カフェテリアセレナーデ | ナノ


「いってらっしゃいませ!」
「いってきます」

ひらりと振った手。彼女は恐らく仕事中だから、大きく返事はできなかったんだろうが、俺の顔を覚えていたからか、腹の位置で小さく手を振ってくれた。昨日と同じお茶。昨日と同じ挨拶。出会ってからまだ一日としかたっていないというのに思わず頬が緩んでしまう。なんだなんだこの甘酸っぱい感じのこのあれは。なんだ。トキメキとでもいえばいいのか。俺ってば昨日今日の女の子になんて不純な気持ちを持ってんだこの野郎。俺ってやつはそんなに女に飢えていたわけじゃないのにこの朝っぱらから甘酸っぱい感情はなんなんだよ本当にもおおおおおお。


「弾ちゃんボーっとしてるよ」
「壮太…」


頭をぽんと資料で叩いてきた同僚は今日はエスニックな服装で

「組頭に怒られる前にデザイン案件まとめろー」

右隣に座っていた同僚はサーフ系で俺の顔を心配そうに見つめてきた。

「なになに今日はアルマーニなんか着こんじゃって、おっしゃれー!」
「お前そういうセンス良いんだからたまに手抜いてスーツで来んのやめろや」

好き放題言ってくれる。俺だって好きでスーツなんてくそつまんないもん着てるわけじゃない。なんか今日はいまいちキまんないなーと思ったら行くべき道はそれしか見つからないからスーツで出てくることだってあるさ。別にいいじゃないかと持ち込んだ飲み物に口を付けると壮太はそれを見て「おっ」と再び口を開いた。

「弾ちゃんそれ好きだねー。なんか昨日も飲んでなかった?」
「あ?あぁ、これな。美味いぞこれ」
「なんかいい匂いするね。弾ちゃんこの間まで珈琲ばっかだったのに」
「新しい朝の習慣を身に着けようと思ってな」
「ううん?なにそれ詳しく聞かせて!」

俺も気になると椅子を滑らせ近寄ってきたのは勘介。二人とも俺が口を付けていた透明のカップを見つめてみたことのない店名だと首を傾げた。チェーン店じゃないのかな。まぁそれはいい。毎日同じことの繰り返しでつまらなくなり、違う事をプラスしてやろうと思ったんだと俺は昨日の出来事を二人に話した。知らないカフェテリア。知り合った女子大生。難波ちゃんという可愛い店員とかわす朝の挨拶。からかわれるのが嫌だったのでこれ以上他の人には聞かれないように小声で話していたのだが、二人はそれをニヤニヤしながら聞いていた。あぁもう、こいつらがこういう反応することは完全に目に見えていたというのに俺としたことが。

「彼女セレクトのそれ、一口くれよ」
「おう」

渡したカップにささるストローに口をつけると、まだ氷が残っている紅茶が勘介の喉を潤し、初めて飲んだであろう味に「確かに美味い」と目を丸くさせてカップを戻した。

「で?そのなんとかちゃんって子はどんだけ可愛いんだ」
「いやもうそれがめっちゃ可愛いんだよ。大学生だって」
「JDってやつか。お前年下好みだったっけ」
「俺年上の女が好みだったんだけど、ちょっと揺らいできた」

思わずカップを指でつついてしまう。その様子を見て勘介はさらに口元を歪めて「甘酸っぱいねぇ」と言いながら席へ戻った。紅茶の感想は一言だけか。もっと店の話とかさせろよ。難波ちゃんの事しか聞かないのか。

「……恋?」
「ばっ、」
「可愛いなぁー弾ちゃんが恋かぁ!」
「うるせぇ!声がでかい!」
「痛っ!!!」

思わず壮太の頭をはたき落しもう一発入れてやろうかと拳を握ると、

「高坂さーん!弾ちゃんが恋に浮ついて仕事ほっぽりなげてる!!」

遠くのデスクに向かってそう叫んだ。ヤバいと思った時には時すでに遅く、高坂さんはもう目の前に移動してた。縮地か。仙人かこの人。


「人の恋愛事情に口を出すわけじゃないが、女の尻を追っかけて仕事の資料もまともに送れない様な馬鹿はうちの部署にはいらん。罰としてレディース服のデザイン案5パターン出して来い。明日までにだ。お前もだ反屋」
「えぇー!!」


真っ白いスケッチブックを渡された俺は、涙で明日が見えない。

「何々?五条のやつ恋してるって?」
「組頭がお気になさるようなことではありませんよ」
「いやいや、私他人の恋が壊れるの見るの凄い好きなんだよね」

「組頭の鬼!」
「悪魔!」

「五条、反屋、椎良、減給」

「なんで私まで!?」


















「5パターンとか無理だろ…」

一つ出すのにどれだけかかると思ってんだよ。いろんな店行って雑誌見て流行を捉えてそっからオリジナルを考えるんだぞ。高坂さん無茶苦茶言い過ぎ。確かにあの後、昨夜のメールの送信ボックスを開いてみると関係のない資料が入っていたり逆に必要な物が入っていなかったりと意味解らないzipフォルダになっていた。あの時は疲れていたとはいえこれを見る限り相当頭が回っていなかったんだろう。難波ちゃんに声をかけることはできたものの飯を食うのを忘れたり、電車さえ人ごみに押されなければあのまま終電まで乗っかっていたかもしれない。無駄な会議が多かったからか昨日はへとへとだったし、頭が回っていなかったのは申し訳ないとして、減給告知は酷いと思うが。

家に帰ったらどうせ寝るだけ。ちょっとあの店に寄って行こうと思い、俺は荷物をまとめて電車から降りた。壮太から『5パターンとか無理なんだけど』といつの間にかきていたメールはシカトの方向でケータイをしまった。誰のせいでこんな無理なんだい押し付けられたと思ってんだ。デカい声で騒いだお前の責任だろ。

「いらっしゃいませ!カフェテリア山梔子へようこそ!メニュー表をご利用されますか?」
「大丈夫です、ありがとうございます」

むしろあれしか頼めなくなっている俺はリピーターとして店員に覚えられてしまうまで秒読みだろう。メニュー表を手で制し今日こそ飯食って帰ろうと、俺は並んでいた食い物からあれやこれやと目についたものをトレーに乗せて行った。

「いらっしゃいませ!ご注文はお決まりですか?」

難波ちゃんじゃない!残念!別のお姉さんが俺の注文を入力しトレーに乗っている食い物も加算し、俺はお会計を済ませてテーブルについた。パソコンを広げてスケッチブックを取り出した。最近の流行がさっぱり解らない。何故カーディガンを肩に結んで巻くのか。ハイウェストの水着とはなんなのか。時代が進めば流行も変わるとはよく言ったもので。だが理解できないものは理解できない。自分が考えた服が誰かに着られるなんて考えたこともないし、そんなのまだまだ先の話だろう。今までは情報集めからデザインまでいろいろやってたけど、花が咲いた物なんて情報量だけだ。まだ本格的に何かを作ったことなんてないのに。

ふとパソコンから目を上げて駅の階段の方へ視線を向けると、店のガラスのすぐ向こうで見知った顔が俺をがっつり見ていたことに今気が付いた。向こうもハッとした表情で俺を見ていて、それが朝此処で挨拶をしてくれる彼女だと気付くのに、そう時間はかからなかった。

こんばんはと言っているのだろうか。口がかすかに動いて頭を下げて来たので、俺も思わず笑ってペコリと頭を下げた。ふにゃりと笑い返してくるその笑顔になかなかどうして心を惹かれ、つい「来て」とても言うかのように手招きをしてしまった。彼女は一瞬戸惑ったが、ちょっと待っててくださいとジェスチャーされ、彼女は店の中に入ってきた。

「こんばんは!お仕事帰りですか?えぇっと、五条さん、でしたっけ」
「そう。五条弾。覚えててくれて嬉しいよ。難波ちゃんは、バイト上がり?」
「いえいえ、今大学から帰って来たところで!シフト表確認しようと思って寄っただけです」

お疲れ様ですと後ろから来た店員に声をかけられ、難波ちゃんはお疲れと手を振った。

「なんだかお疲れ気味ですね。お仕事忙しいんですか?」
「あぁー、うん。ちょっとヘマしちゃって」
「あれまぁ。まぁそんな時もありますよ!元気出してください!」

なんと軽い慰めの言葉か。目の前でガッツポーズをしてくる彼女があまりにも可愛かったので思わずぶはっと吹き出してしまった。突然笑われた事に難波ちゃんは驚いていたが、今ので笑わない方がおかしいだろう。

「ねぇなんか奢るから、ちょっと話できないかな」
「え?私ですか?」
「うん。急ぎ?」
「いえいえ大丈夫ですよ。バイト割りきくんで奢りも大丈夫ですから!」

財布を引っ掴んで難波ちゃんは足取り軽やかにレジの方へ向かって行った。昨日今日であった彼女に何言ってんだ俺は。好きとかいう感情もないだろうに。これが恋?バカバカしい。まだ出会って二日目だぞ。赤の他人も同然なのに奢るだなんて、俺はどうかしたのか。

お待たせしましたと戻ってきた彼女も俺と同様、丁度いいのでここで晩ご飯済ませちゃいますとホットドックをトレーに乗せて戻ってきた。くそ、出会って間もない男の横で飯食えるのか君は。可愛い。

「スケッチブック?五条さん絵描くんですか?」
「あぁいや、デザイン案まとめて来いって渡されて」
「おぉー!プロっぽいですね!見せてください!とか、調子に、乗っていいですか…?」
「いやいやまだ何も考えられてなくて…」

ぱらりとめくったスケッチブックはまだ何も描かれていない。すいませんでしたと難波ちゃんは眉をハの字にホットドックにかぶりついた。くそが!なに口の横にケチャップつけてんだ!可愛い!いい加減にしろ!

「っていうか、難波ちゃんて大学何なの?なんでこんな荷物多いの?」
「そんな特別なところじゃないですよ。教育学科ですけど、今日は部活で着物使ってたんでその着物が入ってるだけです」

がさがさと紙袋の中から取り出したのは綺麗に畳まれた深緑の着物で、微かに香るお茶の匂いに息を吸い込んだ。お菓子にほいほいされ茶道部に入ったと恥ずかしそうに言う難波ちゃんの手からからんと落ちたのは簪で、よく見れば紙袋の中には櫛とか簪以外にも和柄のポーチがはいっていたりと、なんだか微妙に趣味が見えてしまっているような気がした。

「難波ちゃんて、和柄好きなの?」
「めっちゃ好きですよ!この菱菊の帯とか凄いお気に入りなんですよ!着物はやっぱり乱調間道に限りますし、この間は立湧花菱の帯に一目惚れして一月分のバイト代吹っ飛んじゃって親に怒られて」

マシンガンの様に話し続ける難波ちゃんを見て、ふと、己の服を見つめた。確かに、着物は着物だからこそこの柄が楽しめるだろうけど、今のご時世私服に着物を着るのは難しい。わけど難波ちゃんのように和柄が好きならそれらしい柄の服を着たいと思う子だっているはずだ。少なくとも目の前にいる子は

「でもやっぱり着物好きですけど、普段着としては難しいですよねぇ」

こう、言っているのだから。

俺は胸にささっていたシャーペンをノックしスケッチブックを開いて、今彼女が手にしている帯の柄を書き留めた。突然何をし始めたのかとキョトンとする難波ちゃんを心苦しいが放っておいて、再びシャーペンを滑らせた。

「た、例えばさ」

大雑把に肩を描き柄を描き、ガサガサと描いたスケッチブックを彼女の方へ向け

「こういう感じのスカートがあったら、着たいと思う?」

そう、問いかけた。カップを手にお茶をのみ込んだ彼女はぱっと顔を明るくさせ

「凄いですね!こういうのあったら私即買いすると思いますよ!!」

興奮気味にスケッチブックを持ってそういう彼女は、実に嬉しそうな顔だった。ただスカートに一部だけ縦に和柄が入っているだけの絵。それだけでも彼女にはなんとなくだろうが通じたようで、此れは可愛いともう一度褒めてくれた。

「じゃぁ帯みたいに、こうここに和柄なベルトとかしたらもっと可愛いんじゃないですか!?」
「それだわ!!!」

まさか素人からこんなに素晴らしいアドバイスが貰えるとは。難波ちゃんが指でなぞった通りに線を引き腰から斜めにかかるようにベルトを描き加えた。なんだろう。俺の中で何かが目覚めた。っていうか、和柄は完全にノーマークだった。ほとんど白黒で統一されているような俺の私服に初めて色が入ってきたような気がする。俺は天才か。いや難波ちゃん天才か。

「いいのできた!ありが……」

デザインに夢中になっていて、ふと顔を上げると彼女は其処に座っていなかった。あれ、帰ったかなと首を動かすと、いつの間にかレジに移動していた彼女は一つ小さめのカップを持ってきて俺に差し出した。

「なんだか凄い集中されていたのでつい。これ私の奢りです」
「…なにこれ?」


「ニルギリっていう紅茶のミルクティーです。良い香りがするんで、切羽詰まった時とかにおすすめなんですよ!五条さんがデザインしたそれが五条さんにいい結果となりますように祈りますね!」



バイト割ききました!といたずらっ子の様に笑う難波ちゃんに、

心の何かが外れた音が聞こえた。



「嬉しい、ありがとう!難波ちゃんのおかげだよ!」
「いえいえ!私も何か五条さんのお力になれたようで嬉しいです!」

「いや俺あんまり流行とか敏感な方じゃないから…」
「和柄は日本の文化ですから。流行とかないんじゃないですかね?」

「………難波ちゃんて和柄凄い好き?」
「凄い好きです!部活でも使ってるんで着物とかめっちゃありますから!」


「まじで!?あ、あのさ、連絡先とか教えてもらう事とか…!」

「え!良いですよ!いつでも呼んでください!キャリーバッグで駆けつけますね!!」
「まじで!?」



おいおい、恋っていうのは、こんなにとんとん進んでいいもんなのか!?
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