しとしと雨が降る中、僕は母上と一緒に買い出しに出ていた。油が切れて家の灯りがないからと出ていく母についてきたが、雨は次第に強くなり、出かける時は傘は必要ないぐらいだったのに、あっというまにお着物はびしょびしょになってしまった。

「母上、しばらく此処で雨宿りですね」
「そうねぇ。あの人が心配していなきゃいいけど」

雨が降る夜は何も見えない程に暗くて寒い。濡れた僕を母上が手拭いで拭いてくれていると、雨宿りをしていた建物の屋根から、二人の人が音もなく忍者みたいに降りてきた。突然のことに僕は肩を揺らし、母上は小さく声を漏らした。二人の人は、一人は狐の面を。一人は狸の面を被っていた。


「夜道にお困りのお二方。お急ぎならば狐火なんていかがかな?」

「夜道にお困りのお二方。お急ぎならば狸火なんていかがかな?」


其れは丸で物の怪の誘い言葉。上げた顔は面で見えなかったけど、体と声からして、男の人だろう。母上は震える手で僕の肩を掴んでいたけど、僕はこんなものに遭遇するのは初めてで、思わず一歩前に踏み出してしまった。

「狐火ってなぁに!?」

「なぁんだ君は狐派かぁ。それならしかたない。三郎、やってやれよ」
「良し来た。好奇心旺盛な君には狐火を送って差し上げよう」

狐の前髪から雨が地に落ちる。狸が蝋燭を取り出しそれを持つと僕の目の前で左右に振って、視線を左右について振ると笑いながらただの蝋燭だよと僕の頭に手を置いた。狐は面を少し上げ、口元を出したかと思えば、其れに向かって、大きく、炎を吐き出した。狸の手に持つ蝋燭は炎の勢いでさっきより半分ぐらいに減っていたが、それより不思議なのは、その蝋燭は、雨に当たっても消えないということだった。

「おうちまで気を付けておかえりな。ここらじゃ悪ぅい大人が出回っているからね」
「あ、ありがとう狐さん!狸さん!」

「では麗しきご婦人にはこちらはいかがかな」
「え、あっ、その、」

どこから取り出したのか、狸は大きな里芋の葉っぱを母上に差し出した。傘の代わりにという事なのだろうか。里芋の葉っぱをくれるなんてまるで本物の狸と狐が人間に化けているみたい。それではよい夜をと、狐と狸は大きく飛び跳ねながら、街の中へと入っていってしまった。だが、その二人が飛び去って行った方向をよく観てみると、こんな夜中なのになぜか向こうは明るく灯がともっていて、大きな人だかりができているようにも見えた。僕はその光にどうしても心を奪われてしまい、母上が止める声に耳も貸さず、狐の灯が揺れる蝋を持って雨の中をかけて行った。


「さぁさ入った入った!中に見えるは人か獣か妖か幻か!此れを見ずに雨夜を過ごす事勿れ!東西南北ぐるりと囲むは人から離れた物ばかり!」


赤毛のお兄さんが台に腰掛け煙管を大きく吹かして煙を散らせた。身体に大きな蛇を巻かせたその人の横に掲げられている看板は『見世物小屋宵闇座』と書かれている。初めて見る看板だ。こんなお店、今までこの町にあっただろうか。しかし、最近町でよくその名前を聞いていたような気がする。見世物小屋がどうのこうのって。だからなのか看板の横には、どこもかしこも化け物の様な姿をした人達の絵が書き並べられていた。人狼。轆轤首。三味線弾き。蛇男。どれもこれもおなじぐらいの年頃の男の絵だけど、本当に何処か、人間とは違う姿をしていた。台に腰掛けるお兄さんに目を奪われていると、僕と同じぐらいの年頃の男の子がいつの間にか僕の後ろに立っていて、口をパクパクさせ音にならない声を出しながら、入口の方へむけ指を差し、僕の背中を押していた。

「一平、お客さんかい」

いつの間にかお兄さんが僕の目の前に来ていて、一平と呼ばれた子に手をパタパタと動かしていた。それを見た背中の子は大きく頷いて僕を押した。もしかしてこの子、耳が聞こえないのかな。

「私は座長の林蔵というものだ。これは一平。私の助手だ。坊主。好奇心は時に命取りだぞ。此処に入れば二度と出てこられなくなる時もある。それでも中に入るかい?」
「…でも僕、お金持ってないから…」
「一平が君を入れたがっている。お金はとらないでおいてあげよう」

お兄さんが僕と同じ高さぐらいまで腰を落とすと、後ろから僕の名前を呼ぶ声が。走って追いかけて来たのか、母上は息を切らして、そして唖然としたように店の看板を見つめていた。

「お母さんですか。引き返すなら今、と言いたいところですが、生憎坊ちゃんは中に興味津々の御様子。子供の好奇心を殺すのは親のすることに非ず子が進みたいと申すならそれを支えるは親の務めであり責任であります我が子の手を離したくないと言うのならそのまま中へ、ズズイとお進みくださいませ」

母上が何か物申す前に、お兄さんは捲し立ててるようにそれを遮っては、店中へ続く暖簾を片手で引きあげた。一平くんと呼ばれた子は楽しそうに林蔵座長さんの腰に抱き着いていて、手招きするように僕らを誘い込んでいた。大きな蛇も、一平くんの手と同じように首を動かしていて可愛いとさえ思えてしまった。

「お代は、これで結構」

「おや少年来てしまったのか。結構結構。だがもう後には引けないぞ」

僕から蝋燭を奪い取り煙管の火種に火を入れると、再び大きく息を吸い込んで僕に向かって吐き出し、林蔵座長さんの後ろに現れたさっきの狸が、母上がさしていた葉の傘をむしゃむしゃと食べ始めてしまった。それにしても、不思議な匂いのする煙だ。不思議と体が軽くなっているような気がする。吸い込まれるように周りのお客さんも中へと入っていった。夜道を照らす蝋燭の灯も、雨を避ける葉の傘も無くなってしまっては、帰るに帰れない。

「…母上、雨宿り代わりに入ってはダメでしょうか」
「そ、そうねぇ…」

なんだかんだいって、母上も興味はあるようだった。どうせ雨がやむまで帰れない。だったら面白そうなこの見世物小屋というものの中へ入ろうと僕は一平くんに手を振って、中へと足を踏み入れた。中は狭い通路から始まっていた。そこら中に気味の悪い絵やら血で汚れたような武器?かなにかが飾られていて、こんな場所へ足を踏み入れたのが初めてのぼくはなんだか興奮しているようだった。

「これは小さなお客さんだ。だが気を付けろよ。子供の肉は柔らかくて美味いと、こいつはいつもそれを食べるんだ。皆々様もどうか近寄らないでいただきたい」

カッコいい顔をしたお兄さんが壁に背を預け、横に置かれた檻を指差した。だけどそれを見て僕は肩を揺らした。檻の中に入っているのは僕より何個か年上なのだが、目は真っ赤。牙の様に鋭い歯を見せる様に大きく三日月をえがく口元。獣の様なぼさぼさな髪の毛は、まるで人狼。

「あ"ぁ"あ"ぁ"っ!!」
「ひっ…!」

人狼は僕の腕を掴もうと檻の中から大きく腕を伸ばした。食べられてしまう。そう思って一歩後ろに下がると、僕の横にいた髪の毛が凄くさらさらなお兄さんの着物が捕まってしまった。

「やめろ!離せ!!」

凄い力で人狼はその人を引っ張り、

「あぁぁあああああああ!!」

あろうことか、その人の右腕を食いちぎってしまった。後ろを振り向き腕を食う人狼。右腕を食いちぎられたさらさらの人は傷口を押さえ叫んだが、地面は真っ赤に染まってしまった。

「だから近づくなと言ったんですよ。作兵衛、作兵衛はどこだ」
「はい!」

奥から出てきた赤毛の人は、腰から縄を取り出し傷口をふさぐ様に切れた腕にぐっとそれをしばりつけて、叫ぶお兄さんを中へと連れて行った。人狼はまだ肉を食べていて、僕は思わず吐き気を感じた。周りのお客さんも怖がってはいるのに、不思議と、入り口に引き返そうとはしなかった。それは僕も、母上も同じ。入口で人狼にあった。店の外の絵には轆轤首の絵もあった。蛇男の絵もあったし、梯子芸をしている絵もあった。そういえば、檻の横にいたお兄さんは梯子芸をしていた絵の人にそっくりだ。作兵衛と呼ばれていたあの人も描いてあったような気がする。

「お兄さんは、梯子の芸をされる方ですか?」
「そうだ。さっきの作兵衛と一緒にな。留三郎と呼んでくれ」
「人狼さんはどうして此処にいるのですか?」

「そりゃぁお前、こんなのが人里で暮らせるわけがないだろう?放っておけばお前も俺も食われるかもしれないしな。保護って形だと思ってくれればいいさ。檻から出せば何をするか解らんから、こいつはこのまま閉じ込めてある。だが名前はあるぞ。林蔵がつけた名前がな。八左ヱ門と呼んでやってくれ」

人狼の名前は八左ヱ門さんと言うらしい。小さくそれを口に出すと、人狼はこっちを振り向いたが、口の周りは血だらけだったのでふと視線をそらしてしまった。

「俺たちもあとで舞台に上がる。もしよかったら最後まで見ていってくれ」
「はい!」

頭に手を置く留三郎さんは「さぁさぁ見ていってくれ」と後ろから入ってきた別のお客さんに八左ヱ門さんの紹介をしていた。奥へ進めば三味線の音が聞こえてきて、顔を上げると、台の上で胡坐をかいて三味線を弾く人がいらっしゃった。真っ直ぐ見つめるその視線の先になにるのかと思ったが、そちらを向いても何もなかった。

「三味線がお上手ですね」
「っ!ありがとう!そう言って貰えて嬉しいよ!林蔵座長が教えてくれたんだ!」

会話をしているのに全く目線があうことはない。

「もしかしてお兄さん、目が見えないんですか?」
「あれ外の絵姿見ていない?僕はめくらの藤内だよ?」

めくら。そんな絵あったような気がする。そうかこの人がそうなんだ。

「子供だ。珍しいお客さんだ。さっき三郎さんが言っていた子かな」
「さぶろうさん?うわっ、」
「火の匂いがする。君さっき狐に火を貰っただろう」

藤内さんの後ろから出てきた人は、顔や腕に鱗のついた綺麗な人。振り向いた目の前に真っ赤な蛇が迫っていて、びっくりして目を見開いてしまった。凄く綺麗な人と蛇だ。あ、この人、蛇男だ。

「も、らいました」
「藤内も僕も舞台に上がるよ。是非最後まで見ていってね」

幕の向こうへ消えていった蛇男。藤内さんはそれを合図か、再び三味線を奏で始めた。



「母上、此処は不思議なところですね」

「…これが人の果てなのかしら……」



広くでた場所。東西南北に外と同じ絵姿が飾ってあって、何処を見渡しても起きることなどありはしない。早く何かが始まらないかと、心を躍らせるばかりだった。
























「客入りは上々だな。雨の日にやってよかった」

「立花先輩先輩、燕が低いとはなんですか?」
「そうか藤内は知らないか。よし教えてやろう。天気俚諺という諺がある。植物や動物の状態を見て天気を予測するという諺だ。燕が低く飛ぶ日は湿度が満ち羽や体にそれがまとわりつき体が重くなり上手く飛べないと言われているんだよ」
「ははぁ、なるほど」

「それに、雨の日にこんな面白そうな店が出ていれば、雨宿り代わりにと思わず足をすすめたくなるだろう?」
「確かに。留三郎先輩の仰る通りです」
「だろう。それが人間の心理というやつさ」

「それだけじゃぁない。俺たちが噂を流したから、街の連中は元から興味津々というわけだ。雨の中はるばるやって来たんだから、そう簡単に帰ろうとも思わないさ」
「ましてや狐と狸が誘うんだから、来ないなんてことはありえない」

「立花せんぱーい。この義腕なんです?なんかめっちゃ美味いんですけど」
「ただの団子だ。血は木苺を磨り潰しただけだがな」

「食満先輩、鎖骨の鱗剥がれちゃいました」
「どれみせてみろ。直してやろう」


「お待たせ!入口を閉めたぞ!目当ての客人も入られた!これにて入場はお断りだ!ここから先は地獄を見せねばなるまいよ!」


「おう任せろ!」
「腕がなるな」
「頼んだぞ!」

幕を開いた其処にいたのは、学友後輩といえど、人から離れた姿をしたもの達ばかりだ。気合を入れた連中は各々、己の場所へつくために幕から別の場所へと移動していった。夜は更け月もなく、辺りは暗く雨は強い。絶好の店物日和だ。


「大丈夫か一平。怖かったな後ろにいていいんだぞ」
「大丈夫です!僕も林蔵先輩と一緒に行きます!」
「良い子だな!では、始めよう!」


其れの言葉に、作兵衛の手でドン!と大きく叩かれた太鼓。それを合図に幕をから出て、俺は大きく煙管をふかして頭を下げた。


「今宵も良い月がお見えの中、皆々様ようこそおいで下さいました。手前は座長の林蔵と申します。これは聾の一平と申します。何卒お見知りおきを。んでもって我々日ノ本回ってぐるりと見世物をしているんですよ」


何処かで聞いたご挨拶。それを耳にして、数人が眉を動かしたのが目に見えた。

「此処で見たことが皆さんの記憶に残りますよう、我々一同心よりお祈り申しております」

ほいほいと連れられてきやがって。愚かなやつらだ。


「長い前置きもこの辺に。そろそろ始めさせていただきましょう!」


一平を傷つけた罪。今夜この場で償ってもらうぞ。






「いざ舞わん!死色菩提の人の子よ!」






会場は満員。立ち見もいるほどだ。

大きく手を挙げると、八左ヱ門が描かれた南の幕が大きく開き、歓声と悲鳴と拍手の中、宵闇座の第一公演は始まった。
- 5 -
|
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -