小説 | ナノ





形容すれば、優等生にして好青年。確か何年か前の彼は、そんな言葉がぴったりな人間だったような気がする。今時の学生にしては自らの髪を茶にも赤にも染めず、逆に良い意味でその黒髪が目立っていた。背筋をすっと伸ばし皺のない制服を身に付け凛と前を見据え歩く彼の姿に今時の女の子が振り向かない筈がなかった。おまけに勉強は出来るし運動もできる、反則かと思うくらいに彼はデキスギくんだったのだ。しかし、そんな栄光はただの昔話。ショーウインドに映ったスーツ姿の自分に最終チェックを入れる。化粧の崩れや髪型など所謂女としての身嗜みチェックではない、身に付いてるものすべてが清潔であるか否か、だ。念入りに見直したあと、書類を手にしてとある一角へと歩き出す。地下へと通じる階段を降りるにつれ、自分の心音が徐々に高まっていくのを感じた。

深呼吸してインターホンに指をかける。爽やかにチャイムが鳴り響き、5、6秒後に「はい」と応える声がした。彼の声だ。

「私です、資料をお持ち致しました」
「…ちょっと待て」

数秒の沈黙、そしてガチャリガチャリと数回チェーンが外れる音がし、窮屈そうな扉が小さく音をたて開いた。鬱蒼とした空気と共に現れたのは前髪はだらりと伸び、分厚いマスクで顔の半分を覆った、美少年の面影の欠片もない、彼だった。マスクをしてるにも関わらず、手で口元を抑え、私にいつもの物を手早く手渡す。アルコール除菌剤。だらしなく伸びた髪の間からたまに覗く瞳は、まるで汚いものでも見るような色。いや、彼にとっては汚いものなのだ。彼にとって私はバイ菌そのもの。私に限らず、人間すべてがバイ菌らしい。慣れた手つきで除菌していく私を訝しげに見つめ、一通り終わったあとに渡された手袋とマスクを装着する。これで一先ず準備完了だ。無言で背を向け部屋の奥に入っていく背中を追い、いつみても、生活感がない家だな、と頭のなかで感想を述べる。廊下に塵や埃の類いは見当たらず、家具は全て物差しで図ったように部屋と床の升目に揃えられている。食事はしてるのだろうか、と心配になりながら行き着いた先は、そんな生活感のない部屋と打ってかわって書類や実験材料、何かの薬物などが飛散する、違う意味で生活感のない部屋だった。ふと見渡せば散らばったビーカーの破片。またか。

「…掃除しないと怪我しますよ」
「うるさい。必要以上に喋るな」

いつもの冷淡な調子で咎められ、気付かれないように溜め息を吐いて散らばったガラスの破片を広い集める。

「溜め息は止めろと言ってるだろう。マスクをしてるとは言え完全に防げないんだ」
「…はいはい」

そう言い手袋をはめた手で書類を開きさらさらとペンを走らせる。ギャグともとれるこの光景は、彼にとっての「当たり前」なのだ。この部屋を訪れて約10分。調子よく仕事に励んでた彼の様子がおかしくなる。

「……っ、…う」
「…大丈夫ですか?」

油断したことに、親切心から自分から彼の背中に触れてしまった。その瞬間、

「……汚、い……う、う、ぇ」

腹の底から出したであろう嫌悪感丸出しの呻き声、後にトイレの方向に走り出す。やってしまった。トイレから聞こえる呻き声と水音を聞きながら、自分の一瞬のミスに永遠の後悔に苛まれた。





彼は、重度の強迫性障害、所謂、重度の潔癖症患者なのだ。




(…お前、よくそんな汚い手で人に触れるな……う、)(…手袋してるじゃないですか)(温もりが気持ち悪い…)
100920

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