『おや小夜先輩』
『やぁ孫兵』

『……兎ですか?』
『あぁ。怪我をしているところを拾ってな。もうよくなったから山に返しに来たんだが……懐いてしまったのか離れんのだ…』

『あはは、小夜先輩はお優しいですね』


…優しすぎたんだ。


『…何故、小夜先輩が折れたんですか』
『なんだ孫兵、今の見てたのか?』
『……小夜先輩は、中在家先輩に勉強を教えてもらっていただけなのでしょう?』
『あぁ。ちょっと外来語が解んなくてな』

『小夜先輩と中在家先輩との仲を疑ったのは向こうではないですか。何故小夜先輩が謝ったんですか?』

『…うーん、まぁ、私にも悪い所はあったかぁなって』
『…は?』



小夜先輩は、あまりにも優しすぎた。



『あいつが長次好きっていうの知ってたのに、こう長次と親しくしちゃ、そりゃ怒りもするよな』

『…あなたねぇ』
『私がおれなきゃ、多分この話は収まらなかったと思う。これで良いんだよ』
『……僕小夜先輩のそういうとこ嫌いです』
『おや、悲しいな』


『あなたは、優しすぎます』

『それでいいと思うんだがなぁ』


あの人は昔からそうだった。自分の身よりも友人の身を案じ、自分の事など二の次だった。単独忍務はそうでもなかったのだが、ペアをくんだり集団で忍務に行ったとき、小夜先輩が怪我をせずに帰って来たことなど、ただの一度もなかった。他の人は軽傷で済んでいても小夜先輩は重傷を負っていたり、酷い時は何日か寝込んでいた時もあった。それにより失った動物や虫たちは一匹もいなかったが、小夜先輩は自分の身の安全など考える人ではなかった。忍務を遂行するためなら自分の命を捨ててでも仲間を帰す。僕はそんな考えをしている小夜先輩が嫌いだった。

忍とは生きて情報を持ち帰ってこそ。僕は三年間あそこでそう教わってきた。先輩方もそう仰っていた。その為に腕を磨き技を身に着け忍務に挑むべきなのだと。小夜先輩は優秀な生徒だとくのいち中が言っていた。誰でも小夜先輩に憧れるのだと。獣遁を扱う者ならなおのこと。強く、優しい小夜先輩に夢中だった。


だけど、小夜先輩は、あまりにも優しすぎた。


『孫兵!』
『やぁ数馬。どうしたの?』

『小夜先輩が殿を務めたらしくて、い、今大怪我をして保健室に…!』


自分を犠牲にして忍務を遂行するのはもうやめてくださいと何度も言った。一度、一週間と目を覚まさない時があった。全身に毒が回り、死ぬかもしれないと新野先生が仰った時、僕はもうこの先輩にはいくら言って聞かせても無駄なのだと気付いた。何度も言った。何度も、命を大切にしてほしいと小夜先輩に言った。


『いい加減にしてください!!何故小夜先輩は何度自ら殿をつとめれば気が済むのですか!!こんなに怪我をされて、死ぬほどの目にあったというのに、それでも貴女は自分を犠牲にしてまで仲間を逃がすというのですか!少しは己の命の大切さを!……僕の気持ちも考えてください…!』


片目を隠されるように包帯が巻かれた小夜先輩の痛々しい姿といったらなかった。本当にやめてほしかった。憧れる小夜先輩が、大好きな小夜先輩が何度も死にかけているところをみるのが、尋常じゃないぐらいツラかった。全身に包帯をまかれ薬を塗られ、以前のような美しい笑顔が、まるで僕が思い描いた幻想の様な気さえした。小夜先輩に、こんな痛々しい姿、似合わない。


『お願いします…!もう二度と、二度と…!』

『…ありがとう。でもな孫兵、』






僕は小夜先輩が







『私がやらなきゃ、誰も助からないんだよ』






殺してやりたいほど、嫌いだった。









嫌な予感はしていたんだ。小夜先輩が、あの六人を許してしまうのではないかと。今まで何度もそういうことがあった。忍務でヘマをしたのは他の人間だったとしても、「私があんなことをしたから」と相手のミスは全て小夜先輩が被った。変な言いがかりをされたのだとしても「私が悪かったよ」とすぐに自分のせいにした。「お前のせいだ」とか「私は悪くない」なんて言葉、一度として聞いたことがなかった。あれは小夜先輩のせいじゃない。小夜先輩はなにも悪くない。そうはっきり口に出せたらいいのに、僕は忍たまの下級生。上級生の小夜先輩の間に、口を挟めるような立場の人間ではなかった。第三者の言葉が届くわけもなく、小夜先輩は全ての罪をかぶっていた。「私にも罪はあったかもしれない」と、へにゃりと笑ってごまかす小夜先輩が、大嫌いだった。

『孫兵、団子でも食いに行かないか』
『えっまたですか』
『お前が行かないのならいい。ジュンコ、一人と一匹で町まで散歩と洒落こもうじゃないか?』
『行きます!行きますよ!置いていかないでください!』

『はははは、それでいいんだ。素直になれ孫兵』


素直になれは、僕の台詞だ。

何故あなたがありもしない罪をかぶって生きているんだ。他の人のせいにしたらしいのに。少しでも自分に非はないと言えばいいのに。なぜそうやってすべての荒事を自分のせいにすればおさまると、最低な方向へ考えを持って行かれるんだ。

あなたはそれでいいのかもしれない。だけど、特別な仲になった、僕の気持ちも考えてほしい。恋仲である小夜先輩がなんの責任もない荒事の中心で、「自分にも責任はあったかもしれない」と言っている姿を見て、僕が何とも思わないとでも思っているのだろうか。それより、僕がそれを目撃していることを知っているのだろうか。

『私はみたらしが好きだ』
『僕は羊羹派です』
『なんだとそれは知らなかった。よし今日は予定を変更して羊羹を食いに行こう』

確かにそうすることによって争い事はすぐに収まるかもしれない。変な仲にならなくて済むかもしれない。

『美味しいか孫兵?』
『はい、ありがとうございます、ごちそうになっちゃって』
『気になどするな。ジュンコも喜んでくれて何よりだ』



……小夜先輩がそれでいいなら、別に、それでいいのかもしれない。




『…すまないな。私のせいで、孫兵にまで、変な思いをさせてしまって』




優しく撫でる手とその声で、小夜先輩の事を、嫌いになれるはずなど、ないというのは、解っているのに。

小夜先輩を嫌えるわけなどなかった。小夜先輩は誰よりも強くて、誰よりも優しくて、それでいて、誰よりも僕の事を理解してくれていた。毒虫野郎と呼ばれていたとしてもそれは知識があって素敵なことだと褒めてくださった。ジュンコを美しいと言ってくださった。僕の話を一所懸命になって聞いてくれた。姉のようで、母のようで、憧れる先輩で、僕が小夜先輩を嫌いになれるわけ、


『おい!いい加減にしろ!下級生の話を聞け!』

『何故委員会に出ない!あの女のことなど放っておけ!』

『一体どうしたんだお前ら!正気に戻れ!何故誰もおかしいと思わないんだ!』

『忍たまの恥さらしどもが!いい加減にしろ!私の話が聞こえないのか!!』


嫌えるわけ、ない。あんなに、僕らのために動いてくれた小夜先輩を、嫌いになれるわけがなかった。

その異変は突然の事で、小夜先輩はもちろん、僕らにだって状況は理解できなかった。天女とか言うふざけた女があっちこっち忍術学園中を引っ掻き回し、先輩たちはおかしくなり、忍術学園の規律は乱れに乱れた。神様がくれた力がどうのこうのとか未来の友達がどうのこうのと下級生の前で毒を吐いていた女を見て、小夜先輩がついに手を挙げた。二度と下級生に近寄るなと怒鳴った小夜先輩が、とても輝いて見えた。だけど、他の先輩方は違った。その目は、愛する女に手を挙げた人間を、もはや仲間と思っている目ではなかった。信じられなかった。くのいち達はあの女を最初から敵視していたから問題はないのだが、僕らより一つ上の先輩たちからだ。まるで幻術でもかけられたように、僕らの知っている先輩ではなくなった。竹谷先輩も、例外ではなかった。あんなに小夜先輩の事を好いていたというのに、なぜ、あのような態度をとられたのか。

小夜先輩が、他の先輩方に手を挙げたときは、本当に驚いた。ただの平手打ちだったけど、それを受けた潮江先輩は、うろたえることもなく、そのまま何処かへ行ってしまった。


何も反応がなかったあの時、小夜先輩は思ったのだろう。



「自分が犠牲にならなければ、元に戻ることはないかもしれない」、と。



早く気付けばよかった。冷静に考えて、あの荒れた学園の中、一人頑張ってみんなの心を取り戻そうとしていた小夜先輩を、学園長先生が、小夜先輩一人で忍務に行かせるわけがないことを。さすがの学園長先生も、あの時ばかりは小夜先輩に頼るしか手段はなかったように見えた。もっと早く気が付いていれば、あんなことにはならなかった。もっと僕が勇気を出していれば、もっと、もっと僕が、あの人を見ていれば。小夜先輩は、殺されなくて済んだというのに。

いや違う。






あの人が、小夜先輩がもっと自分を大切にしていれば、

小夜先輩は、殺されなくて済んだはずなのに。























「ねぇ小夜先輩、あなたのそういうとこ、僕、大っ嫌いでしたよ。殺してやりたいほどに嫌いでした。僕の気持ちのことなんて気にもとめずに自分が全て片づければいいっていう思考の小夜先輩本当に嫌いでした。憎たらしかったです。惨めな小夜先輩なんて見たくなかったから。やめてほしかった」


良く解らないんだよジュンコ。僕も自分自身の気持ちが解らないんだ。優しすぎる小夜先輩は頭にくる。大嫌いだ。明らかに間違っているのに小夜先輩が全ての罪を自分でかぶるのが、嫌いなんだ。殺してやりたいほどに嫌いだ。あの性格のせいで、小夜先輩は僕の気持ちを解ってくれない。解ってるだなんて、絶対に口だけ。僕だけを見てくれない。

だけどねジュンコ、僕、そんな小夜先輩を心から嫌いになれないんだよ。だって、とてもあったかいんだもの。小夜先輩が今まで、僕を気持ち悪いと言ったことがあった?ジュンコを気味悪がったりした?大山兄弟を嫌な目で見た?三四郎達を避けたりした?してないんだよ。あの人はとてもあったかいひとなんだよ。あの人は僕の事を大好きだって言ってくれるし、僕もあの人が大好きなんだよ。みんなが小夜先輩を八方美人と呼ぼうと嫌おうと、僕はあの人を、心の底から嫌いにはなれないんだよ。口では何とでもいえるけど、なんか、僕自身も良く解んないんだ。こういう気持ちをなんて呼ぶんだろうね。恋?愛?同情?


「……小夜先輩は、昔から本当にお優しい方でしたね」


僕には、あなたの優しさというものが、ちっとも理解できなかった。


「あなたが折れる必要なんて、何一つとしてなかったのに」


必要以上の情は身を滅ぼすだけ。それを誰よりも解っていたのは


「僕の気持ちも、ちょっとはくんでくださいよ」


最上級生である、あなただったはずなのに。


「小夜先輩、どうして僕だけを見てくれようとしないんですか」


忍びとして最も憧れであった貴女を


「どうしてそんなに、己を大事にしないんですか」


最もこの手で殺したいと思っていたのは


「どうしてそんなに、自分で全て片づけようとするのですか」


僕だったのかもしれない。


「なんとなくですけど、僕気付いてましたよ。今世で、小夜先輩が前世の記憶を持っていたとしたら、六年の先輩誰かが昔の事を貴女に話したとしたら、絶対に小夜先輩は先輩方の事を許すんだろうなって。それも、あの時のように、『自分にも悪い所があったんじゃないかな』みたいなこと言って許すんだろうなって。だから僕今まで黙ってたんです。天女に先輩方が操られていたみたいだって話も、先輩方が意識を取り戻したときみんな取り返しのつかない事をしたって反省していたことも。天女がこの世からあの時にタイムスリップしたんじゃないかって話も。元々先輩方と天女が友達だったから、だから天女様は上級生の先輩方にくっついていたんだって。だって、その話をしたら小夜先輩は「それならしょうがないな」って、絶対言うと思ったんですよ。僕が今まで、貴女のためにどれだけ苦労して生きて来たのか理解してくれないで、それであの先輩方を許してしまうんじゃないかって。それ、最悪の結果だと思ってました。一度は安心しました。小夜先輩も、あの先輩方を徹底的に嫌っているようでしたし。そりゃそうですよね。自分の命を奪った連中に心開くわけないですよね。開くわけないんですよ。普通はね。普通そうですよ。それでもやっぱり。あぁ、やっぱり貴女は僕を裏切った。また、また僕の気持ちをくんでくれなかった。また僕の気持ちを踏み時るようにして、自分が悪いと、そういって、あの先輩方を許した!!最低ですよ小夜先輩!!僕は言いましたよね!!昔からずっと言ってましたよね!!自分のせいでもないのに罪を被るのはやめろと、言いましたよね!?またこれですか!?どうすれば小夜先輩は、小夜先輩は僕の言葉を聞いてくれるんですか!?いつになったら僕だけをみてくれるんですか!!僕の声、聞いてくれてたじゃないですか!好きだって言ったら、小夜先輩も好きだと言ってくれていたじゃないですか!今世こそ、今世こそ、僕の声は貴女に届いているとばっかり思っていたのに!!それなのに、またこのザマですか……!!いい加減にしてくださいよ!!」


もう、小夜先輩には、声が届くことはない。

ぬるりと生暖かい感触が自分の両手にまとわりついているのが良く解る。小夜先輩は喋らない。綺麗な顔をして眠るように僕の下で転がっている。


「またそうやって、僕の話を聞こえないふりですか」


刺さっているそれは、確実に小夜先輩の鼓動を止めていた。

僕が、僕がやったのか。そうか。





僕は小夜先輩を、





「……あぁ、」

どうすれば、小夜先輩は僕だけをみてくれるのだろう。


…もういっそのこと、二度と昔の事を思い出さなければいいんじゃないだろうか。昔の小夜先輩のままこの世に生まれてくるから、だから同じようなことを繰り返す。新しい小夜先輩なら、昔の事を知らない小夜先輩なら、もう自分から罪をかぶるようなことをしないんじゃないのだろうか。そうだよ。それがいい。そしたら、今度はいっぱい話しかけて、それで僕を好きになってもらえばいいんだから。なんだ簡単な事じゃないか。小夜先輩、昔ことは忘れてくださって結構です。もうあの時の参事も、今世のことも忘れてください。そのどうしようもない性格も捨てて、新しい小夜先輩に生まれ変わってください。僕はどんなお姿になろうと、小夜先輩の事大好きですよ。生まれ変わっても、必ず小夜先輩の事見つけ出して見せますから。


だからもう、誰の事も思い出さないでください。

友の顔を忘れ、忍びであったことを忘れ、

次に逢った時は、僕の事だけを見てください。

そうすれば、今度こそ僕の声、届くと思うので。






「ジュンコ」



それじゃぁ先輩、



「ごめんね」



また








「僕を、殺してくれ」



お逢いしましょうか。




































あぁどうか



「小夜先輩、おはようございます」

「おはよう孫兵!今日も前髪見事なまでに金髪だな!!」

「地毛です」
「寝言は寝て言え!」




願わくば



「そういえば昨日潮江に委員会だからって日誌頼まれてさぁ、私の仕事じゃねぇっつーの!って角で殴ったよね!」
「ちょ、何してるんですか」
「いやだよお前がやってんだ!て先生に怒られるの私じゃん。何もしれないのに怒られたくないっつーの」



もう二度と




「あ、そうだ小夜先輩」
「ん?」
「美味しいパフェがあるとこ、隣のクラスの三反田に教えてもらったんです。今日一緒にどうですか?」
「イイネ!よーし可愛い孫兵に奢っちゃうぞ!」




昔のことなど




「…っていうか孫兵甘いのダメじゃなかった?」
「小夜先輩と二人なら喜んで食べます」
「かわいいやつめ!!」




思い出しませんように。




















…………願わくば、



「…小夜先輩、」

「なんじゃらほい」



もう二度と




「急にこんなこと言われて困るかもしれませんが」

「うん?なに?言ってみ?」









僕の事など


























「今度こそ、ずっと僕の側にいてください」


























思い出しませんように。

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