それはまだ暑さ残る日。太陽の光にやられ汗を流しながら可愛い弟を迎えに行った時のこと。

「あれ、藤内何かあったのー?」
「……ひらがなおねえちゃん」

目元を赤くした可愛い弟が、ただ黙って私の足に抱き着いてきた。








「プールが嫌?」
「うん、確かにそう言ってた」

「まぁ子供の時ってそうなる子多いよね」

机に突っ伏しそう言うと、伝七は私のポニーテールを三つ編みにしはじめた。真面目に相談にのれよ勉強ヲタ。

藤内が昨日涙目で私のお迎えに来た理由は、もう少ししたらプールの時間が幼稚園で始まるからというのが原因だったらしい。なんで泣いてんのと横にいた数馬くんに聞いたところ、「おみずやなんだって」とそれだけ教えてくれた。子供プールで泣きわめく幼児を何度か見たことがあるが、なるほど藤内もその一人だったというわけか。私はスイミング通ってたし小さい時から泳げてた記憶あるけど、藤内はダメだったのね。お風呂なんて普通に入ってるから気付かなかったよ。

「それで、なんで名前が落ち込んでるんだよ」
「そりゃぁ保護者としては他の子と差が出ちゃいけないだろうと思ってだね!!」
「あぁうるさいうるさい」

「伝七は小さい時から泳げてた?」
「僕も名前と同じくスイミングに通っていたからね」
「だよねー。えぇー…藤内スイミングに通わすお金なんて作れないよぉー」
「お前のブランドバッグを売れ。さすれば米粒ぐらいはできるだろ」
「伝七酷い!」

かといって、預かっている子を勝手にスイミングに通わせるのも如何なものか。こうなったら市民プールにでもつれていって特訓でもした方がいいのかなぁ。明日明後日休みだしどっちか潰してプールつれてってあげようかな。そう言いながら頭を上げるとそうしろと適当に返事を返す伝七。もうこいつは本当に他人事の様にしやがって私の話を聞いているんだか聞いていないんだか。さてどうしたもんかと椅子の背もたれに体重をかけると、クラスの端っこで「誰かあそこの"水遁の術"の入場券いらない?」と言っている奴がいた。水遁の術とはまるで忍者がいるかのようなアスレチックの設備された市民プール。水深3mぐらいあるような無駄に深いプールやら荒波が起こる波のプールなど、子供も大人も楽しめる施設の事だ。そういえばあそこはキッズプール的な浅い場所もあったはず。そうだ藤内をあそこに連れて行こう!

「ちょっと彦四郎!そのチケットちょうだい!」
「いいよ。いくらで買う?」
「売るのかよ!んじゃ120円!」
「ジュースかよ」

財布を出して小銭をじゃらりと鳴らして突き出すと、まいどーと彦四郎は私にチケットを売ってくれた。一枚で二人まで行けるらしい。これはなんてお得な物を買ったのか。彦四郎はバイト先の先輩にもらったらしいが興味がないからクラスの誰かに譲りますと言って貰ってきたらしい。誰と行くのと聞いてきたのでかくかくしかじかでと説明すると、彦四郎も藤内の記憶はあったらしく、頑張ってねと応援してくれた。

「彦四郎は応援してくれるのに、伝七は冷たいな〜」
「ふん、僕があの子を応援してなにになるっていうんだよ」
「伝七冷たいなぁ。名前、やっぱり僕と付き合う?」
「そうしようかな」
「待て待て待て待て待て!!!!!」

冗談だよと伝七の赤いほっぺを引っぱたけばからかうなよ!と今度は私の肩を叩かれた。誠に理不尽である。

「ほんじゃ彦四郎ありがとう!明日は藤内とデートだぜ!」
「うん、頑張ってきてね」

入場券も手に入れたし水着も一応用意してある。幼稚園にお迎えにいった時、明日はプールに行こうねと言ったら、思いっきり嫌そうな顔をされた。藤内さんのそんなお顔見たくなかったです。ご飯もたべ終え一緒にお風呂に入っているが、今は別に何ともないのに、これが水になったら駄目なのか。何の境界線があるのかさっぱりだなぁ。

「藤内、明日プール行く予習しようか」
「よしゅう」
「お風呂で潜れる?」
「…もぐるの?」
「目瞑って、頭まで潜ってごらん」

眉間に皺をよせ普通に嫌がる藤内ちゃん。私の胡坐をかいた足に座ってのんびり風呂につかっていたのに私がそんな無茶ブリをしたもんだから、藤内は風呂に浮かべていたアヒルさんを手放してお湯を見つめた。ちゃぽんと少し、口元までつかってはみたものの、そこから先に進むことはできなかった。

「とうないこれいじょうはできない…」
「まぁそうよな。明日はお水だからきっとできるよ」
「おみずだとできるの?」
「可能性は無きにしに非ずかな」
「なきしに?」

「まぁいいや。明日はお弁当持ってプールだ!お風呂あがるぞ!」
「おー!」

風呂から上がり体を乾かし、明日の用意だと少し大きめのバッグにタオルやら日焼け止めやらを適当にぶち込んで今日は就寝することにした。そして翌朝、プールに行くのがそんなにいやなのか、おはよー!と布団をめくってもそこにいたのは悲しそうな顔をして私の寝間着を掴む子が一人。そんな顔してもダメな物はダメ!幼稚園で一人だけプールは入れないなんて悲しいよ!

お弁当を用意しバッグに詰め込み、水着を着てから上から服を着た。残念ながら今日は家族全員仕事なので、いつも通り自転車でプールまで行くことにした。さすが休みの日だからか少々混んでいるようにもお見受けできるが、ほとんど高校生とかばっかり。小さい子はあまりいなさそうだから、キッズプールはそんなに混んでいないかな。着替えていざプールへ行くと、案の定キッズプールはガラガラだった。

「うおー!プール楽しそうー!だね!!!」
「………」

藤内めっちゃ嫌そうな顔してるどうしよう。昨日の予習も成功しなかったし、今日は殆ど無理やり連れてきたようなもんだ。これで何も成果を得られず帰ることになったら悲しいだけだぞ本当に。折角気合い入れて化粧してビキニなんて着て来たのに!

「頑張るわよ藤内!プールなんて怖くないからねー!ピーーーーーーーーーーーーーッッッ!!」

「………」
「…藤内起きてる?」
「…おきてる」

売店で売っていたおもちゃのホイッスルを首からかけ、行けー!とでもいうかのごとく吹き鳴らしたのだが、藤内は肩までつかったまま、やはりそこから先にいこうとはしなかった。

「お風呂は平気で入ってるのにー。何がそんなに怖いのよ」
「だってぇ………あ、」


「名前お姉ちゃんいないと寂しいんだもんっ」


「………何してんの一平」
「あれ、もうバレちゃった?」

「っていうか何してんの馬鹿ども!!一体いつから此処にいた!」
「名前がプール行くって聞いたから遊びに来ちゃった!」
「名前も伝七の水着姿みたいだろうと思って」

「僕はこいつらに強制連行されたんだ!!」
「馬鹿言うなよ、真っ先に名前のこと見つけたくせに」
「あんだけバカでかい音で笛吹いてたら嫌でもみつけるだろ!!!」

キッズプールにいるというのに、プールサイドに背を預けていた私に抱き着いてきたのは聞き覚えのある可愛い声。あとこの猛禽類系につけられた系の傷がある腕はもう一平しか知らない。真顔になって振り返れば其処にいたのはうちのクラスメイトの四人で、見事な腹筋を携えて水着姿で其処にいた。まぁこいつらのキッズプールの似合わないこと似合わないこと。明日プール行こうよと誘ってきたのは一平で、チケット譲らなきゃよかったと後悔したと、今になって彦四郎が眉を下げていた。藤内は皆に一度あったことがあるから、「こんにちは!」と勢いよく頭を下げたのだが、今自分が水の中にいるということを忘れていたのか、顔面を思いきり水面に叩きつけた。バカだこいつ。本当に可愛い。

「やー!!びしょびしょ!!」
「そりゃそうだろプールなんだから!その勢いで潜れればいいのにね」
「もういいじゃんいつか潜れるようになれば」
「コラー!伝七ー!そのいつかが今なんだよー!」

「弟くんは、なんでお水潜れないのー?」

ただ何となくって感じで、顔の水をふきとる藤内に一平が問いかけた。藤内は水だか涙だか解んない様な物をぬぐって、

「おはなにはいると、いたくなるから」

と、そうつぶやいた。

「とうないいっかい、プールおっこちたことあるんだよ」
「なんだ!ちゃんとした理由あったんじゃない!それ早く言いなよ!」

それならそうと早く言ってほしかった。水恐怖症でもあるのかとおもって開始30分ぐらいだけど半ばあきらめかけていたところだったのに。左吉たち三人は伝七を残して、昼飯買ってくるよと言って何処かへ行ってしまった。伝七はそのままプールサイドに腰を掛け足だけ水に入れる様にして私達二人を応援していたけど、藤内はやっぱり口元で限界を迎え、だめだー!と涙目で体を上げてしまった。

「こわいい…!もうやだぁ…!」
「大丈夫大丈夫!こう、鼻をつまんで潜れば痛くないよ!」

涙目になる藤内に鼻をつまんでみせてやったのだが、伝七はそんな私の腕を掴んで



「できたらきっと、お母さん喜ぶと思うよ」



そう藤内に言った。

「…おかあさん…?」
「お母さんが喜ぶ顔、きっと見れるよ」

久しく聞いてないお母さんという単語。藤内は大好きなお母さんを思い出してか、それともお母さんとプールに来たときの思い出を糧にか、口までつかって、その後勢いよく水の中に頭まで浸かった。

「っぷは!!」
「できた…!!藤内潜れたね!!!!!」

「ひらがなおねぇちゃんできた!?とうないもぐれた!?」
「できてたよ!!凄い!!藤内天才!!!」
「やったー!!!」
「うちの子天才!!!!凄い凄い!!」

ざばっと上がってきた顔に涙はなく、満開の笑顔で藤内は私に飛びついた。

「ありがとう伝七!藤内できたよ!!」
「解った解った。見てた見てた」

「あっ、弟くんもぐれたんだー!」
「なんだ決定的瞬間を見逃しちゃったね」
「凄いじゃないか。ウィンナー奢ってやるよ」

「やったー!」
「ちょっとうちの子餌付けしないで!!!」

左吉から受け取った無駄にでかいフランクフルトを頬張る藤内の可愛さよ!!!!!!!!

みんな売店で大量に食料を買い込んできたので持って来たお昼を広げみんなでつつきながら木陰にシートを引いて昼食をとることにした。結果的に藤内は水に慣れることができた。その後波のプールや流れるプールにみんなで遊びに行ったけど、もう平気だよ!と藤内は何度も水に潜って見せてくれた。本当にかわいい。っていうか浮き輪+藤内まじ尊い。こんなに可愛い組み合わせあんのか。浮き輪作った人をまじで尊敬する勢い。

「ひらがなおねえちゃん、とうないつかれちゃった」
「あれ、もうこんな時間か。もうそろそろ帰ろうか。アイスでも食べながら!」
「わー!とうないチョコがいー!」

「名前お姉ちゃん僕はバニラね」
「名前お姉ちゃん僕チョコミント」
「わーい!僕抹茶!」
「僕はコーラがいい」
「たかんなクソども!!テメェらは自費に決まってんだろ!!」

クソどもの荷物もまとめて更衣室で着替え、私たちは結局全員一緒に帰ることにした。プールの目の前にあるコンビニに立ち寄り藤内に好きなアイスを選ばせ、駐車場で食べきってから家に向かうことにした。連中はまだ何を買うか迷っているし、これじゃぁ先に食べ終わってしまいそう。

「いやーやっぱりプールの後はアイスだねー」
「ひらがなおねえちゃんみてー!あそこカラスいっぱいとんでる!」
「おー、本当だ。カラスがなくから?」
「かえりーましょー!」

ポケットから取り出したケータイの画面を付けると、まだそんな時間。陽がこんなに傾いているということは、夏も徐々に終わりに近づいてきているという事か。


「…いつまでこーしていられるのかねー私たちは」
「へー?」


「藤内が大好きだって言ったのよ」
「とうないもひらがなおねえちゃんすきー!」
「知ってた!!!!!!」


今は近くにいない、「お母さん」の言葉で潜れるようになったプール。やっぱり私は勝てるわけがないというのは解っていたけど、普通に寂しい気持ちはわいてくるわけで。

「よし!幼稚園のプール頑張ろうな!!!」
「アイスもっと食べたい!」
「こら!」

それでも側に居られているのは私なんだから、今だけは、この笑顔誰にも渡さないんだぜ!!








プールだぜマイ・ボーイ!

今度は25m泳いでみよう!
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