「何?授業参観だと?」

「そう!おばちゃんきてくれるかなー?」
「ふむ、授業参観か」

家に帰り、買い物の夕食の材料をテーブルに置くと、名前は黄色い幼稚園のバッグから一枚の紙を取り出した。仰々しいあいさつの後には『授業参観のお知らせ』と書かれてあった。なるほど、幼稚園でも授業参観と言うものはあったか。
これはおそらく親が行かねばならぬのだろうが、生憎名前の母親は今何処にいるのか解らん。代理で私の母親が行くのが妥当なのだろう。

が、きっと母さんは行けないはずだ。ここ最近なにやら仕事の方が立て込んでて帰りも遅く出るのも早い。父さんもそうだ。名前の世話では何も困ってはいないのでいいのだが、こういうイベントが発生すると少々困惑するな。

残念ながら明日は平日。故に通常授業のある日だ。私は行くことが出来ない。だが母親も行けないとなると……さすがに名前が可哀そうだな……。


「明日は何をやるんだ?」

「んーっとね、たぶんおゆうぎのれんしゅうだとおもう」
「ほう、お遊戯か」
「いま、およげたいやきさんのおどり、おぼえてるの!」
「そうか、凄いな。だが残念ながら、正しいタイトルは『さん』ではなく『くん』だ」
「あれー?」

名前の帽子を脱がし服を着替えさせ、冷凍庫を開けアイスを差し出す。美味しいと飛び跳ねながら名前はソファへ腰を沈めた。
私も考えながら名前の横へ座った。さてどうしたものかと考え、膝に乗る名前の頭を撫でた。


「……名前、」
「なーに?」

「明日の授業参観、私が行ってやろうか」

「!せんぞーにいちゃんがきてくれるの!?」
「あぁ、お前が踊っている姿を是非みたいな」
「わー!やったー!平仮名がんばるねー!」

「そうかそうか、ならばもう一人呼んでやろう」


私は喜ぶ名前を横目に、一人の人物へ電話をかけた。今はおそらく家についたころだろう。


『なんだ?どうした?』

「おい文次郎、明日名前の幼稚園で授業参観がある。付き合え」
『おう、別に構わんが、明日は通常授業だぞ』
「それがどうした?」

『お前今まで無遅刻無欠席だったじゃねぇか』
「それがどうした!!名前が来てほしいと頼んでいるんだぞ!!断ると思っているのか!!」
『わ、解った解った!電話で叫ぶなバカタレ!!』


用件は言った。これ以上話すことなど何もない。時間はあとでメールをしよう。


「名前喜べ、文次郎もくるぞ」
「もんじにいちゃんも!?やったー!平仮名うれしい!」
「そうかそうか、それはなによりだ。さ、夕食の準備をするぞ」
「はーい!」


本当は留三郎の方が適任なのだが……。

……いややめておこう、犯罪は揉み消すのが大変だ。

































「もんじにいちゃんおはよー!」
「おう、元気だな名前」

「良くこの話を受諾したな」
「進路も決まっちゃ学校行ってもなにもやることねぇからな」
「全くだ。カメラは持って来ただろうな?」
「代えの電池もある」
「さすがだ文次郎。さぁ行くぞ名前、自転車に乗れ」
「はーい」

あいさつ代わりに文次郎に名前が抱き着き、文次郎もそれを受け止めた。運動神経が良いからなのか、名前は軽くジャンプすれば文次郎の胸元まで届くのだ。こやつの前世は忍びか。

幼稚園に到着するといつもの雰囲気とは違く、外にも中にも大勢の保護者でいっぱいだった。平日なので念のためと、私服で来て正解だった。
だがさすがにこの歳で幼稚園の授業参観は目立つな。私のクラスの保護者は名前の事情を知っていようが、その他のクラスの保護者は知らぬものもいるのだろう。あんな若いやつらがとでも思われているのだろうか。いや、むしろ文次郎の方が父親だと思われているかもしれんな。外見的な意味で。私はその娘である名前の兄といったところか。何?つまり私の父親は文次郎ということになるのか?

「それだけは御免だ!!」
「イダッ!!なにすんだ仙蔵テメェ!!」

思わず文次郎の尻を蹴り飛ばす。気にするな。ちょっとした条件反射だ。


「だんぞーくんへーだゆくん、おはよ!」

「おはよー平仮名ちゃん」
「おはよー!!平仮名ちゃん、きょうはにいちゃんたちがくるんだ!」

「そう!せんぞーにいちゃんと、こっちはもんじろにいちゃん!」

「いーなー!おれもにいちゃんほしい!」
「かっけーなー!」

羨ましがられたのがそれほど嬉しかったのか、名前はふふー!と笑って私の太ももに抱き着いた。危ない、私の私が反応するところだった。

教室についてガラリと扉を引くと、担任の反屋先生がおはようございますとファンシーなエプロンを揺らして頭を下げた。頑張れよと名前の頭をなでると、名前はわくわくとした面持ちで自分の席へと向かったのであった。

「文次郎、カメラを構えろ。ここから一秒たりとも名前の姿を逃がすんじゃない」
「任せておけ」

一番窓側に立ち位置を陣取り、窓に背を預けながら、名前の姿を文次郎に撮らせた。可愛い、なんて可愛いんだ名前!


「みなさんおはようございます!」

「「「そりやせんせい、おはようございます!」」」

「はいおはようございます!今日はお母さんやお父さんがいるから、がんばってカッコいいとこ見せましょうね!」
「「「はーい!」」」


「おい文次郎!名前を逃すな!!撮り続けろ!!」
「おい静かにしろお前の声入るぞ」
「  」
「いやそれはそれで不気味だ」

手にスズランテープで作ったぼんぼんをはめ、机を横に移動させた。担任である反屋先生がラジカセをセットして黒板の前にセットした。
名前はがんばるね!と私と文次郎とハイタッチをして配置についた。鼻血出た。

お母さんたちの方向いて!というと、みなが後ろを振り向き、聞き覚えのある前奏が流れ始めると、全員が腕を後ろに回しかかとを上下させリズムをとる。

「文次郎、私は今幸せの頂点にいる」
「落ち着け」


「さんっはい!」


「文次郎!名前が!名前が踊っているぞ!それはもう踊っているぞ!」
「おい落ち着け保護者」


「まいにち、まいにち、ぼくらはてっぱんのー!」


「ハァアアアーーーーッッ!!!名前可愛いぞ!!可愛い!!名前ーッッ!!」
「落ち着け仙蔵!!むしろ誰だお前!!」



我を忘れカメラを回す文次郎を殴り蹴り興奮を抑える私。きっとはたから見れば妹想いの素晴らしい兄に見えているに違いない。貴様ら私を見習え。私のように子を想い過ごすんだ。まぁ実の子ではないし、実の妹でもないのだがな。

楽しそうに踊る名前。その周りで一緒に笑っているのは名前の友達だろうな。その子供たちを微笑ましそうに見つめるのは、実の両親だろう。


「もんじろにいちゃん!平仮名かっこよかった!?」
「いや、物凄い可愛かったぞ」
「ほんとー!?かっこよくとれた!?」
「いやだから可愛かったんだって。なんでお前カッコよくなりたいんだ」


文次郎と話を終えると、遊戯を終えた名前は私の名を呼び抱き着いてきた。名前の頭を優しくなでてやると、名前はいつも通りの笑顔を私に向けてくれた。

…名前の母親は、叔母さんは一体いつまでこの笑顔を放置しているのだろうか。いつになったら名前を迎えに来るのか。そもそも、何故実の子であるというのに此の手を離したのか。私に子供がいるわけではないから親としての感情は理解できない。育児放棄というものの実態は教科書でしか知らない。叔母さんが何を思い名前を置いて出て行ってしまったのか、今の私には理解が出来ないでいる。

こんなに愛らしい笑顔、いつまで放っておくのだろうか。


次の授業へうつり、必死で名前はひらがなを書き写していた。真剣な顔がまた可愛い。

だが今回の授業は動きがあるわけでもなく、ただひたすら机に向かうだけ。退屈といえば退屈なのだが、頑張っている名前の表情が可愛い。堪らん。……留三郎の気持ちも少しは解ってきたような気がする。



ふと、窓に目を向けた。カメラを回す文次郎の向こうに見えたのは、幼稚園の外から中を見つめる一人の大人。女性用の帽子をかぶったその人は、陰で顔は見えない。誰だ。入りそびれた保護者だろうか。不審者だったら文次郎にギンギンさせて捕まえさせればいい。留三郎だったら通報するまでだ。
ただ何となくその人物に目を向けていると、その人はふいに帽子を取った。




「…………!!!」



「仙蔵?」

「すまん文次郎、名前を頼む」

「お、おい、どこいくんだ」


園庭へ抜けられる大きな窓を音を立てず開け、私は其処から飛び出した。文次郎に呼び止められるも、私は今それにこたえている暇はない。
あの顔、間違いない。アルバムで見た顔だ。記憶になくとも、最近写真で見た顔だ。何故、何故今ここにいる。そこで一体何をしている。



「はぁ…っ、」


「……あの?」

「…叔母さんですよね…!名前の、名前の母親ですよね…!!」
「!名前を、ご存じなのですか……!?」


「……仙蔵です。立花、仙蔵です。貴女にお逢いしたのは私がまだ小さかった頃です。貴女の記憶にはないかもしれませんが……、貴女の姉の、息子です」


低いフェンス越しに交わす会話は、まずは己の紹介からだった。私は親戚の集まりというものが好ましくなく、いつも欠席し文次郎たちと遊んでいたのだ。子供の頃に何度かあったぐらいで、きっと叔母さんには私の顔など覚えていないはずだ。


「…!じゃぁ、」
「…名前を、いつまで放置するつもりですか…!貴女は今何処にいるんですか…!」
「っ、」

「名前は、あんなに貴女を愛し、あんなに貴女の帰りを待っているのですよ!!」


ガシャンと揺れたフェンスは、私の右手が鳴らした音だった。きっと私は今眉間に皺を寄せ、怒りに満ちた顔をしているはずだ。
園に入ってこないところを見る限り、フェンスの向こうにいるということは、……名前を、迎えに来たというわけではないのだろう。何故だ。今手を伸ばせば、名前を連れて帰れるというのに。


「……っ、」
「何故このフェンスを越えないのですか、何故、名前に手を伸ばさないのですか」
「…」

「………………私に、子育てと言うものは解りません。何故貴女が子供を置いて何処かへ言ったかも理解できません。……いや、理解したくもない」
「…私はっ、………!」

「……今、名前の身の回りの世話をしているのは私です。私と、私の信頼すべき親友たちが、名前の面倒を見ています。……言わば今の名前の親は、私です」
「!」


「…黙ってばかり、私の目を見ようとしない…。今の貴女に、名前を渡すことなどできない。…次に此処へ来るときには、私が名前を納得して送り出せるような姿勢を見せてください。名前を愛しているという証拠を見せてください」


帽子を握りしめ下をうつむき、私を見ようとはしない。

名前の育児を放棄した理由を今聞けば何かが解るわけでもないのに、私は一体何を口走っているのだろうか。今この人の心を探ったところで、名前が救われるわけでもないというのに。
嗚呼、名前を今此処へ連れてこれたらどれほどいいか。名前はどれほど喜ぶだろうか。


……だが、そうできないのは、きっとただの私の我儘だろう。


今の、この人に名前を預けることなんて、出来るわけがない。また名前が置いて行かれたら、今度こそ名前は絶望を見る。立ち直れることなんてないだろう。
初めて逢った時は酷かった。声も発さず感情もあらわさず、こんな子供がいるのかと思ったほどだった。すべての元凶は貴女だと、今言えたらどれほど楽か。


「……その覚悟が出来るまで、名前に逢いになど来ないでください」


私がこんな台詞言えるような立場の人間ではないことは解っている。だが酷くこの人が憎たらしいのだ。手を伸ばせば届く距離にいるのに、伸ばさない。名前とこの人は、私よりも深い物で結ばれているということに、きっと、深く嫉妬してしまっているのだと思う。いや、きっとそうだろう。


「……っ、名前は!!」
「…」

背を向け教室へ戻ろうとすると、背後でがしゃんと音を立てるフェンス。





「…名前は、…元気ですか…!」



「……………つい先日、人参を克服しましたよ」






それだけ言うと、「ありがとうございます」と小さくつぶやいて、あの人は去って行った。

教室に戻ると、先生に勝手に出て行ったことに気付かれたのか少々注意されてしまったが、名前が心配したように私に抱き着いてきた。丁度授業は終わったようだった。


「…名前、」
「なーに?」

「もう少し、時間をくれないか」


膝をつき名前に視線を合わせるように背をかがめ、私は名前を抱きしめた。


「…へー?」
「私の我儘でお前に迷惑をかけてしまうかもしれん。だけど、それがお前のためになるんだ」
「……」

「……すまない、私の身勝手で…」


少し腕に力を入れて、名前を抱きしめる。

この小さい体を、今は私が守ってやらなくては。例え"母親"という存在に勝てなくとも、今だけは私が、この小さい存在を守らなければならない。


「…平仮名、いっつもせんぞーにんちゃんにわがままばっかいっちゃう。だから、せんぞーにいちゃんのわがままは、平仮名がきくの!」

「名前…」
「平仮名、せんぞーにいちゃんだいすきだもん!ずーっといっしょだもんね!」


抱きしめ返されるその腕は私の首にふわりとまわった。

ずっと一緒、か。

いつまで、そこの言葉を、言っていられるのだろうか。



「せんぞーにいちゃんは、平仮名のことすきー?」

「……あぁ、愛してるぞ名前」

「あい?」
「ずっと一緒という意味だ」



「ふーん!じゃぁ平仮名も、せんぞーにいちゃん、あ、あい、あいしてる!」




「おい文次郎、今の撮ったな?」
「バッチリ撮ってたぞ」
「これで既成事実は作れた。あとは挙式の準備だ」
「色々飛びすぎだバカタレ」




その時が来るまで、

ずっと、一緒にいような。





















愛してるぜマイ・ガール!

その時が、来なければいいのに。













----------------------------------------------



通報した。



てなわけで第一位 立花S蔵様でした!
×