「どうしても行かなきゃいけないんですか」
「そりゃぁ忍務だからさぁ」
「……死ぬかもしれない忍務なんですよ」
「ね。参ったよね。卒業して一年目でこんな仕事来るなんてさぁ」

名前先輩は、一回もこちらを向いてくれない。二年長屋の塀に腰掛けたまま、僕に、背を向けたまま。黒い頭巾から出ている赤毛は月明かりに照らされ風に揺れていた。見間違えるわけがない。名前先輩の後ろ姿。必死に追いかけたあの後ろ姿。卒業から、何度か此処へ来ては僕と会話をして帰って行った名前先輩は、帰り際必ず僕を抱きしめていたというのに、今日は側に来てくださるどころか、こちらを一度も向いてくださらない。

ただ一言だけ、「死ぬかも」とつぶやいたのだった。

「どうしても、名前先輩でなければならないのですか」
「みたいだね」
「名前先輩以外の方には勤まらない忍務なのですか」
「らしいね」




「……僕をおいて逝くほど大事な忍務なんですか!!!」





名前先輩は非常に鬱陶しい御方だった。僕の姿を見るたび抱きしめては好き放題に頬を撫でくりまわし頭を撫でて満足したと口づけを落として去っていく。あまりにも酷すぎるスキンシップに、思い切って名前先輩の中で僕は一体どのような存在なのですかと聞いてみた。帰って来た返事は、

「えぇ?久作が好きだからだよ。好きじゃなかったらこんなことしないよねぇ」

というものだった。いつものように捕まり樹の上でただひたすら撫でまわされていた。何で僕なんか好きになったのかちっともわからない。ただただ可愛い可愛いとだけ言ってくる名前先輩は、僕の事を好いてくださっていたらしい。

だからといって、僕が名前先輩を嫌いなわけがない。くのいちは怖い者だと教わっていたのに、こんなに仲良くしてくださるくのいちの先輩は初めてだ。ずっとくのいちからはからかわれていたのに、逢う度逢う度好きだと言われ可愛いと撫でられ、嫌いになんてなれるわけがない。


「名前先輩!」
「うん?」
「僕だって名前先輩の事好きhだsぎゃ!!」
「噛んだ!?久作が噛んだなんて珍しい!なんて可愛いの!!」

「そういう関係でもないのに今後僕に甘い言葉を投げかけるのはやめてください!」
「やだー!!久作は誰にも渡さないんじゃー!!」

「じゃ、じゃぁ!ちゃんと僕と!お付き合いをあしゃうhだfr!」
「可愛いいいいいい!」


付き合ってもいないのにそんなことされてんの?と友人に言われたことがあった。そうか、付き合わないとこういうことはされちゃいけないんだと思った僕は、しっかりと名前先輩に男女交際を申し込んだ。最初は改めて形になると恥ずかしいねと名前先輩もあの激しいスキンシップを控えていたのだが、徐々に慣れてくださったのか、いつも通りの名前先輩も戻られていった。

そして名前先輩が卒業される時が来ても、そして卒業されてからもそれは変わらずだった。就職先の城から遊びに来ては僕をひたすら撫でて帰っていく。名前先輩は卒業されたのにいつだってくのいち教室にいるような気さえしたのだ。


そんな名前先輩が、僕とこんなに距離をとるだなんて、初めての事だ。



抱きしめてくださらない。

「こっち向いてくださいよ!」


頭を撫でてくださらない。

「なんで僕を見てくれないんですか!」


頬をつついてくださらない。

「どうして無視されるんですか…!」



覚悟はしていた。こんなご時世だ。いつ命を落とされてもおかしくはない。それは僕も名前先輩も解り切っていたことだ。

だけどいざ目の前にその時が来ると、どうしてこうも涙が止まってくれないんだろう。



「久作」
「名前、先輩…っ!」



縁側から、どうしてか降りちゃいけない気がした。名前先輩に近づいちゃいけない様な気がして。


「私ねぇ、久作のお嫁さんになるの夢だったんだよ」
「名前先輩っ…!」

「こんな血が染みついた忍装束なんか捨ててさぁ、白無垢に身を包んで、穢れた此の身体抱いて貰って、ややこ授かって、普通に幸せに暮らしたかったなぁ」
「やめてくださいよ!!」

「久作」
「…っ」



「…ごめんね」



微かに震えて聞こえた名前先輩の声は、風にかき消されてしまいそうなほど小さい声だった。




「っ、名前先輩!!!」



今引き止めねば、あの影は暗闇に逝ってしまう。


「ちゃんと帰ってきてください!忍務なんかで命を落とさないでください!死んだら絶対に許しませんからね!名前先輩は誰よりもお強い御方です!僕が保証します!此度の忍務で絶対に生きて帰ってきてください!そしたら…!そしたら!僕と、僕と結婚してください!!」


名前先輩は僕の言葉に肩を揺らした。


「僕のお嫁さんになってください!僕と、結婚してください!だから、絶対に帰ってきてください!!」


影は、意を決したように、塀から飛び降りていった。

気配が遠ざかり、暗闇には、僕一人。



「僕の幸せを作れるのは…っ、貴女しか、いないんですからね…っ!!」



最期の一言は、名前先輩に届いただろうか。

名前先輩は、とうとう一度もこちらを向いてくださらなかった。







僕と結婚してください!

貴女の幸せは、僕が作りますから。








「あ、久作!ただいまー」
「……………はぁ!?」

「え?何?」
「あなた死ぬかもとか言ってませんでした!?何平気な顔して学園に遊びに来てるんですか!?」

「…え?死ななかったからでしょ?」
「いやそうですけど!で、あ、いや!違くて!そうじゃなくて!」

「無事に帰って来たんだから、ほれ、早く嫁にもらってくれよ久作」
「いやいやいや!僕の卒業まで待っててくださいよ!!」


「なんだかんだいって卒業したら貰ってくれるんだね!」
「男に二言はありませんからhさhlfh!!」
「可愛いいいいい」


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