適当に生きていくっていうのがこの世は丁度良いんだよ | ナノ


「この世は丁度良いんだよ」  




「なぁ勘右衛門」
「うん?」
「勘右衛門って、尾浜って苗字を重いと思ったことある?」
「ううん別に?俺んちお前みたいな忍の一族とかじゃないし、後継ぐようなもんでもないし」
「そうだよね」

刻一刻と迫る、最高学年生、卒業の時。ふわりと浮かぶ三日月に目を向けながら、隣で縁側に座り共に空を見上げる友は軽い返事を返した。それはそうだ。鉢屋と尾浜は全く違う。生きている意味も生きている世界も違う。こんな質問をするだなんて、そうとう私は、

「焦ってるね三郎」

「……」
「右京先輩がご卒業されるのに、焦ってるでしょ?」
「…なんでそう思った?」

「今まで自分を一番理解してくれていた先輩がいなくなっちゃうんだもんね。そりゃぁ俺も寂しいけど、三郎は凄く寂しいよね。だから早く、名に縛られて名に負けてる自分なんかじゃなくて、もっともっと立派な姿見てほしいって思ってるんでしょ?」

「……凄いなぁ勘右衛門は」
「一応これでも成績上位者だよ俺」

右京先輩が俺を助けてくれたあの事件はまだ暑い日だった。それから日は徐々に短くなり、秋風が身に沁み、雪が空から降り注いだ。その途中、数えきれないほどの思い出もできた。右京先輩と虎之助先輩と勘右衛門とピクニックに行った。その時、兵助も一緒に来たかったなぁなんて呟いた勘右衛門の言葉を聞いていたのか、今度は兵助と雷蔵と八左ヱ門も一緒に出掛けることになった。温泉に行ったり観光に行ったり、時には合戦場を見学しに行ったりもした。遠くから布陣をみつめる真剣な右京先輩たちの表情に、背筋が凍ったりもしたけれど、私は自分の意思は曲げない。私はいつか、右京先輩の様な強くて逞しくて、優しい忍になりたい。この思いは絶対曲げない。

「…やっぱり寂しいな」
「そうだね。もう時間がないね」
「虎之助先輩も寂しいだろうね」
「そりゃぁなぁ」

温かくなる風が憎い。この季節来なければ、憧れの先輩と離れるなんてことはないのに。


「三郎、勘右衛門、丁度良かった。まだ起きていたんだな」

「虎之助先輩!」
「こんばんは!」

「こんばんは。少し話したいことがある。ついてきなさい」


一年長屋の屋根から降りてきた虎之助先輩は月から降りてきたように影を落とした。私達二人の前に下りてきた先輩は手招きをして、私たちを五年長屋に連れて行った。もう夜遅くなのでほとんどの部屋の灯りが消えていたが、虎之助先輩の部屋からは光が漏れていた。中に誰かいるのかと思ったが誰もいず、私たちが部屋に入ると、戸は閉められた。座れと言われその場に正座し、虎之助先輩は私たちの前に胡坐をかいて座った。

「さて、悪いなこんな夜中に」

「いえ、大丈夫です」
「何のご用でしょうか」
「あぁ、えーっと、何から話そうか…」

虎之助先輩はううんと顎に手をあて目を瞑り、深く息を吐いた。説教なのかと問えば違う違うと手を振った。

「まず、最初にお前らに渡したいものがある。これだ、受け取ってくれ」
「はい?」

虎之助先輩が机の中から取り出し私たちの前に出したのは、『学級委員長委員会活動日誌』と美しい字で書かれた一冊の本だった。勘右衛門がそれを受け取り中をぱらぱらとめくると、中には事細やかに今までの私達四人の活動記録が記入されていた。何を喋っただの、誰が遅刻しただの、今日のおやつの内容など。最初の方のページには『鉢屋三郎、今だ尾浜と喋らず』や『尾浜、委員会中に飴玉5個食す』など。くだらないと思う事やこんな細かいことまで、とも思ったが、それ以上に、私たちの事をこんなにしっかり見ていてくださっていたのかというのが、とても嬉しかった。

めくり続けるとこの分厚い本は半ばで記入が止まっていた。一番最後のページには今日の日付と共に『学級委員長委員会活動日誌、鉢屋、尾浜に託す』と記載されていた。

「託す…」
「…なぜ、今これを?」

「次期委員長、副委員長に、此れを受け取ってもらいたい」
「…虎之助先輩?」


「私は、右京先輩がご卒業されると同時にこの学園を出る。来る卒業式の日、私はあのお方と共にここを巣立つことに決めた」


「えっ!?」
「どうし…っ!?なんでですか!?」



「…右京先輩が、…いや、右京様が、崇徳院の名をお捨てになられたからだ」



呆気にとられるとは、まさにこのこと。虎之助先輩の目は嘘を言うような目などではなく、真剣なまなざしそのものだった。此の短時間に、あまりにもたくさんの情報が入りすぎて頭が混乱している。虎之助先輩が、五年生なのに今年ご卒業される?右京先輩が、崇徳院の名を捨てた?一体、これはどういう事だ。虎之助先輩のご卒業は来年のはず。なのに今年卒業される…?しかも、今年ご卒業される右京先輩は崇徳院の名を捨てた?

勘右衛門もこの二人の関係はあの後聞いたらしく、虎之助先輩が右京先輩を様で呼んだことには何の疑問も持っていなかった。いや、むしろ今はそれどころじゃない。何処から聞けばいいのか解らない。窓から入る生暖かい風は先輩方との別れが近いということを知らせるものだったのに、今はもう別れを急かすものでしかない。

「前々から思っていたのだ。あのお方がいないのに、私が此処にいる意味はないのではないだろうか、と。主が旅立つのなら、私も共に在らねばならぬと。決心を固めた。だから、今までの記録をお前たちに託したい。まだ白紙のページは、お前らが埋めてくれ。見ることのできぬ後輩たちにも繋いでくれ」

「そんな…」

「……っ、失礼します!」
「三郎!?」

「いい、勘右衛門、行かせてやれ」

私は、虎之助先輩の部屋を飛び出した。向かうべきは決まっている。六年長屋。この時間でも先輩方はまだ起きておられるだろう。だけどそんなのお構いなしで、私は廊下をかけ一目散に目的地を目指した。道中先生に呼び止められもしたが、今は雷蔵の顔。呼ばれた名前は雷蔵の名。私じゃないから、振り向く必要はない。三日月に見つめられながら走ったその先にいたのは、長屋の縁側に腰掛け月を見上げる先輩が一人。足元では小さな焚火がパチパチと何かを燃やしていた。


「おっ、来たな三郎」
「右京先輩!」
「その顔、虎から聞いたな」
「どうして…!」

「…お優しい御方だよ。いつか親不孝者を殴り飛ばしてやるから、崇徳院の名は名乗り続けろと返事を寄越してきた。勝てんな、あの御方には」

右京先輩の足元で燃えていたのは、手紙だった。焦げてはいるが、右京という文字が見えた。おそらく、右京先輩が仰るあの御方というのは、崇徳院家の主、右京先輩の御父上だろう。

「俺の名は崇徳院右京だ。だが今までの崇徳院とは違う。国も、民も、家族も、何も背負っていない、ただの崇徳院だ」

「右京、先輩…」
「俺はもうあの家には帰らない。崇徳院は弟に任せたぞと手紙を送った。馬鹿な弟だ。お任せくださいと一筆だけ寄越してきやがったよ。愚弟を持つと気が楽でいいが、先が心配だな。あぁ、あぁ!楽になった!俺はもう自由だ!何も背負ってない!見ろ三郎!俺はもう何にも縛られていないぞ!名一つでこれほどまでに肩の荷が下りると思わなかった!」

よっしゃぁ!と拳を高く高く突き上げた右京先輩は、心底嬉しそうに笑っていた。燃え尽きた手紙を踏み潰し月に向かって手を広げた。

右京先輩が、名を捨てられた。そんな日が、来るとは思わなかった。

「どうして、名を、」

「……俺はもう、家を継げるような人間じゃない。国を背負えるような人間はないと思ったんだ」
「…それは、」

「お前を鉢屋衆一派から救ったあの日。俺は慎次郎とともにあの連中に拷問をかけた」

「!?」

「鉢屋衆の本拠地を聞き出すために俺はあの連中を必要以上に血に染めた。そして口を割らせた。それ故に鉢屋衆の本拠地を、お前の家を聞き出すことができ、お前の父に謁見する事ができた。だが、それは国の主がすべきことではない。後々気が付いたんだ。俺はあの時血を浴びることに何の疑問も持たなかった。人を傷つけることに何の躊躇もなかった。俺はもう国を背負うべき武人ではない。血に染まった忍だ。立派な忍だ。闇に生きるべき人間だ。その証拠に俺は"闇鳴り"とさえ呼ばれている。こんな人間が、今後あの崇徳院の国を平和な世に導けるかと虎之助に問うた。が、………返事は、帰って来なかった。俺も虎之助も薄々気づいていたんだ。俺はもうあの城に帰り、崇徳院を名乗ることは許される身ではなくなってしまった」

「右京、せん、」

「たかが六年、されど六年、俺は立派に身も心も忍になった。此処の教育は真に素晴らしい。刀を振り三味線を弾く事しか能がなかった俺が、手裏剣を投げ、棒手裏剣で防ぎ、毒を撒き、首を刎ね、その報酬に、金を受け取った時もあった。これは国主のあるべき姿ではないと思ったんだ。ただそれだけだ。だから俺は、名を捨てたんだ」

私に背を向けたまま、右京先輩は、ただ淡々としゃべり続けた。

「崇徳院の国は…!」
「ん?」

「崇徳院の国はどうなるのですか!?」
「後の国主は弟であるヤツに継がせる。俺はもう関係ない」

「家族は、どうなるのです!」
「弟とてそこまで馬鹿ではない。父もいる。命ある限りあの国は早々滅びはしない」

「何で…!!なんでその富を名声を、全て簡単に捨てるのですか!?」
「なんで?」

「なんでそんなに簡単に名を捨てられるのです!?国を治めるべき人間、血を浴びるのは当然の事でしょう!こんなご時世です!これから先いくらでも戦をすることはあると思います!だから、だからこそ右京先輩の様な国主がいてもおかしくはない!そう簡単に投げるてられるようなものではないでしょう!あなたは、あなたにとって崇徳院とはそれほどまでにどうでもいい名だったのですか!?」


ふと、私がこの鉢屋という名を脱ぎ捨てたらと考えた。私に兄弟はいない。私が鉢屋の名を捨てれば、確実に鉢屋は死ぬ。世襲制だとは聞いていないが、鉢屋の後を継げるものが他に誰かいるかと問われれば、返事はおそらく何処からも帰って来ないだろう。恐らく父が許さない、私も鉢屋を捨てると言えば、生きていられるかどうかもわからない。抜け忍も同然だろう。戦闘集団から抜けて、生きていられるわけがない。

でもよく考えれば、それは私の場合だ。右京先輩とは、名の重さが違う。如何考えても、右京先輩の名の方が重いに決まっている。崇徳院には沢山の物がのしかかっている。家族、兄弟、民、国。小国だとは言っていたが、国の主というだけで相当の重みがあるはずだ。覚悟のない物ではその名に押しつぶされるであろう。右京先輩はその名を背負って今まで生きてきたはず。私はてっきり、此処を卒業されたらあの国を守るべく者へとなるのだと思っていた。だけどそれは、どうやら大きな間違いだったらしい。


右京先輩は名を捨て、一国一城を背負う崇徳院右京から、ただの崇徳院右京になってしまった。


「…どうでもいいわけないだろう」
「じゃぁっ、」

「俺も相当悩んだ。知恵熱が出るんじゃないかと思うほどに悩んだ。だが、俺が導き出した答えは、これだったんだよ」
「……」

「血に染まったと俺は言ったが、先の言葉は撤回しよう。俺はこの六年間でたくさんの事を知った。忍術のことはそうだが、兵法のことも作法の事も。だが勉強以外にもいろんなことを感じる事ができた。友という存在。後輩という存在。恩師という存在や、町でできた知り合いとの縁もそうだ。そしてその友と同じ釜の飯を食った。一緒に旅に出た。共に喧嘩をし、共に笑いあった。お前たち後輩ともそうだ。歳の離れた俺を慕ってくれる存在と笑いあえた。恐らくあのまま城にいたら、これら全てを経験できずにこの命は終わっていただろう。国を背負い城に居座れば、俺はもう外には出られなくなるだろう。そう考えるとな、やはり俺は重い着物を着て腰に刀を付け髷を結うよりも、袴を穿いて三味線を背負いこの伸ばし続けた髪を風に泳がせ、時には陽の下で、時には影で生きていたいと思えるようになったんだ。全て虎に伝えた。あいつは、主がそうあるならばと、俺についてくることも決意した。悪い事をしたとは思っているが、あいつも思うことがあって此処を離れるんだと思うと、俺は間違っていなかったんだなと思えるよ」

清々しく微笑みながら、右京先輩は私の頭を撫で、再び縁側に腰をかけた。今此処にいるのは、一国一城を背負う右京先輩ではない。自由を手にした、ただの忍の卵。

「…私には、無理です…」
「うん?」
「…私にはそう簡単に、名を捨てることなんてできません…」

今まで十年間、私は鉢屋という名を名乗り、背負い、縛られてきた。この名が嫌いで苦だった。だけど、捨てろと言われて簡単に捨てられるものじゃないということぐらい、自分だって理解はできている。此れを捨てれば鉢屋にかかわる全てが死ぬ。まだ子供だからとはいえ、名前の重さぐらい解る。

「あのな三郎、」
「……」

この名は、この名は絶対に、









「適当に生きていくっていうのがこの世は丁度良いんだよ」









その言葉を聞いた瞬間、私の中の何かが音をたてて壊れた。

縁側に腰掛けた右京先輩は、月に負けないほどに輝いた笑顔で、にかっと笑いそう仰ったのだった。

「好きなように生きるのが一番だ!最上級生にもなれば、お前も解るようになるさ!」

適当に生きていく。それが、丁度いい。

「…適当に…」
「そう、適当に。好きに生きるのが一番だ。名を継ぎたきゃ継げばいい。継ぎたくなきゃ継がなきゃいい。名に縛られるっていうのは苦しい事かもしれんが、帰る場所がちゃんとあるってことだろう?だけど、それを捨てれば完全なる自由だ。それは寂しく恐ろしいことかもしれないが、これ以上好き勝手できることはない!これ以上最高だと思えることはない!自分の生きたいように生きる。これが一番最高の人生を送れる方法なんだよ」

そういえば、右京先輩は此処を卒業されたら崇徳院の名を継ぐというお話を一度でもしたことがあっただろうか。いや、なかったような気がする。崇徳院のためにこれといって特別に何かをしているようにも見えなかった。右京先輩が一番大好きなのは、三味線と将棋。戦場に似ていると将棋を打ち、心が安らぐと三味線を弾いた。授業をさぼりたいときにはさぼっていたし、腹が減った時に何かを口に入れていた。本当に好き勝手やっていた。そしてその結果、名を捨てた。自由に生きたいと名を捨て、背負うべき物全てを捨てた。

……敵わない。本当に、この人には敵わない。


「…右京先輩は」
「うん?」
「馬鹿じゃないんですか…!」
「ははは!言ってくれるな三郎!」

「貴方は本当に馬鹿です…!鉢屋を背負う私を偉いと褒めてくださった!変装を凄いと言ってくださった!誰よりも私の正体を暴いてくれた!誰よりも最初に私自身を見つけて、三郎と名を呼んでくれた!そして右京先輩自身も私と同じような立場だと、痛みを分け合ってくださった!誰よりも私を、鉢屋三郎という存在を理解してくれた…!それなのにその名を捨てるだなんて…!バカです!バカで!アホで!自分勝手で!傲慢で!我儘で!それで…っ!それで…!



…っ、とても、羨ましい…!」



私も、この鉢屋という名を今すぐにでも捨てる事ができたらどれほど楽だろう。ただの三郎になれたのだとしたら、どれほど見るべき世界が変わるだろう。
鉢屋のために力を付けるなんて必要はない。鉢屋のために成績を上位に置かねばならない必要もない。鉢屋の名を汚すことなく今から卒業を目指さなくてもいい。鉢屋じゃなくなれば、開くべき道はたくさんある。鉢屋を背負わなければ、できることはたくさんある。此処に残り教師になるもよし。変装の腕を磨いて旅芸人になるもよし。何処かの町に店を出したり、何処かの城に就職だってできる。こんなに楽しいことはないだろう。

だけど、今の私にそんなことが、できるわけがない。

「三郎、生きる道はたくさんある。鉢屋を継ぐも、名を捨てるも、お前自身が決めればいいさ」

一度きりの人生だと、右京先輩は私の頭に手を置いた。私と今まで同じ道を進んでいた右京先輩が、今道を外れた。新しい道を見つけて、そっちへ歩いて行った。いつか私も、いつか、私もこの右京先輩の様に、自分の意志に素直に生きていけることができるだろうか。

「…私も、右京先輩の様に…っ!素直に、なれるでしょうか…!」
「あぁ!お前ならできるさ!首根っこを掴んで道のど真ん中にお前を放り投げたあの日、お前は戸惑うことなくあの場を楽しんだ!あれほどの度胸があるやつが己に素直になれないわけがない!俺が保証してやる!」


乱暴に撫でられた頭はいつものようにぼさぼさにされてしまった。こうして髪を乱されるのもあと残り何回なのだろう。


「右京先輩、」
「ん?」
「…今日は、一緒に寝たいです」
「だははは!ほらみろ、さっそく素直になれたじゃないか!」


この人と別れるのも、もう少し。



























「と、いうことらしいぞ」
「へぇー…右京先輩凄いですね…」

「……おい、そう拗ねるな勘右衛門」
「………だって、右京先輩と三郎って凄く仲良くて羨ましいんですもん…」

「…よし、それならお前にとっておきの私の秘密を教えてやろう」
「え!」


「私はな、右京様と同い歳なんだ」
「……………え!?!??!」


「これを教えれば、昔の右京様は友になれとさらに迫って来ただろうと思ってな。歳を偽っていたんだ。本当に困った御方だ」
「…困った先輩でも、虎之助先輩も右京先輩大好きなんですね」
「……そりゃぁな。しかもあのお方は、私の三時のおやつがないとすぐ拗ねる。嗚呼、本当に困った御方だよ。これから先もこれが続くと思うと、困った困った」
「全然困ったようには見えませんっ」


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