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それは、突然終わった。
ベンチが真っ白く塗られていたのだ。机の上、椅子の上には「ペンキ塗りたて」の張り紙がはってあった。
それはあまりにも突然終わった出来事で、僕の心にはぽっかりと穴があいたような感情になってしまった。毎日のように楽しみにしていたのに、いきなりそれは終わりを告げてしまった。
嗚呼、寂しいとはこういう感情なのだろうか。
考えれば、いくらでも続けることなんてできる。その辺の木を削ってでも出来るし、最悪正体を探す事だってきでる。だけどそれをしないのは、此処に来ていた人とはこのベンチで、文字だけで繋がっていたいなという感情が芽生えていたからだ。ここ数日は、正体を知りたいなんて思ってなかった。ただこうしてつながっている事だけが楽しかったのだから。
「……あぁ、」
思わずため息がこぼれる。ちょっと触れると、指先はほんのり白くなった。ほとんど乾いてはいるが、こすっても、あの文字は浮かび上がらない。あの時間は、戻ってこない。
思い出が、消えてしまった。
塗りたてのペンキの上に書くきには、どうしてもなれなかった。また一からというのがどうしても悲しくて、僕はもう此処には文字を書かないと決めた。
だけど、最後のあがきとして、僕は持っていたノートを破いて、其処へ歌を書いた。
浅茅生の 小野の篠原 しのぶれど
あまりてなどか 人の恋しき僕のあなたへの想いがあふれ出てしまい、抑えることが出来ません。
こんなにも、あなたのことを好きなんです。返事なんて、貰えるなんて思っていない。文字の主と僕を繋いでいたベンチがそれを拒んだのだから。
ならこの紙はどうしよう。
その辺に置いておくか。いや、風で飛んだらどうしよう。
樹に引っかけておくか。気付いたら読んでくれるだろうか。
「………あ、」
足元に咲いていた、小さい花。赤っぽい小さい花が沢山小さく小さくついている花。
昔何処かで見たことがある。名前は確か、隠蓑。あぁ、公園にやたらと沢山咲いていた記憶がある。小さい時はむしるようにつんでいたなぁ。
根元から茎を出来るだけ長くなるように切り、葉をとって、書いた紙も出来るだけ最小限まで小さくして、折り、茎に結びつけて、椅子の上に置いた。
あなたはこれに、気付いてくれますでしょうか。
僕の想いに、気付いてくれますでしょうか。
あなたに、あなたにお逢いしてみたい。
あれから数日がして、僕は三郎と八左ヱ門と兵助と勘ちゃんに、ここ数日の話をした。中庭のベンチで知らない人と和歌のやりとりをしていたことを。そしてそのベンチはペンキがぬられて、もう連絡手段がないと言うことを。兵助はそれを知っていたから、そんなに続いていたのかと反応したけど、他の奴らは初耳だったので、楽しそうにその話を聞いた。ロマンがある話だなと勘ちゃんは手元にあるパックジュースを一気に飲み干した。
四人は、その人間を探してみようぜ!と意気込んではくれたのが、いかんせん手がかりが何もないのだ。一日中中庭を観察していたわけではないので姿が解らない。特徴も解らない。最後の手がかりである字体もペンキで消されてしまった。まさか全校生徒の一人一人に中庭で和歌を書いていませんでしたか?なんて聞けるわけがない。手がかりは、0である。
「はぁー……」
放課後、図書室当番な僕は、カウンターに座り深く深くため息をつくと、隣に座っていた久作が僕の顔を覗き込んだ。
「どうしたんです?不破先輩がため息なんて珍しいですね」
「そう?」
「えぇ、何かに悩んでいるようn……あぁ、悩むのはいつのも事でしたね」
「辛辣だなぁ」
「お言葉ですが、手、止まってますよ。返却手続してください」
「あ、ごめんごめん」
返された本にポンポンと【返却】というスタンプを貸出日付の上に押していく。僕の借りた百人一首の本も、期限が迫っていたのと、もう必要が無くなってしまったので返却手続をした。中々この本にはお世話になった。何個か覚えたし、古文の成績も上がったし。
「すいません、返却お願いします」
「はーい、本お預かりしm……」
カウンター前に立っていたのは、あの先輩だった。
「…なぁに?何かついてる?」
「あ!い、いえ!失礼しました!へ、返却手続、させていただきます!」
「えぇ、お願いします」
久しぶりにお顔を拝見した気がする。その声を目線に、ドッ!と大きく心臓がはねたが、なんとか平然を保とうと努力しつつ返却手続をした。
カードにスタンプを押して先輩にお返しすると、先輩はそれをバッグにしまった。
「ねぇ、あなた、」
「は、はい?」
「………ごめんなさい、なんでもないわ。どうもありがとう」
先輩はいつものようにふんわり微笑んで、図書室から出ていかれた。僕に何を聞きたかったのだろうか。僕に何かついてたかなぁ。
もしかして、この本の続きの場所でも聞きたかったかな。これ続き物だし。そういえば続きは借りていかれないのかn………
「!!」
「…不破先輩?」
「ごめん久作!!ちょっとここ任せるね!!」
「え!?ちょっと!!不破先輩!?」
ガタン!と大きく音をたてて椅子から立ち上がり大声を上げてしまったからか、図書室にいた生徒の視線を集めてしまった。いや、でも今はそれどころじゃない。
図書室から出て、先輩はどちらへ行かれただろう。今は放課後。何も用事がなければ、此のまままっすぐ玄関へ向かうはず。先輩が図書室から出ていかれてからそんなに時間はたってない。ということは、階段。
廊下を走り、一番近くにある階段を猛ダッシュで降りると、二階の折り返し地点で先輩の後ろ姿が目に入った。
「あの!!すいません!!」
「!」
急に大声を上げたからか、先輩はビクッとしていじっていたケータイから目を離して僕を見た。息が切れ切れの後輩が、何故自分に声をかけたのか、不思議でならないと言う顔だ。
「こ、これ、…!」
「?……あ!?わ、私ったらまた……!」
僕が手に持っているのは、先輩が返却された本の間に挟まっていたしおり。前も、僕は先輩が忘れたしおりを届けた。
だけど、前回届けたのとは違うしおりだ。前届けたのは、スミレの花が挟まっていた。だけど今回は違う花だ。
これは僕が、中庭で、あの椅子の上に、手紙と一緒に置いた花。
「……
か、
隠蓑…!」
しおりに手を伸ばす先輩に、僕は思い切って言葉を紡いだ。
「
隠蓑、……
は、
花届けしは……!
我が心…っ!」
隠蓑の花をあの場所に置き貴女に届けたのは、私の心から想いゆえにです。恐らく僕は今顔が真っ赤であろう。
あー!!もっと古文勉強しておけばよかった!!もっとましな和歌歌えるぐらいには勉強しておけばよかった!!!
っていうかあんなに百人一首の歌やりとりしたんだから一個ぐらいいい歌覚えておけばよかったぁああああ!!!
「……
隠れ身の影、
私なりけり…」
僕は思わず顔を上げた。
だって、その言葉では、
今まで影に隠れていたのは、私だったんですよ。「隠蓑」の花の名前を「隠れ身の」と返すか。この返し、まさに中庭のベンチの文字の主のようだ。
「凄い、シャレた返しをなさいますね……」
「私古文は大得意なの。……百人一首は、特に好きよ」
「!…やっぱり……貴女が、中庭の」
「嗚呼、やっぱり貴方だったのね!この間ベンチの処で立っていたのを見てもしかしたらと思っていたの」
「き、気付いていたんですか?」
「ただの勘よ。あそこのベンチを使う人、そうそう見かけないもの」
「そう、でしたか…!」
僕の手から受け取ったしおり。その中身の花は、確かに僕があの時つんだ花。
少しぷっくりしていたそのしおりは、先輩の手からバッグの中へと入って行った。
「……ねぇ、今まで互いに顔を見せなかったけど、」
先輩は階段を上がり、僕と同じ高さの段まで来た。
「今こうして正体が解った今でも、」
届く目線は、僕より少し低い位置から。
「……あの歌は、私が受け取ってもいいのかしら」
「貴女の事が、好きでした」
まだ僕は貴女の名前すら知らない。貴女の口からきいていないのだから。
だけど僕は今まで、この短い言葉を伝えたくてしょうがなかったんです。
「……私の名前、小鳥遊和華よ。貸出カードで知っているかもしれないけど」
「えぇ、存じております」
「……貴方の名前も、聞いていいかしら」
「…不破、雷蔵と申します」
さぁ、ここから始めましょう。
やっと、面と向かって、貴女に想いを告げられたのだから。
― 了 ―