イタチ | ナノ




始発駅
ガタン。電車がとある駅で止まる。驚いて窓から外を覗きこむと、外は不気味なくらいに美しい月夜。どうやらこっち側の終点まで寝過ごしてしまったらしい。急いで電車から降り立つと、足をついた先は、月の光に照らされた青い部屋。随分と若い彼は、眠ることもなく瞳を開いたままぼおっと座っている。気力がすべて抜けた顔、息をするのにも諦めたような、そんな顔。時折指がぴくりと震え、何か恐ろしいものにでも出会ったようにガタガタと震え出し、その瞳からぼたりぼたりと雫がこぼれ出す。悲しそうに、苦しそうに顔を歪めるでもなく、ただ無表情に泣いているのだ。ぎょっとして思わず腕を伸ばすも私の腕はするりと宙を切り彼に触れることはかなわない。ただ、ただ悔しかった。誰にも知られずに細い肩を震わす彼を抱きしめることもできないなんて。

「かなしいの?」
「しにたい」

声など届かない筈なのに、私の呟きに呼応するように彼がぽつりと呟いた。ああ、今日が彼の始まりの日なのか。月だけが静かに見守る薄暗い部屋の中、絶望だけがそこにはあった。



終点駅
ガタンゴトン。美しい花園を潜り抜けてきた電車が今、目の前で荒い息を立て止まる。彼の人は一歩、また一歩とゆっくり、しかし迷いなく歩を進めその電車に乗り込んだ。

「行ってしまうんですね」
「ああ」
「…気をつけて」
「お前はまだ行かないのか」
「…少し心残りがあるので」
「そうか」
「ではまた」
「ああ」

あの時と同じ彼の穏やかな笑顔。電車内部を覗き込むと、もがき苦しむ人、永遠に消えない炎にまみれる人、濁った瞳で宙を見つめる人など、普通の電車の乗客とは思えない人間でぎゅうぎゅうと溢れかえっていた。その小さな地獄絵図を連想される光景に凛とした彼は驚くくらいに馴染まない。車内から溢れ出すうめき声に、彼の小さな声はかき消されていく。無情にも扉が車内と下界を隔て、ギシギシ錆びれた音をたてながらゆっくりゆっくり加速していく。向かう先は終点、発車して間もなく潜り抜ける長い長いトンネルの先には一体何があるのだろうか。やがて最後尾がすっぽりトンネルにおさまると同時に、発車のベルが鳴り響く。今まで彼と共に乗車していた電車だ。もうじき消えてしまうであろうその車内にはもちろん誰の姿もない。私はその電車にもう一度乗り込んだ。


目的地
犯罪者と呼ばれる私達には到底似合わないような温かくて心地が良い日だった。前を行く笹傘から溢れる黒髪がさらりと風になびいて柔らかく踊る。その美しさにうっかり見とれているとふいにくるりと彼がこちらに振り向いた。どきりと心臓が鳴り思わず視線を斜め下に泳がせる。彼のそのやけに整った顔は私の心臓にいつも負担をかけている。彼に罪なんてひとつもないのだけど。

「い、いい天気ですね」
「ああ」

心なしか彼の冷たい瞳はいつもより穏やかに見える。無口な彼の声を耳にしたのは何日ぶりだろうか。それだけでテンションがあがってしまい、ふかふかの草原の上にダイブする。自分の衝動的行動に時折本気で反省する時があるが今がまさにその時である。はっと気付いた時にはもう遅い、今側にいるのはあのイタチさんだと言うのに私はなんて馬鹿なことをしてしまったんだろう、と思いを馳せること2秒、意味もなくごめんなさいと発する前に彼もばふんと草の上に倒れ込む。

「え、ええ!い、イタチ、さ、ん!?」

イタチさん=クールという方程式が成り立つ私の頭の中では到底この状況を処理する能力は持ち合わせていなかった。本来突拍子のないことをやらかして周りに驚かれる私だけど実際やられるとどう対処していいかわからなくなる。今までごめんみんな!まさか倒れたのだろうかと心配になり顔を覗きこむとこれまた無表情。理解不能だった。

「ど、どうしたんですか」
「…お前といると楽だ」
「えっそれはどういう」
「お前を見てると難しいことを考えなくて済む」

それは一体どういう意味なんでしょうか。深くは考えずにプラスに受け取っておこう。私もごろんと横になり一緒に空を見上げる。空が青くて、雲がゆっくり流れて、鳥が飛んで、風が流れる。そんな当たり前の世界を当たり前だと思わなくなったのはいつの頃だろうか。その当たり前の中にいるということ自体がこんなにも幸せだなんて。

「なんだかここ天国みたいですね」
「…」
「まあ私は地獄行きですが多分」
「そうだな」
「そうだなって」
「俺もだがな」
「はは、一緒だ!行くときはぜひ誘ってください」
「……」
「私が先に死んだら迎えにいきます」

風がふわりと傘を揺らす。ふいに横目でちらりと彼を見ると、その口元が珍しく優しく弧を描き、その瞳は遠い遠い空の果てを見つめていた。

「すきですよイタチさん」

なんとなく呟いた言葉はぼんやり空を見上げる彼の耳に届いたのだろうか、まあ答えは求めてないから聞こえてなくてもいいのだけど。ぽかぽかの日差しに撫でられまぶたがどんどん下に下りてくる。眠い。

「ありがとう」

その微睡みの中、彼が笑ったような気がしたから、私も夢心地の中で笑っておいた。ああ、なんていとおしい時間。明日私の鼓動が止まる笑える未来も、血にまみれた過去もおいてここから旅立つことにしよう。願わくばこの幸福な今の中にずっといたいけれど、隣にいる彼が待っているからいかなくては。

遠くで電車の音が聞こえた。



未来も過去も死んでしまえ
(確かにこの瞬間、私もあなたも人としてしっかり呼吸をしていた)


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