいが一番気持ちいいよ…」
「不破様にしては毛並みがぼさぼさですね。お珍しい。それになにやら酷くお疲れの御様子ですが?」

「あぁ、つい先日、御饌津の祭だったんだ」
「みけつ、とは?」

「知らないか。僕らの神社に人間たちが食物を沢山持ってきて、今年一年飢饉とか飢えがありませんようにって願うお祭りだよ」
「へぇ…それで。…いや、それで何故お疲れに?」

「いやぁこれが酷いもんだ。御神体を神輿に乗せて町中を徘徊されるんだよ」
「僕らの心臓的ものはそこにあるって考えてくれても良い位なのに、勝手にあっちこっち連れまわされてさぁ…」
「飢饉も飢えも起こさないから…あれだけは毎年止めて欲しいな…」

「…お疲れ様でございます」


つまりストレスか。

まさか人間のこの私が、稲荷大明神様方の尻尾をブラッシングできるだなんて思いもしなかった。ただ始めは「人間だから」という興味本位で私に声をかけ、背を流させた。
蛞蝓と違って人間界やら俗世間の話に花を咲かせられるからなのか、此処へ来られ私に声をかけてくださる神様方はひどく私を気に入ってくださっている。

たまに私が人間界からきたということを聞きつけ、人間界の色々なものを土産として買ってきてくださる神様もいらっしゃる。向こうの物を持ち込むのは禁止なのに、「私の土産が受け取れないのか」と言われては、断るわけにはいかない。大川様も其処は目をつぶってくださる。

全ての尻尾のシャンプーを追え、毛づくろいも終え、とりあえずひと段落である。ふぅと溜息をつくと、ふわりと尻尾に撫でられる。顔を上げると、風呂の釜に肘をつき、にやにやしながら私を見下ろす鉢屋様の姿。あぁその顔は、OKということですね。


「…し、失礼します!!」
「あぁ、好きにしな」

ぼふりと尻尾に飛びつき、全身で尻尾を堪能する。
蛞蝓の話によると、「あの神様方はなかなか他人に身体を触らせない」という。それなのにこんなことをしても許してくださるだなんて、私どれだけ変わりもんだと思われているんだろう。

十分にもふもふしていると、ふわりと身体に尻尾が絡みつき、私は湯の中へと落とされた。


「っぶっは!熱ッ!熱い!なにするんですかまじで!」
「ハッハッハッ!お前ぐらいだよ私たちにそんな口利けるのは!」
「ひぃい!服びしょびしょになっちゃったじゃないですか!」

ザバザバと深い大湯の釜から溺れないようにお風呂のはじへ向かうのだが、不破様の尻尾がそうはさせてくれない。


「離してくださいよー!」


「…なぁ名前、お前、私たちと一緒になる気はないか?」

「離し………え?一緒って?」


未だに絡みつく尻尾に引き寄せられ、私は不破様の目の前に移動させられていた。


「もっと解りやすく言ってやろうか。私たちは、お前を身請けしようと思っている」


「…み、身請け……!?」
「シッ!名前ちゃん、まだあまり大きい声で言ってはいけないよ」


身請けとは、客が莫大な金を払い、ここで働く従業員を引き取ることだ。

私を、この神様方が、身請けされる…!?


「大川様が名前をここから出したがらない理由がやっとわかったよ」
「名前ちゃんの側は心地よすぎる」
「これではここから出しても、お前はまたすぐ神隠しに会うことは目に見えている」
「何処の馬の骨が名前ちゃんを奪う前に…」


「名前、私たちに抱かれろ。妖狐となれ。この先1000年、私たちの側にいろ」

「は!?」


「つまり、名前ちゃんにはもう一度神隠しにあってもらいたいんだ」

「私たちはひどくお前を気に入った」
「きっと社に来てくれれば楽しい日々を送れる」

「此処はつまらん上に遠い。名前に逢いに来る以外に目的もない。それに、此処へ来ればお前は他の神にいいように侍らされているという話を聞く」

「それが例え僕たちの上にいる天照や月読、四神であっても、僕らもそろそろ我慢が出来ない」

「私たちに抱かれれば、私たちの妖気がお前に入る」

「僕らと共に生きて、僕らと共に死ねるぐらいには、長生きできるよ」



「だが、私たちは気が短い」
「出来れば、今すぐ返事が欲しい」

「仲良くなった蛞蝓どもを捨て」

「心を許した蛙どもを捨て」

「生きていると噂される両親も捨て」

「人間を捨て」


「「私たちと此処を出よう」」



身請けの話は、以前他の神様にもされたことがあるのだが、全て断ってきた。いや、本当は身請けされる側が断っていい話なんかじゃない。だけど、私は此処を離れたくなかった。

両親が、まだ居るはずなのだから。



「わ、私は…」

「…やっぱり、ダメ?」

「……ここには、両親がまだいるはずです…だから…」


「……そうか。それなら仕方ない」



尻尾をふわりと放し、私の身体を解放して、お二柱は湯から上がり、あっという間に着物に着替えた。



「名前、」

「は、はい」

「この店は、客に逆らうのはご法度だったな」

「は、はいそうです」





「私たちは今夜此処へ泊まることにする。仕事を終えたら、寝間着に着替えて私たちの部屋に来い。これは命令だ」

「大川様へは先に話をつけておく。荷物をまとめてきた方がいいかもしれないね」











逃げられると思うな。










と、いう副音声が聞こえた。



此処は、八百万の神様が疲れを癒しに来るお湯屋。

お客様の命令に背くことは出来ない。










…私は、今夜狐になるのだろうか。















お客様は神様です!

そしてとびきり肉食系男子のお狐様です。




某神隠しアニメパロでした。
短編なのに全然短くないシリーズ。
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