犬、飼い始めたわけなんですけど。 | ナノ


▼ ウェルシュ・コーギー

「あれー?名前ちゃんもう帰り?」
「えぇ、もう定時ですから」

ボーンと低い音を鳴らした社内時計は定時を知らせた。外はもう日が傾き徐々に暗くなり始めている。随分と日が落ちるのも遅くなったもんだ。つい最近までこの時間帯、そとはもう真っ暗だったというのに。私は残業はしない派だ。っていうか、絶対にしない。仕事が終わらなければ風呂敷残業。定時以上此処に居たくない。上司がうざすぎるから。ねっとりとした視線が嫌だ。それに、これは好きでやってる仕事じゃない。この就職氷河期に職に付けただけありがたいことだ。だが、それとこれとは話は別。とっととここを離れたい。

………と、いうより、今は早く家に帰らねばならない理由がある。


「あ、名前、ちょっと待って」
「ん?」

「髪の毛ついてる」

隣のデスクの同僚が伸ばした腕は私の肩に。ひょいととられたそれは、明らかに私の髪の長さのものではなかった。

「うわ長い!誰の?こんな長い髪の毛この部署にいた?」
「いや、いないね」
「…え?何?おばけ?」

怖ー!と声を上げる同僚を横目に、私は同僚が手に持つ、深い灰色の髪の毛の主に心当たりがあるとでもいうかの如くため息を吐いた。それに気付いた別の男の後輩が「お疲れッスね」と私に声をかけた。徹夜で仕事をやってる要領の悪いお前に比べればなんてことはない、とでも言ってやりたいが。

「最近、犬を飼いはじめたんだよ」

「犬?犬でこんだけ毛が長いって、アフガンハウンドぐらいしか出てこないんだけど」
「いやぁ、そんな犬コロなんかよりもっと可愛くて賢いけど、どうしようもない馬鹿犬だよ」

「一人暮らしの女が犬飼ってると結婚できなくなるとか言いません?」
「殺すぞ」

お先に失礼します、と鞄を手に取りスーツを羽織り、私は仕事場を後にした。目指す先は、行列のできるケーキ屋。


「あのアフガンハウンドを犬コロ扱い…」
「名前先輩の殺気まじパネェッス」



















「ただいま」

「おかりなさい!!」
「左門、ただいま」

部屋から飛び出してきたのは大型犬、基、人間。正直この人懐っこい笑顔は犬とカウントしてもいいと思っている。深い灰色のポニーテールを靡かせて家のドアを開けた私の腹に突進をかましてきたのは、神崎左門。もちろん、れっきとした人間である。

「どう?帰り方解った?」
「いいえ…全然…」

「そう、別に急かしてる訳じゃないから気にしないで。ゆっくりしていっていいから。ご飯は?」
「できてます!今夜はカレーです!」

これは、捨て犬である。いや、迷い犬と言った方がいいのだろうか。小学生ぐらいの服に身を包んだポニーテールは、この世の人間ではないらしい。


初めてこれと出会ったのは一週間ほど前に遡る。帰り道の公園で膝を抱えて泣いているのを見つけたのだ。迷子かと問えばサクベエ、サンノスケと聞いたこのない名前を譫言の様に呼び続け、私の話を聞こうとしない。一向に涙を止める気配のない子供は良く見ると尋常じゃないほどの薄着で、肩に手をかければその体は信じられないぐらいぐらい冷え切っていた。何処の誰だか知らないが目の前で子供が死なれては関係ないとはいえ私だって後味が悪い。とりあえずうちにおいでとぼろぼろに傷ついた手を握り家に連れて帰った。

だが、それが間違いだった。暗い夜道をひたすら歩いていたから全く分からなかったが、よく見たらこいつ、袴だ。何と言ったらいいのか、なんというか、その、袴だった。七分丈に少し長いリストバンドをはめて、頭巾をかぶっている。何かの稽古中だったか。柔道、いや柔道はこんな胴着じゃ…。空手…いや違うな……。

「…名前は?」
「神崎、左門です」

古風な名前だ。

「……何処から来たの?」
「…忍術、学園から……」

「あ?」
「え?」

ニンジュツガクエンてなんだよ。と思いながらもとりあえず泥だらけの身体をなんとかしてほしいとタイマー設定で勝手に湧いていた風呂にぶち込んだ。だが左門と名乗る子供は目を輝かせ、これはなんですか!とシャワーを指差した。ついで天井を指差しこれはなんですか!と電気を指さした。何を言ってるんだろうこいつはとも思いながら今日は仕事が付かれていたのでシャワーだ電気だと説明して風呂に一人子供をとりのこし部屋に戻ってパソコンを開いた。検索して迷子の取り扱い方でもあればいいのにと思うことは後にも先にも今だけだろう。警察に連絡するべきか。迷子を捕獲しましたと。いや、大事にしたくない。それよりそんなことをしたら仕事に支障が出る。残業ダメ絶対。有給は使いたいときに使う。こんなくだらない時に使いたくない。とりあえずネットを開き検索バーに入力した言葉。それは「にんじゅつがくえん」。


検索しなきゃ良かった。面倒なことに巻き込まれたくもなかった。

アニメの世界が、なんだっていうんだ。


「お風呂ありがとうございました!ところでお姉さん!」
「あ?」
「お名前を教えてください!それと、何か着物を貸していただけないでしょうか!」

「…神崎左門」
「あ、はい!」
「サクベエというのは、富松作兵衛の事?」
「!作兵衛をご存じなのですか!?」

「…じゃぁサンノスケは、次屋三之助、かな…?」
「三之助まで!」


頭を抱えたその日の夕飯は、カップラーメンだった。





「左門が作るカレーは美味いんだよなぁー」
「光栄です!」
「良くその歳で料理なんてできるね」
「朝は食堂のおばちゃんが作ってくれますが、夕飯は当番制ですから!僕もよく作ります!」
「そっかそっか。先に着替えてくるね」
「はい!よそってまってます!」

自室に戻り箪笥を開いて、タバコの臭いが染みついたスーツをぶち込んだ。あの部長絶対禁煙させてやる。それか殺す。

アニメの世界からこの世にトリップ。まさか。安い小説設定でもあるまいに。幼い頃に見ていたアニメの世界からの来訪者。最初はそれを真似た手の込んだイタズラだと思った。だが左門が身に着けていた服を調べると、至る所から物騒な物が出てくるわ出てくるわ山の様に出てきた。リストバンドから何故が鉄の棒。脚絆からは小さな鋸。それだけならまだいい。懐や袴からは無数の手裏剣やらクナイが飛び出してきた。手に持って解る本物と物語る重さ。使い込まれた錆。良く見るとこの錆は、血がついてできる錆。頭痛と吐き気が一気に押し寄せたが、冷静になれと頭を振って現状を理解しようとした。つまり、あの世界からこの世界へトリップしたとでもいうのか。あの子が。まさか、そんなはず…。だけど風呂も知らない。電気を見て驚く。どう考えてもあの目は演技をしている目には見えない。洋服ではなく着物と言った。以上を踏まえて、私は、現実を受け入れることにした。

「あーお腹減った」
「準備できてます!」
「おーおいしそうおいしそう」
「良かった!じゃぁ食べましょう!」
「そうしましょう」

だがタダで住ませてやるほど私も優しくはない。帰り方が見つかるまで家に置いてやる。その代わりに、私がいない間家の事を任せたと休みの日以外は家事全般を左門に任せることにした。主に炊事だ。料理が嫌いなわけではない。ただ仕事から帰ってきてからキッチンに立つのが心底嫌なのだ。面倒。疲れる。だったらカップラーメンでいい。体に良くないことは重々承知している。だけど左門は料理ができると言った。ならばとキッチンの使い方を全て教えて、炊事を任せることにした。家賃を取らない代わりと考えれば安いもんだ。12歳で働ける場所があるわけない。

金がなければ体で払え。郷に入っては郷に従え。これがこの世の鉄則だ。


「美味しい!!!」
「よかったです!!!」

「いやもう本当に…仕事帰りにこんなご飯にありつけるなんて…幸せ…」
「僕も名前さんに拾って貰えてよかったと思ってます!あのままじゃ確実に死んでたと思うんで!」
「拾うだなんて……そんな犬みたいな…」

いや、左門は犬だ。確実に犬。柴犬らへんの犬だ。忠誠心が強く命令は良く聞き躾けはしっかり行き届いている。左門が話してくれた潮江先輩とやらと田村先輩とやらがしっかり指導していたからだろう。こんなに礼儀正しい小学六年生見たことない。箸はしっかり使えて言葉遣いもできている。お残しはしない。偉い。なんと素晴らしい捨て犬を拾ったのかしら私は。

その、作兵衛?とかいう子とか三之助?とかいう子とかと一緒に夕飯を作っているなんて話や、忍術学園という場所の話。授業内容や先生の話。ちょっと行った場所にある町の話。左門が話してくれる向こうの世界の話のネタは尽きることがない。逆に、私がこっちの世界の事を話してやることだってある。別世界から来たというめちゃくちゃな設定にももう頭も心もなれたようで、左門の話を疑うなんてことはしなかった。一人暮らしで寂しい晩御飯タイムだったが、左門が来てからなんとなくご飯がいつもより美味しいと感じるし、朝起きて誰かがいるということがちょっと嬉しくなった。

「御馳走様でした…」
「お粗末様でした!」
「く、苦しい……」
「あはは!食べ過ぎなんですよ名前さんは!」

「左門の飯が美味いからだよー」

食事を終え椅子に思いっきりもたれかかると、左門は自分の食器と私の食器を重ねて流しへ持って行ってしまった。ここまでやれとは言ってない。なんというできた子だ。いやいやいや、これはダメだ。さすがにこれでは、私が堕落してしまうではないか。幼い子供に全てやらせているように見える。




『 一人暮らしの女が犬飼ってると結婚できなくなるとか言いません? 』




ここでふと、先ほど後輩に言われた言葉を思い出した。一人暮らしの女が犬を飼うと、結婚ができなくなる。それは、動物がいると心の癒しができるため安心しきって婚期が遅れる、そういうわけだ。ちらりと視線をキッチンに向けると、其処にいるのは愛くるしい馬鹿犬。最近CMを見て覚えた歌を口ずさみ、ざぶざぶと皿を洗っては乾燥機に入れていった。

結婚に興味がない、わけではない。だけど彼女もいない童貞クソ野郎にあんなことを言われたことに非常に腹が立つ。

犬を飼うと結婚ができなくなるだ…?誰に向かって言ってんだ。その辺で飼われている飯を食って吠えて寝る犬と、帰宅すれば笑顔で飯と共に出迎え台所で皿を洗える犬、どちらが優秀化と考えればすぐに答えは出てくる。婚期が遅れるのはそのどうしようもな犬を飼っている場合の話だろう…。うちの犬をそのへんの犬と一緒にするんじゃない…!

「名前さん名前さん!」
「あ?」

「こ、これ!」

後輩の言葉にイラつきカーテンを握りしめている私の背に声をかける左門は、冷蔵庫の中を見て目を輝かせていた。其処にあるのはこっちに来て初めて左門が食べた甘い物。会社の近くにある行列のできるケーキ屋のケーキだ。中でも左門は其処のクッキー生地のシュークリームが大好物で、私の気が向いた時にはいつも買ってきた。日頃の給料、いや、お礼程度のものだけど。

「あのシュークリームですか!?」
「そうだよ」
「おぉ!」

食後のデザートにと思っていたのをすっかり忘れていた。私は冷蔵庫から箱を取り出しリビングのテーブルの上に置いた。


犬を飼ってると…。



「……左門、これが食べたいか」


「はい!食べたいです!」







「じゃぁ、その場で三回まわってワンと言え」







左門はキョトンとして、わくわくする顔を驚きと混乱の顔色に変えた。
意地悪を言ってしまったか。そう思ったのも一瞬。


左門はその場で手を広げくるくると回り



「わん!」



そう、言った。




「食べていいですか!?」
「………」











例えるならそう

ウェルシュ・コーギーのよう










「美味しいです!!」
「あー!ほらほら横!クリーム!垂れる垂れる!」
「あっ!すいません!」
「バカー!服で拭うな!」

「あー!すいません!!」
「こんっの馬鹿犬!!!」
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