川西、委員会やめるってよ | ナノ

▽ 謝りたいってよ


目が覚めると、隣で寝ているはずの三郎次がいなかった。窓の向こうはまだ暗くて夜だという事が解る。ってことは、厠にでも行ったのだろうか。部屋の扉は閉められていて出ていったような形跡はないのだが、布団がめくれて誰もいない。……布団が冷たい。なんだ、そんな前に出て行って戻らないのか。迷子になったか、誰かに掴まったか。どちらにせよこんな夜中に掴まるとはご愁傷様。まだ少し眠気がある。今布団に潜ればもう一度眠ることが出来るだろう。さすがに今から朝まで起きっぱなしは明日の授業に響きそうだ。三郎次が帰ってきても寝たふりしてよう。

肩まで布団をかぶり枕に頭を埋めたその時、ふと、廊下がであわただしい声と足音が響いた。

「三反田先輩!!」
「ごめん今行く!」

ドタバタと足音が僕の部屋の前を駆け抜けて行った。今の声は数馬先輩と、数馬先輩の名を呼んでいたのは………一年は組の伊助だったような気がする。泣きそうな声で叫んで、そのまま何処かへ走り去って行ってしまった。こんな夜中に数馬先輩が呼び出されるなんて……保健委員会で何かあったのかな…。でも僕は何も、…あぁそうだ、僕は保健委員を辞めたままだった。そんな僕に保健委員の仕事で呼びだしが来るはずがないか。明日伊作先輩に言ったら、戻してもらえるかな。いや、その前に今の状況はなんだろう。本当になにかあったのかな。

こんな時間に呼び出されるなんて珍しいし、それに、数馬先輩を呼んでいた伊助は火薬委員だし…………。

そこまで考えて、僕の心臓は大きく跳ね上がった。

保健委員がこんな時間に呼び出されるのなんて、急患が出たから以外にはほとんどありえないだろう。それに伊助は火薬委員。土井先生の推測では、凛子先輩の卒業試験は、今夜だったかもしれないと。

弾かれるように布団を蹴り部屋から飛び出し、僕は保健室に向かって駆け抜けた。こんな時に限って転びもしないし落とし穴に落ちもしない。どんな不運も発動されない。だったら、僕の予想はどうか、どうか、外れていますように。


「凛子先輩返事をしてください!!」
「凛子ちゃん!!起きてよ凛子ちゃん!!」
「凛子先輩!凛子先輩!!」
「凛子先輩僕らの声が聞こえますか!どうか返事を!!」

「おい凛子しっかりしろ!!」
「凛子!!返事をしろ!!」
「凛子!!凛子!!」


保健室に近づくにつれて、こんな夜中に聞こえる泣き叫ぶような声。部屋の中を駆け巡る足音に、心臓はさらに喧しく騒ぎ出した。

「乱太郎水汲んできて!!」
「はい!」

「伏木蔵は棚の化膿止め全部出しておいて!」
「は、はい!!」

「数馬とタカ丸さんは凛子の服切り取って!!」
「はい!!」
「凛子ちゃん!凛子ちゃん!!」


保健室の入口から覗き込むと、そこは大惨事だった。

六年の先輩方、火薬委員の皆が取り囲んでいる布団の真ん中で横になっていたのは、変わり果てた、でもまぎれもなく、凛子先輩のお姿だった。数馬先輩が涙を流して凛子先輩の黒こげになっている服を鋏で切り、傷に直接触れないようにさせ、伏木蔵は箪笥を開け化膿止めやら火傷薬やらを必死にかきだしていてた。

ここから見るだけでも、凛子先輩が呼吸をされているかどうか解らない。むしろ、しているのだろうか。生きて、おられるのだろうか。

凛子先輩の卒業試験の内容がどれほど過酷な物だったのか。それはこの姿を見れば一目でわかる。だけど、この変わり果てた姿はいったいなんなんだ。夕餉の時の凛子先輩はもっと、美しくいておられた。僕にいつもの美しい笑顔で笑いかけていてくださったのに。どうしてそんなに、傷だらけで、火傷だらけで、顔も、真っ赤で、血も。


「おい凛子…!目を覚ましてくれ…!!」
「頼む起きてくれ!!お前だけ先に逝くなんて許さんぞ!!」
「凛子!起きてくれ!!頼む!!目を覚ませ!!」

「伊作くん!すぐに包帯の用意を!」
「はい!!」


意識が戻られないのか、六年生の先輩方は凛子先輩に向かって、ずっと名を呼び続けていた。あの六年生の先輩方から涙が流れているなんて、信じられない。

どうして。先輩方は簡単に涙を流すような方々ではないはず。だったらなぜ今そんなにボロボロと涙を流されているのか。凛子先輩が、寝ているだけなのに。凛子先輩は、どうしてこんなに名を呼ばれているのに、一向に目を覚まさないのだろう。


「さ、左近先輩…!!」


桶を持って保健室から出て行こうとする乱太郎が、戸に手をかける僕の姿を見て、伊作先輩へ視線を向けた。伊作先輩は僕が此処にいることに気が付かなかったのか、目を見開いて振り返った。それはそうだ、保健委員じゃなくなった僕は、此処へ呼び出されてない。それなのに何故此処にいるのかと問いたいのだろう。それに、元とはいえ凛子先輩と僕は恋仲だった身。保健委員を辞めたこと、それに、そんな仲だった僕に、今の凛子のお姿を見せたくはなかったのだろう。

乱太郎が僕の名を呼び、六年生も、火薬委員も、全員視線を僕に向けた。

「左近…!?」

静まり返った部屋に、小さく小さく聞こえる、凛子先輩の浅く早い呼吸。


「凛子、せんぱい」


僕の声も震える。

僕が名前を呼んだら、凛子先輩は絶対に返事をしてくださるのに。


「凛子、せんぱい…?」


僕が側に来たら、抱きしめてくださるのに。



「せん、ぱ、」



何も、お返事を返してくださらない。


「左近ダメだ!凛子は今意識がない!」
「なん、」

「卒業試験で負ったんだ!部屋に帰りなさい!」
「ぼ、僕も、僕も手伝います…!」



「お前は今保健委員じゃないだろう!部外者は帰れ!!」



「……ぼ、くは、」


伊作先輩のこんな形相、見たことない。

…情けない。最愛の人が目の前で瀕死の状態だというのに、それをみて足がすくんで、保健室の中に入れない。一年だって手伝ってるのに。僕には、何もできない。

僕は、保健委員じゃない。そうだ、僕からやめたんだ。僕が保健委員でいると、凛子先輩が御怪我をして帰ってくると思ってたから。凛子先輩は僕がいるから安心して怪我できるなんて馬鹿みたいな事を言うから、僕が原因で怪我するのはイヤだから、だから、僕は自分から、保健委員を辞めた。保健委員をやめれば、凛子先輩は気を引き締めてくれるから、二度と怪我して帰ってくることはないと思ってたのに。思っていたのに。どうして、凛子先輩は今、僕がいない保健室で横になっているんだろう。僕はもう此処にいるべき人間じゃないのに。僕はもう保健委員じゃないって、凛子先輩も知ってるはずなのに。


なのに、どうして凛子先輩は今、保健室にいるんだろう。


「いさ、く、せんぱい」

「みんな凛子から離れて!伏木蔵、薬!」
「は、はい!」

「いさくせんぱい、」

「凛子!僕の声が聞こえてたら何か反応して!」
「凛子先輩、起きてくださいいい…!」

「いさく、せんぱ、」

「伊作先輩!水汲んできました!」
「三人は手拭いを冷やして患部に当てて!」




「っ、伊作先輩!!」




僕の声で、伊作先輩の動きが止まった。僕自身も驚いた。こんな大きな声、出るだなんて。


「僕にも、僕にも手伝わせてくださいっ、!」

「左近何度も言わせるな!お前は保健委員じゃない!」
「でも、」

「火薬委員でもなければ、凛子の恋人でもないんだろう!部外者は此処から」





「それでも僕は、凛子先輩の担当医です!!」




凛子先輩は僕に仰っていた。お前は自分の担当医だと。僕もその言葉を誇りに思っていた。だから凛子先輩の怪我は、僕が全て治療していた。凛子先輩の怪我はなんでも治せるようにいっぱい勉強した。凛子先輩が得意な火器で怪我をした時でも治せるように、火傷に関する治療法を中心的に勉強した。下級生なのによく覚えたねって、新野先生にも、凛子先輩にも褒められた。勉強は嫌いだけど、いっぱいいっぱい勉強した。なんでってそれは、凛子先輩のため。凛子先輩が大好きだから、凛子先輩の怪我は、僕が全部治してあげたかったから。

凛子先輩のために、僕は保健室にいた。



「…化膿止めの作り方は覚えてるね?」
「は、はい!」

「これじゃぁすぐ足りなくなる!急いで作って!数馬と伏木蔵は左近の指示で薬を作って!乱太郎は僕を手伝って!」

「解りました!」
「宜しくお願いします!」

「伊作先輩!」
「乱太郎こっち!みんな凛子の火傷を冷やして!留三郎は氷を貰ってきてくれ!」
「解った!」


凛子先輩の呼吸は相変わらず僕らの会話にかき消される程に小さく、浅く、早かった。少しでも手を抜いたら、死んじゃうんじゃないかって。

今から起きてたら明日の授業に響くから早く寝ようと思ってたけど、僕は一晩中薬を作っては凛子先輩に塗って、凛子先輩の名前を呼び続けた。


「凛子先輩嫌ですよ…!僕を置いて行かないでください!!」


いくら声をかけても凛子先輩は一回にお返事を返してくれない。
拭いても拭いても涙は一向に止まってくれなくて、それでも僕は凛子先輩がお返事を返してくれるまで薬を作って凛子先輩の名前を呼び続けた。

朝になってこの惨事を知った先生方や先輩方が保健室前に来たけれど、保健室には今僕と伊作先輩と数馬先輩と新野先生しかいない。授業に支障が出るし皆が入ってきたところでやれることなんて人数が限られているからと、内から戸をあけられないようにした。凛子先輩が所属している委員会の顧問である土井先生とくのいち教室のシナ先生だけは天井裏からの出入りを許された。凛子先輩が包帯グルグルでまだ意識は戻らないと知ると涙を堪えて名を呼んで部屋から出て行った。


それから、凛子先輩が目を覚まさない日々は何日も続いた。

日が昇ってはまた沈んで、また昇っては沈んでいった。その間に僕が睡眠をとったのはどれぐらいだろう。授業にも出ずに凛子先輩の側につきっきりで、寝たというより気を失ったという言い方をした方が正しいかもしれない。体がガクッとなった瞬間に気合を入れるために自分の顔をべちっと叩いた。

「左近、そろそろ一回寝た方がいいよ」
「嫌です」
「僕が代わってあげるから」
「絶対に嫌です」
「…左近、」

「凛子先輩が目覚めるまで、僕は絶対に寝ません」

会計委員はいっつも徹夜続きだって言ってた。この間団蔵が五徹したとか言ってた。あほの一年は組がそれほどできるなら僕なんかもっとできる。だって先輩なんだから。凛子先輩が起きるまで、僕は絶対寝ない。

伊作先輩は僕に食事を運んでくださった。凛子先輩に薬を塗り包帯を代え、部屋から出ていかれた。寝たままの凛子先輩の手は恐ろしいほど冷たくて、少しでもあったまるように僕の手で包んでずっと撫でた。


「凛子先輩、早く…起きてください」

こうして手を握ることしかできないなんて


「お話したいことが、たくさんあるんです」

やっぱり僕は凛子先輩の担当医は失格かな。


「謝りたいことも、たくさんあるんです…」

凛子先輩が起きるなら、僕はなんだってする。




「……お願いですから………っ!」



だから、いるなら、神様、どうか、
















握った手が少し、動いたような気がした。


「!」


それはもしかしてだったのだが、驚いて凛子先輩の顔をみると、ゆっくり、本当にゆっくりだが、凛子先輩の目が開いていった。


「凛子、先輩…!?」


握っていた手に思わず力が入る。


「凛子先輩!凛子先輩!!僕の声が聞こえますか!!」


顔中包帯ぐるぐるで、こなもんさんみたいに片目しか出てないけど、

その片目はゆっくり動いて、確実に僕をとらえてくれた。




「凛子先輩…っ!!」




安心して、嬉しくて、視界がぐにゃりと歪んだ。

凛子先輩が目を覚ましてくださった。

凛子先輩がまた、僕をみてくださった。


お話したいことが山ほどある。

謝りたいことが山ほどある。


まだ伝えられる。

凛子先輩は、まだ生きている。


帰ってきてくださった。

凛子先輩が、保健室に帰ってきてくださった。



「凛子せんぱ、」
















凛子先輩の口が小さく



「ただいま」



と、動いたような気がした。

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