「名前さん」
「やぁ作兵衛。性懲りもなくまた来たね。先輩方に見つかっても知らないよ」
「今日も未来のお話、聞かせてくだせえ」

ジャラリと鳴った名前さんの足に繋がる鎖は重々しく地面を這った。名前さんは俺が中に入って来ると途端に笑顔になって待っていたよと俺の汚れた顔を撫でてくださった。牢屋の鉄格子は一本格子が壊れている。それを外せば、簡単に中に入ることができた。

「その前に、ここ、寒くねえですか?」
「大丈夫だよ、作兵衛がいるからね」
「お、お腹減ってると思って…」
「わぁ、ありがとう作兵衛。嬉しいよ」

懐から竹筒に入った雑炊を渡すと、名前さんは嬉しそうにそれをゆっくり飲み始めた。どこぞの曲者の食事法だが、こんな時には役に立つ。

相変わらず、学園は名前さんに冷たい。鎖をはめ牢の中に閉じ込め、「天女」と騒ぎ立てては陽の光も当てさせない。この人は違う。今までの天女とは何もかもが違う。仕事もしてた。俺たちを心配してくれた。先輩方がおかしくなったんだ。未来から来たってだけで「天女」と呼んで、何もしていないのに牢の中に閉じ込めた。先輩たちはイカれちまった。全てが全て、あんな連中じゃないって、どうして解ってくれねえんだ。

「御馳走様作兵衛、とっても美味しかった」

名前さんはこんなにも、優しくてあったけぇのに。


「さてと、今日は何処から話そうとしてたんだっけ?」
「えっと、名前さんが歌に目覚めたって所まで聞いて…」
「あぁそうそう。高校時代ね。えーっと…十五から通う学び舎で、軽音楽部っていう部活があってね。そこでボーカル…ううんと、歌う人をやってたの」

名前さんは向こうの世界の話をしてくれるとき、俺では解らねえ言葉はちゃんと通じる様に直してくれる。おかげで南蛮の言葉の知識も増えたし、面白い言葉もたくさん覚えた。それに、名前さんがどんな暮らしをしていたのかも解ってきた。一人暮らしで仕事をしていて、仕事をしている傍らで趣味でいろんなところで歌を歌っているとか、唄を作っているか。お金はなくても幸せな生活をしてたと話してくれた。

そして突然、理由もわからず、この学園に落ちてきた。

名前さんはこれで、実に五人目の天女だった。過去四人は暴挙に暴挙を重ね、好き放題荒して消えて行った。消えたなんて上級生の先輩方は仰っていたが、消えたなんて嘘だ。消されたんだ。全ての天女は先輩方に殺された。一人目は物珍しさで学園で保護という形で住まわせた。だがあまりにも横暴で好き勝手やるので、おそらくとうとう先輩方の堪忍袋の緒が切れたのだろう。彼女は突然姿を消した。二人目が落ちてきた時は目を疑ったが、その女も消えた。三人目、四人目も、あっという間に学園から姿を消した。

その後実習中の俺たちが、裏裏裏山の古井戸で、四人の白骨化した遺体と見覚えのある着物の山を見たときは言葉を失った。殺された。天女と呼ばれた女たちは、あの先輩方に殺されたんだ。将来プロの忍者を目指す俺たちがこんなことで腰を抜かすとは情けないとも思ったが、仕方ない事だとすぐに心を落ち着かせた。あの女たちは、死んで当然だった。先輩方に甘え俺たちには冷たい目を向け、仕事はせず、男を誘惑しているだけ。あんな女達、忍術学園にいるべきではなかった。

そして五人目の天女が落ちてきた時、全員がまたかと頭を抱えた。今度はいつ消えるのか。そう思っていたのだが、今度ばかりは様子が違った。それは天女が落ちてきた初日。俺が三之助と左門を捕まえて長屋へ戻ろうとしていた時のこと。天女用にと化された部屋の前を通り過ぎたとき、泣き声が聞こえた。すすり泣く声。鼻をすする音。三人揃ってそっと戸を開け中を覗くと、天女は聞き覚えのない名前を何人も呼び続け、そして、涙を流し続けていた。今迄の天女はまるで俺たちに逢うためにきたとでもいうかのような物言いだった。やっと会えた。そう言っていた。だが彼女はどうだ。帰りたいと泣き、俺たちじゃない誰かの名前を呼ぶ。


俺たちは思った。今度の天女は何かが違うと。


翌日、食堂の皿洗いをする天女を見た。食堂のおばちゃんが悪いわねえと言いながら皿を渡すと笑顔でそれを受け取っていたのだが、カウンターに並ぶ俺たちには目もくれようとしなかった。まるで見たくないとでもいうかのように。皿を洗い終えれば残り物で良いから恵んでくださいとおばちゃんに頭を下げる。おばちゃんはやめてちょうだいと慌てたように天女の頭を上げさせたのだが、彼女はこれでいて当然だという顔を上げて見せた。食事は最後に一人で。そして食事が終わればそれを洗って食堂を後にし、事務の仕事に専念していた。


「ねぇ藤内。僕、今度の天女様に落とし穴に落ちた時助けて貰っちゃったよ」
「…僕も天女様の方に手裏剣すっぽ抜けちゃったのに、逆に怪我はないかって心配されちゃったよ」
「僕も、ジュンコ探すの手伝って貰ったよ。今までそんなこと、言われたことなかったのに」

「…俺も、委員会で疲れて倒れてたら、慌てた顔して濡れたタオルとお水くれたよ」
「僕も迷子になってたら、作兵衛探すの手伝ってくれた…」


「……俺思うんだ。あの人、今までの人と違うんじゃねえかって」


五人は揃って、首を縦に振った。俺もそうだった。左門と三之助を探して走り回っていた時、曲がり角でぶつかってしまった。慌てて頭を下げたのだが、逆に謝られてしまった時はどうしていいのかわからなかった。如何考えたってあれは俺が悪かったのに。謝られて、しかも、心配までされてしまった。

「…先輩方に話してみようよ、警戒しなくても、いいかもしれないって」

藤内がそう提案して、次の日俺たちは先輩方に相談してみることにした。

それがいけなかった。先輩方は突然そんなことを言う俺たちが、ついに天女に何か仕掛けられたのだと勘違いして牢に入れることを決めてしまった。俺たちを含め、下級生全員でそれを止めたのだが、上級生に俺たちの声が届くわけもなく、その日の夜から、名前さんはこの牢屋に入れられることになった。名前さんも名前さんだ。「そっちがそう望むなら」と自ら牢屋に足を進めたのだから。

今度ばかりは先輩方も俺たちに配慮してか名前さんを殺す気配はない。だが殺してやりたいという気持ちは見えている。名前さんが入れられている牢屋の中には布団も何もないのに、たった一本の短刀が用意されていた。死にたければ勝手に死ねと、そう言いたいのだろう。名前さんは最初こそ本物の刀だ、と馬鹿みたいに感心していたが、徐々にその意味に気づき始めたのか、牢屋の隅にそれをおいて、近づかないように反対側で座り込んでいる。食事はおばちゃんがしっかりした物を用意しているはずなのだが、此処へ来る間に誰かが食べるか捨てているのか、量は半分以下しか届かない。だから俺たち三年生がこうして、食事を届け、暇しないように話し相手になるため逢いに来ている。今日は俺の番だ。外で見張り役として数馬と左門が待っている。

「名前さんは歌を歌うのが好きなんですか」
「うん。何よりも大好きだったなぁ」
「…き、聞いてみたいです。名前さんの世界の歌」
「……うん、歌ってあげたいけど、もうここじゃ無理ね。誰にも届かないもの」

名前さんはざらりと自分の喉を撫でた。一体どれくらいお風呂にも入れて貰えてないのか。満足に水分もとれず、食事ももらえず、ただ鉄格子から漏れる光だけを頼りにこの中で暮らして、正気でいられる方が逆に凄いと思うほどだ。

「…外に、出てえですか?」
「そりゃぁねえ。邪魔にならない程度にでいいから、外で生活したいし、お日様の光も浴びたいわ」

そうはさせぬと、足の鎖が重く言う。


「そうだ。時友くんは元気にしてる?最後に会った時はマラソンで倒れていたけど」
「えぇ、めちゃめちゃ元気ですよ」

「じゃぁ皆本くんも大丈夫ね。あと摂津くんは?アルバイトの約束、確か昨日だったから…。私の代わりに謝っておいて貰えないかな」
「解りました。伝えておきますね」

「今福くん勉強教えてくれたお礼にって美味しい団子を御馳走してくれるって言ってたけど、それももう無理ね」
「それも、伝えておきますよ」


「どうもありがとう。…作兵衛たちのおかげだよ。私があれに手を伸ばさないで生きてられるのは」


名前さんが指差した先にあるのは転がる短刀。あんなもの、あんなもの。あんなもの誰が置いたんだ。酷い。最低だ。人間の屑。鬼。

この人はこんなに優しい。こんなにもあったかい。

過去の事に恐れて今の正しい判断もできねえなんて、そんなの、そんなの、俺が憧れた先輩たちじゃねえ。


これじゃぁ、どっちが本物の「天女様」だか解りゃぁしねえ。


「作兵衛、作兵衛、もうすぐ見回りの先生が来るかもしれないよ!」
「今日は退くぞ!また明日来ますね名前さん!」
「数馬、左門、こんばんは。今日もありがとう」

「おう解った!じゃぁ名前さん、あれだけには手を伸ばさないでくだせえ。絶対に、俺たちがなんとかしてみせますから」
「…ありがとう作兵衛。お前たちは本当に優しいね」



滑り落ちたそれは月の光かはたまた涙か。あんな表情が演技なわけがねえ。

どちらにせよ、もうあんな名前さん、見ていられない。



「作兵衛、泣かないで」
「ごめ…っ!悪い、数馬…っ!」

抱きしめられて背中を叩かれ、我慢できずに涙をこぼした。情けねえ。情けねえ。あんなに優しい人一人助け助けられねえなんて。俺は、なんて情けねえんだ。



「…作兵衛、僕もう我慢の限界だ。潮江先輩と刃を交えてでも、六年生から名前さんの鎖と牢屋の鍵を奪うぞ」



左門が怒ってる。数馬も怒ってる。俺の背後に落りたった気配が三つ。それも、怒りの気配を纏ってる。

「竹谷先輩が仰っていた。牢屋の鍵は食満先輩が管轄していると」
「立花先輩がこの間、廊下で中在家先輩に小さい何かを渡している所を見た。多分、名前さんの足枷の鍵は日替わりで持つことにしているんだ」
「七松先輩が言ってた。逃げたら殺すって」

逃げたら殺される。逃げなくても殺される。あんなに優しい人が、イカれた先輩たちに殺されるところなんて、絶対にみたくねえ。もしそうなったとしたら、俺たちは一生先輩方を恨み続けることだろう。


「…だったらやるべきことは一つだ。六年生の先輩方に今から奇襲を仕掛ける。…何があろうと、絶対に引くんじゃねえ!!」


各々が散った六年長屋。数馬と一緒に部屋の天井裏に忍び込み、六人揃って天井から真下へと飛び降りた。


金属が重なり合わさる音。それは俺の横からも聞こえた音だった。



「…数馬、此れは一体どういう事だい…っ!」

「よくお解りのはずです。名前さんの足枷の鍵、誰がお持ちか吐いてください」



俺の真下の先輩も同じく、全く予期していなかったであろう出来事に、冷や汗を流して俺を睨み付けた。





「作兵衛っ…!お前…!これは一体、なんのつもりだ…っ!」

「あんたを殺したいと思うのはこれが初めてですよ、食満先輩。名前さんの牢屋の鍵、大人しく渡してもらいやしょうか」





心優しい彼女が再び太陽の下で笑ってくれるのなら、

俺たちは今、月の下で散っても構わない。
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