「ごめん藤内、墨貸してくれない?」 「いいよ、はい。珍しいね。墨忘れたの?」 「いや、零した…」 「あぁ…制服洗って来たら?」 「そうしようかな…。先生ー…」 はっと気が付くと目の前に広がるのは見慣れた天井で、僕は横になっている。さっきのは夢だったのか。なんて現実味のある夢だったんだろう。ううんと背を伸ばし肩をまわして横で眠る数馬を揺らし起こすと、数馬ものそのそと布団から出てきた。 「んー、おはよう藤内」 「おはよう数馬。今日僕数馬の夢をみたよ」 「へぇーどんな?」 「墨を零してた」 「それは確実にありそうな夢を…」 布団を片づけながら夢の話をすると、数馬はちょっと落ち込んだように影を背負った。しまった。言わない方が良かったかな。きっと良い事あるよなんて気休めの言葉も今の数馬にはきっと届いていないだろう。孫兵に挨拶して、迷子と保護者の三ろにも挨拶して、僕らは六人揃って朝食を食べた。あぁ、六人と一匹。ジュンコも一緒にね。一限目は全クラス座学だったので、歯を磨き終えたら各々の教室へ向かった。宿題もやったし、今日の分の予習もしたし、準備はばっちりだ。今日はそんなに暑くない。むしろ風が少々涼しいくらいで絶好の座学日和だった。うっかりうたた寝でもしそう。板書しながら授業をしていると、横に座っていた数馬が「藤内、」と僕の腕をつついてきた。 「ごめん藤内、墨貸してくれない?」 数馬はそう言って手を合わせながら僕に頭を下げた。 「いいよ、はい。珍しいね。墨忘れたの?」 「いや、零した…」 「あぁ…」 数馬が指差す太ももは見事に黒くなっていて、硯をひっくり返してしまったらしい。朝から不運だなぁ…。保健委員ってなんだか別の意味で凄い気がする…。 「制服洗って来たら?」 「そうしようかな…。先生ー…」 数馬は太もも部分の制服を持ちながら立ち上がり、黒板の前に立つ先生に事情を説明しに行った。先生も慣れた対応で「行け行け」と言っていたけど、僕は其処でふと、気が付いた。 なんだか今の光景、どこかで見たことある。 あぁそうだ、夢で見たんだ。授業を受けている僕に数馬が墨を貸してくれって頼む夢。なんだか正夢を見たよう。本当にそのままだった。数馬が僕をつついて、手を合わせて、墨を貸してって頼んで、袴を指差して、先生の処へ行って、教室を出ていく。なんでこんな鮮明に覚えてるんだろ。…あぁ、目の前で今見たからっていうのもあるのか。予備の袴を穿いて戻ってきた数馬は同時に墨を持ってきていた。やっちったと言いながら僕の横に座った数馬はきっと今朝僕が言った夢の内容は覚えていないのだろう。 「あのさ数馬」 「うん?」 「んー…や、なんでもない」 「そう?」 数馬は何食わぬ顔をして授業に戻っていた。 そんな奇妙な体験をした、朝の話。 「あだっ!!」 「えぇっ!藤内が落とし穴に落ちるなんて珍しい!」 「驚いてないで助けて…!」 「あぁぁごめんごめん!どわっ!」 「えぇぇえええ!?」 はっと気が付くと目の前に広がるのは見慣れた天井で、僕は横になっている。さっきのは夢だったのか。なんて現実味のある夢だったんだろう。ううんと背を伸ばし肩をまわして横で眠る数馬を揺らし起こすと、数馬ものそのそと布団から出てきた。 「んー、おはよう藤内」 「おはよう数馬。今日僕数馬の夢をみたよ」 「へぇーどんな?」 「っていうか僕の夢かな。落とし穴に落ちる夢」 「それは確実にありそうな夢を…」 布団を畳んで押入れにしまい、朝ごはんを食べて授業を受けた。特に何事もなく過ごした。今日一日最後の実技の授業を終えて、僕と数馬は一度部屋に戻ってから委員会に行こうと一緒に長屋に戻ることにした。したのだが、 「あだっ!!」 僕は不覚にも落とし穴に落ちてしまった。此の形此の深さ。あと被害を受けたから認めたくないけどこの穴の美しさ。綾部先輩の蛸壺以外にありえない。 「えぇっ!藤内が落とし穴に落ちるなんて珍しい!」 「驚いてないで助けて…!」 「あぁぁごめんごめん!」 お尻を強く打ってしまったからか咄嗟に動く事ができなかったのだが、姿は見えずとも数馬の慌てる声が聞こえた。大人しく数馬の助けを待っていたのだが、 「どわっ!」 「えぇぇえええ!?」 上の穴から見える砂埃。あぁこれは近くにあったもう一つの落とし穴に数馬が落っこちた音だ…。多分だけどこの穴、印なんておいてなかったかもしれない。綾部先輩でも印忘れることあるのかなぁ…。あぁそれとも風で飛ばされちゃったとか………。数馬が落っこちたのならどっちかが這い上がらないと助けなんてないはず。だって僕ら以外のクラスメイトは各々遊びに行っちゃったり委員会にいったりしてたし、僕と数馬だけ一旦部屋に戻ろうと別の道を歩き始めていたから。よいしょと気合を入れて穴の淵の腕をかけ穴から這い上がり、すぐちかくの穴を覗き込むと数馬が目をまわして落っこちていた。大きな声で数馬!と呼びかけるとやっと意識を取り戻して、伸ばした僕の手に掴まった時、僕は其処で、ふと気が付いた。 なんだか今の光景、どこかで見たことがある。 あぁそうだ、夢で見たんだ。僕が落とし穴に落ちて、そんで数馬もその後落とし穴に落ちたんだ。そうか、この後数馬を助けたのは僕だったのか。 「…藤内?」 「…っ」 なんだか背筋がぞわりとした。昨日、今日と、夢で見たことがそのまま現実で起こっている。偶然にしてはできすぎている気がする。こんなことが立て続け出会ったりしたら…。しかも被害にあっているのは決まって数馬だ。今日は僕も落とし穴に落ちたけど、昨日は数馬が墨を零してしまって、今日は数馬も落とし穴に落ちた 「どうしたの藤内?打ち所悪かった?」 「あ、いや大丈夫。僕委員会行く前に、綾部先輩の穴埋めてから行くから、先行っててくれる?」 「そう?解った!じゃぁまた夕飯の時にね!」 手を振って数馬を見送って、僕は再び落とし穴を見つめた。如何考えてもおかしい。冷静に考えれば綾部先輩が落とし穴があるサインを忘れるわけがないんだから。風で飛ばされたか、それとも誰かが、意図的にそれを隠したか。どちらにしろ僕は、いや、僕と数馬は、あの夢通り怪我をする羽目になった。僕がもしあんな夢を見ていなければ、数馬は墨で袴を汚すこともなかったし、僕と一緒に落とし穴に落ちることもなかったのだろうか。 「どうした浦風」 「ひっ…!あ、磐長先輩」 「落ち込んでいるな」 僕の肩を叩いた磐長先輩はくのいち教室の先輩だ。落とし穴を見つめているだけの僕を心配してくれただけのこの先輩に、御相談するのもおかしいかもしれないだろうが、僕は昨日今日の出来事、そして夢で見たことが現実になっているという話をした。磐長先輩は顎に手を当て真剣に僕の話を来てくれたが 「偶然だ。気にする事じゃないさ」 そう、僕の頭を撫でた。 「…で、ですが…」 「なんだ?」 「……例えば僕が、今夜…た、例えば……数馬に怪我をさせてしまう夢を、み、見たとしたら……」 それが現実にならないなんて、言いきれない。今までは現実で起こってもおかしくないような夢だった。数馬の不運と僕の巻き込まれ不運でならこんなこといくらでもあるだろうけど、じゃぁ、それ以上に悪い夢を見てしまった場合、そんなことは現実にはなんて、言い切れない二日間だったんだ。 「そうならないように心掛けることだな。予習復習はお前の得意分野だろう」 「あっ…」 「今までの経験を生かし、夢で見たことを未然に防ぐ。お前からすれば簡単な事だろう?」 じゃぁなと僕の頭を撫でて磐長先輩は僕に背を向け歩き始めた。…そうか、簡単な事じゃないか。夢見ることでこれから起こることは解るんだから、最大限の注意を払って生活すれば、そんなの防ぐ事ができるじゃないか。磐長先輩に御相談して正解だった。すっかり、肩の荷が軽くなった気がする。 そんな奇妙な体験をした、昼の話。 「うわぁぁあああああ!!」 「数馬!ごめんね数馬!数馬…!」 「痛い!い、ったい!!」 「ごめんね数馬!数馬!か、数馬!!」 「っ!!!」 最悪な夢を見た。天井ですら歪んでみるほどの怖い夢。数馬が血まみれだった。数馬の頭に手裏剣が刺さっていた。誰かにやられたんじゃない。あれは僕がやったんだ。僕が必死になって数馬に謝っていたんだから、あれは僕が犯人だ。 「おは…えっ!どうしたの藤内!」 「数馬、数馬…!」 「どうしたの?寒気でもする?か、風邪?保健室行く?」 ガタガタと震える両腕を押さえて、僕の目からは涙が落っこちていた。数馬は寝起きで顔色の悪い僕を見てしまったから、ゆっくり背中をさすってくれて、大丈夫?と何度も声をかけてくれた。怖い。こんなの怖すぎる。なんて夢を見てしまったんだ。昨日、一昨日と、僕は正夢を見てしまった。これから今の夢が本当に、起こるのだとしたら。だけど、そういえば、磐長先輩は仰っていた。だったら未然に防げばいいと。そうだ。僕にはまだこの方法があるじゃないか。数馬と一緒にいる時に手裏剣を投げなければいい。ただ、それだけのこと。 「大丈夫藤内…」 「ご、ごめんね。もう大丈夫。うん、大丈夫。朝ごはん行こう」 「本当?無理しないでね?」 「大丈夫大丈夫!」 そこからはいつも通りだった。朝ごはんを食べて授業を受けて、昼ご飯を食べて再び午後の授業に臨む。夢の話なんかすっかり忘れて、いたし、実技の授業では数馬から離れて手裏剣うちの実習をすることにした。成績は散々だったから結局放課後に復讐することにしたけど。三年生にもなって手裏剣がまともに的に当たんないなんて僕は上級生に上がることはできるのだろうか…。 「結局いつも通り、僕らは放課後特訓だねぇ」 「予習復習してこそ成績は上がるんだよ!頑張ろう数馬!」 「そうだね!うん!頑張ろう!」 残ったのは僕と数馬だけ。手裏剣を持って的に向かって投げていると 「数馬ー!補習中悪いんだけど!一時当番代わってもらえないかなー!必要な薬草がきれちゃったから、留三郎と取ってくるねー!」 「あ、はーい!解りましたー!」 「戻ってきたらすぐ代わるからー!」 遠くから善法寺先輩の声が聞こえた。私服姿の善法寺先輩が大きく手を振っていた。ごめんね!と言って消えた善法寺先輩を追いかける様に、数馬は手裏剣をしまった。 「ごめんね藤内!ちょっと行ってくる!善法寺先輩が帰ってきたらすぐ戻ってくるから!」 「解った。行ってらっしゃい!」 数馬は走り出し、僕は再び的に向かって力いっぱい手裏剣をうった。 だがどうだ、いつも通り的には当たらず見当違いの方向へ飛んでいくではないか。しかもそれは寄りにもよって、走っていく数馬の方へ 「!!!!かずっ…!」 刹那、風が吹き、僕と数馬の間に降り立ったのは磐長先輩で、怪我一つすることなく、僕がうった手裏剣を人差し指を中指で挟んで受け止めていた。 数馬はこっちを振り向くことなく、長屋の曲がり角へと消えていった。僕は突然の出来事に腰を抜かし、足を震わせ腕を押さえて、涙を流した。 「…や、やっぱり、やっぱり僕のせいです…!僕が…!僕があんな夢を見るからっ……!!」 ガチャンと音がしたのは、足元にあった箱に磐長先輩が手裏剣を投げ入れた音だろう。ぼたぼたと涙は地に落ち、じんわり地面は濡れていった。磐長先輩は僕の頭をゆっくりと撫でたが、自分が怖くて怖くてたまらない。夢を操作することなんてできるわけがない。今日は磐長先輩が手裏剣を止めてくださった。数馬に刺さるはずだった手裏剣を磐長先輩が止めてくださった。夢とは違うことが、起きている。だけど、明日はどんな夢を見る?僕が数馬を殺す夢?数馬が戦場で死ぬ夢なんか見たら、僕がどうこうできる話じゃない。僕が、僕があんな夢なんか見なければ。 「浦風」 「僕っ…!僕は…っ!!」 「浦風。自分でどうすることもできないと思ったなら、伊賀崎に、このことを相談しろ」 「…えっ、」 磐長先輩はそれだけ言うと、手裏剣を一つ持って的に向かってそれをうった。コツは腕全体の力じゃなくて、手首のスナップだぞと一言助言して、磐長先輩は樹の上に姿を消してしまった。呆然とする中、僕は磐長先輩に言われたとおり、生物委員の管轄する飼育小屋に向かった。変な話をするかもしれないけど、と、虫たちにエサをあげていた孫兵に相談すると、孫兵は真剣な顔をして僕の話を聞いてくれた。全てを話し終えると、孫兵は僕の首に腕を伸ばした。何をするのかと思ったら、僕の首にはジュンコが巻き付いていた。 「ジュンコを一晩貸してあげる。ジュンコ、今夜は藤内に良い夢を見させてあげるんだよ」 其れだけ言って、孫兵は再び虫にエサをあげ始めた。ジュンコはシャーと短く鳴いて、よろしくねとでも言うかのように、僕の頬に擦り寄った。意味が解らないけれど、このまま手裏剣の補習は続けれらない。練習場へ戻ると既に数馬は戻ってきていて、姿を消した僕を大いに心配していた。首にいるジュンコは孫兵から預かってるんだとごまかして、僕らはこのまま長屋に帰ることにした。部屋で今日の授業の復習、明日の授業の予習をして、気がついたら日が落ちていたので夕食へ。風呂に入って布団に入り、僕らは部屋の灯りを消した。 「ジュンコはいつも、孫兵と寝ているとき何処で寝るの?」 「シャー」 「枕元で良いの?寒くない?」 「それにしても孫兵とジュンコが喧嘩なんて、珍しいこともあったもんだねぇ」 数馬がそう言うとジュンコは不貞腐れたように蜷局を巻いて目を閉じた。孫兵からジュンコを預かっている理由を聞かれ、とっさにそんな嘘をついてしまったが、ジュンコはそれに合わせてくれるように機嫌を損ねたふりをしてくれた。おやすみとジュンコの頭を撫でて、僕は眠りについた。 その日の夜は、変な夢を見た。ジュンコが僕に噛みついた夢だった。僕は別に痛がりもせず、毒が回っている感じもなく、ただただそれを見つめているだけ。でもしばらくしたら、僕はジュンコに向かってクナイを振り上げて、ジュンコを殺してしまった。 はっと気が付くと目の前に広がるのは見慣れた天井で、僕は横になっている。さっきのは夢だったのか。なんて現実味のある夢だったんだろう。ううんと背を伸ばし肩をまわして横で眠る数馬を揺らし起こすと、数馬ものそのそと布団から出てきて、ジュンコも僕の首に巻きついてきた。 「んー、おはよう藤内」 「おはよう数馬。今日ジュンコの夢をみたよ」 「へぇーどんな?」 「…噛まれた」 「それは確実にありそうな夢を…」 殺したオチは言わない方が良いかもしれない。布団をしまって顔を洗いご飯を食べに行く。食堂に入る前に孫兵と出会ったので数馬を先に食堂へ行かせて、僕は孫兵にジュンコを返した。 「どうだった?どんな夢を見た?」 「えっと…ジュンコに噛まれた夢…と……ごめん。ジュンコを殺す夢を見ちゃって……」 其れだけ言うと孫兵は、満足そうに笑って己の首に巻きつく恋人の頭を愛おしそうに撫でた。 「毒蛇にかまれる夢は吉夢だよ。病気が癒えるとか言われているし、厄介事から解放されるなんて言い伝えがあるんだ。それに毒蛇を殺す夢は成功を意味する。悪夢から解放されたじゃないか。良かったね」 「…!そうなんだ!」 よくやったねジュンコと言い、孫兵は食堂へ入っていった。これは良い事を教えてもらった。磐長先輩にもお礼を言わなきゃ。朝ごはん前に磐長先輩にお礼を言いたいと思って長屋を飛び出しきょろきょろとちていると磐長先輩は六年長屋の近くを歩いていたので、大声で呼びとめた。 「磐長先輩!ありがとうございます!孫兵のジュンコのおかげで!僕良い夢見る事ができました!」 「そうか。それは何よりだな」 「毒蛇にかまれる夢は吉夢だって!孫兵が教えてくれたんです!厄介事から解放されるって!磐長先輩はそれを僕に教えて下さったんですね!」 たとえジュンコに噛まれることが正夢だったとしても、数馬に影響はないのだから別にいい。僕がジュンコを殺さなきゃいいだけの話だ。 「…あのな浦風」 「はい!磐長先輩!」 だが磐長先輩は若干悲しそうな顔をして 「吉夢というのは、最低三日は誰かに話してはいけないんだ。幸運が逃げると言われているからな」 そう言い僕の肩に手を置いて、食堂の方へ行ってしまわれた。 「おや、どうした藤内。朝っぱらから六年長屋で項垂れているとは」 「…おはようございます、立花先輩…」 毒蛇吉夢 ≪≪zero ×
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