「おっと、これは安藤先生」
「おや、若王寺。このような時間に外出ですか?」
「少々野暮用でね。担任が見当たらないんですよ。代わりに俺の外出届受理していただけませんか?」
「いいでしょう。私が受け取っておきます」

外出届を担任に渡そうと思ったのだが、何処にも見当たらなかった。部屋にいなかったとなるともしかしたら緊急の出張でも入ってしまわれたか。外出届を渡したらあいつらとは正門で待ち合わせすることになっている。あまり待たせたくはないのだがと思っていると、長屋の曲がり角で安藤先生とぶつかりそうになった。この際教師なら誰でもいいと懐から外出届けを取り出すと、安藤先生は意外とすんなりそれを受け取ってくださった。

「……若王寺」
「はい?」
「生き物と別れるというのは、それほどまでに心に深く傷を負わせるものなのですか?」
「…あぁ、一平の」

「あんなに感情的な一平は初めて見ました。一度テストの点数が悪くて叱った時、泣きはしましたがあんなに酷い声を上げたりはしませんでした。…私は生き物というのを飼ったことがないので、一平の気持ちを解ってることができなかったんです。長い間教師をしていますが、このようなことは初めてでしてね。知っているでしょうが、今日は一平は部屋に閉じこもって授業に出てこなかったんです。だけど、理由を聞いたらさすがに叱ることもできなくて…。生徒の気持ちを解ってあげられないとは……私は担任失格ですねぇ」

いつもなら寒いオヤジギャグの一つや二つ言ってくる先生だが、己の受け持つクラスの生徒が勉強以外のことで泣いていたとなるとそんなことを言っている場合じゃないのだろう。珍しく凹んだような、それでいて悲しそうな顔をしていた。いつもの勢いはどこへやら。心配するように安藤先生の顔を覗き込んだセイキチはしゅるりと俺の外出届を持つ安藤先生の手に擦り寄った。安藤先生はそれに驚きはしたが、おそるおそるといった様子でセイキチを撫でた。

だがしかし安藤先生がそうなるのも仕方ない。生徒の悲しみを解ってあげられないというのは、時に辛い事だろう。

「えぇ、一平は今回は相当大きい傷を負ったでしょうね」
「やはりそうなのですか」
「安藤先生の愛娘が、知らぬ人間に金儲けのために殺されたと考えればよろしいのではないでしょうか」
「嗚呼、それは、なんと悲しい事でしょう…!一平はそんな傷を…!」

「ですが、こういう事態は先生や友人が励まして完治する傷ではありません。どうか今回は、一平自身が立ち直るまでは先生は何もしないであげてください。一平のためにも」

「もちろんです。一平の委員会の委員長がそう言うのなら、私はそれに従いましょう」
「ご理解が早くて助かります。それでは、おやすみなさい」

セイキチが首をひっこめ安藤先生から離れたでの、俺は一礼して安藤先生の横を通り過ぎた。安藤先生も小さい声でおやすみなさいと言い、自分の部屋へ向かって歩き出した。

知らなかった。一平は今日授業を休んだのか。あいつはそう簡単に授業をさぼるようなヤツではないのに。そうかそうか、一平は思っていたよりも深い傷を負ってしまっていたのだな。セイキチも一平の心配をしているようだが、今は俺たちからの元気を出せと言う言葉すら受け付けないだろう。拾った犬とはいえ、もう一平には友人同然。それ以上の、家族同然と言っても言い過ぎではない。授業が終わって放課後になり、友人と遊ぶ時も一緒。委員会の時も常に一緒に居た。そんなやつが、知らぬ人間に殺されたとなれば、心を閉ざすのも無理はない。

「悲しいなぁセイキチ、命の重さというものを解っていない連中のこのような愚行は」

シュウと鳴いて、セイキチは俺の身体から離れて地を這った。どこに行くのかと思いきや進んでいく先は正門の方。そして上った体は、俺を待っていたハチ達ではなく、孫兵の身体だった。

「孫兵?何してんだお前こんな時間に」

「すいません林蔵先輩、孫兵がどうしても自分もついていきたいと言ったもんで…」
「お願いします林蔵先輩。僕も、見世物小屋というものを見てみたいんです」

「そうかそうか、孫兵、好奇心は時に命取りになるぞ」
「えぇ解ってます」
「そうか。よし気に入った一緒に来い。勘三郎、孫兵とジュンコはお前らが守れよ」

「えぇ」
「お任せください」

ギィと音をたて、門を開いて外へ出た。今日はなんと醜い二十六夜か。

こんな時間に私服で歩いていたハチと三郎と勘右衛門を、ジュンコを探している孫兵に見つかってしまったのだという。五年生が三人、忍装束ではなく私服となると何かあるに違いないと、孫兵はどこへ行くのか問い詰めた。聞けば、例の見世物小屋に行くのだと。生き物の命を粗末にする集団の出し物、孫兵はどうしてもこの目で見てみたくなり、急ぎ外出届けを出してきたと言った。

「よく下級生がこんな時間に外出届を受理されたな」
「林蔵先輩に出して来いって言われたんですって言ったら案外あっさり通りましたよ」
「はははは!孫兵も悪知恵が働くようになってしまったな!そこで俺の名前を出したのは正解だったな!」

「ハチの名前じゃこうはいかないなぁ」
「俺の名前じゃ逆に出してもらえなかっただろうよ」

上級生が四人とはいえ夜道。山賊でも出てきたら面倒だ。唯一の下級生である孫兵を守るように、前に俺。孫兵の後ろにハチ。左右に学級がついて、まるで孫兵の護衛隊だ。セイキチも孫兵の足から首に胸までにかけてぐるぐると巻きつき、首にいたジュンコといちゃいちゃし始めた。セイキチは毒はなくとも締め付ける力はぴか一だ。いざとなれば馬一頭首を絞め殺せるだろう。孫兵とジュンコの事は気に入っているから手をださないだろう。安心して任せていられる。

月夜の道を歩き、先日買った情報を頼りに町へ入り目的地へはやる気持ちを抑えながら進むと、どこからか太鼓と客引きの声が響いていた。夜に似合わないその声が響く先へ行くと、一件の店の周りは人であふれかえっていた。あそこかとハチに目をやると、ハチはゆっくり頷いた。

「さぁさぁ寄って寄って!今宵皆々様にお目にかかりますは『犬喰い女』と『馬男』!当座看板の『蛇男』!さぁさ寄ってらっしゃいお客さん!お代はお後!入って入って!」

「ひでぇ呼び込みだ。久作のほうがいくらか上手だろうに。なぁ孫兵」
「知の宝庫である図書委員会と比べてはいけませんよ」

建物の入り口には「座」「い」「な」「れ」「く」と書かれた提灯がぶらさがっていた。くれない座。まさにここだ。紙を丸めそこから叫ぶ男に指を五本立てると、どうぞどうぞ!と手を入口へ向けた。

「うっ、!」
「ひでぇ…」
「う、わ…」

店に入り、まずハチが呻いて鼻をふさいだ。次いで勘三郎も鼻を押さえて息を止めた。次いで手を繋いでいた孫兵も、嘔吐を感じたのか、うぅと呻いて口を塞いだ。ジュンコは孫兵の懐に入り、セイキチは俺の身体に戻った。臭い。臭すぎる。ここはなんと腐臭に満ちたところか。獣の匂いと血の臭い。それにまじって人間の臭いもする。これは…思っていたよりも酷い所だ。

「へぇ…」

入口に入り奥へ進むと、道中檻の中に入っていた孫兵と同じぐらいの歳の子供が一人。いや、ひとりというか、一匹。足枷をはめられ目を閉じ、そして置かれた紙には誰かの似顔絵が描かれていた。手には筆が持たれている。

「お兄さんお目が高いね!」
「これは……めくらか?」
「そうそう、だけど何故か絵は描けるんだよ!面白いだろ?」
「あぁ面白いな」

目を閉じていた子供は俺の声が聞こえたのか、物乞いをするように手を出した。其処へ乗せた金に、子供は満足そうに口角を上げた。

「一平と彦四郎も一歩間違えればこうなっていたかもしれないな」
「林蔵先輩…!」
「ありえない話ではないさ。返してもらえただけありがたいと思え」

子供を見下ろし、そして進んだ。孫兵は思っていた以上に衝撃が強かったのか、俺の腕に抱き着いたままだ。この子供が売られたのか攫われたのかは解らないが、楽しくてこんなところにいるわけがない。子供すらも商売道具にするか。それも、足枷をはめてまで。

進む間の道でさえ、心地いいものは何一つとしてなかった。蛇を食いちぎる男の絵、下半身が馬となった男の絵や、小犬を抱える女の絵。その他にも火を噴く男や刀を飲む女の絵。腕に足がつき足に腕がついた男の絵なんか気持ち悪くて見ていられない。悪趣味な店もあったもんだ。しかしここがこんな見世物小屋だったとは。俺の記憶ではここは扇屋だったはずだが、しばらく来ない間に空き家にでもなったのだろうか。何時の間にこんな立派な見世物小屋ができていたんだ。

しばらく進んだ奥にあった少し広々した空間。其処には思っていたよりも大勢の人間が座っていた。今俺達が座れるようなスペースは最前列しかない。仕方ないと壁際を歩き端だが一番に進み腰を下ろすと、ハチが懐から風呂敷を出して俺のケツに敷いた。一平がいないのならばと胡坐をかく足の上に孫兵を座らせたのだが、孫兵はまださっきから感じる腐臭に耐えきれていないようで、顔色を悪くし肩を震わせていた。これなら俺の煙管の方が幾分かいい香りの方だ。仕方がないので煙管に火をつけ孫兵に吸わせると、少々咽ながらも孫兵は正気を取り戻した。そんな中拍手の音が鳴ると、舞台そでから出てきた男はへらへらしながら頭をかいて真ん中まで歩いてき座布団の上に正座した。


「今宵も良い月がお見えの中、皆々様ようこそおいで下さいました。手前は座長の躑躅と申します。日ノ本回ってぐるりと見世物をしているんですよ」


まるで落語でも始めるかのような口ぶりで閉じた扇子を回しながら口を動かす男と、一瞬目があった。細めたその目になんの意味があったのかは、手に取るようにわかる。長々と説明を終え、「さぁ!」と声を高く膝を打ち足り上がると、どこからともなく聞こえる笛の音。

「まず最初にお目にかりますは当座看板男、蛇を食らう男、蘇芳とでございます。いやお客さん蛇を食らうとはいえこの男……―」

べらべらと喋る男をよそに、その横でいそいそと準備を始める男は比較的顔の整った男だった。

「…いやぁ、これなら孫兵の方が美しく男前だな」
「僕の方がお客さん取れますか?」
「あたりまえだ。美しい顔の孫兵に美しいジュンコ。お前らの方がよっぽどいい金になる」

「ちょ、林蔵先輩」
「冗談だ勘右衛門、そう馬鹿面晒すんじゃねえ」

そこから先は酷いものだった。細い蛇を鼻から入れ口からだし、貫通したと見せ、その後は思いきり蛇を食いちぎり、蛇の首はぽとりと地に落ちた。さすがにこれは見せられないと咄嗟に孫兵の目を塞いで背を撫でた。俺の着物を掴む孫兵の震える手は怒りかそれとも気持ち悪さゆえにか。

さらについで出てきた馬男とやら。檻の中にいるまま舞台上につれてこられた男。羽織を羽織った上半身は確かに人間。だが座り込んだ下半身は、馬だった。見ていて気分のいいものではない。それに、かなり臭い。これだけ狭い場所に獣の匂いが充満するとは中々腹にくるものがある。うわぁ、や、ひぃ、なんて声があがり、客が一通りその男を見終えると、それと入れ替わり立ち代わりで女が上がった。これまた麗しい女だ。

「参ったな、俺は美人に弱いんだが。あれはとびきりいい女じゃないか」
「…林蔵先輩」
「おっと、孫兵がいる前でこんなこと言うもんじゃねえな。お前の方が美人だよジュンコ」

懐に入っていたセイキチもジュンコも俺を責める様にフーッと声を漏らして怒った。おそらくあの女が一平のハヤテを食い殺したのだろう。首根っこを掴む子犬の首に、女は思いきり噛みついた。飛ぶ血しぶき。上がる歓声。響く拍手。


ここは、なんと命を軽く見ている者たちの集まる場所か。


座長が挨拶を追えると、場内の客はゆっくり小屋から出て行った。



「………いやぁ〜……正直キツいッスね…」
「なんだ三郎、お前忍務で何人も殺しているだろう」

「そりゃぁ忍務と割り切れれば何人でも殺せますけど……犬食いちぎるとか…ねぇ……」
「いやぁ俺も正直このへんが…」

道中、三郎がツラそうに笑いながら口を開くと、勘右衛門も腹を摩りながら気持ち悪そうにうううと声を漏らした。


「だが、ハチは解ったはずだ。あの出し物の如何様を」


「えぇ、解りましたよ」

「如何様?どういうことだ?」
「見せた物すべてが作り物だという事だよ。蛇男ぐらいは本物かもしれねえが、他は全て作り物だ」

「…つまり?」

「それに、あそこはおそらく人攫いが元だろうよ。………………その証拠にっ!!」
「林蔵先輩!?」


「あぁぁあっ!!」


抱き着いている孫兵を引きはがし後ろを歩いていた勘右衛門に孫兵の身体を投げつけた。懐に忍び込ませておいた握り鉄砲を取り出し、飛びかかってきた男に向かって発砲した。弾は男の右目に命中し、男は目を押さえながら地に転がった。間髪入れずにハチが男の背に乗り腕を後ろにさせ押さえ込むと、三郎がクナイを構え男から守るように男と俺の間に立った。

「おめでとう。これでお前もりっぱなめくらだ。次にあの檻で足枷をはめられるのはお前だろう」
「何…!?じゃぁこいつはさっきの見世物小屋の奴ですか!?」

「孫兵の美しさに目を付けて、次にあの舞台に立たせる子どもとして攫いに来たってわけだ。お前、蛇男と呼ばれていた男だろう」

忍の様に口元を追った布を外すと、臭う蛇の血の臭い。セイキチがそれに反応し威嚇するも、男はニヤリと笑って、舌を噛み、死んだ。

「…!せん、ぱい」
「座長が客として来ていた孫兵に目をつけ、攫って来いと言う命令でも出たんだろう。無事に孫兵を攫えても、失敗しても、こいつはどうせクビになるか、檻の中で別の見世物にされる運命だったんだろう。どちらにせよ生きた心地はしないだろうな。だったらここで死んだ方が幾分かましだ。ま、片目を潰した俺の台詞じゃぁないだろうがな」

死体を放置し、学園への道を急いだ。次に何が来てもおかしくはない。大事な後輩にまた傷をつけるような奴が現れてもたまらんからな。


「あんな作り物の店で、この俺の大事な後輩を傷つけ敵に回したこと、後悔させてやる」

「……林蔵先輩、顔が凄い極悪ですよ」
「何を言うかハチ。これは元からだ」
「何をおっぱじめようと言うんです?」




「明日の放課後……、孫兵、藤内と作兵衛を俺の部屋に連れてこい。留三郎と仙蔵には俺が話をつけてくる。お前らは雷蔵と兵助にも声をかけてみてくれ。六年も、暇な奴には声をかけてみよう。後はそうだな………座の名前もでも考えるか」




「…………え?林蔵先輩?」
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