「そうか。お前の言葉なら信じるしかあるまい」
「ご理解いただきありがとうございます」
「構わん。喜八郎、お前はしばらく委員会には出なくていいぞ。さすがの私もこれは専門外だ。玉緒の指示に従え」
「…はい」
「おいで喜八郎。しばらく私と行動を共にしようね」
「はい」
正座で座る立花先輩の前で深く深くお辞儀した。横で状況が読み込めていない潮江先輩はなんだ?と立花先輩に首をかしげた。恐らくこの後、立花先輩から今の状況を説明されるだろう。先日の神崎左門の事もあるし、潮江先輩なら信じてくださるはずだ。
作法委員会の下級生達に何か影響が出ても困る。喜八郎の背についてるこの男の処理が終わるまでは、できるだけまだ純粋な心を持つ下級生には近寄らせない方がいいのかもしれない。まだこれが善悪ついているわけではないが、………血まみれだし、どう見ても危ないようなヤツにしか見えないのだけれど…。
「こんにちは中在家先輩、七松先輩」
「おう玉緒!…お、おぅ…」
「もそ…」
深く頭を下げたが、七松先輩にいつもの明るい顔はない。やはり、私の後ろを歩く喜八郎の背についているモノが、お二人には見えているのだろう。私は勘は外れてはいないらしい。
「お、おい、玉緒」
「ご心配なく七松先輩。私にも見えております。詳しいことが知りたければ、立花先輩の元へお願いいたします」
「そうか、うん、解った」
今一度頭を下げ、六年長屋を後にした。
「玉緒先輩」
「なぁに喜八郎」
「僕は、これに憑り殺されるのでしょうか」
「……」
喜八郎はすっと、自分の背後を指差した。そう、喜八郎にはこれが見えていないらしい。
見えていないとはかなり厄介だ。例えばこれが悪で、喜八郎をいいように操ってしまったとしよう。私が目を離しているすきに何かあったとしても、喜八郎自身には何もすることができないのだから非常に厄介極まりない。喜八郎はさっき、「気付いたら裏々々山にいた」と言っていた。そんな遠い距離の移動に気が付かないなんて、よっぽど喜八郎の身体は入り込みやすい身体なのだろう。普通なら意識はあるのに体がいう事をきかない!金縛りだー!なんてことのほうが多いのだが。これじゃもしこいつに操られて、例えば、自殺でもされたら。喜八郎は助けを求めることすらできないじゃないか。
そう考えてみると、憑り殺される可能性は、十分にある。
「貴方はなんで喜八郎に憑りついている。何処の忍びだ。名前はなんだ」
それは、死んでも忍びの心を忘れていないのか、一向に言葉を発そうともしないし、喜八郎から離れようともしない。
「…これは私の大事な後輩なんだ。死したヤツ如きにこの命くれてやることは決してないと覚えておけ」
明らかに年上だろが、死んだ者に礼儀など必要ない。
忍びは、目を細めた。
「今日は喜八郎のお部屋に泊まろうかな」
「僕の部屋ですか?」
「滝夜叉丸にはちょっとお引越ししてもらおう。理由をはなせば、学園長先生とシナ先生から許可もらえるかもしれないし」
「玉緒先輩のお布団で寝てもいいですか?」
「ちゃんと風呂入って泥落とすならね。はい、好きに穴掘ってていいよ」
「はい」
四年長屋について縁側に腰を下ろすと、喜八郎は部屋に戻って手鋤を持ってきて庭に飛び出た。四年長屋前に落とし穴を掘ると高確率でタカ丸さんが落ちるからいつもは此処には掘らないのだけれど、今日は他の場所でやるより此処でやった方がいい。いざとなったらの時用に部屋に結界をはるため、懐には札が入っている。可愛い喜八郎を守るためならこれぐらいせねば。
「玉緒、」
「やぁ三郎。四年長屋に来るとは珍しいね」
「気になってな。あぁあぁ、綾部がそんなにお気に召したか」
「全然離れる気配がないね。喜八郎の何がそんなに気に入ったのか…」
「おやまぁ鉢屋先輩」
「やぁ」
屋根から降りてきて私の横に腰掛けた三郎にこんにちはと頭を下げて、喜八郎は再び穴を掘りはじめた。
三郎にはさっき、「強制的に祓えないのか」とも言われたのだ。正直、できることはできるのだ。できるのだけれど、人に憑りついているヤツっていうのは何かその人間に助けを求めているか、その人間に恨みを持っているのが大半なのだ。憑依し殺してやろうと思っているような奴は今頃もっと攻撃的に喜八郎に何かしてきているはずだし、あれは強制的に祓う必要はないような気がするのだ。もちろん今は大人しいだけかもしれない。牙を剥いてきたら強制的に除霊することは、もちろん視野に入れている。
だけど、死してなおこの世にとどまり続けている者には、できるだけ救いの手を差し伸べてやりたいというのが正直なところだ。この乱世に生み落とされこの乱世に殺された武士や忍びは、悔いのが残っている人生だったに違いない。生きている私にできることがあるのなら、助けてやりたいと言うのが私の本音だ。神崎左門も多分、そう思って救いの手を差し伸べているのだろう。
できれば、強制的に祓うことは、したくない。
「綾部は、あれに恨みを売ったのだろうか」
「四年ともなれば殺しの実習もあるからね」
「綾部作のトラップ付の落とし穴にでもはまったか?」
「あぁ、喜八郎のあれはえげつないからなぁ」
喜八郎のトラップ付の落とし穴に落ちて死んだのなら、まぁ、恨んでも仕方ないか……。
男はじっと喜八郎の後ろにくっついているだけ。本当に、何が目的で喜八郎にくっついているのか。何が目的なんだろうか。何かしてほしいなら、言葉を出せばいい。名前ぐらい名乗ればいい。名前さえ聞ければ、少しは手がかりがあるかもしれないと言うのに。
「ねぇ、貴方の名前を教えてくれないかな」
『……』
「……まぁ、忍なら口を割らないのが普通だよね。死してなお忍びの心を忘れていないのは天晴」
『……』
「でも名が解らないと会話も面倒だな。教えてくれないなら黒いから黒ちゃんとでも呼んじゃうよ」
『……』
ふざけて言っただけなのに、意外な事に、
忍びは小さく頷いたのだ。
これには私も三郎も驚いて、思わず顔を見合わせてしまった。何だ。声は聞こえていたのか。黒ってこんなクソダサい名前になんで納得したんだ。私の声が聞こえているのなら、名前ぐらい教えてくれてもいいだろうに。
「黒ちゃん、黒ちゃん、いいねぇ可愛い」
「猫じゃないんだから…」
「黒ちゃんはなんで喜八郎にくっついてんの?」
声が聞こえると言うことは少なくとも意思の疎通はできるということ。私の声が届いているのなら、少しずつでも何か情報を聞き出したい。相手がただの人間なら簡単に口を割るだろうけど、今回の相手は忍だ。闇に生きていた者は死んでもそう簡単に口を割らないってか。あぁ、先は長いなぁ。
だが、これまた意外な事に、黒ちゃんは、腕を上げた。三郎が咄嗟の事に戦闘態勢に入ったのだが、黒ちゃんの右手は、攻撃するわけでもなく、山を指差して止まった。
「……裏山が何?」
だがそれ以上は、何も言わない。
「玉緒先輩?」
「…喜八郎さぁ、最近どっかでお前の落とし穴で人死んだ?」
「?いいえ?食満先輩に怒られて全部埋めましたけど、誰も落ちてませんでしたよ」
「…そう……」
「それじゃぁ綾部、最近実習で殺しはあったか?」
「いいえ、ここ最近は遊里で女装潜入ととある城に侵入したぐらいです」
「そうか……」
三郎が不破った。頭を抱えるレベルだ。せめて何かもう少しでもヒントを貰えればいいのに。
「うわぁ喜八郎くん、どうしたの?ご乱心?」
「おやまぁタカ丸さん、気を付けてくださいね」
「こんな言い方もあれだけど、喜八郎くんにしては汚い穴だねぇ。気でも立ってるの?お茶入れてあげようか?」
「え?」
喜八郎の穴が汚い。そう聞いて、私と三郎は腰を上げた。喜八郎が穴を掘っているのに、汚いだなんて。タカ丸さんはよく喜八郎の穴に落ちているから形状に関しては私達よりよく見ている分解るだろう。そのタカ丸さんが、今、喜八郎の穴を、汚いと言った。
私と三郎が喜八郎の下半身が埋まっている穴を覗くと、それは確かに汚い穴だった。いつもならこの製作段階でも「うわぁ見事な穴を掘るなぁ」といつも思うけど、なんか、違う。そんなに蛸壺という物に詳しいわけじゃないけど、喜八郎が掘る穴にしちゃ、汚い。
タカ丸さんに伸ばされた手に掴まり喜八郎は穴から出て今自分が掘っていた場所を見た。小さく「おやまぁ」と呟いたかと思うと、まるで信じられないとでも聞いたそうな目で穴を覗いていた。だって、穴掘り名人と言われていた自分が、無意識にこんなに恰好の悪い穴を掘っているのだから。
「喜八郎くん、もしかしてスランプぅ?」
「僕が、スランプですか?」
いや、スランプなんかじゃない。
「こりゃぁ、黒ちゃんの仕業かなぁ」
タカ丸さんが黒ちゃん?と首をかしげる横で、私は喜八郎の背にいる男を見上げた。
「ねぇ、目的はなんなの?」
刺激せぬような声でそう聞いたのだが、黒ちゃんは返事をしないし、動かない。
「玉緒、先輩っ、!」
喜八郎はそんな見えぬ誰かに喋りかけている私を見て、自分のスランプでこうなったわけではなく、自分にくっついているものに操られていたというのを理解したのか、顔を青くして、私に抱き着いた。小さくだがかすかに震えている腕を摩ると、男はまた、目を細めた。
「喜八郎、」
「……っ」
こりゃぁますます、早期解決が必要だなぁ。