不審者。
ただ一言それだけが頭をよぎった。いや、不審者というか侵入者か。侵入者にしては馬鹿丸出しだ。扉の向こうからこっちを覗き込んでいる少年二人はバンダナを頭に巻いているが長い髪がふわりと宙で揺らめいた。そもそも、部屋に侵入されているということすらもおかしい事だ。彼らが誰なのかと考える前に、一体いつ侵入されたのかと考える方が先だろう。引っ越しの業者さんが荷物を中に運んでくれている間に入られたのか?いやそれに気付かぬほど馬鹿揃いの業者ではあるまい。私だって全く気付かなかった。じゃぁいつからいたんだ?私たちが来る前からこの部屋にいたってのか?いやいやそれは少年とはいえ立派な住居侵入。うわ若き乙女(笑うところ)の部屋に無断で侵入し剰えまだ足を踏み入れていない部屋から覗いているとは。彼らは叱るべき存在だ。立ち上がり一歩一歩近づくと、姿がバレていると知っている彼らも退くわけでもなくギイと扉を大きく開いた。
だがその先に見えた景色に驚愕した。少年の背景に、なぜか海。
「……え、」
「お姉さん誰?これで六人目だね」
グレーの長い髪をくるくると指先でまわしながら少年は私を見上げていた。ドアに隠れていてしゃがんでいたのか。いやそんなことどうでもいい。何故だ。ここはマンションの六階だぞ。一階で向こう側に海でしたとかなら………いや納得できない!!なんだこれ!なんで部屋の中に海!?どうなってんの!?
「はぁ!!?!?!?」
「この反応も六回目だね重」
「当たり前だろ。部屋の中に海が広がってたまるか」
裸足のまま前進した。扉の向こうは謎の部屋?小屋?のような場所で、もう少し進むと完全に砂浜。確かに足の感覚はある。これは砂の感触。そして聞こえるのは波の音に風の音。聞える潮騒はまごうことなき目の前に広がる広大な海から。驚愕している。此れは一体どういう事なのか。これはどこへでもいける系のドアか。んなわけないか。いや、それにしてもここはどこなんだ。なんで。私はさっきまでマンションにいて、引っ越し作業中で、まだ荷物が片づけ終わっていないから、開いてる部屋に荷物を移動させようとして…。
「……君ら、何?」
「えっ、今?」
「俺たちは兵庫水軍。海賊ですよ」
「…………KAIZOKU?」
膝をついて砂を触っている私にどうぞと手を出してくれたいい感じに日焼けした青年。ありがたくその手を取り立ち上がると彼は私より身長が小さかったようだ。全然気づかなかった。青年は目をパチクリさせ「意外と身長大きいんですね」と言ってヘラリと笑った。何笑ってんだてめぇ失礼だぞ。
「待って…き、聞きたいことは色々あるんだけど……その、えっと………」
「お姉さんで六人目ですよ。あそこから此処に現れたの」
「そう!!そこから聞きたい!!なんだって!?私で六人目!?」
跳ね起きて青年の胸ぐらを掴みそう問うと、まぁまぁと私を落ち着かせるようにその握った拳をゆっくり開かせ私に深呼吸を差せた。不動産屋の人が言っていた。此処に今まで五人が住んで、五人が行方不明になったと。これで私は六人目?ってことは、私は六人目の失踪者になるってことか…!?
「あそこの扉から、過去に五人、あなたみたいな恰好をした人が現れましたよ」
「そ、その人達は今何処に…!?」
「一人目五人目の女はこんな時代に住みたかったと何処かへ行ってしまいましたよ。二人目の女は何故か入水しましたし、男は二人とも、金も払えないのに色町に行ったもんだからタダ働きさせられてるんじゃないですかね?全員面倒くさい連中だったからほっときましたけど」
淡々と話す彼の言葉の中に、何かおかしい単語が何個も入っていた。入水?色町?ただ働き?っていうか、この時代って?
「ここ、何処なの…」
「尼崎の海ですよ。お頭の縄張りです」
「あま…?!じ、時代って!?」
「室町ですけど?」
「ムロマチ!?!?!?!?」
過去の五人が同じ反応をしたのか、二人は全く私のリアクションに動じなかった。
室町時代?の?尼崎?で?ここは海?ということは?なにこれ?タイムスリップ的な?扉の向こうは不思議な町でしたってか?なんなんだよこの曰く付物件は。とんでもないもんつけてきたなおい。後ろを振り向いて見える小屋の奥の扉の向こうは確かに私の部屋だ。段ボールの詰まれた部屋。もう一度振り向いてみると、ここは海。これが現実だなんて受け入れられない。いやこんな簡単に受け入れる方がおかしいだろう。
「あ、俺の名前、重っていいます」
「俺網問っていいます!」
「…え、あ、はい。…市松、葵衣です…」
宜しくと差し出された手。これは握手でいいんだよな。海賊っていってたけどどうみても十代。殺される心配はないだろう。握ったその手は傷だらけで、顔にも少しばかり傷がある。海賊。海賊か。水軍。本物の水軍。そして目の前に広がる海は、本物の海。彼らの言葉は、どうやら、認めたくはないが、本物みたいだ…。
私は腰に手を当て大きくため息をついた。大体話が読めてきた。これを仮にどこにでもいける系ドアとしよう。青狸はいないがそういうことにしておこう。つまりこれはタイムトリップ。室町時代ですなんて嘘ついて部屋の中に海を作るような壮大なドッキリでもなさそうだ。最初はトリックアートかとも思った。だけど風、匂い、音。どれをとってもリアルすぎて、作り物には到底見えない。あのマンションのあの一室は、つまり曰く付物件ではなく、別の空間へ移動できる部屋だったということ。あの部屋はこの扉一枚を隔てて、過去に行けるという謎のファンタジー要素たっぷりの部屋。過去の五人は理由があって部屋から姿を消した。でも不動産屋の人や警察はこの部屋を知らないから失踪と片づけたのだろう。
勝手に推測するに、此処に来れる人のキーワードは「契約者」ということだろうか。あそこに住むことになりました、という契約を私がしたから、私はここへ来れたということだろうか。他の人には解らない秘密の部屋。だからだ。不動産屋の人が「一室だけ空っぽの部屋があった」と言っていたのはこの部屋のことだったんだ。そりゃぁ荷物が置けないんだから家具などが残っているはずもない。それがこの部屋か。そこだけ物が盗まれたわけじゃなかったんだ。なるほどなるほど、頭がだいぶ落ち着いてきたぞ。
「……理解した」
「早いですね」
「今迄の人は半日は暴れてましたよ」
「いや、これでも大人だからね。で、えっと、私はどうすればいいのかな…」
「別に、特に何もしなくていいんじゃないですか?」
「俺たちこの扉隔てたこっち側にいますから。いつでも遊びに来てください!」
「あ、そうなの…」
漫画の読みすぎだろうか。トリップをした主人公はこの時代でするべきことを成し遂げると元いた世界に帰れるというルール的な物があるが、私は別にそういうのはないようだ。だって扉を開ければ室町時代。扉をくぐれば平成。なるほど、本当に何もすることはなさそうだ。向こうも平成原人には慣れているご様子だし。
「…水軍て、二人だけ?」
「いや、お頭たちは今船に乗って鯨を取りに」
「ほ、捕鯨…」
「俺たちはお留守番です。この間怪我しちゃって」
捕鯨が許可されているとはやはり此処は昔なのだな。重くんと網問くんと名乗った二人はほらと傷を見せた。網問くんは足に。重くんは腕に。わぁ痛そう。
「葵衣さんは、えっと、今日あの屋敷に?」
「あ、うん。引っ越してきたばっかり」
「お引越しですかー!それは大変でしたね!荷解き手伝いましょうか?」
「ううん大丈夫大丈夫。そんなに大荷物じゃないから」
「そうですか。あの!今度向こうのお部屋遊びに行ってもいいですか?」
「あ!俺も行きたいです!前の人たちこっちに来るばっかりで向こうに入れてくれなかったんですよー」
「私は構わないよ。その、とりあえず、お頭さんて人が帰ってきたら、御挨拶だけさせてもらえたらと…」
「解りました!伝えておきますね!」
「そしたら呼びに行きますよ」
「あ、ありがとう」
なんなんだこの会話は。お隣さんにもまだ挨拶してないのに扉の向こうの住人とこんなに仲良くなってしまうとは。現実離れしていることがあまりにも多すぎる。とにかく、ここは兵庫水軍という海賊さん方が寝泊まりする館なのだという事も解った。過去五人の軽い説明も聞いた。私は何年振りかに目にいれた海の景色に少々感動しつつ、ポケットに入れていたケータイを取り出してその海を一枚だけ撮影することにした。
「あっ、前の人たちと同じことしてる!」
「形は違うけどかしゃって音は一緒だな」
「……あぁ解った!」
「へっ!?」
不動産屋がいってた。財布は置いてあるのにケータイはない。おそらくこれは現代の金が使えないから財布は置いて行ったんだ。でも景色だけはケータイに収めたいという現代人の病気が成した結果だ。みんなケータイだけ持ってこっちの世界に来たんだ。なるほどなるほど。これで全てが繋がったぞ!!
とはいえこれは不動産屋の人には話せないな。過去にトリップ出来る部屋でしたなんて言って信じてもらえるかと言ったら、その可能性は零に等しいだろう。
「ううんごめんねこっちの話。えぇっと、じゃぁなんだ。私向こうに戻るから」
「あ、はい!なんだか奇妙な縁ですけど、宜しくお願いします!」
「葵衣さん今度そっちに…!」
「解った解った!招くから!今度ね!」
網問くんという青年はどうもこっちの世界に興味津々のようだ。それにしても二人とも顔面偏差値高いな。中型犬が二匹といったところだろうか。
疑いながら海を眺めつつ、浜辺からこっちに手を振る二人に手を振り返しながら、私はゆっくり扉を閉めた。…そしてゆっくり小さく扉を開いたが、やはり見えるのは木の壁きの床。水軍の館だ。うん、夢じゃなかった。
振り返って積んである段ボールの山を見て、やっと現実に戻って来れたとその場で大きく息を吐きながら床に座り込んだ。これはまたとんでもないマンションに引っ越してきてしまったもんだ。曰く付?幽霊が出る?いやそんな生易しい問題なんかじゃない。過去に行ける部屋があるなんて素敵じゃないか。何が自殺しようと思っていた時期もあったし死んでもいいからこの部屋にしようだ。最高の物件を見つけてしまったではないか。生きていく楽しみができた。これは誰にも言えない秘密だ。扉の向こうは燦々と輝く太陽に煌めく海。そして可愛い少年が二人。荷解きが終わったらもう一度向こう側へ遊びに行こう。そして現実を確かめよう。
かなりの時間を費やしやっとの思いで荷物は全て片づけ終わった。服良し、食器良し、本良し、パソコン良し。同じ階の人にご挨拶も済ませたし、お次は昼ごはんでも作ろうかな。あぁそうだ。なんだったらあの二人をこっち側に呼んでみよう。本当に行き来できるのか彼らで実験しよう。畳んだ段ボールを玄関に重ねておいてリビングとキッチンのスペースを確保し、私はもう一度あの扉に近寄った。誰かいるか解らないが一応ノックをして扉を開くと、館の中には誰もいなかった。あれ、重くんと網問くんは…。あぁ、外かな。
「重くん…?網問くーん…?」
館の中にはいないようなので外に出ることにしよう。
「ただい……」
「しげく……」
出入り口の戸の向こうからヌッと現れた長身のイケメンの、恐らく海賊さん。今あきらかにただいまと言おうとしていたはず。謎の赤毛イケメンはビショビショに濡れた髪をかきあげながら館内に入ってきた。ヤバイ。めっちゃ見られている。っていうかこの人重くんでも網問くんでもない。どちら様だろう。この館に入ってきたということはイケメンだけど海賊でしょ。そして明らかに年上。ヒッと息をのみイケメンを見上げると、彼は色気全開で微笑んで逃亡をはかる私の腕をつかんで阻止した。
「君、女の子だよね?ここが海賊の館って知って迷い込んd」
「いやぁぁあああ痴漢んんんん!!誰か助けてええええええええええええええええ!!」
「え!?ちょっと!?」
「こらあああああああああ義丸なにしてんだお前!!」
「イッデェ!!お頭!?」
「あー!葵衣さんが早速襲われてる!!」
「大丈夫ですか!?未遂ですか!?」
「重くん網問くんんんんんんんんんん!!!」