二首、かくとだにえやはいぶきのさしも草

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木の間を風が通り抜けて行き、僕の髪がふわりと持ち上がった。そろそろ髪を切りに行こうか。いや、そういう話をするとタカ丸さんが飛んでくるから、タカ丸さんに頼んだ方がいいのかもしれないな。

顔を上げて眼鏡を外す。空を仰ぐように上を見上げると、面白い形をした雲があちらこちらでゆっくり流れていっていた。

中庭にある此処はとても気持ちのいいところで、木陰が出来て風どおりもいい。気分を変えるために外で勉強したいという時はいつだって僕は此処に来るのだ。他にも利用している人がいるのだろうが、僕はいつでもこの席を使っているのだ。日当たりも丁度いい。風も丁度いい。外で勉強できる学校も、そう多くはないだろう。気持ちのいいところだ。勉強がはかどる。
本日最後の授業、先生の急な都合により突然の自習。好きなように過ごしていいと言われたうちのクラスメイトは、各々好きなところへ散ってしまった。あるものはとっとと帰ったものもいるし、図書室で勉強をするものも、食堂へ行きゲームをするものもいた。僕は二限目に出された課題を終わらせておきたくて、中庭へ来たのだ。


「ハチ、」
「……zZ」


なんだよもう、勉強教えてほしいって此処へ来たのはお前の方だぞ。

机に突っ伏して眠るハチの頭をシャーペンでつつくと、もぞもぞ動くが起きる気配はない。こうなったらしばらく起きないかな。僕はバッグの中からイヤホンを取り出し、バラードをかけながら、図書室から借りた本を開いた。先日中在家先輩からおすすめされた新刊だ。中々伏線がいっぱいでわくわくする。



風が吹き、日は少し傾き、読み続けていた本の残りはもう残りわずかで、あっという間に物語は終幕へと向かって行ってしまった。最後の一枚をパラりとめくると、僕の意識は現実世界へと引き戻された。ケータイを開くと、時間は恐ろしく立っていたようで、針のさす時間にギョッとした。イヤホンをとり風の音を耳に入れるも、ハチの寝息は全く止まることを知らないようだった。

これだから本の世界はたまらないのだ。無機質な文字が何個も並んでいるだけだというのに、僕を全く別の世界へ引き込んでいってしまう。それも、時間も現実世界も忘れるほどに。

厨二臭いと言われたって構いやしないさ。僕は本が好きなのだから。本の中で待っている別の世界が好きなのだから。


一向に起きる気配のないハチの髪が、ぼさぼさと風で揺れるのを見て、僕はふっと笑ってしまった。隠しておかないとタカ丸さんに刈られるぞ。



「馬鹿ねぇ、だから留三郎に手伝って貰いなさいって言ったじゃない、」

「ごめんよ、留三郎が見つからなくてさぁ」

「!」



聞こえた声、聞こえた名前に、僕は思わずその方向へ顔を向けた。善法寺先輩と、嗚呼、あの先輩だ。


「だからってこんな大きな怪我どうして作るのよ」
「ふ、不運だから?」
「言い訳は嫌いよ」


一階の第一校舎と第二校舎を繋ぐ渡り廊下を歩いていくお二人。善法寺先輩より少し少ない量の荷物を抱えて、第二校舎へと消えていってしまった。

お似合いというかなんというか、入るすきなど無いほどに、お似合いなお二人だった。



「…あ〜……」



当たる前に砕けてしまったか、この恋は。

いやいや、あのお二人が付き合っていると決まったわけではないのだけれど。いや、もしかして本当にお付き合いされているのだろうか…。だとしたら僕はあの先輩へ対するこの気持ちすら善法寺先輩へ失礼で……いやでも付き合っていないのだとしたら…だけど、思うだけなら自由なのかな………いやいやでも…。







「……かくとだに…」





昨日開いた本で、チラりと目に入った歌があったな。借りておけばよかったなぁ。あれは一体、どんな歌だっけ。今の僕に、ピッタリな歌だと思ったんだけど。


ベンチに背を預け空を仰ぐように上を見て、あの歌を思い出す。あれは確か、男だって泣く時があるというような…。



「…えやはいぶきの………さしも草…?」




うっすら出てくる十七文字を、忘れぬぬよう、


僕はその歌を、椅子に書いた。








かくとだに えやはいぶきの さしも草









「………下の句なんだっけ…」





白いペンキがはげて木の色がかなりむき出しになっている薄汚れたベンチ。其処へボールペンの黒で書かれた文字はまだ足りぬ十四文字を必死に待っていた。いくら頭をひねっても下の句は一向に出てこなくて、僕はまたうんうんを頭を抱えてしまった。

嗚呼だめだもやもやする。こうなったら本格的にあの本を借りるべきだな。


授業終了のチャイムが鳴り、本日の授業は終わりを告げた。サボってる勘ちゃんたちとゲームをしているであろう三郎は食堂にいるかな。僕はとりあえず図書室へ行くことにしよう。


「ハチ、僕先に帰るよ!!」

「うぇっ!?あ、あれ!?俺寝てた!?」

「しっかりとね。その様子じゃ数学は自分でなんとか出来るみたいだねー?じゃぁ後頑張ってね!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!頼むよ雷蔵!しゅ、宿題分だけでも!!!」

急いで荷物をまとめるハチにをシカトしながら、僕は下の句を思い出しつつ図書室へ向かうべく下駄箱へ足を急がせた。










































「あれ!?」





かくとだに えやはいぶきの さしも草


さしも知らじな 燃ゆる思ひを




「…下の句が……」


あれから数日がして、ただ図書室で借りた本を此処で読もうとあのベンチへ来たのだが、薄汚れたベンチには、

僕が上の句の横に、下の句が書き足されていた。


一体誰だがと周りを見回してみたが、誰もいない。一体誰が、いつ書いたものなのだろうか。






こんなにも貴女を想っているのに、貴女にこの気持ちは伝えられない。私の心は御灸の艾のように熱く深く燃えているというのに。


貴女は私のこの恋心など、全くご存じではないのでしょうね。






「……いったい誰が、」

「雷蔵?」
「!兵助、」

「何してんのこんなとこで、読書?」
「み、見て兵助、これ、」

「……?百人一首の歌じゃないか。なんでこんなところに?」


いつの間にか後ろにいた兵助は、僕がベンチのあたりでキョロキョロしているのを発見してこっちへ来たのだという。靴は上履きのままで、どうやら渡り廊下からこっちへ来たみたいだった。
兵助は僕が指差す方向にあるベンチを見つめて、うんうんと話を聞いた。僕が何となく書いた上の句に、いつの間にか下の句が書き足されていたということを。


「ははは、ずいぶんロマンチックじゃないか」
「え?」

「百人一首の歌が詠まれていた時代、つまり平安時代は、男が女へ歌を送っていたんだよ」
「へぇー」

「時には上の句を渡して、下の句を相手から貰うなんてこともあったし。それにあの時代は最初から想い人の顔を見られるわけじゃなかったんだ」
「そうなんだ?」

「雷蔵、この返事くれたの誰だか知ってるの?」
「だから言ったろ、誰だか解らないって」


「じゃぁまるで本当に平安貴族みたいだな。雷蔵が書いた上の句に下の句を返してくれるなんて、この学園にもシャレたことをするやつがいたもんだな」


にっこりほほ笑んだ笑顔に、ああ、女はこの笑顔にやられるんだなと僕は思った。

それにしても本当に綺麗な字で、素敵な事をしてくれる人がこの学園にいたもんだ。まさか僕のただの落書きに、下の句を返してくれる人がいただなんて。


「何か書いておけよ」
「え、何かって?」
「お前は誰だ?って」
「えぇ」
「返事が返ってくるかもしれないぞ」


兵助にすっとボールペンを渡されるも、僕は返事の困ってまた頭を悩ませた。


「……俺ならこう書くね」
「何?」


「我の心を覗きてくれき、貴方はされば誰なりや」


「どういう意味?」
「"私の心を覗いてくれた貴女は一体誰ですか?"ってな」

「それじゃ文字数がむちゃくちゃだよ」

「別にこのベンチは和歌じゃないと書いてはいけないなんてルールないだろう?」


そりゃまぁそうだけどと思いながらも、僕はあまり目立たないような場所に兵助が言った言葉を小さく書いた。返事が返ってきたら、僕はどうするつもりなのだろうか。
ちょっと話が出来るだけでもいいのだけれど。和歌について詳しくはないけど、繋がりが持てればとても楽しいだろうし。

「書けた?」
「書けたよ」

ふたをしてボールペンを返して、僕は兵助と下駄箱へ戻った。あ、お前上履きのままなんだっけ。





























「!」

それからまた数日がして、僕はすっかりあの文字を書いたことを忘れていた。ベンチを見てはっと思いだし、そこへ駆け寄り、書いた文字のあたりを見ると、








かたみの名前を知らずとも

手を通して逢えるにあらずや







綺麗な字でそう書かれていた。


辞書を開いて一文字一文字の単語の意味を調べてはノートに書き、言葉を並べた。






お互いの名前なんて知らなくても

文字を通して逢えるじゃないですか






思わず頬が緩んで、文字を指でなぞった。


なんて綺麗な言葉なんだろうか。




とりあえず写メとっとこ。
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