小説 | ナノ





そよそよ、ざわざわ。
どの方向にどれだけ走っても、進む足は生い茂る木々の闇へと吸い込まれていく。湿った風に木々達がせせら笑うように音を立て、上下左右に揺れる枝はまるで手招きしているよう。

「…おかあさん!どこー!」

深い緑色の闇に響く声はあまりにも心細く、それに答えるように再び木々がざわざわと笑う。絶望、その言葉が小さな子どもの頭のなかを支配していた。単なる迷子ではない、これは、得体のしれないおにごっこ。…一定の距離を保ちながら、子どもの耳には届くのだ、ひたひた、ひたひた、と。こんな森の中聞こえるはずがない効果音に無我夢中で逃げるも、その音は自分のあとをゆっくり追ってくるのだった。怖い、怖い、怖い!いくら足を前に動かしてもその音は振り払えない、かといって足を止めたらその音はどうなるかは知れない。そのまま止まってくれたら幸いだが、もしもそのままその音に捕まってしまったらー…
涙で滲む視界で足元がお留守になったのか、いたずらに伸びた木の根に片足が突っかかり、そのまま前のめりに転ぶ。けらけらけら、くすくすくす、パニックを起こした頭はついに幻聴を引き起こす。まるで森全体が笑っているかのように。後ろの足音は止まらない、止まらない。逃げようと足を動かそうとするが鋭い痛みが走り、再び地に伏せる。足音がもうすぐそこまできている。助けて!誰か!

「大丈夫か?」

不意に、前方から人の声が降ってきた。おずおずと顔をあげると、赤い提灯でぼんやりと映し出された、それでも紛れもない人の姿だった。気付けば森のざわめきも背後の足音もぴたりと止み、今は虫達の泣き声さえも聞こえてくる。ふ、と今まで張りつめていた気が緩み蛇口を捻ったようにわんわんと泣き喚いた。訳も分からず泣き続けていると、大きな手のひらがくしゃ、と頭を撫で、よしよしと優しい声で自分をあやす。その声に不思議と恐怖が和らぎ自然と涙に底がついていく。その様子に安心したのか、子どもを軽々と姫抱きにし、提灯の朧気な光だけが頼りの獣道を迷わずに歩いていく。からんころんと下駄の音だけ響く夜に、何故だか恐怖は生まれなかった。

「ねえ、おねえさん、どこにいくの」
「……。俺の家に運ぶんだよ」
「どうして?」
「お前を食べるために」
「うそ、おねえさん、そんなこわいひとにみえないもの」
「……そうか」

何が面白いのか、くすくすと柔らかく笑った顔に、何故だか自分も笑った気がした。ゆらゆら揺り籠のように揺られる腕のなか、優しい香りに包まれ、すっかり夢心地になり、まるで鳥のように空を飛んでいるかのような錯覚を起こす。





「それで起きたらお前の家の近くの神社だったってわけか」
「うん!そのあと警察とかいろいろ大変だった」
「なんて二次元な…」

頭が痛い、と言うように指で額を抑える幼馴染みは、心の底からこの話を単なる私の夢だと言わんばかりの顔で私の話を聞いていた。まあ、最初から信じてもらえるとは思っていなかったけどね!

「馬鹿馬鹿しい…お前が寝惚けて神社まで行ったんじゃねぇの」
「違うし!あの時起きたらなんか私の首にぶらさがっていて」

その時、お馴染みのチャイムが鳴った。このチャイムは一限目始まりのチャイムである。つまり遅刻である。

「お前がわけわからねぇこと言うから!」
「サソリだって結構真面目に聞いてたじゃん!」
「うっせ!ばーか!」
「ばーかばーか!」


唾を飛ばし合いながら学校に向かい走り抜ける。ふと視界に入った神社の鳥居に、あの人は一体何者だったんだろうと久しぶりにあの時のことを思い出す。そもそも、なんであんな薄気味悪い森の中に入っていったんだ、勇気あるな幼き頃の私。いや、あの森に自分から入ったんじゃなくて…

「早くしろブス!」

記憶の扉に手をかけた私の頭は、至極不愉快な言葉に遮られた。うん、夢だと言ってしまえば夢だったのかもしれない。そう楽天的に考えながらも私の頭の中に、ふと、あの不気味な足音が小さく聞こえたような気がした。走り出す私は、振り向かずにサソリの背中を追った。







誰そ彼、問ふも愚かし闇路の出会ひ
魂は見つ主は誰とも知らねども結びとどめつ下かひの褄


(それは何かの予兆、なのかもしれない)
100824



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