イタチ | ナノ




無。ただ無感動。そんな瞳でだらだらと手首から流れる色がついた水をぼんやり眺める。普段血なんか流さない人なのに。何か見てはいけないものを見てぞっとした。世界の常識が一気に壊された気分だ。

「血」
「…」
「出てるよ」

そんなことは見ればわかることなのに言葉に出したのは、このままその静かで気持ち悪い映像を黙って見ていたくなかったそれだけのこと。やっと私の存在に気付いたのか、そもそも気付いていたけれど私の存在なんてなんの関係もないようにただぼおってしていたのか、どちらにせよ黒いふたつの瞳が私を見る。気味が悪い。まるで死人だ。

「痛くないの」
「べつに」

思ったより低く落ち着いた声が鼓膜をふるわす。黒い水がぽたりぽたり落ちて床に染みをつくる。その雫はまるで私の頭の中にも落ち、染みを作り出すようだった、それくらい衝撃だった、彼が、彼が彼を傷付ける姿が。笑いもしない、泣きもしない、私は彼のこんな姿を見たくなかった。それ以上に彼は私に、他人にその姿を見せたくなかっただろう。

「死にたいの」
「べつに」
「痛そうだよ」

心が。ぽたぽた。泣いているみたい。

「きえてくれ」
「私に?」
「…」

赤い涙を流す手首が、私の額に近寄る。指先から伝わる、緩やかな殺意。この人は指先ひとつで人を殺せる。きっと何人もそうしてきた。今、私も同じように死ぬかもしれない、黒い、水にまみれて。この人は、私の瞳に映る自分の姿を見て何を思っているのだろう。きっと何も考えていないのだろう、きっと、

「大嫌いだ」
「私が?」
「死ねばいい」
「ねえ」
「もう、」

言葉の羅列を、なんの感情もなくつむぐ唇。ぽたぽた、ぽた、
彼の体をめぐる黒い水を、水が、水に、
口の中に広がる悲しい味が私の頭をかき混ぜる。どうもこの人の命の重さは私には支えられない。いや、誰だって命は重いのだ、それを、奪う、指先に、まとわりつく水。
その涙が生まれる場所に何度も何度もキスをした。ああ、くるしい、いとしい、むなしい、さまざまな感情にむせかえりながら、呟いた言葉はあまりにも幼稚なものだったことを、きっとあなたよりも私がわかっている





(バイタルサインを聴かせておくれ)
111107
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