カフェテリアセレナーデ | ナノ


『急ぎ午後の資料を送ってくれ 高坂』

イラッとした。なぜ帰宅途中にそれを言うのか。残業残業に重なる帰宅途中での資料の請求。ちょっとまってください高坂さん。俺だって家に帰るまでが仕事だっていうのは解ってますけどさすがに電車の中でそれを送られても困ります。帰宅ラッシュで体の自由もきかないのにそんなこと言わないでくださいよ。ギリギリ腕だけは動かせる。片手で文字をうちやっとこさ『電車の中ですのでもう少し待ってください』と送信できた。これはあれだ。家に帰る前に送らないとダメなヤツだろう。ここから最低でも30分以上はかかる。高坂さんの『急ぎ』は五分から遅くても十分以内だろうから電車から降りたらどっかの店に入ろう。んでもうそこで飯も済まそう。もう無理だ。今日は家に帰って泥の様に寝るパターンだ。

とにもかくにも電車から降りなきゃパソコンなんか開けない。幸いなことに耳に届いたアナウンスは乗り換えをするために下車しなきゃいけない駅。此処で降りる人数は多く、ぼーっとしてても押し出されるように外に出られる。いつのものように人の流れに身を任せて電車から降り、俺はひとまず何処かに入れる場所を探した。

そこでふと目についた店。それは今朝方、いつもと同じ毎日から抜けようと立ち寄ったカフェ。今朝めっちゃ可愛い子に「いってらっしゃい」と言われた店だ。確か名前は難波ちゃん。そうだあそこでいいと、俺は人の流れから抜けだしつつ、店のドアを開けた。

「いらっしゃいませ!カフェテリア山梔子へようこそ!メニュー表をご利用されますか?」
「あ、えっと、大丈夫です。ありがとうございます」

もうカタカナの波にのまれるのはこりごりだ。今朝難波ちゃんにおすすめされた物の名前なら憶えているし、あれは目が覚めるほどにいい香りと味だったからあれでいい。あれでいいという言い方には少し間違いがあるな。あれがいい。そして、あれしか知らない。

「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか?」
「ヌワラエリアのストレートをアイスでお願いします」
「畏まりました。サイズは如何いたしますか?」
「中くらいのやつでいいです」

しまった、それの名前忘れてた。レジをやっていた爽やかな青年はそれでも通じたらしく、今朝と同じ金額を提示した。と、いうことは通じたんだな。良かった。ありがとうお兄さん。

ただ一つ残念だと思ってしまったのは、レジが今朝のあの子、難波ちゃんではなかったということ。くるくるとうっとおしい前髪をかきあげ店内を見回してはみたものの、やはりそこに難波ちゃんの姿は見えなかった。ちょっと残念だなと思いながらも、今朝あったばっかの女の子になんつーよこしまな考えを持っているんだ俺はと反省した。別に黒髪一つ結びの素敵な笑顔に惚れたわけじゃねぇし!全然違えし!

カップを受け取り席につき、バッグからパソコンを取り出してそれを開いた。高坂さんが送れといっていた資料をzipでまとめてメールを送信。数秒後『ありがとう』と来たので、さっきのイライラははなかったことにした。喉は潤い茶は美味い。今日の仕事は無事終わったし、後は帰ってゆっくり寝よう。


「お客様、御寛ぎの処申し訳ありません」
「はい?」

「新作メニューの試飲会を行っているのですが、御一つ如何ですか?」


パソコンを閉じてカップに口をつけたとき、座っていた俺の横に一人の店員が屈むようにして俺の顔を覗き込んだ。あ、この子は確か、難波ちゃん。

「あ、ありがとうございます」
「もしよろしければお味の感想をお聞かせください」

難波ちゃんは今朝の事を覚えているだろうか。だがしかし特に何も反応を起こさなかったので、忘れていると見た。まぁいい、また明日も来る予定なのだから。受け取った小さいカップを口元に運ぶと、さっき注文したのとはまた違う香りで、少々強い花の匂いが肺いっぱいに香った。

「匂いキツいッスね。あ、でも、味は美味しいです」
「ありがとうございます!これはカルチェラタンと言うのですが、男性はあまりこの匂いお好きではないですか?」
「…個人差はあるとは思いますけど、俺はあんまり好きじゃないですね」

疲れた体にこの匂いはちょっとキツいかも。素直にそう感想を言えば、難波ちゃんはなるほどとメモを取った。



…よし、一発勝負に出てみようか。



「俺としては、今朝あなたがおすすめしてくれたこっちの方が好きですよ」

受け取った小さいカップを横に置き、さっき俺が注文したやつを手に持って見せると、難波ちゃんはメモを取っていた手を止めて、嬉しそうにニコリと笑ってくれた。


「やっぱり今朝の方でしたか…!もしかしたらと思っていたんですけど…!」
「いや俺ももしかしたら覚えててもらえてないかと思って」

「もちろん覚えていますよ!いってらっしゃいって言って、お返事もらえたの初めてだったんですもの!」


それはあまりにも綺麗な笑顔で、俺はつられて頬を緩めてしまった。


「それに印象的な、綺麗な深緑の髪色の方でしたし…」
「あぁこれ、仕事柄ちょっとね」
「モデルさんか何かやられているんですか?」

「うーんと、ファッションデザイナーやってて」
「わぁ、おしゃれですね!さすが!その髪色も似合ってます!」

「君は?」
「私まだ大学生ですよ、大学一年生です!」

あぁ、やっぱり年下だったんだ。今朝からずっと?と聞けば朝と夕方入ってるんですと答えてくれた。なるほどなるほど。そりゃぁ今朝も今も逢えるわけだ。


「あ、俺五条。五条って言うんだ。五条弾」

「あ、ご丁寧に。難波です。難波小町と申します」


「仕事中だったのにごめんね」
「いいえいいえ!またご来店お待ちしてます!」

「また明日の朝も来るね」
「はい!お待ちしてます!」


ごちそうさまでしたとカップを渡して、俺はパソコンをしまい店を出た。

一度振り向けば、店の中から彼女が手を振ってくれていて、電車から降りたときの疲労が嘘の様に足取り軽やかに歩き出せた。会話もできたし名前も聞けた。なんだかちょっと鵜rしい出会いがあったな。…学生じゃないっていうのに、俺もまだまだ捨てたもんじゃないな。

また明日も、彼女に会いに来なければ。


「あ、飯食うの忘れてた」
[ 2/6 ]
[*prev] [next#]
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -