犬、飼い始めたわけなんですけど。 | ナノ


▼ キースホンド

「わん」

と一声、子犬が鳴いた。

「この馬鹿犬がまーたそんなところに穴掘りやがって」
「暇だったんです」
「馬鹿いってないで部屋に戻りなさい。お前の足はまだ完治してないんだから」

「名前先輩」
「あ?」

「おかえりなさい」
「はいはいただいま」

穴かぴょこりと顔を出した喜八郎は、腕の力だけで深い穴から身体を拾い上げた。穴の横を通り過ぎる私の後ろをひょこひょこと左足を庇いながら歩いてくる姿が、なんだか怪我を負った犬のようだ。玄関につくなり履物脱ぐを前に腰をかけ若干辛そうにうえをみてフゥと息を吐きだした。まだ痛むのか問えば無理やり首を左右に振って、私が抱えていた風呂敷を奥へと運んでくれた。

「早く良くなるといいねぇ」
「良くなっても、僕は名前先輩から離れませんよ」
「へぇへぇ、そいつはありがてぇこった」

僕は本気ですと喜八郎は私の背中を踏み子ちゃんでつつかれた。私ははいはいと受け流しながら、後ろに立った喜八郎の腕をぐいと引き再び布団に戻らせる。大人しく布団に入った喜八郎は何処か不満そうにしぷぅと頬を膨らませたのだが、まだまだ完治には程遠い。むやみに歩いちゃいけないと何度だって言って聞かせているはずなのに。

「喜八郎、薬塗るから袴脱いで」
「えっちですね名前先輩」
「この家から追い出されたくなければすぐに行動に移しなさい」
「はい」

大人しく足を伸ばして座ったままの状態で、喜八郎は袴の紐に手をかけた。


喜八郎は、忍術学園卒業からわずか二ヶ月で抜け忍になった。最初その知らせを三木ヱ門から聞いた時は目玉が飛び出そうなほど驚いた。場所は言えないがとある城に就職が決まったにもかかわらず、就職後最初の戦が終わった次の日、喜八郎は城の忍に「ばいばい」と言ってその場から姿を消したらしい。時期が悪かった。交戦中だったにもかかわらず城を抜けたから、喜八郎は抜け忍として追われることになってしまったのだと。なんでそんな馬鹿な真似をと思ったのだが、その話を聞いて喜八郎を探しに行こうと家に帰ったその時、家の前で倒れていたのはこれから探し出そうとしていた喜八郎その人だった。倒れていたのは太ももに刺さった矢のせいと、何日か逃げ続けていたから空腹が原因だったと、後に喜八郎から聞かされた。

「なんで抜け忍なんて……」
「戦の最中で、名前先輩のお姿を見かけました」

「え?私?」
「敵の情報を集める為豆を移す習いをしていたら、買い物をしていた名前先輩のお姿を見つけたんです。でも仕事中だから、声かけられなくて」

籠に野菜を入れて歩いている姿を、少し前に目撃されていたらしい。喜八郎は私が歩いて行った方角へと足を運び、おそらくここだと確信して、意識を手放したのだという。私という姿を見ていないのに家の前で倒れるだなんて、一か八かにも程がある。

「だ、だけど…なんで……」
「僕ずっと後悔してました。名前先輩が卒業されるとき、好きですって伝えることができなくて」

「……えっ」

喜八郎は昔から何を考えているのかさっぱりわからない子だった。藪から棒に変な事を言うし、いきなり穴を掘り始めたかと思いきや、突然私に贈り物を持ってきたりする。前者二つは置いておいて、あれが私へのアピールだったのかと考えると顔が熱い。簪貰ったり櫛貰ったり、団子を奢ってくれるだなんて珍しいと思ってたけど、まさか私を好いていた故の行動だったとは。

「そういう、ことだったの…」
「はい。そうです」

そうして私は、この馬鹿な犬を拾った。フリーのくのいちとしてのんべんだらりと暮らしてはいるが、生涯を共にする相手を探していたわけでもなし、怪我をしている元後輩を此処から追い出すこともできずにいると、無駄に母性本能が出てきて、じゃぁ私が嫁に貰うしかないなと一人で解決して、今に至る。元々喜八郎は私を見つけた喜びのあまり城を飛び出したものの、その後何をするのかはさっぱりなにも考えていなかったらしく、兎に角「名前先輩の御側にいたいです」としか言わなかった。ニートじゃないですかやだー。可愛い喜八郎のため住むことを許したが、今でもよく喜八郎を始末するためいろんな忍がこのあたりを嗅ぎつけてくる。けれどこっちだってくのいちの端くれ。可愛い後輩、可愛い伴侶一人守れずして何が先輩か。蹴散らし血を浴び、それでも喜八郎は私の側から離れようとしない。

「名前先輩、僕足が治ったら名前先輩と一緒に海に行きたいです」
「いいねぇ、久しぶりに兵庫第三協栄丸さんとこいってお魚買いに行こうか」
「僕はイカが食べたいです」
「私はタコ飯が食べたいなぁ」

ぐるりと包帯を巻いてきゅっと結び、満足そうに喜八郎が微笑むと、家のドアをどんどんと叩く音が聞こえた。この家は同期生にしか教えていない。連中が来たときは窓から入るようにと言ってある。つまりは部外者。喜八郎は空気を察したのか布団を頭からかぶり息をひそめた。

「…はい、どちらさんでございましょう」

「此処に灰色の毛をした少年が来なかったか」
「さぁ、見ておりませぬが」
「嘘を申せ、この家の方角へ行ったのを見たという情報は掴んでおる」
「どうにも、とんと身に覚えはありません。此処にいるのは私と、病に伏せた父が一人で…」

忍装束ではなくとも殺気をまき散らすなど、なんと馬鹿な忍もいたものか。これはおそらく、喜八郎が前に仕えていた城の忍。追いかけてこんな辺鄙な場所まで来たのだろう。私が一歩横へずれ家の中を見せると、二人の男は家の中をぐるぐると見回した。怪しい者など何もないというのに、この男ら完全に喜八郎がここにいることに確信を持っているな。

「む、これは誰奴のものだ」
「それは私の仕事道具に御座います」
「……踏み鋤がか?」

「あら、畑仕事にはつきものですもの。…忍者のお兄さん方には解らないでしょうがね」

私のその一言に、二人は眉間に皺をよせ懐に手を入れると素早く武器を取り出した。こっちだってだてにくのいちをやっているわけじゃない。壁に隠しておいた刀は黒くさびている部分もあり、近いうちに血を浴びたと解らせるには十分であった。喜八郎の踏み鋤を持ったまま、一人は家の外へ、もう一人はその男の横に続けて飛び出していった。

「それは私の可愛い馬鹿犬の遊び道具だよ。勝手に人ん持ち出すなんて失礼だと思わないの?」
「本性を現したな女狐。その犬を我々は探しているのよ」
「城を裏切り女の家に逃げ込むなど、忍の風上にも置けぬわ!」

「よーしその喧嘩買った!うちの馬鹿犬の遊び道具を返せ!!」

飛んできた手裏剣を車返し。確実に首元を狙ってきた刀に敵は一歩よろけるが、二対一では少々不利か。今のうちに遠くへ行けと喜八郎に矢羽音を飛ばすのだが、返事は一向に返ってこない。まさかそのまま眠ったんじゃあるまいな!?

「どわぁ!?」
「おっ、落とし穴!?」

一歩後ろに後ずさった時、男が一人地中に消えた。それは見るも恐ろしい針山のトラップ付の落とし穴で、刺さるまいと両手両足を踏ん張り壁につけ、男はかろうじて生きていた。もしや喜八郎、私が帰って来たとき穴を掘ってたのは、追手がまた来たとき用のトラップを仕掛けておいたのか?


「僕の踏み子ちゃん返して!!」


仲間に声をかける男の脇、樹の陰から飛び出してきたのは、家の中にいたはずの喜八郎だった。足が痛むのを我慢して飛び出したのか、顔は痛みに歪んでいた。一瞬のすきをついて男から踏み子ちゃんを奪い返した喜八郎は足を引きずりながらもこちらへ駆け、必死に手を伸ばした。

「出たな野鼠!殺してやる!!」
「名前先輩!」



「喜八郎!!伏せ!!」



まるで犬に命令するように、そう叫ぶと、喜八郎は頭を抱えてその場に伏せた。クナイを振り下ろす男の首に、私の切先が届いた。刃の下で頭を抱え目を瞑る喜八郎は、私が今どのような状況なのか解ってはいないだろう。男は腕を上げたまま怯んで「ヒッ」と小さく声を漏らすだけだった。

「今帰れば命はとらない。ただし、もう二度とこの子の命は狙わないで」
「ヒ、ヒィ…!」
「返事は!?」
「は、はいいいい!!」

情けなく涙を流し尻餅をついて、落とし穴に落ちかけた仲間を救出して忍は二人、樹の上へと消えて行った。


「…喜八郎、喜八郎、もう大丈夫だから」
「も、もう大丈夫ですか?」
「平気平気、もう行ったよ。ありがとうね、喜八郎の落とし穴のおかげで助かっちゃった」


珍しくおびえた様子の喜八郎を、しゃがんで抱きしめぽんぽんと背中を叩いてやると、ううと声を漏らして抱き着いてきた。ああこれは、なんて可愛い馬鹿犬だろうか。私が守ってあげなくちゃ。

「これでもう、僕もう帰る場所なくなりましたよ」
「そうね完全にクビだね」
「責任とってくださいね」
「よーし、責任取りましょう」

自ら城を抜けてきたやつが良く言うわ。

「それじゃぁリハビリがてら、海まで行きましょうか」
「晩御飯の買い出しですか」
「そうだよ」
「でも僕怪我人です」

「行かないと晩飯抜きかな」
「おやまあ」










例えるならそう

キースホンドのよう









「名前先輩はさっき僕を伴侶と言いました」
「口が滑っただけだわ」
「馬鹿犬から結構なランクアップですね。嬉しいです」

「御主人も守れない犬がいてたまるかよー。早く完治して私を守れるようになって」
「全力をつくしまーす」
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