川西、委員会やめるってよ | ナノ

▽ 安心するってよ


「まぁ座りなさい」
「し、失礼します…」

土井先生に連れてこられたのは一年は組の教室だった。一年生の教室なんて久しぶりに来た。四郎兵衛に用事があったときにこの教室には訪れていたけど、その程度なのでほとんど記憶には残っていない。アホの一のはの教室なんて今じゃ興味ないし。あぁ、土井先生は此処の担任の先生だったな。

窓側一番前の席に座らされ、土井先生が蝋燭を机の上に置かれた。僕は月を背にする土井先生と正面向かって座っている状態になった。


「……あの、」
「何のご用ですか?と、聞きたいんだろう?」
「はい…僕、何か、」
「あぁいやいや、左近、お前をしかりつけるためにここへ連れて来たわけじゃない。ただ私の部屋には山田先生がおられるし、左近の部屋にも同室はいる。二人きりで話すのなら、教室は良い場所だろう?」

土井先生は机に肘をつきそう言った。土井先生が僕に何の御用があるというのだろうか。僕と土井先生はそんなに特別親しい間柄、というわけでもないのに。

「何のお話ですか?」
「うん、それなんだがな」
「はい…」


「私は別に、生徒同士の恋愛事情について口出しをするつもりはないんだが、私が管轄している火薬委員会の生徒が悩んでいるのであれば、力を貸さないわけにはいかないなと思ってね」


土井先生のその一言で、僕はやっとこの状況を理解できた。
そういえば、凛子先輩は火薬委員会の委員長だった。土井先生はその顧問。なるほど、それで僕を此処へ呼んだってわけか。

「僕、凛子先輩とはもうお別れしましたよ」
「うん、知っているよ」
「…ではなぜ」

「三郎次と久作と四郎兵衛から、お前の話を聞かされてね」


土井先生が言うには、この話を知ったのは、最初は久々知先輩からだったと言った。僕が保健委員会をやめて凛子先輩に大嫌いだと言ってお別れしたあの日、凛子先輩は倉庫で泣いていて、委員会にならなかったらしい。そして三郎次が久々知先輩に頼まれて、僕を探りに来たのがあの日の出来事。三郎次がしつこくなんで別れたんだって聞いてきたから怒りのあまり部屋を飛び出してしまったのだが、その後、四郎兵衛が凛子先輩を連れて部屋に来たと。その時、三人は僕がなんで凛子先輩を嫌ったのか身に覚えが無いという話を聞かされたのだという。結局三人も原因が解らないということで突き止めてみます、とは言ったものの、手がかりは無。こうなったらと最終手段でと顧問である土井先生に相談されたらしい。土井先生一人で解決できるわけもなく、僕を此処へ呼んで、二人で話をしようと思われたというわけか。

「聞かせて貰えないかな。どうして、凛子を嫌いになったんだ?」
「……」
「あんなに仲睦まじくしていたじゃないか」
「……」



「……何か、原因があるんだろう?」




















子供の恋愛感情という物など、そのような経験をしたことのない私には到底理解できない事である。よくくのいちの女の子たちがやれあの先輩がかっこいいだの今日のあの先輩素敵だっただのとよく言っているのを耳にするが、それが恋愛感情なのかただの憧れという感情なのかすらも理解できない。誰と誰が付き合っているという噂を聞いても、別に忍を志す者なのだから恋愛するなと言うつもりは毛頭ないので、今回私が顧問を務めている火薬委員会の委員長である凛子と保健委員会の左近がそのような仲だという話を耳にしたが、仲良きことは美しきかな。いい話じゃないかと心で思っているだけだった。

そんなある日、二年生の連中から「左近が凛子と別れた」という話を聞いた。恋愛ごとには興味がないとはいえ、この話には少なからず私も驚いたもんだ。あの二人の仲の良さは学園中が知っていると言っても過言ではない程だったのだから。聞けば川西は委員会をやめ、それでいて凛子と別れたという。凛子が嫌いになったのなら委員会をやめる必要などなかっただろうに。

これは何か理由があるに違いない。


「顧問の委員長が心を痛めているとなっては気になってしまうのでね。もしよかったら、聞かせてくれないか?」
「……」

この話には触れてほしくなかったのか、左近は正座をしたまま、黙って下を向いてしまった。

「……僕、」
「うん?」



「…………僕、凛子先輩の事大好きです…」



「…うん、そうだろうね」

ポツリと小さくつぶやかれたその言葉はやはり私が思った通りであった。

「…嫌いになんて、なってないです……」
「じゃぁなぜ、そんな嘘をついたんだ?」

急かさぬように、慎重に言葉を選んで左近に聞いた。正座をしている膝の上に乗せていた手がぎゅっと強く握られたのだが、声は反対に弱々しく紡がれた。


「……先日、潮江先輩が」
「…文次郎が?」
「…忍務から帰って来られた時、大きな怪我をされていたんです…」
「うん」

「……凛子先輩も、よく、怪我をして帰って来られるんです。あの人は本当に、…無茶ばっかりする人だから…。……初めて僕とあって、僕を助けてくれたあの日も、無茶な方法で助けてくれて、結局、怪我されたんです…。六年生だから仕方ないって、思ってたんですけど……潮江先輩が、『卒業試験はこんなもんじゃすまねぇだろうな』って、伊作先輩に言ってたのを聞いたんです…。凛子先輩はいつも、忍務からお帰りになって保健室へ来ると、「僕がいるから怪我をしても安心して帰って来れる」って言ってたんです…。…っ、僕、其れ聞いて、僕が保健委員だから、だから凛子先輩はいつも怪我をしてきちゃうんじゃないのかなって、思ったんです…っ!僕が、僕が凛子先輩の担当医だって言われて、勝手に一人で喜んで、そんなっ、調子に乗って…!僕が保健委員だから、だから、凛子先輩、怪我しちゃうんじゃないかって、思ったら……っ!」


握った拳にぽたりぽたりと落ちたのは、恐らく涙。声も震えて、言葉を紡ぐのが精一杯のようであった。左近はつまり、凛子が怪我をしてい帰ってくるのは自分が保健委員という立場であるから、と思っているらしい。左近が怪我を治療してくれるから、凛子は安心してというか、気を抜いて忍務にいってしまっているのではないかと考えたのだろう。
だがそう思えても仕方ない。怪我をして帰ってきても、凛子は真っ先に「左近ちゃんどこ!怪我した!治療して!」と嬉しそうな顔して保健室に飛び込むのだから。その度に「いい加減にしてください!」と左近も怒るのだが、やはり最上級生ある凛子に頼りにされているということが余程嬉しいのだろう。それでもいつも治療してあげている姿をよく見かける。

なるほど、左近は、凛子が怪我をしてしまうのは、自分のせいだと思っていたという事か。


「…左近、」
「凛子先輩は僕がいるから、いっつもいっつも忍務とかで怪我しても平気な顔して帰ってくるんです!僕がいるからって油断してたら、どうしようって考えたら……っ!卒業試験も、もうっ、近いっていうのに、!卒業試験は、もっと過酷で、怖くて、危なくて、命がどうなるかも、解らないのに…っ!そんな気持ちで忍務に出られて、もし、もし凛子先輩になにかあったらって考えたらっ、!僕は……!!」

もし左近が思っている通り凛子がそんな気持ちで油断していたのだとしたら、命がいくつあっても足りない。怪我して帰ってくるのが当たり前になってきてしまっている最上級生に課せられる過酷な忍務。そんな忍務をこなす凛子の怪我をみて、そして文次郎のその言葉を聞いて、左近は、凛子の身のために、保健委員をやめ、そして凛子から身を引いたのだろう。

なるほど、こんなにいい恋人を持っているだなんて、凛子はとても幸せものじゃないか。


「……私は、そうは思わないよ」
「…土井、先生?」

驚いたように目を見開いて、左近は私と目を合わせた。


「…私はね左近。どんなにツラい忍務であったとしても、どんなに過酷な状況にあったとしても、学園に戻れば、愛すべき教え子たちが待っていてくれる。家に帰れば、きり丸という温かい家族が私を出迎えてくれる。そう思えるだけで、「何としてでも絶対に生きて帰ってやる」って気持ちになれるんだよ」


嘘ではない。これは私自身、いつも心に思っていることだ。

自分のあるべき場所に帰れば、私を必要としてくれている人間がいる。そう思えるだけで、命への執着心というのは驚くほどに強くなる。どんなに不利な状況になっても、脳裏に可愛い生徒たちの笑顔が浮かべば、私は生きて帰ってまたあの子たちに授業をせねばと強く思うのだ。どんなに命が危うい状況でも、帰らなければきり丸が泣いてしまうと思い、必死で足が動くのだ。忍なんて闇に生きるもの。死のうが生きようがどうでもいいと、戦好きの城の城主はそう思うであろう。違う。私たちこそ、帰るべき場所というのが必要なのだ。それが私のように生徒であろうと、あるいは恋人であろうと、家族であろうと、なんでもいい。自分の心の拠り所へ、なんとしてでも生きて帰る。そう思える強い心が、私達忍者にこそ大事なものなのではないかと、私は常に思っている。


「凛子がいつ、左近がいるから「安心して怪我が出来る」って言った?」
「…!」
「凛子が今まで、左近に治療してもらいたくて怪我をした、なんてこと、一度でもあったかい?」
「……」

「左近、これは私の憶測だけどね、凛子は君がこの忍術学園で凛子の帰りを待ってくれているから、だから「安心して帰って来れる」って言ったんじゃないのかな?」
「…え、」


「悪い城に仕えるとね、怪我をして帰ってくるだけで、役立たずと切り捨てられることもよくある話なんだ。完璧主義の城主なんか特にそうだ。利吉くんからもたまにそんな話を聞くんだ。怪我をして帰ってくるぐらいなら、もっと強い奴を雇うから、お前なんていらないと捨てられることがね。忍者なんていくらでも代わりがいるご時世だ。珍しい事なんかじゃない。それに凛子はもう最上級生の六年だ。就職活動をしつつ、学園長からの忍務。二つを同時にやっていることで、恐らくそんな現場を見たんじゃないのかな。怪我をしたら、自分は役立たずと思われるんじゃないのかって。もういらないと言われるんじゃないかって。…でも、凛子は怪我をしても、凛子の怪我を治療してくれる、最愛の恋人が学園で待ってる。だから、凛子は左近に「安心して帰って来られる」って言ったんじゃないのかな。そんな油断した気持ちがあるから怪我をするって、そんなバカげた気持ちが凛子にあるわけないじゃないか。左近は怪我をしないのが一番いいといつも凛子に言っている。凛子はそれを良く解ってる。無傷で帰るのが一番だけど、怪我をしても、自分には帰る場所がある。自分を必要としてくれる人が学園にいる。そう思えるだけで、絶対に生きて帰ってやるって、強い気持ちが表れるんだよ。決して凛子は、お前に甘えているわけじゃないはずだ。…それを、解ってやりなさい」


月の光に輝く涙を流して声を漏らすその小さい肩を叩いてやると、左近は自分の目に手を当て涙を必死に止めようとした。

凛子は、次の春には此の学園を巣立つ。それと同時に、左近とも別れることになる。交際を続けるのかその場で別れるのかは二人の判断次第だが、今までのように逢えなくなるのは目に見えているも同然だ。凛子が就職する場所に、保健室のような場所があるとは限らない。左近の目に届く場所に凛子はいない。いつ凛子が怪我をするか解らない。心配で心配でしょうがなくなるときもあるだろう。だが凛子は、保健室という存在が、左近という存在が遠くなってしまったのならば、なおさら命への執着心は強くなるであろう。今までのように頻繁にあえなくなるのなら、生きて帰ってまた左近に逢わねばならないのだから。凛子は左近を泣かすようなやつじゃない。

左近を残して、凛子が死ぬわけないのだから。


「同じ委員会の生徒だから、少し贔屓した言い方になってしまったかもしれないが…」
「…いいえ、僕が間違ってました…。そうですよね、凛子先輩が、そんな甘えた気持ちなわけ、ないですよね……」
「おそらくね。左近が側に居れば、凛子は絶対に生きて帰ってくるはずだよ」
「…はい」

袖でごしごしと目をふく左近は、パチンと己の両頬を叩いた。


「僕、凛子先輩に謝って来ます!」
「うん、それがいい」

「…許してくれるでしょうか」
「大丈夫だろう。凛子がお前を嫌いになるわけがない」

私がそういうと、左近は少し頬を赤くして、そうですよね、と笑った。





ふと、窓の外を3つの黒い影が通って行った。

一瞬月の光に照らされていた左近の影が暗くなり、瞬時にクナイを構え後ろを振り向いた。

左近もそれに気が付いたのか、肩を強張らせて構える私の服を少し掴んだ。



「…今のは、」
「く、曲者ですか…!?」


違う、曲者なんかじゃない。


「左近、」
「は、はい」
「もしかしたら、」
「…はい?」























「……凛子の卒業試験は、今夜だったのかもしれない」



私の見間違いでなければ、凛子と、六年のくのいちが二人、月の中を飛んでいたような気がした。

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