「い、いらっしゃいませ、入門表に、サインをお願いします…!」

「失礼します」


門をくぐり入ってきたのは、深く傘を被り黒い着物に身を包んだ人だった。歩くたびにカチカチと音が鳴る刀は俺の死へのカウントダウンに聞こえてきた。入門表にサインをした菖蒲姐さんは、体の向きを俺の方向へ向け、足音を立てながら近寄ってきた。緊張でガクガク震える足を必死に落ち着かせ、手汗を服でふき取った。

菖蒲姉さんは俺の前に立つと、じっと俺を見下ろした。



とうとう、この日が来てしまった。



正直言うと逃げ出したい。俺が、この俺が菖蒲姉さんに勝てるわけがねえ。

三年で力を付けて帰るとは言ったが、所詮忍の基礎を教わる三年。たった三年で力がそんなにつくわけがねぇ。それに冷静に考えれば、その三年で菖蒲姉さんもさらに力を増しておられることなんて解るはずだ。俺はとんでもねぇミスをしていた。そうだ、菖蒲姉さんが上を目指さねぇわけがねぇ。

きっとどこぞの熊やら鬼と本当に戦っているに違ぇねぇ。俺に秘密の特訓を受けているに違ぇねぇ。おおおお俺が、そんな姉さんと決闘だなんて、し、死ぬ。


「逃げないのね作兵衛。さすが私の弟だわ」

「お、俺は、…!まだ此処に残りたいです…!」

「お前がその気なら、私はお前を殺す気でいくぞ」
「俺だって、菖蒲姉さんに勝つために!ここ一週間、み、みっちりトレーニングしました…!俺も、ほ、本気で戦います!!」


そう大声で叫ぶと、縁側に腰掛けたり廊下に立っていたりとしていたギャラリーの先輩や同級生や後輩がゴクリと唾を飲んだ。なんでこんなに見世物みてぇになってんだ。

いやだけどちょうどいい。皆、俺が死んだら骨は拾ってくれよ。






「……武器をとれ作兵衛、一切手を抜くんじゃない」






菖蒲姉さんは、ゆっくり刀を抜いた。スラリと長く光るその刀は、俺と菖蒲姉さんが蔵で見つけた時より随分と綺麗になっていて、切れ味抜群になっているように太陽の光に照らされていた。

嗚呼、あの刀に俺の血は一滴残らず吸われるのか。


「来いッ!!!」

「っ、あああああああ!!!」


叫んだ菖蒲姉さんの声に弾かれるように、俺は地を蹴りクナイを振り回した。

後ろに回り投げた手裏剣は菖蒲姉さんが咄嗟に脱いだ傘に全て刺さり、それは遠くへ投げ捨てられた。だったら接近戦だと菖蒲姉さんの脇に入りクナイで首元を狙うように振り上げたのだが、それも菖蒲姉さんの刀に弾かれた。


地に手を着け足を蹴りあげるも、今度は交差させた腕によって防御され、逆に力強く刀の柄頭が脇腹に入り、呼吸が一瞬止まったように感じた。



「ガッ、…っ!」

「どうした作兵衛!その程度か!」
「ま、だ、…まだです…っ!!」


胃液が逆流したかと思った。脇腹を押さえて立ち上がるとズキンとそこが痛んだのだが、まだまだこんなところで諦めるわけにはいかねぇ。

これからの事を、菖蒲姉さんに認めてもらうんだ。絶対に、此処で六年間過ごして、力を付けて、菖蒲姉さんに負けないような力を付けて、そしてここを、あいつらと一緒に卒業するんだ。


「諦めろ、お前に私を負かすことは出来ない」

「ぜ、ったいに…!嫌です…っ!」


投げたクナイはピッと菖蒲姉さんの髪を斬った。はらりと舞い散る髪に驚いた菖蒲姉さんの目が、さらに鬼のように光った。

振り回した刀はものうちが俺の頬を捕らえ、俺も顔を斬った。つぅと血が流れるのが解る。長屋で数馬が俺の名を呼んだが、それを伊作先輩が引き止めた。


「…作兵衛、負けを認めろ」

「嫌です…っ!絶対に、嫌です…!!」

「…っ、なんでそこまで此処に執着するんだ!!」



負けるもんか。絶対に負けるもんか。俺は此処に残るんだ。




此処に残って、これから留三郎先輩の技を盗んで、力を一杯つけて、



「俺は、此処を卒業してぇん…、です…っ!」



留三郎先輩が誇ってくれるような後輩になって、



「留三郎先輩みたいに、なり、てぇんですっ…、!」



留三郎先輩みたいなカッコイイ先輩になって、



「後輩たちを、ま、もりてぇんです…!」



しんべヱと喜三太と平太を引っ張れるような頼れる先輩になって、


















「あいつらと一緒に!!卒業してぇんですよ!!!」


















最後の力を振り絞り、最後の一枚の手裏剣を思いっきり投げ、其れと同時に足を踏みこんだ。


手裏剣は、菖蒲姉さんの刀に弾かれ、俺の腹は、菖蒲姉さんに蹴り飛ばされ、体は宙に浮き、地へと落ちた。



勝てない。どう頑張っても勝てない。たった三年、たった一週間で、菖蒲姉さんに勝てねぇことぐらい。俺が一番解っているはずなのに。






「…っ、!ち、クショウ…!チクショウ……っ!!」







蹴られた腹が痛い。斬られた顔が痛い。腕が痛い。足が痛い。




だけどそれ以上に心が痛い。




菖蒲姉さんに刃向ってまで約束を守らなかったこと。菖蒲姉さんの期待に応えられなかったこと。

そしてなにより、俺を思ってあそこまで菖蒲姉さんに言ってくれた留三郎先輩の気持ちにこたえられなかったことが、物凄く痛い。



「…っ、お前の負けだ、作兵衛…っ、」

「っ〜〜〜!!」


「お前は、弱い。まだまだ私に勝てない。力が足りない。覚悟が足りない。お前に、私を越すことなんて到底無理だ」


姉さんが刀を鞘に納めて、俺に背を向けた。

俺も、帰らなきゃ。荷物をまとめなきゃ。































「……だからあと三年、此処でしっかり学んで力を付けなさい」































「……っ!?菖蒲、姉さん…!?」

「……っ!!だ、だから!此処に残れと言ってるの!!さ、作兵衛!!今のあんたに安心して富松の名を任せることなんて出来ないわ!あんたは弱い!そんなんじゃ私どころか、私の友人たちにしすら勝てないわよ!そんなんであの町を守れるもんですか!せいぜい山賊に襲われて死ぬのがオチね!べ、別に私が守ってあげてもいいけど!でもそれじゃ仕事出来ないしお荷物よ!自分の身ぐらい自分で守れるようになるまで富松の敷居を跨ぐことなんて許さないわよ!みっちり力つけるまで家に帰ってくるんじゃない!たまになら私から逢いに来てもいいけどね!?でもあんたは帰って来ちゃダメ!!絶対ダメ!!手紙ぐらい書きなさい!!でも帰ってくるんじゃないわよ!!」



顔を真っ赤にさせながら、傘にささる手裏剣をぽいぽいと投げ捨てるように抜き、菖蒲姉さんはそれを深く深くかぶった。


……ゆる、されたのか…?俺は、此処に残っていいのか…!



「菖蒲姉さん、」

「……あんたのそのマメだらけの手みたらすぐ解るわよ。頑張ったのね。でも勝てなかった。……まぁ、その努力位買ってあげてもいいわ」
「姉さん…!」

「…富松の家は、あと三年私が守る。だから、あんたはここで学びなさい。あぁ、負けてあげるわよ。まったく、あんなにきれいな掌、こんなに傷だらけにしちゃって……あんたは私の大事な、可愛い弟だわ」


グシャグシャと俺の頭を撫で、菖蒲姉さんは苦笑いするように口元をゆがませた。



「貴方も、作兵衛の事よろしく頼むわね」
「……本当に、ありがとうございます」


「別にいいのよ、リュウザブロウさん」


「…!?な、ど、!?」

「利吉は本当に口が軽いみたい。気を付けなさいね」



菖蒲姉さんが留三郎先輩と何かを離しているようだったが、俺には何の話だかさっぱり分からなかった。リュウザブロウ?トメサブロウじゃなくて?

菖蒲姉さんは、留三郎先輩の周りにいたしんべヱや喜三太や平太に、「あの子をよろしくね」と良い頭を撫でていった。勝負がひと段落したからか、長屋から左門と三之助、孫兵、藤内、数馬が涙を流して俺に駆け寄って、俺は押し倒されるように再び地に背を付けた。

嗚呼よかった、俺は、俺はまだ、こいつらと、後輩たちと、留三郎先輩と、此処で一緒に、暮らすことが出来るんだ。



あぁ、あぁ、本当に良かった。




「ただし!!貴様に男色の気があって作兵衛に手を出してみろ!!その首胴にはついていないと思え!!」

「おおおお俺は作兵衛にそんなやましい気持ちもってません!!」

「ハッ!!どうだかな!!作兵衛の可愛さを侮るな!!」

「ふざけんなテメェ!!俺の株をどうしたいんだ!!」


再び刀を抜いて留三郎先輩の首に刀を突き付けた菖蒲姉さんの目は割とマジで、俺のケツの心配をしていた。留三郎先輩にそんな気ねぇよ!と菖蒲姉さんの着物を引っ張ると、菖蒲姉さんは正気に戻り、再び刀を鞘に納めた。



「…はぁ、まったく、あんたには敵わないわ。あと三年待ってあげるから、しっかり勉強しなさいね」
「はい、はい!!本当に…!ありがとうございます!!」

「お礼は卒業してからでいいわ。頑張るのよ」


ふわりと笑って、菖蒲先輩は善法寺先輩に連れられ、保健室の方へと連れて行かれた。最初は手当なんていいと拒否したのだが、顔の傷なんて女の人にあっていいもんじゃない!と善法寺先輩により強制連行された。

長屋の影に菖蒲姉さんが消えると、縁側に座り込んでギャラリーをされていた先輩方が一斉に深く深く息を吐き捨て、やれやれと口を揃えて言った。後輩たちは涙目になりながら俺に駆け寄るよかったですね!と声をかけてくれた。俺はありがとうなと言いながらも、留三郎先輩の元へと駆け寄った。

留三郎先輩は、俺が先輩の前に立つと、よくやったと頭を撫でてくださった。


「ご迷惑おかけして、すいませんでした」

「いい。気にするんじゃない。頑張ったな作兵衛」

「…私は、これからも留三郎先輩にご迷惑おかけするかもしれません…。で、でも!私はもっともっと強くなりてぇんです!留三郎先輩みてぇに、強くなりてぇんです!!もう一年もないですけど、その、よかったら、これからもご指導の方…!宜しくお願い致します!!!」


ガバリと腰を曲げ頭を下げる。留三郎先輩はまたがしがしと頭を撫でて、「まかせておけ!!」と、太陽のように笑った。






のだが、






















なぜか突然、空が曇り、真っ暗になり、雷が落ちた。




















「……平太、」

「あれぇ…姉様…?」








「…平太、…手紙にあった食満留三郎先輩というのは……、どの愚か者のことかしら……?」












ジャラリとなった大きな数珠は、巫女の格好をした、いつの間にか学園内に入り込んだ謎の女の人からだった。

























一難去ってまた一難。

留三郎先輩の全身から、血の気が引いた音がした。
 
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