「まいったな、ちっともみつかりやしねぇ」
「日が落ちましたね」
「あの野郎どんな手使いやった」
「右京先輩も、素直に負けを認めるべきかと」
「…嗚呼、あいつに友人をつくらせるいい方法だと思ったんだがな」
もうすぐ風呂の時間。一日雨では雲もあつく、いつ日が落ちたのかもわからない。
風呂の前に右京先輩の御様子でも見に行こうかと部屋を訪れたところ、壁に三味線を立てかけ部屋に灯りを灯す右京先輩がおられた。同室の先輩はおられない。天井裏にいたのもすぐにバレ、降りて来いと手招きされては無視するわけにはいくまい。手土産の羊羹を机の上に置くと、素手で掴まれむしゃりと口に放り込んだ。美味いと漏らす声はいいが、顔は何処か不機嫌。やはり、姿をとらえることは出来なかったという事か。三郎も、なかなかやるではないか。
「明日の朝、三郎の部屋へ行きましょう」
「お前もついてくるか?」
「えぇ、右京先輩をも欺いたその技、その手、少々気になりますので」
今日まで右京先輩はあっという間に三郎の姿を見抜いたというのに、最終日に限っては声すら聞いていないと言う。まさか三郎が其処まで本気で友人を作れと言う右京先輩の条件を逃げてかわすとは。…これは三郎に友人という存在が出来るのは近い話ではなさそうだ。
「風呂にはいられますか?」
「そうだな、もう三郎は見つからんだろうし、俺も素直に負けを認めよう」
「では、僭越ながら私がお背中を」
「悪いな。よし、行くか」
膝を打ち立ち上がり、襖をあけ手拭いを手にした。私も一度天井裏から自室へ戻り、寝間着と手拭いを手にいて風呂場へ急いだ。六年生達が少し出て行き、その擦れ違いで五年が入っていく。五年は入ってきた右京先輩に気を使うように脱衣場を空けたのだが、右京先輩は気にするんじゃないと笑いながら一喝し、一番端の籠をお使いになった。
「おう慎次郎お前もか。随分遅いじゃねぇか」
「ちょっと学園長の使いでな」
「びしょ濡れだな。なんだ、忍務か」
「聞くな、御法度だぞ」
次いで入ってきた水明先輩。水明先輩は何処ぞへ忍務に出かけていたのか、服は雨でずぶぬれにくわえ、少し汚れていた。水明先輩は湯船に入り、右京先輩は先に頭を洗われた。泡を流し終え背を流し、右京先輩もふぅと息を吐きながら湯船に深くつかられた。やはり上級生と共に風呂に入るのは少々緊張するのか、私以外の五年は早々と湯船から出て行った。それはそうだ。一つ下の連中の憧れである智と武がそろっているのだ。緊張しないわけがない。広い湯船にたった三人。少し前までは三郎やら勘右衛門も共に入っていたが、やはりあいつらも上級生と共に一番風呂に入ることがあまり良くないと思い始めてきてしまったのだろうか、それとも共に入る仲間が増えたか。やれやれ前者だとしたらそう気を使うことないと言うのに。右京先輩が聞いたらきっと泣くぞ。
「申し上げます」
「銀丸か、早かったな」
「何?梶ヶ島?」
「おや、他がおられるのなら」
「いやいい、其処で話せ」
「では此処にて、」
そういえば、水明先輩がおられるのに銀丸がいない。今更気づくとは私はなんと愚かか。
風呂場の壁の外から聞こえた声は聞き間違えることなく我が友人、銀丸の声。此のトーンではまるで忍務報告。聞かない方がいいか?と右京先輩は水明先輩に視線を向けるが、水明先輩は逆に聞いていてくれと言わんばかりの目を向けた。私も聞いていてよろしいのだろうか。
「最近学園周辺をちらついていた謎の影とやら、恐らく城の忍者ではありませんでしょう」
「なんだ、だったら何処のどいつだ」
「いえそれが、恐らく城仕えの者ではない、同業者かと」
「…なんだ慎次郎、何の話だ」
「そうだな、お前には話そう。学園長からここ最近の忍務でな。最近、学園周辺を怪しい気配がちらついているという話を聞いた。体育委員が見回りに出ているが、やはりあいつらも変な気配や視線を感じるとよ」
「ほう、」
「手裏剣を打ったところ、返ってきたのはクナイで手裏剣を弾く音。同業者でなければクナイなど物騒な物など持ちませんし、そもそもこの雨、この暗さの中、そんなもので手裏剣を弾ける者など、同業者以外におりますまい。姿を隠しているのにこの阿呆なザマ。やれ、こんな馬鹿者がどこぞの城に仕えておるとは考えられますまい。どこぞの暗殺者か、どこぞの一派か」
「そうか」
「一応、二度と近寄るなとは申しては来ましたが…、いひひっ、はてさてそれがあやつらの耳の穴に届いたかどうかは…」
「そうか、いや、すまん。ご苦労だった。こっちへ来い、共に風呂に入れ」
「では、部屋に一度戻りますれば」
壁の向こうからの気配は消えた。銀丸が部屋へ寝間着と手拭いを取りに行ったのだろう。右京先輩は水明先輩とそんなことがあったのかとポツポツ話をされた。
この学園はやはり多くの敵に狙われる。とある城は、学園長を暗殺するため。とある城は、目は早めに摘むため。さまざまな理由で学園は何度か危機にみまわれている。特に今年は敵が多いだろう。智と武の六年が同時に世へ出るのだから。それこそ自分の城に仕えないのであれば阻止したい事だ。私が城の城主で、強いと噂される右京先輩と水明先輩をこの手に入れることが出来なんだとしたら、学園を潰すと考えるだろう。それが一番、敵を増やさなくて済むのだから。
「言えば手伝った、といいたいところだが、忍務となっちゃ手は出せねぇな」
「俺もお前に言いたかったが、やはり学園長の頼みではな。これは内密にな」
「おうよ。何かあったらいつでも言えよ」
「悪いな」
「気にすんじゃねえ。上がるぞ虎」
「では私も。お先に失礼いたします」
「おう、おやすみ」
私たちが出るのと同時に、ずぶぬれた銀丸が入ってきた。そんなに雨が強いのかと聞けば、長時間外に出れば小雨でもこうなるわと笑われた。確かにそんなに雨の音はしない。だが体は冷えるだろう。早く風呂に入れ。ご苦労さんと右京先輩が銀丸の肩を叩くと、銀丸は深々頭を下げ風呂場へ入って行った。
「くわばらくわばら。虎も気を付けろよ。俺も気を付けねばな」
「何をご冗談を。貴方ならどんな相手だろうと蹴散らすでしょうに」
「俺の背はお前に任せてある。背を狙われたら解らんぞ」
「ではご期待に添えられるよう、お守り致しましょう」
「ははは、頼もしいな。じゃぁな」
「おやすみなさいませ」
風呂場を出てしばらく歩き、長屋の分かれ道で右京先輩を見送った。確かに、雨はまだ降っている。私の同室はいない。どれだけ遅くまで起きていようと誰にも文句は言われない。さて明日三郎に逢うのが楽しみだ。どれほど努力すればあの右京先輩から一日姿を消せるのか、その話をじっくり聞きたいものよ。
今日の授業の復習でもするかと部屋に灯をつけ机に向かった。雨の音を聞きながらの勉強は本当にはかどっていい。
気付かぬ間にいくらか時間が過ぎた、その時。
とんとん、と控えめに戸が叩かれる音が聞こえた。
「…誰だ」
「……や、や、夜分遅くに、し、失礼致します…」
「…?」
「い、一年、ろ組の……ふ、不破と、申します…」
瞬時に聞こえた音にクナイを手にしたのだが、叩かれた戸の向こうから聞こえたのは、小さく震えた声。名を、一年ろ組の不破と言った。不破、……あぁ、もしや例の不破雷蔵か。右京先輩が仰っておられたな。話があるからというから駒を渡したが、三郎の手によってそれは帰ってきてしまったと。おそらく三郎が雷蔵からとったのだろうと苦笑いしていたのはつい最近の話だ。だが私はこの不破とは初対面だ。話したことなどない。そんな不破が私に一体なんの用件だ。
入れと言えば、控えめに戸は横にずれ、やはり見たことのない顔が入ってきた。正座をしぺたりと床に手を着き頭を下げる不和とやらは、まだ寝間着には着替えていなかった。
「初対面だな。不破と言ったか」
「は、はい……」
「私に一体、何の用だ?」
「お、扇先輩は、その……鉢屋と同じ、学級委員長委員会ですよね…!」
「…おい、何を泣いて、」
「助けてください…!鉢屋三郎が…!鉢屋が………っ!!」
「右京先輩、遅くに失礼いたします!虎之助です!」
「ふ、不破、雷蔵です…!」
「…zZ」
「右京先輩、右京先輩!緊急です!」
「……zZ」
「お目覚め下さい右京先輩!」
「………zZ」
「……水明先輩が真剣勝負をしたいと」
「んんんんんんんんん慎次郎ううううう!!!!……ん?」
「夜分遅くに失礼いたします、虎之助です。急ぎお伝えしたいことが…!」
「………大根おろしか…?」
「目覚めやがれください!」
「んん……なんだ虎か…なんだこんな夜遅くに………お前…お、不破か……?なんだこのコンビは……………乱交か…?」
「いい加減にしないと殺しますよ!!」
「なんなんだ……落ち着け虎…」
「右京先輩!!」
「待て待て大声を出すな…同室が起きたらどうする……」
「三郎が、いなくなりました!!」
「……………なんだって?」
prev /
next