小説 | ナノ




よく笑う人だな、と思った。完璧な生徒だった彼は、それを驕ることもなく持ち前の人当たりの良い性格と人付き合いの良さから、男女共々好かれていた。自分から群れることはなかったけれど彼がそこにいれば自然と人が集まってくる、そんな生徒だった。そんな誰もが羨む人間だった。





パリン。
何かが壁に当たって割れる音が聞こえ、書斎で資料を整理してた私は(もちろん手袋着用)何事かと研究室に駆け込む。散らばった鏡と試験管の破片の前に呆然と立ち竦むのは彼で、暫し沈黙がその場に流れた。割れたガラスが散らばっているのはたまに目撃するが、こうして事件直後に出くわすのは初めてのことで、無惨に散らばったガラスとぼう、と無表情にそこにいる背中に理解が追い付かない。

「…どうしたん」
「殺してやる」

戦慄。振り向いた、前髪からうっすら覗く眼が私を睨む。否、私を通しての人間そのものにだろうか。ゆらりと影が動き、その手に握られているものにぞっとした。赤い血にまみれながら鋭利に光るもの。がくがくと両の足が震えた。うっすらとその形の良い唇が弧を描きながら、くすくすと不気味な笑い声を絞り出す。殺される。じりじりと間合いを詰めながら近付きは遠退く彼と私の距離に異変が現れた。

ガタン、と音を立て崩れ落ちたのは彼の身体だった。一瞬の沈黙、そろりとその俯せに倒れた身体を見下ろすと、まるで死体のようにぴくりとも動かない。

「……は、博士?」
「……」

返事はない。返事はないが場にそぐわない間抜けな音が代わりに鳴り響く。力無く地に伏せた彼の身体に反し彼の腹の中にいる虫は元気に暴れまわっているようだ。ふ、と気が緩み、その場にへたりと座り込んだ。






彼は極度の空腹らしい。


(驚いた、けれど不思議と怖いとは思わなかった)
100923

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