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月がぼんやり雲に滲んで朧気に光る夜、私はなんとなく、けして美しいとはいえないその月を水面越しに見ていた。湿った風がべたりと肌をなぞって通り抜けるのが不快に思った。ならば何故私は帰らないのだろう、危ないから、外は出歩いちゃいけないと言われているのに。ひた、幽かな足音が不意に(いや、くるのはわかっていた)背後に聞こえ振り向かないままにその名前を呼んだ。血の匂い。

「…どうしてこんなところに」
「なんでだろ」
「……」
「なんとなく、かな」
「…早く帰れ」
「イタチ」

後ろに気配もなく佇む幼馴染みの顔を背中越しに見ると、きれいな瞳が今宵の月のように濁ってみえる。何を言わずにその瞳を見つめる私を彼もまた何も言わずに見つめた。…先に視線を逸らしたのは、イタチだった。

「初めて人を殺した」
「そう」

それ以上は互いに口を開くことはなかった。言葉を交わす代わりに、ただなんとなく結んだ唇を結んだ唇に乗せてみた。ただ、なんとなく。おもむろに私の腕をつかんだ指先が僅かに震えた気がした。



耳の中に充満する声にならない叫びが人の肉を裂く感触が蒸せ返るような鉄の匂いが、頭の中をぐるぐる転がり掻き回す。いくら洗っても消えない指先の染みが徐々に全身に広がっていくようだ。ふらりと足が暗いきいろみちを辿る。歩いた道端に、彼がいた。当たり前のように。

「どうしてこんな所にいるの?」
「わからない」

ただ、なんとなくだ。暫しの無言。ああ、なんて似た者同士なんだろう、私と同じ無表情が私の無表情を静かに見つめる。そしてその無表情を崩さずに、私は無感動に呟く。

「初めて人を殺したんだ」
「そうか」

一息で呟いた言葉のあとから、何かが溢れてしまいそうだった。必死に反芻するそれを押し戻そうとするが、もう溢れる寸前だ。その時、不意にそれを止めるかのように私の口が塞がった。塞き止められたそれは今度は涙となってこぼれてきそうだったから、彼の腕を掴んでしがみつくように力を込める。なんて安心する香りなんだろう。私は、この人がすきだ。




私は彼の考えていることがぼんやりとわかった。彼もまた私の考えていることをあらかた想像できるだろう。だから、やはり私は、あの時突然姿を現した彼を当たり前だと思ったように、今日の日が来ることも当たり前だと思っていた。彼のために、来ないことを祈ってはいたけれど。

「どうしてこんな所にいるの?」

問い掛けた私を見つめる彼は死んでいた。冷たく一瞥する瞳はあの時殺した人間の温度のようにただただ冷たかった。その視線に当てられ、私は指先からゆるゆると冷えていく感覚に陥る。彼の瞳を見つめたまま無表情に立ち尽くす私を、やはり無表情で彼は見ていた。

「あなたはもう死んでしまったんだね」
「……」
「私も死ぬのか」
「……」
「いいよ」

あんなに怖かった死が、不思議と温かく待ってる気がした。私はいい、私はいいけど彼はどうするのだろうか。ひとりで寂しく死に続けるのだろうか。ゆっくりと彼に向かって歩みを進めるとどちらの腕が先かわからずに、お互いを抱き締めた。腹部に広がる痛みで違う意味で流れる涙を誤魔化せそうだ。

「イタチ」
「……」
「どうして、こんな所にいるの」

ここにいるべきじゃないよと呟いた言葉は彼の冷たい唇に塞がれた。







乗ってほしい
(寂しさと寂しさとか苦しさとか苦しさをかけてみてもけして幸せとか喜びのようなプラスにはならない。それでも、どこか救われたような気がしたのは、けして勘違いではなかったと信じたい)




羃乗:あるひとつの数を繰り返し掛け合わせるということ、或いはそれによって得られる数のこと
100819
リクエスト消化!ちなみに乗ってほしいの乗は羃乗累乗の意味合いで考えました。リクエストありがとうございました!!

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