▽ 忘れるってよ
「さ、左近ちゃん」
「……」
左近ちゃんが、割とまじで私を眼中に入れてくれようとしない。ヤバイ。私の心臓が持たない。まじで左近ちゃんに嫌われてしまったのだろうか私は。おかしい。私は何もしていないのに。どうしてこ左近ちゃんは急に私を嫌い始めてしまったのか。あの「凛子先輩!」って笑顔を向けてくれた私のエンジェルは一体何処へ消えてしまったというの。
「左近ちゃん、さ、左近ちゃん…」
「……」
おそらく左近ちゃんは食堂からでて、この足取りだと長屋へ帰るのだろうか。まぁ夕飯を食べ終えたのだから教室に戻るわけもないか。いつもなら保健室へ行くはずだけど、左近ちゃんはもう、保健委員会じゃないからな。
「ねぇってば、左近ちゃん!」
「…ついて、こないでください!」
「!」
思わず一歩踏み出し前を歩く左近ちゃんの腕を掴むも、
その手はあっけなく、振りほどかれてしまった。
「ついてこないでくださいよ!僕に一体なんの御用なんですか!」
「な、何の御用って…」
「……僕は、凛子先輩にお別れ言いましたよ…」
「…私はそれがどうしてなのか、理由を聞きたくて…」
ほんとうに、それは突然すぎる出来事だった。
文次郎に言われて保健室に駆け込んだあの日。あの日を境に左近ちゃんは私の事を見向きもしてくれなくなった。文次郎はあの日忍務帰りで怪我をして保健室に行ったらしい。乱太郎ちゃんに止血をしてもらっている後ろで、左近が急に伊作に「僕、保健委員会やめます」とつぶやいたのだそうだ。突然の事に部外者とはいえさすがの文次郎も、それを聞いて驚いた。さすがに私は何か理由を知っているのだろうとは思ったから慌てず私を探しはしなかったらしいのだが、まさに短兵急で寝耳に水、藪から棒、青天の霹靂。まさかとは思ったが保健室で私に「大嫌い」と言った左近ちゃんの目は、いつものツンデレのツンの部分とは考えられないほどの真面目な顔で、思わず私も言葉を失った。
あんだけ私の事を好きだと言ってくれたし、私の好きも受け止めてくれていたのに、左近ちゃんは、なんで私を嫌いになっちゃったんだろうか。
「……僕は、」
「…」
「…」
「…」
「凛子、第二班、作戦会議始めるわよ」
「あ、うん」
左近ちゃんが何か言いかけた時、私の肩をくのたまの同級生が叩いた。左近を一睨みしてそいつは姿を消したのだが、そうだった、今日は卒業試験の作戦会議の日だった。まずいな、すっかり忘れてた。もう日にちは目の前に迫っているというのに。
「…作戦って……」
「卒業試験の最終確認ってやつ…だけど……」
「…だったら早くそっちに行ってください。僕はもう凛子先輩をお話しすることなんて何もないです」
「あ、さ、左近ちゃ、」
腕を伸ばしたその前に、左近ちゃんはあっという間に走り去って行ってしまった。ヤバイどうしよう。なにがどうしようって私のメンタル面の弱さを舐めないでほしい。昔好きだった男の子にフラれたときの心のぶっ壊れ方ったらなかったんだから。10歳前で自殺しようと考えたレベルにはメンタル面昔から弱いんだから。いや今こうして生きているだけでも結構奇跡。かなり私の心成長したんだなぁとしみじみ思うわ。本当に。膝から崩れ落ち左近ちゃんの腕を掴めず空を切ったその手が虚しくて、ずぅんと暗い空気を背負ったまま私はその場でうつぶせるように体を倒した。
「凛子先輩」
「ろじちゃん…」
「凄いドス黒いオーラ放ってますよ。また左近に逃げられたんですか?」
食堂から出て来たばっかりのろじちゃんに項垂れる私の背を撫でられた。五体投地ばりに凹んでいる私に手を差し出す池田三郎次、なんと紳士なことか。
「僕、久々知先輩から左近の事探れって言われたんです」
「え?兵助が?なんで?」
「だって凛子先輩が倉庫で泣いてたから…」
「Oh…」
「…僕、凛子先輩の事大好きですよ。だからこそ、そんな凛子先輩を嫌いになったんて言う左近の言葉、信じられないです。左近が凛子先輩を嫌いになった理由は、絶対に何かあると思います。だから、その、……お、おちこまないでください。僕、凛子先輩が笑顔じゃないの、嫌です」
立ち上がる私の袖を掴んで俯くろじちゃんの貴重なデレ。今こんな状況じゃなきゃ鼻血噴射して喜んでいたけど、今はその可愛い頭を撫でてあげるぐらいしかできない。いつもはここに左近ちゃんがいるのになんて寂しいことを考えて、左近ちゃんが消えて行った廊下の向こうを見つめた。
一体私が何をしたというのだろう。何が左近ちゃんの気に触れたんだろう。仙蔵に宿題見てもらってたこと?小平太とマジ喧嘩してたこと?留三郎の部屋で昼寝してたこと?だってそんなことしてもいつも左近ちゃんは「ご友人同士ならそれぐらい勝手にどうぞ」と嫉妬の"し"の字も見せない(ろじちゃん情報だとめっちゃ妬いているらしい可愛い)のに。だとしたらそれが原因じゃないはず。うーん、心当たりがない。本当に私という女に飽きてしまったのだろうか。おぉう、左近ちゃん、罪な男ね。
「まぁ左近ちゃんが私を嫌いというなら、素直に離れることも視野に入れておかないとね」
「えっ…」
「どっちにしろ、もうお別れは目の前だし」
おそらく私は今、上手い笑顔は作れていないだろう。この冬を越してしまえば、どちらにしろ私はこの学び舎を巣立つのだから。
別れは早めの方が、心の準備はしやすいだろう。
「そんな、凛子先輩」
「ろじちゃんごめんね、変な事聞かせて」
「で、でも、」
「これから卒業試験の作戦会議なの。一旦、色恋沙汰は頭から忘れるわ」
礼を言い頭を撫でると、ろじちゃんは少し悲しそうな顔をして、私が触れたところに手を当てるのだった。
そうだ、一旦くだらない色恋沙汰は頭から離しておかなくちゃ。目の前の卒業試験をクリアしなければ、私は雛に成れないのだから。左近ちゃんとしっかりお話したいけど、左近ちゃんが私に逢いたくないというならその通りにしよう。今は逢わずに、試験に向き合おう。うん。そっちのほうがいい。試験が終わったらちゃんとお話ししよう。
「凛子、待ってたわよ」
「準備はもう出来てるわ」
「遅くなってごめん。…さ、はじめようか」
「左近、ちょっといいかな」
「……土井先生?」
「少し私と、話をしないか?」
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