「それでな…!俺が何度手綱引っ張ってもあいつらはぜってえ俺から離れていっちまうのよ…!」
「はぁ…」
「俺は何度も言ってんだ!!道が解んねえなら俺について来いって!!どうせ迷子になるこたぁ目に見えてるんだって!!」
「なる、ほど…」
「俺が幾年月あいつらの面倒見てやってるか解るか!?もうずっとだよずっと!!気も遠くなるほどのずーっと昔だ!!」
「さいですか…」

ここだけを何の前触れもなく聞いている人がいたとしたら、完全に富松様の恋人の愚痴を聞かされているような状態に見えていること間違いないだろう。だが残念ながら酒を飲みながらキレている富松様の怒りの矛先は、既に湯屋の中にて待機されている次屋様と神崎様のお話。どうもこの富松様、生まれてこの方ずっとお三方で一緒に行動をしているが、あの二人の迷子癖にほとほと呆れているらしい。なるほど、次屋様も神崎様も、方向音痴の癖によく湯屋に辿りつけたなと感心してしまったけど、それはどうやらあの二人の本気ではなく富松様が引っ張ってきたからだという。

「そういえば富松様は此処まで何で?電車ですか?」
「あぁ?お前俺が死んだ人間にでも見えんのか?船だよ船」
「死んだ人間?」

「ありゃぁ死んだ人間の乗るもんだ。六道を通るもんなんだから」
「ろくどう?」
「夏子は人間だろ?あれに乗る時がきたら、絶対に六つ目で降りろよ。その先に行ったらもう戻ってこれねえぞ」
「はぁ」

富松様が何か難しい事をおっしゃられているような気がするが、生憎英語のリスニングの成績が悪かった私に聞き取り意味を探す事などできるはずもなく、神様相手に「はぁ」なんて適当な返事を返してしまった。

「そ、そういえば神崎様と次屋様がお待ちです!お早く湯屋にお戻りになっていただかなくては!」
「いいっつってんだろ!!あいつらには他の女付けとけ!!もう俺ぁあいつらの世話なんかやかねえからな!!」
「いや私にそんなことおっしゃられても!」
「おめぇも戻んなくていいんだよ!いっそ俺たちの船で一晩過ごせや!」
「フアァーーッ!!」

これはどうもいけない方向へ進んでいる気がする。湯屋に戻れない。札をひっくり返せない。無断外出。お客様放置。これまででもかなり不味いほどに規則を破っているのだが、まさかここで本当に湯屋に帰れないフラグが立つとは思いもしなかった。だが富松様の言葉を断れば、それすなわちお客様に逆らう事になるわけで。富松様が屋台から手を引っ張って向こうに見える海を指差した。其処には小さくだが、遠くに大きな船が見えた。凄い。まるで海賊船。あれが富松様方が乗ってきた船か。

「な?もう左門と三之助ほっといて向こう行こうぜ」
「いやいやいや!お二人待たせた上に放置はちょっと…!」
「おいオヤジ!酒全部持ってくぞ!支払いはさっきの金で足りんだろ!」
「私の話も少しは聞いてくださいよ!!」

「よし行くか」
「だぁぁーーーーッッ!!!」

神様の前で人権などあってない様な物。酒の入った赤い瓢箪を持ちついでに俵の様に担ぎ上げられた私の身体。もう此の扱いにはだいぶ慣れたけど今回ばかりはさすがにマズい。あの建物の一番上でお客様が私と富松様を待っている。のに!なぜ反対方向に進んでいる!私は湯屋に戻りたい!富松様は話聞かない!もう終わったわ!


「ちょーっと待って作兵衛何処行くの」
「おい作兵衛抜け駆けだけは許せないなぁ」


「…チッ。随分便所は遠かったんだな」
「舌打ち…!?」

だけどそこに響いた救世主の声。いや救世主というのは違うか。元凶二人か。琵琶を背負って立っている次屋様に、腕を組んで眉間に皺を寄せた神崎様。その後ろで蛞蝓が一人頭を下げて湯屋の方へ戻っていった。案内させられたのかな…。っていうか、これ怒ってる。完全にお怒りになってるやつ。しかもこれちゃんと富松様を連れて帰れなかった私のせいだ。ヤバイ半分ぐらい私のせいのやつ。富松様に担がれながら申し訳ありませんと頭を下げたところで、私の世界は海の方向へ向いてしまった。さっきまでは海に向かって歩いていたから担がれた私は繁華街の方を向いていたのだが、富松様が繁華街の方を向いてしまったため私の視界は階段と海。しかもこれ冷静に考えたら次屋様と神崎様にケツむけちゃってるやつ!!!!アカン!!!!!!

「ギャァァアア!!富松様私お二人にお尻向けちゃって!!!お、降ろし…!!」
「お前らは部屋戻れよ。俺はこれから夏子と船で飲み直すんだ」
「聞いてくださいよ!!」

「とーか何とか言っちゃって。本当は夏子とお楽しみタイムでしょ?そうはさせない」
「部屋の予約は作兵衛の名前でとってあるんだぞ!お前がいなくてどうする!」

「何が俺の名前でとってあるんだぞだクソ野郎!!誰が勝手に湯屋に行きやがったんだ誰が勝手に繁華街出ていきやがったんだ誰が勝手に俺を一人にさせたんだぁあああああ!!」
「ギャアアアアアアーーーーーッッ!!」

富松様はとうとうブチぎれて、腰に差していた刀を抜いた。それは日本刀などではなくゲームとかで良く見る、ソード的なヤツ。ブン!と勢いよく抜刀したもんだから担がれていた私の顔面すれすれに刃が届いた。な、なんて恐ろしい!ヤバイ人キレさせちゃったんじゃないのこれ!!怖い!死んじゃう!

「富松様どうか殺しだけは!!どうか殺しだけは!!」
「安心しろ。夏子にゃ返り血一滴も浴びさせねえよ」
「心配すべき点はそこじゃねえんですよぉおおおお!!」

「大丈夫だよ夏子。作兵衛は毘沙門天。戦いの専門家なんだから」

ぬらりと続けた次屋様の言葉に私の背筋は氷点下まで凍りついた。毘沙門天。一瞬にして上杉謙信が出てきた私の知識の浅さなど放っておこう。毘沙門天って、ガチの戦神。っていうか、富松様も七福神だったって事…!?しかも私よりにもよって毘沙門天様に担がれてる!?

「どうか殺しだけはああああああああああああ!!」

「あははは!ここから見ると尻が叫んでいるように見えるぞ!」
「神崎様静かに!!」

「夏子が欲しけりゃかかって来いよ。てめぇらにゃそろそろ本気で反省してもらわねえといけねえと思ってたところだ」
「参ったなぁ、今俺琵琶しか持ってない」
「僕なんか素手だぞ!まぁ慣れたもんだがな!」
「助けてーーーー!!」

まさに一触即発。刀を構えた富松様の殺気にあてられてか、周りの店がざわざわとし始めた。此処で喧嘩なんかしたら店の一つや二つ吹っ飛ぶに違いない。だが私なんかに神様同士の喧嘩を止められるわけもない。っていうか担がれている状態で何をすべきだというんだ。私にできるのは富松様の逞しい肩から脱出すべく暴れることしかできない。だが暴れたところでその腕が解けることなんてなく、私のほんの少しの抵抗は見事なまでに無駄に終わった。

刀を持って飛びかかっていった富松様の肩の上で、心の中で涙を流しながらお経を唱えつつ父ちゃんと母ちゃんに別れの言葉を述べていると、ふと視界が真っ赤に染まった。それが血ではなく炎の渦だという事に気づいたのは刹那の事。動きの止まった富松様が、ずるりと私の身体を地に降ろした。降ろしたというか、落とした…?急に何が。屋台で爆発でも起こったのかと思ったが、どうやらそれどころじゃなかったらしい。富松様の刀を素手で受け止めていたのは


「ヴェッ!!食満様!?!」

「よぅ夏子、久しいな。元気だったか?」


私の中で超絶イケメンランキング首位独走中の食満様だった。富松様の顔は真っ青。次屋様も神崎様も驚きの色に染まっている。

「作兵衛、いい加減にその短気癖直せ。すぐカッとなるのはお前の悪い癖だぞ」
「も、申し訳…!!し、しかし、ど、どこから……!!」
「最初からだよ」

繁華街全体が変な空気になっていた。いや、変という言い方もおかしいか。なんというか、有名人が突然地元に現れましたみたいな、あの感じ。食満様なんて雲の上の上の存在だったのに、まさか本当に、当然現れるとは思いもしなかった。尻餅をついている状態だった私に手を差し伸べてくださったので、遠慮なくつかまった。視界に入ったのは動揺する富松様。確かに、喧嘩し始めたその瞬間に飛び込んできたということは、どこからかこの状態を見ていたという事だろうか。食満様に疑問の視線を投げつけるも、食満様は、私の髪にささっていた簪をつついて「しーっ」と口元に人差し指を当てた。なにそれ可愛い。

……あぁ、そういえば今日は、食満様から頂いた簪を装備していたんだった。これを通じて何かを感じたんだろうか。…え、これなんなの?盗聴器なの?

「夏子、これ伊作から届けもんだ」
「はい?なんです?」
「伊作特性の軟膏だってよ。この間来たときにお前の手荒れが気になってたんだと」

「女子力…!わ、態々ありがとうございました!」
「いいって。俺も丁度暇してたんだ。また来てもいいか?」
「えぇそりゃもう!心からお待ちしてますね!」

食満様はこれだけを届けに来てくださったという事か。なんて優しい。なんてイケメン。私がお待ちしていますと頭を下げれば、良かったとだけ呟いて、食満様は羽を大きく翻し、炎に包まれ姿を消した。クソ!カッコいい!イケメン!好き!抱いて!


「……夏子、食満様のお手つき、だったのか…!?」
「違いますって!!いいからその物騒なもんしまってください!!早く湯屋戻りましょうよ!!」

退 

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