「入っていいー?」
「はい、どうぞ」
「お邪魔しまーす」

「玉緒先輩っ」
「遅くなってごめんね。なんかお風呂混んでて」

戸を開くとそこにいたのは、布団をコンパクトに折りたたんでいる滝夜叉丸の姿と、部屋の隅でそれを見つめている喜八郎の姿だった。喜八郎は私が入ってきたのを確認すると、安心したように立ち上がり私の名を呼び抱き着いた。

「ごめんね滝夜叉丸」
「いえ、気にしないでください。喜八郎を宜しくお願い致します」
「任せておいて。じゃ、おやすみ」
「おやすみなさい」

畳んだ布団をしっかりと抱えて、滝夜叉丸は部屋から出て行った。今晩は三木ヱ門の部屋に厄介になることにしたらしい。しらたしいというか、此度の件は私から三木ヱ門に直接頼んだ。

三木ヱ門は見えている、または感じている類の人間だとふんでいたので、これを頼む前に喜八郎の身に起こっている事全てを話した。三木ヱ門を向き合い話をする私の背には、恐怖故にか私の服の裾をちょんと掴んでいる喜八郎の姿。こんな姿一度も見たことないのか、最初は驚いて目を見開いていたのだが、説明をすすめると三木ヱ門は「そんな気はしていました」と言った。視線が上がったのを、私は見逃さなかった。

どうやら三木ヱ門は見えているが、はっきりとした形ではないらしい。黒くもやもやしている何かが喜八郎にくっついているように見えていたので、もしかしたらと思っていたらしい。

だが喜八郎は何も反応しないし、喜八郎の身になにかあったという話も聞かない。悪い奴ではないのだろうと思っていたのに、私からの話を聞いて、もっと早く相談するべきだったと後悔の色を出していた。神崎左門のことを潮江先輩から聞いていたのか、私の体質についてはよく知っているようだった。

滝夜叉丸は、やはり見えないらしい。多分タカ丸さんは見えているはず。四年生は心強いな。見えぬがゆえにしっかりした滝夜叉丸がいるし、見えているがゆえに心配してくれる三木ヱ門がいる。三木ヱ門は自分からタカ丸さんに話をしておくといっていたし、喜八郎は良い友達をもったなぁ。

よしよしと抱き着く喜八郎の背をぽんぽんと叩いてあげると、安心したように私から離れた。風呂上がりだったので髪もぼさぼさ。おそらく滝夜叉丸の鏡だろう。机の上にある可愛らしい手鏡を拝借して髪を整えた。


「あの、玉緒先輩」
「うん?」
「僕こういうの詳しくないから、バカみたいな発言するかもしれませんけど…」
「どした?」

「結界とか、はらないんですか?」

「結界?」
「よく玉緒先輩、作法委員会で怖い話する時、部屋に盛塩したり、お札はったりするじゃないですか」
「……あぁ、あれはね…。よし、作法委員の喜八郎くん、これを機に良いことを教えてあげようか」


正座したままくるりと体を後ろに向けて、私は喜八郎と向き合った。

正直な話、札も塩も、あれはただの気休めに過ぎない。結界というのは物語にあるように陣を書けばできるものでもないし、ましてや部屋の四隅に塩を盛れば霊が入ってこれないまじないになるなんてことはない。九字を斬ったり印を結んだり、あんなのただのパフォーマンスと言ってもいいぐらいだ。だけど何故あれをやっていたのかというと、下級生たちの心の問題だ。目に見えるあぁいうことをやることで、「これで安全だ」と思わせ気を強く持ってくれるため、向こうに隙を与えないようにしているだけ。

本物の結界というのは、気が強い人間がいるだけで、其の辺りは強い結界に覆われていると言っても過言ではない。札も塩も、必要はないのだ。


「へぇ〜…じゃぁ、玉緒先輩がいるこのお部屋は安全ってことですか?」
「そう、窓と戸さえ、ちゃんと閉めればね」


そういうと喜八郎は慌てたように開かれていた窓を閉めた。私も腰を上げ、開いていた戸に向かった。





「…おやすみ」





「!!?」

戸の外につぶやいた私を見て喜八郎はひっと小さく息をのんだ。外にいる黒ちゃんに挨拶したのだと解ったのだろう。戸を閉めた姿をみて安心し、部屋に布団を引くため箪笥を開けた。

私は喜八郎が一緒に寝てほしいと可愛いおねだりをしたので布団を持ってこなかった。全く可愛い奴め。それぐらいお安い御用だ。ちゃんとお風呂にも入ったらしいし、泥もついてない。それなら一緒に寝てやってもいいだろう。

もぞもぞと布団に潜りこみぽふっと顔を出す喜八郎の可愛さったらない。鼻血でそう。蝋燭の火を消し私もお邪魔しますと布団に潜りこんだ。狭いけどあったかい。

「玉緒先輩」
「んー?」
「僕は、無力です。こうして、玉緒先輩に頼らないと、怖くて仕方ない」


「…いい喜八郎。喜八郎にできることはただ一つ。気を強く持つと言う事。気を弱くしてしまえば、もちろん向こうは好都合と思って入り込んでくる可能性がある。お前が気を強く持つこと。これが大事なの。無力なんて思わないで。大丈夫、私がついてるからね」


「……はい、解りました。じゃぁ玉緒先輩」
「うん?」
「せっかくなんで、お話ししましょう」
「馬鹿言ってないで早く寝なさい」

ふにゃりと笑ってそういう喜八郎を、私はぎゅっと抱きしめた。それにより喜八郎は安心して目を瞑った。次第に寝息は深くなり、喜八郎はすっかり夢の世界へ行ったようだった。胸元に眠り薬塗っといてよかった。此のままだったら確実に一晩中喋り通さねばならぬことも免れなかったであろう。喜八郎とおしゃべり……したかったけど、また今度ね。お茶でも飲みながら、ゆっくりお話ししようよ。

「……喜八郎?」
「……」

声をかけても、返事は返ってこなかった。あぁやれやれ寝てくれたか。

抱きしめていた腕を解き、喜八郎に背を向けるように寝返りを打った。風もなく、物音もない静かな夜。こんな夜は外にはわんさかいることであろう。こういう日は外に出て一晩中奴らと話をするのもまた楽しいんだけど、今日は喜八郎をなんとかしないといけない日だから、幽霊井戸端会議もまた今度だな。



虫の鳴き声が響き続けている。もう随分と時間が経ったであろう。

ふと、背中を冷たい風が伝った。すっと音が聞こえたそれは、戸を開く音。体を起き上がらせると、寝ていたはずの喜八郎の姿は、其処にはなかった。


「玉緒ちゃん、喜八郎くん門を抜けて山にいっちゃったよ」

「タカ丸さんは此れを持って、喜八郎をつけている滝夜叉丸を追ってください」
「任せて!」

「三木ヱ門は私と一緒に」
「解りました」

タカ丸さんは部屋を飛び出し、暗闇の中塀を飛び越え学園の外へ出て行った。三木ヱ門は寝間着を脱ぐ私に忍者服を着せ、布団を畳んで箪笥にしまい、部屋に立てかけてあった踏子を手に持ち私に渡した。背には火縄銃を背負っている。……テッコがいない。テッコを持って出て行ったのか。やはり少し戸をあけておいて正解だった。此処から入って来たであろう。荒い手だが、こうでもしないと尻尾を出すような相手ではない。

「タカ丸さんには何を?」
「私の髪の毛が入ったお守り。タカ丸さんは多分見えるけど憑りつかれやすい体質だと思う。こんな夜中に山の中なんて、危険極まりない」
「なるほど」

「後追うよ」
「はい」


喜八郎の机の上に、念のために用意しておいた外出届を置いておいた。これで追う者はいないだろう。

山に入ればすぐ其処の大木の下に、赤い着物の女の子がいる。あっちと笑顔で指差す方向には、首のない落ち武者があっちと山の奥を指差す。次から次へと道案内をしてくれるのはいいのだが、ずいぶんと奥深くまで来てしまったようだ。此処はおそらく、裏々々山じゃないだろうか。喜八郎が言っていた。気が付いたら、裏々々山に来てしまっていたと。やはり、ここになにかあるのだろうか。

「玉緒先輩、これ」
「ん?」

三木ヱ門が指差すそれには、「いきどまり」と書かれた看板があった。

「危険な地帯でしょうか」
「…そうね、これは危険な書き方。先に進むのはあんまりよくない」

「え、なぜ…?…っ!?」

看板に乗る小坊主がその先を指差しているので先には進まなければならなのだが、この看板はみたくなかった。看板を越えてすぐ、三木ヱ門は火縄銃を構えて私の前に出た。それはそうだ。看板を抜けたその先で、私達のまわりをぐるりと取り囲んだようにねっとりとした視線が絡みついてきたから。誰もいるはずのない山の中で、複数の誰かに見られている。姿かたちが見える私からすれば正体はすぐに解るが、三木ヱ門にはそれが見えない。ただでさえ暗闇で目もほとんどきかないというのに、ぼんやりとしか見えない三木ヱ門にしてみればこれは気持ち悪い事だろう。火縄銃を持つ手が震えている。これほどの数に囲まれたことはないか。

「この先に私の大事な仲間が進んでいったはずだ。…道を開けろ。この世にまだ留まりたいのなら、今すぐにだ」

銃口に手を当て三木ヱ門をしずめ、しずかにそうつぶやいた。ふわりと吹き抜けた風は右の方向へ抜けて行った。あっちか。お前道間違えて教えたな。許さない。



「玉緒先輩、」

「滝夜叉丸、喜八郎は?」
「あそこです」


下を走っていると、上から木の枝が落ちてきた。見上げた其処には足が四本。樹に登ると、滝夜叉丸とタカ丸さんが樹の上から一点を見下ろしていた。その先には、喜八郎が穴を掘るようにテッコを動かしている姿が見える。少し広い場所。其処は広いスペースがあり、大きな大木が一本生えているだけ。


「この先は崖ですよ。行き止まりになってるんです。数日前に此処へいけドンマラソンしにきた時には、土砂が落ちていて進むに進めない状態でしたし、それ以前に壁となるように崖がありました。相当上まで続いています」

「僕もこの間、久々知くんと土井先生に火薬の実験手伝ってほしいって連れてこられたんだけどね、その時は、確か上から合戦しているような声が聞こえたの。戦があって、崖が崩れてあそこ土砂がつまれてるんじゃないのかなぁ?」


「戦?それはいつごろの話です?」
「うーん、一か月とたってないと思うけど」

「滝夜叉丸、お前はいつ頃このあたりに来た?」
「最後にこのあたりに来たのは二週間ほど前だったと思います。トラップを仕掛ける実習があったので、このあたりに。ですが最近は城に潜入やら遊里に潜伏やらでこの辺には近寄っておりませんよ」

「……」


崖となっているその下に、土が山盛りに詰まれている。恐らく上から崩れ落ちてきたのだろう。それに上り、喜八郎は土を掘り起こしている。真っ白だった寝間着は泥だらけになり、お風呂で綺麗にしたはずの足も土まみれで汚くなってしまっている。やれやれ、戻ったらまたお風呂に入れてあげないといけないな。



「行くね。何かあったら援護宜しく」

「うんわかった」
「お気をつけて」
「お任せください」



三木が背負っていた踏子を受け取り樹から飛び降りて、一気に喜八郎目がけて駆け抜け、それを振り下ろした。



『!!』

「こんばんは黒ちゃん。私の可愛い抱き枕でなにしてんの?」



ガコッと鈍い音が響くとともに、私も喜八郎も戦闘モードに入った。背後の木がガサリと揺れ、三人も樹から降りてきたのが解る。こんな時に木刀なんて危険なので、今回は踏子で戦うことにしました。壊れたら用具委員に修理頼もう。

木刀変わりに踏子を振り回すと、喜八郎は今まで見たことのない構えでそれを受け止めた。喜八郎の動きじゃない!


「やはり憑依したな!!私の可愛い器を返せ!!」


喜八郎の後ろに黒ちゃんの姿がなかった。だとしたら完全に中に入ってしまっていることになる。面倒だ。操られているだけかと思っていたのに。どれほど強い執念で喜八郎に付きまとっているというのだろうか。

振り下ろされたテッコを弾くように三木ヱ門の発射した火縄銃の弾丸が当たり、勢いに押され喜八郎の身体はフラついた。その隙を狙って懐に入り、一気に体を押し倒すようにし、動きを止めた。




「出ろ!!何故喜八郎の身体に乗りうつる!!此の身体壊したら貴様の魂この世から消し去ってやるぞ!!」




そう言ったその時、喜八郎の目から

月明かりに照らされた一筋の涙がこぼれた。




「!?」





泣いてる。


























『果たさねばならぬ、約束がある』
























喜八郎の声ではない、凛とした、低く、心地のいい声は、確かに、震えていた。


「……!喜八郎!」

「………………玉緒、せんぱい…」


ガクリと気を失うように首が傾き、再び目を開いた時、喜八郎の目からあふれる涙が止まっていた。


「……あれ…?此処は…」
「喜八郎?喜八郎だよね?」
「…僕は、」

「喜八郎無事か!?」
「大丈夫かしっかりしろ!」
「喜八郎くん大丈夫!?」

「みんな……?」


いまいち状況が読み込めていないし、眠気で何が何だかわからないという顔をする喜八郎は、手に持っているはずのない踏子を見て、目を丸くした。またなのかと、再び私に視線をむけ、体を震わせた。





果たさねばならぬ、約束がある。




彼は確かにそう言って、涙を流していた。
その言葉の意味を、早く見つけ出さねばなるまい。

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