目を覚ましたはずなのに視点が定まらない。私の腕枕で寝ている数馬すら、重いと感じるこの原因は…。


「頭痛い…」


まぁ、間違いなく風邪なんだろうけど。

「もしもしお母さん…風邪引いたっぽい…」
『え?あら声が酷いわねぇ。今上行くわ』

時計を見るとお弁当を作るためにいつも起きる時間より少し早い。アラームが鳴る前に覚めてしまったとはいえ此の身体のだるさでは二度寝することすら無理だろう。一階でもう朝食の用意をしているであろうお母さんにそれを伝える為二階から一階へ電話をかけた。ぱたぱたと階段を上がってくる音がする。部屋の鍵開けっ放しでよかった。お母さんが入ってきて空気を入れ替える為カーテンを開き窓を開けた。

「あら、本当に熱いわ。結構熱ありそうね」
「う"ーやっぱりぃ…」
「いま体温計持ってくるわ。ちょっと待ってて」

ぼふんと枕に逆戻り。額に手を当て深呼吸するが、のども痛けりゃ頭も痛い。こりゃ割と酷い奴かな。そうだと解れば数馬を今すぐこの部屋から追い出さなくては。私は隔離されなきゃいけない身。数馬に少しでもこの風邪菌が移ったら一大事だ。

「数馬―、ちょっと早いけど起きてくれるー?」
「んー…」

くっついて寝る数馬の肩を揺らすが、やはりいつもより早い時間だからか中々覚醒しない。これが元気な私ならもぞもぞするところすら写メにおさめてやるというのに…。風邪の魔力の恐ろしきことよ。再びお母さんが入ってきて私に体温計を手渡すが、それより先に数馬をと横で寝ている天使を指差した。名を呼びながら数馬の肩をゆすると漸く覚醒したようで、もぞりと体を持ち上げた。だがしかし


「お"はよう"ございますー…」

「数馬ああああああああ!?」


数馬のセクシーボイスが、やられていた。








「学校と幼稚園には連絡しておいたからね。じゃぁお母さんPTAの会議あるから出かけるけど、ちゃんと寝てるのよ?お昼ご飯はおかゆ作ってるからそれあっためて食べなさいね?あと薬も出してあるから食後にちゃんと飲みなさい?いいわね?出かけようなんて思っちゃ駄目よ?」

「解った解った。もう大丈夫」
「お母さんいないからって遊んじゃダメよ?」
「解ったから!」

いってらっしゃいと言い扉は閉められ、しばらくしてから玄関の鍵が施錠された音も聞こえた。とりあえずもう一眠りすることにして、私と数馬はとりあえず朝食を抜くことに決めた。

「ひらがなおねえちゃん、がっこうやすみ…?」
「そうだよ。数馬も幼稚園休むんだよ」
「ほんとう?ひらがなおねえちゃんもいっしょに?」
「うん。半世紀ぶりに風邪引いたわ」
「はんせいき?」

本当は風邪引いたもの同士だし、別々のお布団で寝た方が良いんだろうけど、数馬が私のパジャマから手を離そうとしないし、何よりこの体で布団を引っ張り出すなんて無理な事だ。おそらく途中で力尽きて目の前が真っ白になること間違いなし。昼までの二度寝で体力が戻っていたら考えることにしよう。


「数馬、……ラッキーだね」
「やったね!」


机の上に置かれた冷えぴたを二人でおでこにはって、とりあえずもう一眠りすることにした。体のだるさからかすぐに睡魔はやってきてあっという間に意識を飛ばした。


目が覚めたらもうお昼で、横で寝ていた数馬は枕を机に手の届く位置にあった絵本を読んでいた。もぞりと動いた私に気が付くと数馬は絵本から視線をはずし、「おはよう!」と私にトトロ乗りでのしかかってきた。なんだか数馬は元気だなぁ。もう熱下がってたりして。

「…あれ数馬、眠くなかった?」
「さっきおきたんだけど、ひらがなおねえちゃんねてたから」
「起こしてくれてもよかったのに」
「おかぜひいたらねてなきゃいけないんだよ!」

そうは言うけど君、お風邪引いたら絵本読んじゃいけないんだよ。目が疲れるから。なんだか数馬は病人なんて感じしないなぁ。そんなに幼稚園休めることが楽しいかね。数馬の身体を横に戻して私は数馬の方へ身体を向けて大きく欠伸をした。リズムよく背中を叩いてやるが、今は眠くないのか一向に眠る気配がない。いつもならこれであっという間に夢の中だというのに。まぁ二度寝もしたし、そりゃぁ眠くもならないか。

「数馬お腹減った?」
「へったー」
「じゃぁお昼しようか。おかゆ食べれる?」
「うん、たべれる」

「それ食べて薬飲んだら、もう一回寝ようね」
「くすりはいらない…」
「こらっ」

まだだるいと感じる体に鞭をうち起き上がりスリッパをはく。やはり頭はまだふらふらしているが、どうみても数馬の方が重症そうだ。寝っ転がっている分にはまだ楽なのだろうけどやっぱり視点が定まってない。とりあえず数馬は抱っこして運ぶことにした。リビングで椅子に降ろし体温計を渡して、私はとりあえずおかゆをあっためることにした。朝一の時よりはいくらか体力も戻ってきているので軽い料理位はできそう。溶き卵ぐらいぶちこもうかな。

「数馬ぁ、熱はかった?」
「はいー」
「ありゃー、あんまり下がってないねぇ」

数馬の体温は38.4度。子供体温という事を考慮してもこれは中々の高熱だろう。続けて私も図るが、私の平熱は35度代なのに出た数字は37度。おおう、これまた中々の御熱だ。どうりでふらふらしているわけだ。まぁ料理位はできているみたいだし、もう一眠りすりゃ体温は落ち着くかな。

「さ、できたよー。熱いからふーふーしてね」
「はーい。いただきますー」

よそった皿を数馬の前に置きスプーンを持たせ食べさせた。笑顔と一緒に美味しいと一言。

「なんだか数馬さん、風邪引いてるのに元気だねぇ」
「ひらがなおねえちゃんといっしょだからかなぁ」
「か゛わ゛い゛い゛」

あっついおかゆをふーふーしながら食べる数馬?もちろん写メに収めたわ。数馬の事気に入ってる連中に送りつけてやろう。もちろん有料配信で。だけど問題はこの後だった。おかゆを食べ一息ついたところでそろそろ薬飲まなきゃとコップに水を汲んでテーブルに戻ってきたら、数馬は心底嫌そうな、というか、怖がっているような顔で私の手の中にある薬をみつめていた。口に水を含んで袋を開け、粉薬をざーっと一気に流し込むと「やだー!」と急に涙ぐんだ。

「のめないよー!」
「いやいやいや、そんな一気に拒絶しなくても」
「おくすりにがいからやだー!」

「じゃぁ私は薬飲んだしもう風邪治るから、数馬は明日から一人で寝なきゃなぁ」

「え…」

恐らく今私は意地悪っ子の顔をしているに違いない。残念だなぁと言いながら薬を片し残っている水を全部飲みこむと、数馬はしぶしぶそうな顔をして

「ちゃんとのむからーっ」

と私の腕を掴んだ。チョロイ!可愛い!食べたい!

「嘘だよ。大丈夫大丈夫、数馬はゼリーで包んであげるから」

おそらく家にあった薬が錠剤じゃなくて粉薬しかなかったんだろう。私も利吉兄ちゃんも滅多に風邪なんか引かないから、これがいつの薬かも疑わしい限りだが。皿にゼリーを出しそこに粉薬をだし包んでスプーンにのせ、数馬の口へあーんしてやった。苦みが来るかと思いきや苺味のゼリーだったので、数馬は眉間に寄せていた皺をなくして笑顔になって頬に手を当てた。

「おいしい!これならたべれるよ!」
「こらこら、そんなに一気に飲むもんじゃないから」

「かずま、ひらがなおねえちゃんとおかぜひけてたのしい!」

「かわいいなこんちきしょー!!」
「ちきしょー!」

風邪引くことが楽しいとは…。そう言ってられるのも今のうちだぜ。あと何年かしたら体がだるくなって動くのも嫌になってな…。そんな歳より臭い事を言う女子高生なんてやだし、何しろそんなこといってる数馬なんて見たくない。もう一眠りする前に皿を洗う元気はなんとか取り戻せた。お皿持っておいでと言い流しに立つと、数馬はテーブルから皿を下して私の所に走ってきた。

「あ、そんな走ると」
「あっ、!」

案の定というなんというか、数馬は利吉兄ちゃんのお下がりのパジャマを来ていたから、余っている足の部分に突っかかり転倒してしまった。むしろ心地いい程の高い音を立て皿は割れてしまった。

「数馬大丈夫?怪我は?」
「…お、おさら、ご、ごめんなさい…」
「あぁっ!いいから!触らない触らない!数馬怪我しちゃうから!」

割れた皿に手を伸ばす数馬を急いで止める為、腕を掴んで皿から離した。しまった。強く掴みすぎてしまっただろうか。数馬は悲しそうな、ぽかんとしたような顔で私を見つめていた。片づけるから、先に上に上がっていていいよと言うのだが、数馬はなぜかぽろりと涙を流して、ゆっくりとだけど私に抱き着いて、

「ひらがなおねえちゃん、やだよ…」
「な、何?どうしたの?」


「…かずま、ひらがなおねえちゃんから、はなれたくないよー…!おかあさんのとこ、いきたくない…!おわかれしたくないっ…!すごくさみしいー…!」


そう、言った。お母さんのところに行きたくないなんて言葉、初めて聞いた。心身ともにまだおばさんを恋しがっているだろうと思っていたのに、こんな言葉出すなんて思ってもいなかった。このままうちにいれば?なんて言葉簡単に出せるけど、言っちゃいけない。きっと風邪で心が弱っているだけ。気のせいに決まっているのに。

「…どした?怖い夢でも見た?」
「やだよぉ…!」

「……そんなこと言わないで。数馬と離れたら、きっと私の方が寂しいよ。…いきなりきて、いきなり消えちゃうんだよ、きっと」

初めて数馬がうちに来たときはこんなこと言う子じゃなかった。ずっとお母さんに会いたいって言ってたし、夜泣きする時もあった。おばさんを探して行方不明もどきになったときもあったし、その度数馬は泣いていた。だけど、いつからか数馬はおばさんのために涙を流すことが少なくなった。っていうか、私のために泣いている時が多かった気がする。もう一人を連れて幼稚園に迎えに行けば私だけが良かったと涙を流した時もあった。ずっと一緒が良いねと言ってくれた時は本当に嬉しかったけど、数馬のいるべき場所がここじゃないっていうことは私が一番よく解っている。

「私の事、忘れないでね」
「…ひらがなおねえちゃん」

泣く数馬を抱っこして、先にベッドへ連れて行った。皿洗ったら来るからと言い残し涙を袖で拭き、私は下に行き皿を洗って、割れてしまった皿を片づける為ほうきを持って来た。最初は皿を割ったことへの謝罪の涙かと思ったけど…まさかあんなこと言われるとは思わなんだ…。しかし子供の涙の破壊力の凄いこと凄いこと。ショタコンとかってあれで理性爆破しちゃうんだろうなぁと考えるとけしからんけど解らん気もしないわ。

『ここで皿を割りましたテヘペロ』と床に書置きをしておけばきっとお母さんが用心に用心を重ねてもう一度掃除をしてくれるはず。よし、手も洗ったし寝よう。本当はもうソファでケータイいじってても大丈夫かなぐらいだけど、数馬にあとでいくっていっちゃったし、せっかく学校休みだから存分に睡眠貯金しておこう。二階に上がって布団に入ると、まだ数馬は起きていたみたいで、入ってきた私の腹にくっついてきた。

「ひらがなおねえちゃん」
「うーん?どしたー?」

「かずまね、おおきくなったらおいしゃさんになるの」
「ほぉ、大きく出たね。なんで?」


「つぎひらがなおねえちゃんがおかぜひいたらね、かずまがなおしてあげてね、そんでおかゆつくってあげるの。かずまがおいしゃさんになったら、ひらがなおねえちゃん、にがいおくすりじゃなくて、あまいおくすりのめるようになるんだよ!」


数馬は私が粉薬をそのまま飲んでいたから、それを気にしてくれていたらしい。数馬がお医者さんになって私のために甘い薬を開発してくれるんだそうな。なにそれ不純な動機。しかしなんて可愛いお医者さんの卵かしら!じゃぁ私数馬と結婚して玉の輿にのろーっと!!

「そっかそっか、頑張ってね数馬!」
「うん!たのしみにしててね!そしたらひらがなおねえちゃんはかずまのおよめさんになってね!」
「いいよー!」

なんて軽い返事をすると心底嬉しそうにやったぁと再び数馬は私の腹にしがみついた。

「さ、もう一回寝んねしようね。そしたらもうきっと治ってるよ」
「そしたらあしたはとうないたちとあそべるかなぁ」
「きっとね。さ、晩御飯まで寝ようね」
「はいー」

数馬のほっぺはちょっと赤い。さっき泣いていたのもあるし、また熱が上がって来ちゃっていたのだとしたら事だ。早く寝て、沢山汗かいて、夕飯食べて、明日に備えよう。私も今一度夢の中に旅立った。夜の19時頃に目を覚まし夕飯を食べ、風呂に入って汗を流しもう一度寝ると、次の日は嘘の様に体が軽かった。熱なんて微塵も残っていない。いつも通りお弁当を作って学校の準備をして、数馬を起こした。

「おはよ数馬!今日は元気?」
「うん!めちゃめちゃげんき!」
「よーし!幼稚園行くぞ!朝ごはん食べて準備だ!」
「はーい!」

数馬にお弁当を作ってあげられるのはあと何回だろうか。そしてお見送りできるのもあと何回だろうか。もうすぐお別れが近づいてきているってことは、なんとなくだけど解ってる。だけど私はそれまで全力で数馬に愛をささげてあげようと思う。例え何があっても数馬最優先。今のところ彼氏とかそういうのはいらない。数馬が泣けばとんでいくし、笑えばそれを一緒に楽しみたい。もう数馬に、お母さんのところに戻りたくないなんて言わせちゃいけない。数馬が帰るべき場所はここじゃないんだから。数馬がおばさんのところに帰るまで。それまでの間、私は、私にできることを精いっぱいやりとげよう。


「ハンカチ持った!?」
「もった!」

「ティッシュは!?」
「持った!」

「今日のお弁当はかつ丼だよ!」
「おにく!」

「さぁチャリに乗り込め数馬隊員!我が部隊は幼稚園へと出発する!」
「おー!」


この笑顔を、守ってあげよう。








風邪引きだぜマイ・ボーイ!



「おかえり数馬!」
「おかえりひらがなおねえちゃん!」

「今日は幼稚園楽しかった?」
「うん!あのね、きょうはとうないとね!」
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