その後、"黒ちゃん"そのものの姿を見ることは、ぱたりとなくなった。三木ヱ門も「黒い影は相変わらず喜八郎に纏わりついています」と言っているぐらい。三郎も「あいつの"形"が見えないな」と言っていた。恐らく言葉通り、黒ちゃんは喜八郎の中に憑依しっぱなしの状態なのだと思う。喜八郎にとっては最悪の状態だ。喜八郎自身、ストレスも相当たまっているはず。先日の様に夜中に学園から抜け出すようなこともしばしば。その度に脱走に気付いた滝夜叉丸やタカ丸さんが喜八郎を止めに起きる。三木ヱ門は、喜八郎がいう事を聞かない最悪の時、喜八郎の身体を縛り部屋に閉じ込める係に徹している。私もあれから喜八郎の身体が心配になり、一時的に四年長屋の空き部屋で過ごさせてもらっているのだが、夜中に起きないことはない。こう毎夜のように起こされては次の日の授業にもそこそこ影響が出る。できることなら一日中側に居てやりたいが、くのたまと忍たまでは授業を受ける内容も場所も違う。日中は諦めて、四年の連中、および三郎たちと、申し訳ないが三治郎にも手伝って貰うことにした。三治郎は快く了承してくれたし、三治郎の声掛けのおかげで、一年は組のみんなも協力してくれることになった。喜八郎に何かあったらすぐに連絡をしてほしい、と。生憎、忍たま及びくのたまで山伏出身は私と三治郎しかいないし、霊感がある奴らは結構いるのだろうけど、こういう時の対処法を知っているのは私と三治郎だけだ。三治郎に事の流れを全て説明すると、目つきを変えて協力しますと言ってくれた。三治郎をしばらく借りるとハチにも許可は得ている。

「喜八郎、おはよ」
「玉緒せんぱい…」

「…今日はどう?」
「……」

「そっかそっか。食欲はある?」
「…いいえ」

朝起きて、縛られた喜八郎の縄を解くのは私の仕事。あれから喜八郎は一睡もしていない。していないというか、できないのだ。何故だか解らないが、眠りにつけないらしい。寝ようと思い目を瞑っても、金縛りにあったように、意識はあるまま学園の外に飛び出そうとしている。そして全身を縄で縛られて朝日を浴びる日々。目の下にはしっかり隈があるし、いつもの喜八郎とは全然違う。返事を返す事すらやっと、といった感じだ。抱きしめれば抱きしめ返してくれるぐらいには力は残っているだろうけど、此のままじゃァ喜八郎の身体がいつまでもつか目に見えている。潮江先輩じゃあるまいし、何徹もしてたら今に倒れる。一度善法寺先輩に睡眠薬の処方をお願いしたのだが、もしそれが霊の仕業で無理やり起こされている状態で、そこに無理やり眠気を誘う薬を飲ませるのは危険だと言われた。確かに、喜八郎の身体には大きくダメージを与えてしまうかもしれない。眠りたいのに眠れない。そこに無理やり眠る薬を投与。よくよく考え、この方法はなかったことにした。ただでさえ体力が限界に近いというのに、そんな無茶な事出来るわけがない。

「……玉緒先輩」
「何?何か食べたい?」


「………助けてください…。もう、限界です……!」


眠れない。それ故に食事もとれない。そして大好きな穴も掘れない。まともな生活が出来ない。それなのに、その原因を喜八郎は見ることができない。ポロリと涙を流す喜八郎に、私は心を痛めた。喜八郎が弱音を吐くなんて、今まで一度としてあっただろうか。いいやなかった。喜八郎は、此のままじゃ壊れる。このままでは、黒ちゃんと同じになってしまう事だって、可能性としては、充分にある。

このご時世に生まれ殺された元人間。無理やり成仏させたくはないと思っていた、私にも責任はある。

「…ごめんね喜八郎、私の我儘だったね」
「玉緒先輩…」
「………じゃぁ、もう終わらせよう」
「…?」




「黒ちゃんに、出てきてもらおう」




尻尾が出るまでこっちから待っているつもりだった。頑なに喜八郎に乗りうつったままの黒ちゃん。いつか必ず向こうから出て来てくれると思っていた。だけど、その考えが甘かった。現にこうして目に見えるほどに喜八郎の身体を蝕んでいるのだ。もう、甘やかしてやる必要は、ない。

「三郎、いる?」
「いるよー。何か手伝うか?」

「その他五年と四年生に得意武器を持たせて集合させて。この部屋に」
「いいよ、任せておけ」
「ごめんね巻き込んで」
「いいって」

天井裏に声をかければ、今は兵助の顔をした三郎が降りてきた。ご丁寧に高野豆腐なんてくわえちゃって。三郎は指示した通り、天井裏に戻り気配を遠くへ消した。

「三治郎!三治郎はどこ!」

「はーい!」
「祓所を用意する。その間喜八郎をしっかり見張ってて」
「はい!」

三治郎は床下からひょこりと顔を出した。まぁおそらく委員会の後輩である兵太夫が委員会の先輩の喜八郎の部屋へ続く抜け道でもつくったのだろう。大方喜八郎が掘って兵太夫が道を作ったんだろう。
四年と長屋の前に用具倉庫から廃材を持ってきて、簡単ながら祓所を用意した。そんなにしっかりしたものでもないが、対するもそんなに大物というわけでもない。天狗を相手にするよりは恐るるに足らずと言ったところだ。用意している間に五年が喜八郎の部屋に集まった。やはり見る影もないというか、改めてみると余程やられているように見えるのだろう。顔をゆがめ喜八郎を心配するものがほとんどだ。ハチと勘右衛門が私を手伝い、その他は喜八郎をただただ宥めていた。残念ながら巫女服は持ち合わせていないのだが、一応頭巾だけは外しておいた。できあがった祓所のど真ん中に喜八郎を座らせ、各々が臨戦態勢に整った。中には違う者がいれども、器は可愛い綾部喜八郎。できるだけ怪我なく終わらせたいのだが、はたして相手がどう出てくるか。

「おい玉緒」
「大丈夫大丈夫、私だってそんなに馬鹿じゃない。それに喜八郎は刀の扱いには慣れてないはずだしね」

「だが中身は別だ」
「でも器は喜八郎よ」

三郎に手を止められたが、私はその手を制して、喜八郎が座る目の前に刀を置いた。これではまるで喜八郎がこれから切腹するみたいである。喜八郎の周りに武器はより取り見取り。みんな各々が得意な武器を持ってはいるが、果たしてそれが奪われたとき、何もなく終わることが出来るかと聞かれれば、いいえと答えるしかない。先に此方から武器を出しておけば、周りに奪いにかかることはない。……はず。でもできるだけ、私も、まわりも、喜八郎にも、怪我はさせたくない。最低限の防御でお願いねと、とりあえず念を押しておいた。私もこれとは別に愛刀を所持してる。殺されることはまずない。

「さて喜八郎」
「はい」

「これから、私が質問することには正直に答えて。返事は一言だけでいい。嘘は言わないで。喜八郎はただ私の質問に返答するだけで良い。できるね?」
「はい」


「じゃぁ、はじめようか」


祓所の真ん中。喜八郎が座る目の前に私も座り、その周りを友人と後輩が円になるように囲んだ。上手く、いけばいいのだけれど。


「あなたの同室の名前は?」
「平滝夜叉丸です」

「あなたの委員長の名前は?」
「立花仙蔵です」

「あなたの目の前にいる人間の名前は?」
「神田玉緒です」

「あなたの真後ろにいる人間の名前は?」
「尾浜勘右衛門です」

「そう、大正解。それじゃぁ、あなたの名前は?」
「綾部喜八郎です」

「あなたの名前は?」
「?綾部喜八郎です」

「あなたの名前は?」
「綾部、喜八郎です」

「あなたの名前は?」
「…綾部喜八郎です」

「あなたの名前は?」
「綾部喜八郎です」

「あなたの名前は?」
「……綾部、…喜八郎です」

「あなたの名前は?」
「綾部です」

「あなたの名前は?」
「…喜八郎…です……」

「あなたの名前は?」
「…や……綾部…」

「あなたの名前は?」
「………」

「あなたの名前は?」
「………」

「あなたの名前は?」
「………」

喜八郎の目が虚ろになって、目の前の刀に視線を下ろすように俯いた。少し腰を上げ刀にカチリと手を当てる。周りも何かに気付いたのか、各々立ち上がり武器を構えた。タカ丸さんは三治郎を連れて少し離れた場所に移動し、其処からこちらを見つめていた。


「お前の名は」
「………」

「真の名を、その口を借り答えろ」
「………」

「汝の真の名を、今この場で表せ」
「………」

「名を名乗れ」
「………」

「………」
「…………ろ…」

「!」
「………」

「名乗れ」
「………」

「真の名を名乗れ」
「…………」

「!」
「…へえ…」

「名乗れ!」
「…………兵衛

「黒兵衛…?」
「…黒兵衛…」

「沖、黒兵衛。沖黒兵衛。それが、汝の真の名か」
……沖黒兵衛


「汝、沖黒兵衛。単刀直入に言うぞ。私の大事な綾部喜八郎を返せ!!」


そう叫んだその時、喜八郎の身体が一気に起き上がり目の前の刀を手にした。一歩早く抜刀することが出来た私はその短刀を受け止め、目の色が変わり、明らかに私を殺そうとしている喜八郎の腹へ足を入れたのは、ハチ。そのまま喜八郎を蹴り飛ばした。嗚呼、怪我をさせたくないといったのに、こいつは参ったな。穴掘りで鍛えた腕力は伊達じゃないってか。短刀でこの力。恐ろしい器を選んだものよ。

蹴り飛ばした体は祓所の柵にぶつかるも、上手く受け身を取り立ち上がり、再び一直線に私に向かって飛びついてきた。だがそれも一瞬。真後ろにいた勘右衛門の万力鎖が喜八郎の身体に巻き付くように飛んできて、その動きは止まった。すかさず飛んできた雷蔵に背負い投げ一本。倒れこんだ喜八郎に跨るように乗った兵助の寸鉄が喜八郎の喉に当てられ、喜八郎の身体と動きは完全に塞がれた。

「喜八郎には怪我させないって約束だったじゃないですかやだー!なにこのボロボロ感!」
「そんなこと言ったって、今の喜八郎はお前を確実に殺す目をしてるのだ」

一瞬にして目つきを変えた喜八郎は、今恐らく、"綾部喜八郎"ではない。黒ちゃんだ。前面に出てきているのは、黒ちゃんだ。黒ちゃんもとい、沖、黒兵衛。

「黒兵衛。沖黒兵衛。それが貴方の真の名前か。だから私が黒ちゃんって言って、納得してくれたわけか」

「…正直驚いた。私の名を知っていたわけではないのだな
「うん、全体的に黒かったから黒ちゃん。ごめんね安易なあだ名付けて」
構わない。幼き頃はそう呼ばれていたのが事実だ

兵助の下でそう喋るのは、もう喜八郎なんかじゃない。恐らく20代後半ぐらいの大人の男の声。顔も笑っているが、喜八郎の笑顔じゃない。っていうか、喜八郎はほとんど笑わないからレアっちゃレアな図なんだけど。兵助にもう大丈夫だよと言いどいてもらい祓所の外に出てもらった。悪いがそのままにしてもらおうと、勘右衛門の万力鎖はそのままだ。

名は
「神田玉緒。好きに呼んで。改めて聞くけど、貴方の、名前は?」
沖黒兵衛と言う

名前、というのは、身に付けられたときから不思議な力を持つ。良く聞くでしょう。物の怪や鬼に、自分の本当の名を語ってはいけない、と。それは名前というのにそれほどの力が宿っているから。名前だけじゃない。言葉そのものにも力というのは宿る物だ。「今日の賭けは負けそうだなァ」と呟けば気分は落ち込み、負という物を周りから集めてしまう。逆に、「今日はなんだかツイてるぞ!」と口にすれば、正の力をかき集めるほどに、その言葉は意味を持って発せられる。名前もそうだ。名を名乗ることにより、己の力を引き出せる。合戦場で無事が一対一になったとき、互いに名を名乗りあうのは、その名に自信を持ち、己というものの存在を表し、そして、力を発揮する。だから、まずは黒ちゃん本人に己の名を名乗らせる必要があった。沖黒兵衛という人間の力を、表に出してもらうために。

「何処の忍?」
言えぬ
「死んでいるのは自覚できてるね?」
無論だ

「回り道するのは苦手な方なんだ。単刀直入に言うね。何故、綾部喜八郎を器に憑りついたの?」

黒ちゃんは一度俯いた後、手を地につけ、「すまん」と一言、謝罪を述べた。


こいつの穴掘りの腕を、借りたかった

「何故?」
私は、あの場に未練があった。ずっとそこにとどまっていた。私の力では、如何することもできなかったからだ

「それは何?」
掘り起こしたかった。あの土砂を。あそこに未練がある。あそこにいるはずなんだ。あそこに、あそこに。急がねば、私はまた怒鳴られてしまう

「誰に?」
こいつの腕は確かだった。だから罠を外しているときに、憑いたんだ。だが俺の力には限度があった

「何を?」
折角希望が見えたのに、俺には力がない。夜しか動けない。お前らを殺そうとも思った。だけどそれは俺もあいつも望んでない

「誰が?」
頼む、もう少しだけ、もう少しだけ此の身体を貸してくれ。頼む。もう少しだけ

「駄目だ。それは綾部喜八郎という人間。お前をは何も関係のない、ただの人間だ」
頼む、頼む
「早に離れろ」




約束したんだ。あの木の下で、逢おうと




「…玉緒、せんぱい」

「…!?喜八郎!?」


名を名乗らせた。黒兵衛という名を出した。それなのに、今の声は喜八郎の声だった。まさか、そんなこと。ありえない。


「玉緒、先輩…」
「き、喜八郎!?なん、え!?」

「……僕に何か、できることは…ない…でしょうか……」


ほろり一筋、喜八郎の目から、涙が零れた。あの時黒ちゃんが涙と同じ、たった一筋の、綺麗な涙。


「力になれる…ことがあるのなら……」
「…喜八郎」

「…僕に……なにか…できないでしょう…か…」


意識朦朧。まさにそのような状態。一つの器に人格が二つも現れるなんて、身体に負担をかけすぎている。精神が二つも出て、正気でいられるわけがない。


「き、喜八郎」
「…こんな…僕にも……何か、できないで…うか……」


「………」
「…………頼む…ほんの少しで構わない…


滝夜叉丸も、三木ヱ門も、タカ丸さんも三治郎も、勘右衛門も兵助も雷蔵も三郎もハチも、みんながみんな動揺を隠しきれていない。一人の人間から二人の声が聞こえる。それだけでも十分驚くべきことなのに、喜八郎が、何かしたいと言った。ここまで散々迷惑をかけられていたのに、喜八郎が、自分から何かしたいと言った。そういえば喜八郎は、自分は無力だと先日布団の中で私に零していた。おそらくそれを、ずっと考えていたんだろう。私は喜八郎の身を考え忍たま長屋に短気引越し。四年の連中は夜になるたび己の行動を止め、五年の連中も喜八郎に励ましの言葉を送りつつ身を案じてくれていた。委員会の後輩も立花先輩も、事情を知った六年生たちも喜八郎には気を使ってくれていた。それなのに自分は何もできることがない。

そう思い詰めていた時に、聞こえたのだろうか。「こいつの力を借りたい。貸してくれ」という声が。其れを聞いて、いてもたってもいられなくなったのだろうか。自分になにかできることがあるのなら、力になりたいと、そう思い、出てきたのだろうか。


「……黒ちゃん、貸すよ。喜八郎の身体」
そうか、そうか、すまない。本当に、すまない

「だけど一つだけ、お願いがある。喜八郎に十分な睡眠をとらせて。喜八郎の身体はもう限界。此のままじゃ穴掘りだってまともにできない。器を休ませることも大事だよ。黒ちゃんより私の方があんたみたいなの詳しいんだから。…先輩のいう事は聞くもんだよ」

相解った。本当に、すまない
「眠っている間は黒ちゃんも休んで。その間に、私たちの間でどうするかも考えておくから」
…迷惑をかける
「何を今更。さぁ、喜八郎を休ませて」


そして喜八郎は、気を失うように体を傾けた。滝夜叉丸が素早くその体を受け止めた。

「寝てる?」
「はい」
「滝夜叉丸はそのまま喜八郎の側に居て。喜八郎が起きるまで、部屋で待機しててね」
「…はい」




「その他の連中は鋤を持って裏々々山へ。喜八郎の代わりに掘りまくるぞー」

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -