この人の名は、富松菖蒲殿と言った。

目の前に座るこの女性は、俺の委員会の後輩である作兵衛の姉に当たる人物だという。
蹴り飛ばされた腹は咄嗟に防御出来ていたので痣になってはいないのだが、吹っ飛ばされた衝撃で打ち付けた背中の方が痛かった。

この騒ぎを聞きつけた学園長先生が、ひとまずこちらへと学園長先生の部屋へと菖蒲さんと俺と作兵衛を招いた。だが、あまりにも騒ぎを大きくしすぎてしまったからか、学園長先生の部屋の前の庭には、かなりの忍たまたちが集合している。

学園長先生の前に作兵衛と俺、その正面に菖蒲さんが刀を外し体の横に置いて、正座をして向き合っている状態だ。

そもそも俺は作兵衛に姉がいるという話を知らなかった。というか、家族の話なんてしたことなかった。深入りはご法度だったし、それほど興味もなかったしな。


「作兵衛」

「は、はい」

「話して御覧なさい。何故、私との約束を破ったのか」


声は落ち着いているが、眼だけ笑ってない。全然笑ってない。驚くほど笑ってない。
作兵衛はそれを察しているのか、「えっと…」と言葉を選びながら口を開き始めた。


「……お、俺…、この委員会に入って…!…それで、け、食満先輩と、い、一緒に過ごして………それで、た、戦っている食満先輩のお姿を見て、…お、俺も、俺もこんな風に強くなりてぇと…思うようになったんです……!最初は、軽い気持ちでそう、思っていただけ、なんですけど……学園が上がるにつれて、……食満先輩から、プ、プロの戦忍になるって夢を聞かされたとき…お、俺もそんな夢を持ちたいって、思うようになったんです…!」

「…つまり、富松の家をお前は継がないというのね?」


菖蒲さんはガタリと刀に手をかけたが、作兵衛はその後すぐに


「そうじゃありません!!」


と、菖蒲さんの動きを遮った。



「これは俺の勝手な我儘ですが…!富松の家を継ぎながら、忍びとしてここで学んだことも生かしたいんです!そう思っているんです!」


きっと作兵衛が言いたいのは、表は富松という名を背負い家業を継ぐ。そして裏で、フリーの忍として生きていきたいと思っているんだろう。きっと厳しい世界だろうが、今から鍛えれば作兵衛に可能性がないことはない。





「……なるほど、ね」




菖蒲さんはふぅと深く深くため息を吐いて、腕を組んだ。

ちらりと俺に視線を送ってきたので、「僭越ながら」と俺も口を開いた。


「僭越ながら、俺からも言わせてください。作兵衛は俺の大事な後輩です。向上心があって、成績も優秀。友人のことも大事に思い、後輩の面倒もしっかりと見れる責任感が強く信頼のの篤いヤツです。作兵衛がこう言うのなら、俺は卒業までの間、出来るだけのことを教えてやるつもりでいます」

「食満先輩…」

「…家を継ぐという約束をしていたとは知らずに、俺も何度か無責任に「六年までしっかり学べ」などと言ってしまったことがあります。それは、大変申し訳ありませんでした。ですが、作兵衛の思いを是非くんでやってください。こいつは今必死にいろいろ学んでいる最中なんです。今のこの時間を、どうか、奪わないでやってください」


大事な後輩が困っているのに手を貸さないわけにはいかない。

作兵衛が家を継ぐだの、姉がいるだの、三年でやめるだの…。大事な後輩だとは言ったが、知らないことがあまりにも多すぎた。俺は三年間、作兵衛の表面しか見ていなかったということか。これは間違いなく俺にも非がある。
三年でいなくなるというのなら、三年間で無理やりにでもすべて教えてやればよかった。

つまり、もっと作兵衛と接すればよかったんだ。

委員会だけではなく、もっと後輩とコミュニケーションをとるべきだった。これは俺の失敗だ。


「作兵衛に、この学園を卒業するまで、あと三年、時間を与えてやってください」

「三年間で学び三年間ですべてを身に着け三年間で家に帰ると約束したというのに?」

「作兵衛にはまだやるべきことがたくさんあります」

「あなたに作兵衛の何が解るのよ」

「…不覚ながら、作兵衛が"富松"という名を継ぐこと、酒屋の家だということ、貴女という姉がいるという事実を俺は知りませんでした。これは俺の失態です。後輩のことを知っているつもりだったのに、何も知らなかった」

「そうでしょうね。口でなら"大事な後輩"なんて何度でも言えるわ」


「ですから!!俺にも時間をください!!」






「…食満、先輩?」






下げていた頭を勢いよくあげ、眉間に皺を寄せる菖蒲さんの目を見て、俺はそう言った。



「俺は、今年で卒業だというのに、委員会の後輩である作兵衛のことをこんなに知らなかった!このままでは立派な先輩として卒業することなんかできない!!ですから、俺にも時間をください!!委員会の後輩のことをもっと知りたいんです!!」


「それは貴方の都合でしょう!作兵衛は三年で家に帰ると約束させたのよ!!貴方の都合で学園に残すことなんてありえないわ!!」

「それでは作兵衛の意思はどうなるのです!!こいつはまだまだ学ぶべきことが沢山あるんです!!こうして夢もできた!!少しは応援してやったらどうなんですか!!」

「作兵衛は三年前に、今年家に戻ると約束したわ!!それはこの子も納得済みなのよ!!今更約束を覆すなんてありえんとさっきから言っているだろう!!大体これは富松の家の問題だ!!他人である貴様は黙っていろ!!」

「俺だってここで引くわけにはいかねぇんだよ!!作兵衛が残りたいというのなら先輩として俺が責任を持って指導する!!だからあんたも少し弟の気持ちを考えろ!!」

「減らず口を…!!貴様この場で殺されたいのか!!!」


俺の興奮もおさまらず口も荒くなり、ついに菖蒲さんの堪忍袋の緒をきれさせてしまった。
菖蒲さんは横に置いてあった刀を手にし一気に抜き取り俺に向けて立ち上がった。俺も咄嗟のことに懐から鉄双節棍を取り出し構えた。

止めなさい!と学園長先生と、天井裏や表にいた先生方が俺たちを押さえつけた。


だが、


















「おねがい、します…!」
















俺たちの足元から、作兵衛の、消えてしまいそうなほど小さい声が、聞こえた。



「菖蒲姉さん、お願いします…!俺に、俺に、あと三年時間をください……!!」

「作兵衛、」

「無理は承知です…!ですが、お、俺は、まだ此処で色々学びたいです……!もっと、食満先輩から、いろいろ学びたいんです……!!六年まで、ここにいたいです!!左門と三之助と数馬と藤内と孫兵と、一緒に此処を卒業したいんです!!」


パタリと聞こえた音は、きっと作兵衛の涙が畳に落ちた音だ。土下座をしていて顔は見えないが、作兵衛の体は、小刻みに震えていた。

菖蒲さんはさっき見た通り、キレるとかなり恐ろしい。作兵衛はそれを知って菖蒲さんに反抗している。なにが起こってもおかしくはない。
きっと作兵衛の妄想は今とんでもないことになっているに違いない。菖蒲さんに殺されるとか、無理やりにでも連れて帰らされるとか、いやもっと酷いことを考えているかもしれない。

作兵衛のその行動に菖蒲さんも面食らったように目を開き、俺に振り上げた刀を握る手を止めた。




「……あんた、」

「お願いします…!!っ、お願いします!!!」



「俺たちからもお願いします!!」

「作兵衛を連れて帰らないでください!!」

「僕らもまだ作兵衛と一緒にいたいです!!」

「もう迷子なんてして作兵衛に迷惑かけませんから!!」

「あと三年時間をください!!お願いします!!」



どさどさと学園長先生の部屋に入ってきたのは、さっきまで外でこの部屋の中の様子をうかがっていた、萌黄色の制服が、五人。
作兵衛を隠すように作兵衛の前に五人座って菖蒲さんに向かって全員が頭を下げた。

なんて、仲間思いのいいやつらなんだろうか。





「………一週間よ」


「…え、」





「作兵衛、お前に一週間時間を与える。一週間後、私と決闘しなさい」





「……は!?」


その予想外の言葉に、作兵衛も、俺も、そこに頭を下げていた三年生も全員顔を上げて菖蒲さんの顔を見た。




「ど、どういうことですか!?」

「そもそも、今回の件は"三年で私より強くなって私を守るぐらいの力をつけて帰ってくる"という約束だったわよね。だったら、今私と決闘して私を超えてなかったらおかしいわ。………そうよね作兵衛?」

「で、ですが…!」

「作兵衛が勝ったら、あと三年時間をあげるわ。私が勝ったら、今年で家に帰ってもらうわよ」

「…菖蒲、姉さん…」







「一週間だ。それ以上時間は与えない。……覚悟しておけよ。言うことを聞かないお前に私は一切容赦はしない。…死にたくなければ、身支度をして家に帰ってくるんだな」








菖蒲さんはキン、と刀を鞘に戻して学園長先生の部屋から出て行かれた。
部屋の外にいた小松田さんの手にある出門表にサインをして、菖蒲さんは笠をかぶり、深々と頭を下げて、学園から出て行かれた。


































「……作兵衛、お前、…………死んだな?」

「死にましたね?」
 
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -