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只今の気温30℃超過。命の手綱のクーラーはわけあってもはやプラシチックの塊。じりじりどころかダイレクトに理性を追い詰めていく殺人的な暑さに文字通り溶けてしまいそうだった。気休め程度に回り続ける扇風機のもと、だらしなく伸ばした爪先が僅かに冷たいところを求めさ迷う。とめどなく溢れる汗で滲む視界の端で、まるでそこだけクーラーの冷気が直下しているように涼しげな顔で座る彼に意味もなく何度呟いたであろう言葉を呻き声に混じらせもう一度投げ掛けた。


「死ぬとおもう」
「そうですね」
「クーラー壊したの誰だっけ」
「飛段」
「殺す」
「そうですね」
「私はアイスを所望する」
「そうですね」
「コンビニ行ってきてイタチ」
「嫌です」
「先輩命令」
「嫌です」
「おーねーがーいー」
「……」


まったくめんどくさいお人だよまったく、と言ったニュアンスのため息を吐きながら彼が重い腰を上げる。非常に申し訳ない、後輩よ、しかしこれは万死に値することなのだ。と宙を見ながらぶつぶつ唱えていると、暑苦しい蝉の合唱に突如タンバリンやら大太鼓といった楽器が挿入された。そのくらい派手な音が鼓膜を刺激したのである。驚いてその音の発信源に目を向けると、気丈で優美、麗人といったそんな美しい言葉がぴったりな彼が間抜けにも床に伏せていたのだった。


「…イタチくーん?」
「……」
「そ、そんなに行きたくないのかなー?」
「……」
「………」
「………」
「…イ、イタチ!?」


まるで屍な彼の体を仰向けにすると、だらりと項垂れる四肢、乾いた唇、開かない瞼……まさか、信じられないと思いつつ私の頭は無情にも冷静に現実を受け止めていた。彼とは短いようで長い付き合いだったけれども、一緒に行動を共にした時間は意義があるものだった。無表情で何を考えているかわからないことが常だったが時折見せてくれた笑顔がどうしようもなく嬉しくて切なくて胸が苦しくなった。そう、いつだって私はそうだ。どうして人間という生き物は失ってからそれがどれだけ大切でかけがえのないものだと気付くのか、悲しき残酷な運命が私たちを引き離す、さながらロミオとジュリエッ

「…いいから助けてくれませんか」
「イタチ!生きてたのね!!」

暑さでハイになった思考回路から私を現実に連れ戻したのは洒落にならないくらいに死にそうな掠れた声だった。とりあえず鬼鮫に即席の伝書鳩を飛ばし彼を扇風機の前まで引きずり手元にあった麦茶をスタンバイする。

「熱中、症?かな…」
「……」
「ごめん、全然暑そうに見えなかった」
「ただの立ちくらみですよ」
「いや…扇風機占領してたの私だし…」
「…いいですよ。らしくない」

そう言って力なく笑ってみせる。彼は優しいのだ。無表情にみえて、冷酷非道にみえて、本当はとてもとても優しい人なのだ。そんなことはわかっていたはずなのに。柄にもなくナイーブになっていると彼の異様に冷えた指先が私の腕に触れる。

「水、を」
「あ、うん、麦茶だけど」

熱中症には味噌汁が効率的だと聞いていたのをぼんやりと思い浮かべながら彼の口元にコップを寄せ水を注ぐ。僅かに唇から溢れた滴が首を伝い流れ落ちる。不覚にも、不謹慎にも、その光景にどきりと心臓が鳴った。

「………」
「…はっ、いやいやなんもやましいことは、ね!そんな、ね!」

しばらくジト目で私を見据えたあと幾分調子がよくなったのか、くすくすと噛み殺したように彼が笑った。それにほっと肩を撫で下ろし、扇風機のそよ風にさらさらと揺れる黒髪に手を伸ばす。大分お天道さまも西へと傾いていったようで、暑いことにはかわりないがだんだん気温が夕方のそれへと移っていった。指に絡まることなく通り抜ける髪をゆっくりと解いていると、彼は猫のように瞳を細め、よほど疲れているのであろうかそのまま穏やかな寝息を立ててしまった。どこまでも綺麗なひとだ。いつまでも、見つめていたい。しかし、それが儚い願いだということを自負していた。彼が、人知れず血を吐いていることを、薬を求めて苦しんでいることを私は知っていた。何故と問いかけたところで彼は何も言わないし、これからしようとしていることを止めようともしないだろう。



「…すきだなあ」



思わず漏れた呟きはいつの間にか鳴き始めたひぐらしたちの不協和音に埋め尽くされた。彼が、死んでしまったらどうしようか。私も死んでしまおうか。出来ることならば彼がいる季節を図々しくも生きていたいのだけれども。
夏も、もうすぐおわりだ。



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