夜も更け時計の針は、22時を回った。
なんの変鉄もない鐘がそれを告げている。月曜の迫る日曜だ。
文字盤を横目にソファで寛ぎ本を読んでいた名前は、しおりを挟み込んでからベッドに潜り込んだ。
今日干したばかりの布団はお日様の匂いがして、ゆっくりバスタイムを楽しんでほぐれきった体には直ぐ様睡魔が歩み寄る。
うつらうつらとした意識のなか、1日を振り返りその充実感に浸った。
朝、前日の疲れが嘘みたいにすっきり目が覚めたし、食欲もあっていつもはそこそこに済ます食事もしっかれた。
おかげで掃除も洗濯もバリバリできたし、買い物も隣人が手伝ってくれて楽にすませられると午後は映画をみたり、積んでいた書籍を読んだりと平日忙しくてできなかったことを一通りやった気がする。
休日は疲れを引きずって寝て過ごすのがここ最近の常で死んだような、泥のような就寝ではなく1日に終止符を打つための睡眠は随分と久しぶりだ。
表しようもない安らかさの中、瞼を閉じた。
その時だ。枕元で携帯がけたたましく鳴った。かの交響曲第五番が。
名前を急かすように点滅するサブディスプレイには"アッシュ"の文字が流れていた。

「冗談やめてよ…」

地を這うように吐く声もかの人には届かない。
なりやまない第五に、しぶしぶと言う言葉がピタリとはまる緩慢な動作で、通話ボタンを押した。

「もしもし…」
『Allo!これからご飯行こうヨ』

彼女が予想していた通りの相手から予想していた通りの言葉が投げ掛けられた。
無意識に眉間にシワがよる。

「あんた今何時だと思ってんの、もう寝るわよ」
『22時過ぎでしょ。ほら、適当な飲み屋で良いからさぁ』
「私、明日仕事が」
『フフ、ボクの誘い蹴ったら仕事どころじゃ無くなっちゃうと思うケド。』

暗に拒否権はないとプレッシャーをかけてくる。
それが当たり前であるかのようなふてぶてしさだ。
名前はふざけるなと怒鳴りたい衝動にかられたが実行するには勇気が欠片ほど足りない。
恐ろしいことに彼の言っていることは脅しでも何でもないという事を名前は身をもって知っていた。
以前似たようなやり取りの後無視して眠っていると気がつけば家に上がり込まれ、数々の我が儘に朝まで付き合わされた挙げ句、出社したことで解放されたと思えば昼休み押しかけられるという体験をしたからだ。
あれは堪える…呟きが聞こえたのか、アッシュは楽し気だ。

『それじゃいつものとこで待ってるネ』
「せめて30分ちょうだい。準備するから」
『え〜ボクお腹すいた。名前のすっぴんなんか見慣れてるしイイヨ、早く来て。じゃあね』

一方的に切られた電話に、名前は携帯を力いっぱい握りしめた。

「あのガキいつかぎゃふんと言わす…!」




名前がアッシュと名乗る青年に振り回されるようになったのはいつのことだったか。
彼女の中でも曖昧になってしまうほど長い付き合いになっていた。
確か、季節は冬だった。
あの頃はまだ名前は学生で、昼間講義をサボって図書館に入り浸ったり、意味もなく町を歩き回ったり、奥まった場所にあるカフェで読書をしたりと随分自由気ままな暮らしぶりだった。
あの日も、午前中の講義が終わり何をしようか思案しながら、信号待ちをしていた。
そんなときだ。

「Pardon、mademoiselle」
ふいに後ろからやってきた抜けるようなブロンドにアミーゴブルーの瞳を持った男に突然流暢なフランス語で声をかけられ、動揺しない日本人はいないだろう。
名前も若干焦りながらも、ouiと返答する。
しかし帰ってきたのは日本語だ。

「道案内を頼みたいんだけど、良いカナ。この辺来たばかりで何も分からないンだ」
「あ…良いですよ。日本語お上手ですね」
「Merci。じゃ、手始めにご飯でも行こっか」
(手始め?)

そこまで回想して、名前は再度頭を抱えた。
出会い頭から舐められまくってるじゃないか!あくまでもニコニコ人畜無害ですって顔をしておいて、利用する気満々じゃないかあいつ!
あの時断っていれば…いくら嘆こうと悲しいかな過去はやり直しが利かない。
あの瞬間から、名前はアッシュにとって、異国で構って貰うのに都合のいい友人としてカウントされてしまっている。
なぜあの時名前が選ばれたかは永遠の謎だし、そんな彼に律儀に従う自分がいるのかも、名前には分からなかった。

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