「いいから、ほら、もっと腰落とせって。もっと体重かけろ」
「い、いや…でも…」
「それじゃぁ気持ち良くなるもんも気持ち良くならねぇだろ」
「だ、だけど…」
「ほら、はやく」
「は……はい…」
「ハチィイイ!?!?!?」
「あ、久々知様おかえりなさい」
「よう兵助ぇ、もう済んだかぁー」
障子の向こうから聞こえてくる完全に規制のかかりそうな台詞と声。一瞬扉を開けるために伸ばした手の動きが止まった。
あんなに風呂に一緒に入ることすら抵抗していた夏子が、まさか俺が知り合いの神に逢いに行っている間に、情を交わすことになっているとは。
しかもあのハチと。あの絶倫野郎と。なんで。
0.1秒ぐらいの間に三郎と雷蔵になんて報告しようとか考えたけど、迷っている間にこれ以上コトが進みそうだったので俺は思い切って障子を開けた。
だけどその障子の向こうで見たのは、ハチの背中に腕を広げて乗っている夏子の姿だった。あ、ハチは人型の状態のな。
どうやら夏子に背中に乗ってもらって踏んでもらっていらしい。ん?これマッサージか?よくあるベタな展開のあれか?
「…何してんの」
「夏子の体重軽いからよぉ、ちょうどいいんじゃねぇかと思って」
「仮にも神様なので踏みつけるとか抵抗ありまして…」
「仮にもってなんだよ!っていうか夏子軽すぎ。あともうちょっと太った方が俺は好きだぞ」
「うるさいですよ。竹谷様の好みなんて聞いてない…ですっ!」
「イデデデデ!!そこはやめろそこは!!」
脇腹あたりをぐぐっとかかとで思いっきり踏まれて、ハチは凄い顔をして痛がりながら叫んで悶えた。
「久々知様もマッサージしましょうか?もちろん性的な意味ではなくですよ」
「なんだ、後者がダメならいいのだ」
「へへへ変態やーーーッッ」
「冗談。俺もあとで肩やって」
「はーい」
首に手を当てゴキリと音が鳴る様に首を回す。珍しいのだ、こんなに肩がこるなんて。
ハチはうつ伏せになっていたが、「夏子ー、」と顔を伏せながらヒラヒラと手を振った。
「夏子ー…もうちょい下……」
「んーと…この辺ですか?」
「あーそこそこ…!」
天秤のように両手を広げバランスを取りながら、夏子はハチの背中を踏み前に後ろに歩むように歩いた。それでハチが気持ちよさそうなんて、夏子はどれだけ軽いんだろう。
そういえば夏子はこの部屋に連れてくるときもハチの背中を選んだ。理由は「もののけ姫ごっこがやりたいから」と言った。ちょっと意味は解らなかったが、夏子が楽しそうだったのでそれはなによりだったのだ。いつでもいいから俺の背中にも乗せてほしいと夏子に言われた。蛞蝓とは違って悪意も狙いも何もないこの願いに、俺は快く頷いた。断るわけがない。夜になったら満月の下を飛んでやろう。
終わりでーすとハチに声をかけ寝転がるハチから夏子は降りた。腕を回して背骨をバキバキ言わせながら、ハチは大きく欠伸をして杯に手を伸ばした。
夏子はハチの杯に酒をついでから、失礼しますと言って俺の肩に手を伸ばして強く肩をもみ始めた。あ、気持ちいい。
「夏子マッサージ上手いよなー」
「そうですか?」
「俺の肩もだいぶ楽になった」
「竹谷様は口がお上手ですね」
「いやいや本当だよ。俺嘘はつかない」
「なんてこった…!もったいないお言葉です…!」
眼を瞑って、ハチと夏子の会話を耳に入れた。
…他の蛞蝓だったら、こんな言葉言われればきっと己に好意を抱いてくれているんだと勘違いするやつがいる。俺はそういうヤツらが嫌いだ。ただそう褒めただけなのに変な期待を持つやつらが。一度そう褒めたことのあった蛞蝓が、次に此処へ来たときになんで別のヤツを世話係に指名したのですかと言われたことがあった。涙ながらに。
蛞蝓の女とはなんて鬱陶しいやつらなんだと、俺はその時一瞬で憎悪が芽生えた。別に俺はお前のことなんて好いてもいないし、正直覚えてすらいなかったよと告げると、その蛞蝓は衝撃がデカかったのか、その日の晩大川に魔法を解いてもらい自ら蛞蝓の姿へと戻り身投げしたのだという。海へ。よりにもよって俺の中に。
なんて自分勝手なやつだ。俺はあきれて言葉も出なかった。
俺はその日から蛞蝓に世話を担当させなかった。ハチにも女とまぐわいたいなら俺が別の部屋を用意するからそっちでやってくれと頼むほどには、関わりたくなかった。俺を担当する蛙たちはいつ俺の逆鱗に触れ殺されるかとビクビクしているらしいが、別に俺は蛙たちには何の嫌悪も持ってない。
どうやらそれも、あの蛞蝓を殺したのは俺だという根も葉もない噂があったりなかったりしたのだとか。嗚呼本当に、なんて自分勝手なやつらなんだ。誰も俺の話を聞いてくれやしないのか。
「…夏子は他の蛞蝓とは違うのだ」
「そりゃまぁ、人間ですからねぇ」
だけど夏子は違うみたいだった。此処へ来たのは三郎と雷蔵の話をきいて、人間ならもしくは、と淡い期待を持って来たことが始まりだ。
だったのだが、初めて夏子に逢った時、「人間だから降ろしてくれ」と、まず真っ先に俺のことを心配した。きっと神である俺が人間である夏子と関わっているところをほかの奴らにみられたら、俺に迷惑がかかると考えたのだろう。
なんでか解んないけど、こいつはやっぱり違うな、と思った俺がいた。
「あ、そういえば、にがりを食堂に届けるの忘れていたのだ」
「それなら私が行きます!」
「いやいいよ、こんな重いの持たせられないし」
「でででですが」
「いいからいいから、ハチの世話しててくれ」
「…夕食の時間になったら、豆腐のフルコースお届けしますからね!」
「うん、頼んだよ」
ほら、客である俺が動くというのに夏子はそれを制すると素直に俺の言葉に甘える。たまにはこういうやつもいていいと思う。
夕餉までまだまだ時間がある。その前に、これ食堂においてこよ。
俺はそれを担いで、ゆっくり部屋を出た。
……やべぇな。竹谷様と二人きりとか、詰んだ気がする。
「竹谷様飲みますねぇ…」
「俺意外とザルだよ?」
「いや意外というか思った通りです」
何合持って来たのかは覚えてないけど、もう空になった酒樽が何個も並んでいる。不破様からの手紙に竹谷様は酒豪だと書いてあったけど、このペースでこの量は飛んでもない。しかも酔う気配なんて微塵もない。どうなってんだこの人の肝臓。恐ろしい。
「夏子は?」
「はい?」
「酒、飲まねぇの?」
「わ、私一応未成年ですから」
「……それって下界の決まりだろ…?」
「そ、それでも一応は…」
私の世界では未成年の飲酒はダメ、絶対だ。別の世界にきたからって、飲んでいいというわけではないだろう。
竹谷様に突き出された、多分「お前も飲め」という意味の杯を、やんわりお断りするように、私はまた一杯酒をついだ。
竹谷様はそれにむっとしたような顔をして、杯を一気に空けた。あ、怒らせたかな…。
「飲めってば」
「むむむ無理ですよぉおお」
「弱ェの?」
「…私お正月のお屠蘇でダメになっちゃうような人間なんで…」
すると竹谷様は、あぁー、と言って、杯を下した。ね、私下戸なんで。やめましょ。飲ませようとするの。
「一杯だけ付き合えよ」
「ひぃい職権乱用じゃないですか勘弁してください…」
「な、一杯だけ。いいだろ?」
「……………い、一杯だけですからね…」
何度断っても折れない。もう仕方ない。ここは法を犯そう。まぁ相手神様だしもし何かあってもなんとかしてくれると信じて。
まだ使っていない小さい御猪口を手に取ると、恐れ多いことながら竹谷様直々に酒を注いでくださった。とぽとぽと出るこれは、思ったほど酒臭くなくて、あぁそんなに度数が強くないんだろうなと思った。だから竹谷様次から次へと飲めてたのかな。
注がれた御猪口とにらみ合っている間に、竹谷様も自分の杯に酒を入れて、はい乾杯と、私の御猪口に小さく当てた。
「………?!?!??!」
「あぁやっぱりだめか」
「な……なんですか…これ………!!」
ええい女は度胸よ!と一気に口に入れ一気に喉に通した。
だがそれは思った以上に度数が強いものだった。喉が焼けるように熱くなり、頭は一気にぐわんと揺れたように感じた。あ、こりゃアカンわ。
「…やっぱり夏子に46度は強かったか」
「よ、よんじゅう……!?…た、たけやさま…!?」
辛気臭い笑顔を浮かべて、竹谷様はゆっくり私に這い寄るように近づき、額に当てていた手を、そっと掴んで、引き寄せた。
「あー、顔真っ赤にしちまって」
「ちょ…!」
「やっぱりヤるなら、蛞蝓より、人間の方がいいよなぁ」
「たきゃ……たけゃさま…!!」
ぐわんぐわんと揺れる頭をなんとかしないといけない!と必死に酔っぱらう頭を働かそうとするのだが、飲んだことのない強烈な度数。頭が回らず、手も足もしびれてきた。神様の肝臓まじでナメてた。なにこれ意識朦朧としてきたツラい。
「三郎と雷蔵がさぁ、言ってたんだよ。次来たときは絶対夏子のこと抱くって」
「や、た、たけや…さま…!」
「俺だってしばらく人間なんて神隠ししてねぇのに、あいつらばっかりいいなーって思ってさ」
「や、…!」
「兵助ももしかしたらその気になったかもしんねぇだろ?あいつがあんなに優しい目ぇすんの久しぶりに見たし」
「た、たけやさま……っ!!」
酔っぱらって動けない私の体を良いことに、するりと首にすり寄った竹谷様の御尊顔。そのまま竹谷様は私の肩に、肩にっていうか服に手をかけ、徐々に服を脱がせ始めた。
ウワァァァアアアこれアカンやつヤァァアアアーーーーーッッ!!!!
「た、たけやさま…!こ、これい、じょうは……っ!」
「ちょっとぐらいいいだろ?そんな顔赤くして我慢出来るほど出来たヤツもそういねぇよ」
「い、いや……っ!」
「抵抗する夏子も可愛いなぁー」
これが人間に言われた言葉だったら最高にときめくかもしれないけど貴方神様でしょう!?!?!?
っていうか酔っぱらった女襲うとか最低!!竹谷様最低!!!
「ひっ、」
押し倒されるように背中を畳に打ち付けてしまった。この体制はまずいと思った矢先、服を脱がされ外気にさらされた肩から首にかけて、犬のような舌がざりりと舐めあげた感触で、私の背筋は一気に冷え切った。
ヤバイ、食われる。
「兵助まだ戻ってこないだろうし、ちょっと俺と楽しもうか」
ちょっと待てコラァァアアーーーーッッッ!!!!
「海神様!!山神様!!緊急事態に御座いまsウワァァアアアお楽しみ中申し訳ありません!!」
「…チッ、なんだよこんな時に!」
「あ、あにやく…!たすけて……!!」
もう少しで食われる、というところで、襖が勢いよくスパンッ!と音を立てて開いた。その向こうで、入ってきた一匹の蛙はこの状況を見て勢いよく頭を床に打ち付けるように土下座をした。
「蛙?何してんだお前こんなところで土下座なんかして…」
「兵助…!」
「ウワァァアアアお前も大変だ何してんだこの野郎!!夏子を離せ!!」
「く、くくちさま、たすけて……!」
「うわ臭ッ!!夏子酒臭ッ!!なに飲ませてんだお前!!」
「痛ェ!!なにすんだ兵助!!」
飛び込んできた久々知様は竹谷様に飛び蹴りを食らわせ私をなんとか救出してくださった。うわぁ抱きしめられて恥ずかしいけど凄い助かった安心感がある久々知様一生ついていきます命の恩人感謝永遠に。
「で?蛙はこんなとこで何しているのだ?」
「そうだ!なんだ蛙!何しに来た!!」
「は、そ、そうです!!き、緊急事態に御座います!!」
頭をさする竹谷様と私を抱きしめる久々知様は、入り口で土下座をしていた蛙にそう問いかけた。
兄役はそうだと顔を上げ真っ青な顔をして、
「御腐れ様です!!それも超特大の御腐れ様がこちらに向かって来ております!!」
その言葉に、二人は眉間に皺を寄せた。