富松作兵衛という少年は、ちょっと礼儀正しすぎる至って普通の男の子だった。どこから湧いて出たのか知らないが、気が付いたらうちのベランダで倒れていたのが出会いという奇妙な始まりだが、一緒に生活してみればどうということはない。住まわせてもらっているのだからと自ら皿を洗い部屋の掃除をして、暇になったらテレビを眺めるか小学生用の算数ドリルをしている。仕事から帰ってくれば笑顔で出迎えてくれるし、ペットを飼いはじめたと錯覚してしまうほどの出来のいい子だった。

「名前さん」
「どーした?」
「夢の国っていうのは、どういうところなんですか?」

そんな彼も最近は徐々に帰る方法よりもこの世界のいろいろな事についての知識探求に勤しんでいる。今日も私が買って来た雑誌をめくってはネズミーランド特集と大きく書かれたページを開いて頭に疑問符を浮かべていた。

「一間越えの鼠が人に襲い掛かり」
「っ!?」
「一間越えの熊が人里に下り」
「は!?」
「一間越えの家鴨が武器を持ち」
「へ!?」
「一間越えの茶虫が人の家に寄生する」
「え!?」

「そして人々は叫び、踊り狂い、夜になると不思議と誰もいなくなる。…そういう国」

間違ったことは何一つとして言ってはいないが、作兵衛は雑誌を持つ手をバサバサと音を鳴らすほどに震わせ顔を真っ青にしていった。雑誌に載っている女の子たちは笑顔で写っているというのに、私の話とはまるで違うとでも言いたそうな顔だ。

「あははは冗談冗談。鼠っていうのはこのキャラだよ」
「…へ?これ?」
「熊はこれ。家鴨はこれで、茶虫はこれ」

そりゃぁその言葉通りに信じていれば地獄絵図しか出てこないだろう。可愛いキャラが目に写ったからか、作兵衛は心底落ち着いたようにため息を吐いた。

「行きたい?」
「えっ」
「行こうか?明日は丁度休みだし、連れてってあげるよ」

時刻は夜の8時半。この時代は夜でも昼の様に明るいんですねと目をしぱしぱさせていたのはちょっと前の話だ。作兵衛は当たり前の事を言っているだけなのだろうけど、作兵衛が発する言葉の一つ一つがまるで詩のようで聞いていて楽しかった。昼のようだと例える電気。季節を越えた風を出す扇風機。星はないけど空はある。人は溢れるほど居るのにちょっとした戦争もない。其れなのにみんな、幸せそうに見えると。

作兵衛の世界がどんなだったかは知らないけど、君たちがいた世界よりは、おそらく戦争もないし、つまらない事で命を狙われたりもしないと言えば、とても嬉しい事だと作兵衛は笑ってくれた。

「い、行きたいです!連れて行ってくだせえ!」
「良しきたいいとも!凄い広い所だからね、その友人二人はいなくて正解だったわ」

「あ、あぁ…左門と三之助……。あいつら今頃何してるかなぁ」
「早く帰る方法見つかると良いんだけどねえ」

しまった。その二人の名前を出すのはタブーだった。左門と三之助という友達は、作兵衛が手を焼くほどの歩方向音痴の問題児。作兵衛がいつも彼らの手を握っていたらしいのだが、そうなると今は一体誰が彼らの世話を見てくれているのだろうかということで、作兵衛の頭の中はいっぱいらしい。

「まぁそのうち帰れるでしょう。それまでゆっくりしていきなよ」
「すいません本当に、ありがとうごぜえます」

作兵衛のポニーテールは今は首元で結んでいる。初めて外出する際、その髪をしまう帽子を悩んでいる時、髷は邪魔ですかと言われて焦った。別に邪魔じゃないけど、斬ろうとクナイを構えるのだけは勘弁してほしいと思ったからだ。いまじゃその尻尾の様な長い髪も可愛いと思えるほどだ。たまに三つ編みとかして怒られるけど。

明日の予定も決まったことだし、仕事も終えてパソコンの電源もきれば、作兵衛も眠そうに目をこすっている所だった。珍しく甘えたな作兵衛を抱えベッドに連れ込むのだが、もう夢の世界へは秒読みって感じだった。

「名前さん、俺もちろん向こうの世界には帰りてえですけど…」
「うん?」

「…もう少し、名前さんともいてえんです。これって我儘ですかね」

口元まで布団をかぶってそう言う彼のなんと愛しい事か。赤くなりつつあるほっぺを撫でて「そんなことないよ」と言えば、彼は安心して目を瞑ったのだった。


「私も作兵衛といたいもの。作兵衛が来てから毎日楽しいよ」
「…うれしい、です…。そりゃぁ…よかっ…」


神様どうかこの子が笑って過ごせる毎日をください。

彼が笑ってくれるのなら、向こうの世界へ返してあげてくれても構わないのです。


「おやすみ、作兵衛」
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